ウォーターワールドを描く本

本のトラックバック企画に参加します。
今回の出題者はイタリアごろごろ猫記のねるさん、お題は「ウォーターワールドを描く本」とのこと。詳しくはねるさんのところをご覧ください。毎回おもしろい切り口で、気軽に参加できます。

水は、海、川、雨、霜、露、雪、涙、洪水、サーフィン、釣り、いろいろあります。乱暴に言ってしまえば氷も水ですし、空気だって水です。雪の種類は少ないですが、日本語は雨の種類を表す言葉が豊富です。しぐれ、さみだれ、むらさめ、ひさめ、とうう、しゃじく、ついり、なたねづゆ、とらがあめ、きつねのよめいり、うのはなくたし、何と1200種類もあります。これは明らかに、雨そのものに違いがあるわけではなく、ソシュールが提唱した恣意的なものです。使われなくなった言葉がたくさんあることからも、そのことは推察できます。というわけで水です。私の読書傾向から古井由吉「水」や吉行淳之介「驟雨」やモーム「雨」辺りを予想したあなたは、クレーマ・カタラーニャ(注)です。
まっさきに思いついた2冊がSFだったので、もう1冊SFから選びました。



■J.G.バラード『沈んだ世界』
このころのバラードの小説は絶品ぞろいです。ある種のSFが「思弁小説」と呼ばれるきっかけとなったのは、バラードの「○○世界」という作品群です。さてこれは、タイトルもまさにウォーターワールド。世界が高温多湿となり、大都市は軒並み水没してしまうところから話は始まります。バラードは、典型的なSFのガジェットや装置を使いません。追求するのは宇宙に広がる未知の世界ではなく、レンズの倍率を上げて、まだ誰も知らない内的宇宙を描写します。でも、科学技術に依存した設定のSFも結局は人間の内面について書かれたものが名作として残っています。ということは、より高倍率でその世界を想像して書き上げるバラードは、すごいということになります。退廃的で私はとても好きなのですが、気が滅入るのを良しとするか否かで好みが分かれると思います。


■カート・ヴォネガット・ジュニア『猫のゆりかご』
これについては、とにかく「アイスナイン」でしょう。アイスナインとは、原爆を発明した科学者が生み出した、常温でも凍っていて、わずか一滴というかひとかけらで世界中の水を凍らせてしまう、おそろしい物質です。これを読むと「ボコボンボコノン」が頭から離れなくなりますが、楽しい小説です。終末を描いているのに楽しいのです。人間なんて無力だということを思い知らされ、絶望の淵に立ったとき、人々が楽天的になります。どのような結末になるかは、読んでみてのお楽しみ。科学対宗教、道具はアイスナイン、隠されたメッセージは反戦。蛇足ですが、いくつかのアメリカの小説をいいとこどりした村上春樹の処女作において、形式が真似されています。彼は「はいほー」という軽い言葉で済ませてしまう態度も“very nice”と言ってしまうヴォネガットの著作から使っていますし、多用する「やれやれ」もヴォネガットの「そういうものなのだ」という態度の模倣です。ヴォネガット本人がエッセイで書いていますが、彼はどうしようもない現実に直面したときに「そういうものなのだ」と捉える姿勢を、私のフェイバリットである「呪われた作家」ルイ・フェルディナン・セリーヌから学んだそうです。セリーヌから春樹。これ以上の劣化コピーを、私は知りません。


■スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』
ポーランド語原典からの新訳が国書から出たけれど、20年以上愛読したこっちに愛着がわいてしまっています。私が持っているのは九刷、何と380円です。これこそSFの中でも未知の生命体を描いたジャンルにおける最高傑作です。ただ、私の頭の中ではもはや重訳であるハヤカワ文庫版と国書の新訳とタルコフスキーの映画が一緒くたになっています。細かいところはどれによるものなのか、はっきりしませんが紹介していきます。

ある惑星「ソラリス」の調査に行くと、みんなおかしくなってしまう。連絡や報告も途絶える。自殺者も出る。その惑星で何が起こっているのか地球にいる人は分からない。で、次々に調査員が惑星ソラリスに降り立つ。主人公もそのひとり。ソラリスはほとんどが海で、ものすごく退屈。海があるのに生き物がいない。

