heartfelt sorrow



時事的な話題は私が書いても多くの人と変わらず凡庸で脊髄反射的な内容になるので取り上げないようにしているのですが、これだけは記録しておきたいので、週に2回もmusicの記事になることをお許しください。


シド・バレットが亡くなった。

BBC(イギリス国営放送)
Guardian(イギリス全国紙)
NME(音楽誌)
共同通信(短いのにいくつも間違いあり)

ピンク・フロイドのオリジナルメンバーであり、作詞・作曲・ボーカル・ギター、つまり根幹を担った。バンドはサイケデリックムーブメントの急先鋒として一気に名前が知られるようになる。バレットは文学的素養(ジョイスの詩に曲をつけている)を備え、内面宇宙を追求する真のサイケデリックを志向していた。ポップでスケールが大きいのに、とてもシンプル。ということは、曲そのものがすばらしい。バテットは成功する確信を持っていた。しかしセールスは伸び悩んだ。バレットは精神を消耗していく。ライブで1曲も唄わずに立っているだけなど奇行が目立つようになった。そして、LSDに耽溺するようになる。ソングライターとしてメンバーに残すことも考えられたが、それすら維持できなくなっていた。1968年3月、デビューしてわずか1年で正式に脱退。

それからシド・バレットは、表舞台から消えた。1年後、ソロ契約していなかったにも拘わらず、レコード会社にアルバムレコーディングのためのスタジオスケジュール取りを電話してきた。このあたりは、同じく精神を病んでしまったニック・ドレイクと非常に似ている。そして、ソロアルバムができあがった。1970年にもう1枚、そして1988年にはそれらのデモテイク集もリリースされた。本人は、ずっと沈黙していた。

一方ピンク・フロイドは創造の源を失い、苦肉の策で編み出したコンセプトありきという様式美によって徐々に巨大化、商業的には大成功を収めた。15年間ビルボードチャートに居続けたアルバムもある。“Shine on you crazy diamond”や“Wish you were here”などは、シド・バレットのことを唄った曲だ。

今どこで何をしているのか追いかけるファンやマスコミは後を絶たなかった。私も、10分ほど庭のような木立のようなところを歩く姿を捉えただけのDVDを購入し、そのDVDを再生するためにリージョンフリーのDVDプレーヤーを購入した。それくらい世界中に、ほんの少しでもいいからバレットから何かを享受したいと願っている人たちがいた。

「母親とイギリスの田舎で静かに暮らしている」「ライブを予定していてリハーサルに励んでいる」「ずっと曲作りをしている」「小説を執筆している」といったまことしやかな噂がたくさん流れた。アルバムリリースの噂はほとんど毎年流れた。結局、1968年3月から40年近く、他人との接触を避け続け、姿を現さないまま、その命を閉じた。

画像のレコード『Barrett』が、最後のアルバム。
バレットだけが見ることのできた宇宙が広がる、他の誰にも書くことのできない詞。
質素な音色に秘められた、あちら側の旋律。

彼こそ、ほんとうのアーティストだった。
関連記事

コメント

こんばんは

shosen様

こんばんは、コメントありがとうございます。
私も初めて購入したフロイドのアルバムは、べたな『狂気』でした。
ヘッドフォンで聴いたとき、おそれおののきました。
『夜明けの口笛吹き』のすごさは、10年くらい解りませんでした。
「星空のドライブ」いいですね、大好きです。1stの山場ですね。

シドが生み出すのはあんな音楽なのに、アイドル的な人気が出てしまうほど顔が良かったのが、
フロイドが拡大していくときにおいて乖離を生んだのではないかと思います。

私にとっての「ロックスターの死」はカート・コバーン以来、二度目の体験です。
カート・コバーン(コベイン)の場合は、まるでそこに向かっているかのように加速していました。
シドの場合は、彼の60年の人生のうち、3分の2近くが隠遁生活でした。
ドラッグで死ぬのなら解ります。でも、余りにも不在が長過ぎます。
何を言っているのかまとまっていないことからお解りの通り、うまく整理がついていません。

シドの死

こんにちは。
シド・バレットの死去は、昨日夕刊の死亡記事で知りました。
私は「様式美」後のフロイドファンなので、シドについては、kotaさんの文を拝見し、ああ、やはりすごい人だったのだな・・と思うばかりです。
シド在籍時のシングルや「星空のドライブ」なんか大好きなんですけどね・・。彼には感謝を申し上げるだけです。
非公開コメント