でも生き物は1種類だけ、1個体数だけいたんです。何と、海です。こいつが厄介です。サービス精神豊富です。主人公のせいで自殺した恋人を、主人公の「記憶」だけで作り上げ、夜な夜な調査基地にある主人公の部屋に訪れます。主人公は一瞬喜びますが、当然気づいて気味悪がります。ソラリスに来た調査員がおかしくなっていくのは「どうせ偽者なんだけど同じだよ、だったら楽しんじゃえよ」となっていったからです。楽しめない人は、自殺してしまいました。

主人公は、本物と偽者について思考を繰り返します。ソラリスの海が生み出した恋人は本物なのか偽者なのか。偽者であることは判りきっているのですが、何が本物であるかという(私たちがふだん何気なく思っている)判断基準が崩れていくのです。そこで主人公は思考停止して耽溺するのでもなく、狂って自殺するでもなく、考えます。このあたりは非常に論理的です。現代の論理クイズ(答えがひとつ)やパズル(答えがふたつ以上)やパラドクス(答えが存在しない)にもよくある設問です。話はそれますが、たとえば、心と体が分離したら、あなたは心と体、どっちが自分だと思うでしょうか。心があなたで体は他人と、心は他人で体はあなただと、どちらを拷問にかけられるのが嫌ですか。また、たとえば、あなたの心を誰か別の人間の肉体に移動して、あなたの体は消滅してしまうのと、あなたの体に別人の心が入ってきて、あなたの心が消滅するのと、どちらかを選ばなければならないとしたら、どちらを選ぶでしょうか。日本人は心がその人をその人たらしめているという考え方が多いようです。私はどちらの立場になっても(ディベートですね)論破できます。似たテーマで法○大学辨論部に勝ったこともあります。

話が進むにつれ、主人公の恋人は、どんどん本物になっていきます。もっと主人公を喜ばせようとしているのです。しまいには、主人公の記憶にもなかったことを話しはじめます。そうなると、ソラリスの海が作った恋人は主人公の投影ではなく、ひとつの独立した意識体になってしまっています。記憶というか意識については死んだ恋人と同一です。ものすごい技です。さすが小説です。上で、自分が自分であるのは心であると選んだ人にとっては、こうなるともう恋人そのものです。おまけに見た目も同じなのですから。

最後に主人公がとった選択は、非常に重苦しいものです。気がつけばとても哲学的で、宗教的でもあります。タルコフスキーの映画では恋愛が前面に出た最後の選択となっていましたが、それもまた人間が何かを選ぶときの大切な要素であり、正解はないという点でも興味深いです。ただし、詳しく書くと読む楽しみが削がれるのでもどかしいのですが、ラストに選択した元となった考え方が、やっぱり西洋中心主義です。まあ、そもそも知的生命体を地球上に存在する海に設定するのも、地球人の思考の限界なのでしょうが。

科学者やSF小説家が描く未知の生命体は、人間や動物に似た形であるものがほとんどです。子どもでも思い浮かべることのできる、頭でっかちで蛸のような火星人です。教育とは想像力を削いでいくものだということがよく分かります。頭でっかちの蛸は、地球の人間が自分本位に考案したものです。そうではないところに想像力を駆使する、レムの筆力というか思考能力に敬服します。これはレムがポーランドの小説家であることと関係があると思います。

レムの著作には、実在しない書物の書評集『完全な真空』や、実在しない書物の序文集『虚数』などがあります。レムにとって架空の書物を設定するということは自らの思考を記述するには最適な方法だったのでしょう。そしてそのことは、SFという形式においても有効なのです。ただ、架空の書物についての著作は思想が先立ってしまい否定を熱弁しているようにもとれます。知識と教養で文章を紡ぐ、思想ゼロで衒学すれすれのボルヘスのほうが巧いと思います。

画像の後ろにあるのは、原作者レムと監督タルコフスキーが猛烈に論争して最後にレムが「おまえは馬鹿だ」と吐き捨てた、評判のよろしくない映画「惑星ソラリス」です。退屈という声がありますが、退屈さはタルコフスキーが意図的に作ったものであり、それこそが、どうにもならない停滞感、未知のものに接したときに何もできないことを最も効果的に表現しています。バッハも効果的に使われています。日本の首都高速もロケで使われており、同じく長回しで台詞なしなのに、史上最高の東京のプロモーションビデオとも言えるソフィア・コッポラ「ロスト・イン・トランスレーション」のラストで流れる首都高の情感あふれるシークエンスとは対極の、陰鬱が重苦しい名シーンです。


ところで純水って美味しくないですね。


※注 クレーマ・カタラーニャ……お菓子。ものすごく甘い。
   イタリア猫記のねるさんなので、ドルチェにしてみました。
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コメント

not subject

コメントをいただいていたのに返信が遅くなり申し訳ないです。

■moji茶様
こんにちは。カメラはあまり好きではないんです。頭の中に思い描いたイメージ通りに撮ることができないもので。時間をかけてもいられないので、見る人が見れば「気持ちは分かる」という妥協の産物です。『電気羊はアンドロイドの夢を見るか』は傑作ですね。映画化された「ブレードランナー」もすばらしいです。話に登場する一角獣を折り紙で作ったこともあるくらい、好きです。

■LIN様
かぶることを避けていたら、ほんとに好きなものというか、お題にぴったりだと思ったものを泣く泣く削除してしまうことになるので、LINさんのエントリは観ていたのですが挙げてしまいました。とにかく私にとっては水といえばソラリスです。先日、知人の建築家と食事したのですが、その人がブログを読んでくれていて、バラードが挙げられているのを見つけて喜んでいました。書籍での話題はかぶらないと思っていただけに、意外なよろこびでした。その人が挙げていたのがちょうど『コカイン・ナイト』でした。レムとタルコフスキーの論争についてはwikipediaに簡単に紹介されていますよ。

■みらくる様
こんにちは。SFは、スペースオペラ的なものやライトノベル的なものは苦手なのですが、既成概念やこの世の中の構造から逸脱した世界を描くには手っ取り早いジャンルなので、かなり読みました。新訳の『ソラリス』は、ポーランド語原典から訳されたもので、それまでの重訳だった『ソラリスの陽のもとに』では省略されていた箇所も原典に忠実に訳されています。初めて読むなら『ソラリス』がおすすめですが高価ですし『ソラリスの陽のもとに』でも何ら問題ないですよ。

■pico様
そうですジャーマンでした。思い出そうとするとジャームッシュが出てきて困っていたんですが「ジャー」しか合ってませんね。固有名詞の記憶力には自信があったのですが、最近は情報が洪水のようなので、うろ覚えで処理してしまい、どうでもよくなってきているんです。「blue」さえ覚えていれば、picoさんのように教えてくれる人もいますし。えーっと、つまり他人様をデータベースにしているわけです。膝を打って半月板が三日月板にならないようにお気をつけください。

■ねる様
おほめいただきありがとうございます。ほんとはもっとはっきり装幀が判るように撮りたかったのですが、逆光だったのでこんなことになってしまいました。窓を開けて、そこに置きました。水にちなんでフラワーベースです。私は純文学専門と思われている節があるので、とはいってもモームは自らを大衆文学家として、物語の面白さを広めた人なんですが、私が「雨」を挙げるのは、できすぎています。クレーマ・カタラーニャはスペイン発祥なんですね。ねるさんの解説を読んで、ああそうだカタルーニャのことじゃないかと思い至りました。picoさんもおっしゃっていますが、日本だとクレーム・ブリュレと似た扱いですね。で、私もイタリアンで知った味なので、イタリアにちなんでしまったというわけです。クレーム・ブリュレよりも「ぼてっ」とした感じが、濃くて好きです。洗練されていない「お菓子」という感じがして。ソダーバーグ監督のソラリスは、観たことがありません。特に論争にはなっていないと思います。

■ワルツ様
そうなんです。恋愛小説ととることもできるんです。しかも、主人公の男が覚えていないことや初めて聞く話をし出すんです。そうなると、恋人そのものです。SFと聞いてイメージするメカニカルな要素や造語のような横文字やおかしな固有名詞はほとんどないので、すんなり読むことができると思いますよ。

not subject

こんばんは。
kotaさんの『ソラリス』についての解説を読ませてもらってどういうお話なのかすごくよく分かりました。
これは、究極の恋愛小説なのですね。ただ、お相手が、自分の記憶の中の恋人だなんて、とても切ない。
今まで、私なんぞにはきっと難しい小説と思っていたのですが、すごく心惹かれています。
LINさんちの紹介でもぐらぐらしたので、是非読みたいと思っています。素敵な本を教えて下さってどうもありがとうございます。

not subject

いつも独特な空気の写真撮られて感嘆してますけど、今回の特に素敵ですねえ。
水で涙までは思いつきませんでした。言われてハッ。kotaさん、ロマンチック。
モームの「雨」とか連想すると、クレーマ・カタラーニャなんですか(笑)。
このドルチェは、私の敬愛するスペインの私立探偵ペペ・カルバイヨの好物です。
クレーム・ブリュレと元々は同じものだろうけど、なんだかもっと乳臭い。母の味って感じですね。
イタリアでこれに匹敵するものは何だろう。ザバイオーネあたりかしらん。
ああ、SFがちっともわからないから余談でお茶を濁してますが、、、
kotaさんのソラリス解説、最高です。すでに体の一部になってるものが染み出てきてるみたい。
LINさんも強力にプッシュされてることだし、私もそろそろSF食わず嫌いをやめて
ソラリスから読もうと心決めたのですが、この記事のおかけでマップを頂いた気分です。
あまり迷うことなく読み進んでいけそうな勇気が出ました。
以前は嬉々として読んでいた退廃的小説も年のせいか遠ざけてるのですが
『沈んだ世界』の設定にはとても興味を惹かれます。
ところでソデバーグ監督の「ソラリス」リメイク版は駄目だったって、おっしゃってましたっけ?
私はまだ観てないのですが。

not subject

こんばんは。
最初から最後まで真っ青の映画は、デレク・ジャーマンの遺作「Blue」のこと。ですよね?(横やりですみません)
タルコフスキーのソラリスとノスタルジア作品とともに、お宝ビデオのひとつです。
ロスト・イン・トランスレーションの対極と書かれているのをみて、思わず膝を打ちました。

クレーマ・カタラーニャは、クレーム・ブリュレのことですか?
カタラーニャ(にゃ)がツボにはいり、一人にゃけています。



こんにちは

kotaさん、こんにちは。

私はあまりSF(というより海外小説)を読んでいないので『ソラリスの陽のもとに』のことも全く知りませんでした。
LINさんやoverQさんが挙げられた『ソラリス』は新訳なのですね。
kotaさんの解説を読んでますます興味を持ちました!
それに今回のお題「ウォーターランド」を描いた作品というのにピッタリだと思いました。

not subject

『ソラリス』が重なっただけでも嬉しいのに、
他の2作品が、バラードとカート・ヴォネガット・ジュニアと
私が気になっている作家なので、狂気乱舞しております。
とはいっても、バラードは『コカイン・ナイト』、
カート・ヴォネガットは『タイタンの妖女』を読んだだけなんですけどね(・∀・;)
次はどの作品を読んだらいいのか悩んでいたので、
早速、この2冊を読むことにいたします。
>原作者レムと監督タルコフスキーが猛烈に論争
そんなことがあったんですか!
どんな内容の論争だったのでしょう。
気になります。

こんにちは

こんにちは!TBどうもありがとうございます。

↑の本の写真はご自分て撮られたんですね。
凝ってるぅー カメラがお好きなんでしょうか。
私もちょっとだけやってみようかと思ったんですけど、あんまりセンスがないのでやめました。 がっくし

未読本ばかりです・・・SFは、がんばって「闇の左手」と「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を読んだきりです。
なかなか世界観を理解するのに時間がかかって前にすすまないんですYO
でもソラリスは読んでみたいです。今までのSFとは違う感動を与えてくれそう♪

not subject

>菊花様

こんにちは。コメントありがとうございます。
猫のゆりかご、断章形式で読みやすいですよ。まだヴォネガットを読んだことがないなら、これから入るのも悪くないと思います。実際本国では、猫のゆりかごでカルト的な人気が出て(それまではカルト的な人気もなかったということなのですが……)、ようやくヴォネガットを発見したようですし。

トラックバック企画は、まったく自分が書店で足を向けない分野が出てきたりしておもしろいです。知らない分野だと、どれが良いのかも分からないですから。何にも縛られていない読者が紹介するのは、職業的な書評家や広告的な新刊ガイドとは異なり、正直ですし。

not subject

>kyokyom様

はじめまして。コメントありがとうございます。
「惑星ソラリス」は本編が160分あります。長いです。しかも、長い映画にありがちな「超大作」でもありません。長いと予算は増え、1日あたりの上映回数は減ります。リスクのほうが遥かに多いにも拘わらず、タルコフスキーにはこの長さが必要だったということでしょう。退屈と感じたなら、タルコフスキーの意図の通りなので、何も間違っていないと思います。大学の映画学科の授業も受講していたので、私の映画を観る方法は基本的に正統的だと思います。受け取り方は様々あっていいと思いますし、私がここで書いていることは(もちろん私は個人情報を晒しているのでいかなる責任も覚悟の上です)、すべて私の考えに過ぎません。また、映画に限らず優れた作品は、捉え方に幅があるものだとも思います。どうしようもなく退屈な映画もあります。

私は退屈な映画を観たら「なんでこんな退屈な映画を作ったんだろう」と考えてしまうんです。すると、編集や脚本が酷くてほんとうに退屈な映画と、意図的に作り上げた退屈さがあることに気づきます。このふたつは大違いです。予算をけちったのか何なのかは分かりませんが、だれた感じで冗長な映画は前者で、「2001年宇宙の旅」の最後のほうにあるカラフルな移動シーンは後者ですね。あとこれは性格の問題ですが、私は極端なものが好きです。最初から最後まで画面が真っ青という映像作品もあり、監督の名前がどうしても思い出せないのですが、昔はまりました。

私にとって退屈な映像は、無思考に風景を撮った、癒し系と呼ばれるBGV的なものです。

開局当初の東京メトロポリタンテレビの深夜帯は、なかなかのものでした。ちょうどゆりかもめが開通したころで、ゆりかもめの運転席からの眺めを、新橋から終点まで延々と流すんです。何だこれひどいなと笑って観ていたのですが、終点に着いたらどうけりをつけるのか気になってしまい、電車に乗っているときに早く目的地に着かないかなと思うときと同じ種類のいらいら感まで出てきました。で、ようやく終点に着いたら、何とびっくり、折り返して今度は新橋に向かうんです。さっさと寝ました。

また反対に「お前それは編集しすぎだろ」というのも好きです。ゴダールのように。

知らない本(作者)だらけだ・・・

こんにちは。
海外の作家にはとんと疎いため、
kotaさんの挙げている本(作家)はどれも知らず・・・。
とりあえず、カート・ヴォネガット・ジュニア『猫のゆりかご』を
積読本の候補としてメモしておきました!
そして、こうやって同じ「お題」から
いろんな本が紹介されてゆく面白さよ。

not subject

kotaさん、はじめまして。kyokyomと申します。
kotaさんの文章を読ませて頂いて今更ながらSFの世界の奥深さを知ることができました。
レムの本は未読なのですが映画を見たことがありまして、その時は大変退屈な思いを味わいました。しかしそれも意図的に作られた退屈さだったとは。一様に思える退屈という感情でさえ実は見る者の思考・感性によりその意味が違ってくるのだと知り、目からウロコが落ちる思いです。
純水、美味しくないんですね。以前、NHKの高校理科の番組で0℃以下でも純水は凍らないと知り、驚いたことがあります。一度、そのまずさを味わってみたいです。
では、失礼いたします。
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