すばらしき伝統文化都市、金沢

残念なお知らせです。今月11日からはじまる金沢21世紀美術館でのイベントに出品する予定でしたが、とりやめました。長い恨み節が書かれていますので、くさいもののふたを開けてしまいがちで暇な方だけ読んでください。
そのイベントの主催は金沢市です。金沢市の担当部署なのか市役所全体なのか判りませんが、先日理事会があったようで「なんで俺たち金沢市が開催してやるイベントなのに、加賀市の奴がいるんだ? 出ちゃ駄目」との結論になったようです。とんだところで有名人になってしまいました。私もそれなりにうすらぼんやりと「金沢市のイベントなのにだいじょうぶなのかな」と思っていたのですが、私に出品を依頼してきた企画運営会社の担当の方が何度も市に確認していてだいじょうぶとのことでした。まあそれに、加賀市のイベントに金沢の人が出るのは明らかに変ですが、金沢は石川県の県庁所在地ですし、石川の顔というか金沢本人は北陸の代表とまで思っていらっしゃるのでさすがだなあとも思っていました。

直前になって話が変わることがどれほど迷惑になるかすら解っていない空っぽな愚鈍さは地方自治体の共通点なので、特に金沢市に特徴的なことでもありません。でも、その経緯と彼らの判断結果からは、政令指定都市を目指して周囲の町に合併を打診しても断られてしまう、自尊心が高くて排他的、クルマは石川ナンバーではいやで金沢ナンバーを作ってしまう、やっかいな村意識のある金沢市のメンタリティを象徴していると感じました。駄目なら駄目と最初に言ってくれないと、私だけではなく他の方にまで迷惑が及んでしまいます。

金沢じゃないから駄目、というのは一見筋が通っているようですが、おかしなお題目です。なぜなら、結局今回のイベントには、所在地が金沢市の、とある漆器の卸と小売を手がける企業が前面に出ることになったからです。それがなぜおかしいかというと、その企業の事業内容が卸と小売というのがポイントです。ごくわずかながら自社制作もしていますが、ほとんどが、山中や輪島、そして福井や中国で作られた漆器を仕入れているからです。金沢の工芸と銘打っておきながら、金沢で創作に励む作家や作家の卵たちといった個人ではなく(そういう人たちの発表の場所を私が奪うようなことになるなら、私は快く辞退しました)、結局はいつものように気心知れた企業を担ぎ出すのです。ちなみにその企業は、金沢市のお金でモナコに行ったりしています。ついでに言うと、私の取引先、つまりお客でもあります。でも私はいろんなことを無視する人間なので、事実を事実としてネットに書きます。

企画運営している企業の担当の方いわく、市のありがたいお言葉では、私が漆器をどうしても出したいなら、私の名前は一切出さず、その金沢の企業がセレクトしたアイテムということで、キャプションにはその企業名しか載せないということでした。その連絡を受けたとき「展示はいいけれど、図録は私の名前と連絡先にしてくれないか、来場者が後になって問い合わせをするときに混乱するから、っていうかそうすべきなんじゃないかしらざます」と、百億万歩譲って伝えました。でも一晩考えて、出品を辞退することにしました。企画運営している担当の方は私を加えるためにこれまでかなりの労力を割いていたようですし、図録のクレジットひとつでどれだけの「お偉い方々」から承認をもらわなくてはならないのか自分がすることを考えるとうんざりしましたし、そんなうんざりすることを他人にさせるのはしのびなくなったのです。どうぞ、金沢の企業たちで、実際には金沢で作られていないものを並べて、金沢の「優れた伝統文化」を誇示し、勘違いした自尊心を満たしてください。


このイベントでは、紙コップにとりつけるカップホルダーを、陶芸や漆器など各工芸で新しく作るという企画もあります。美術館内にあるカフェでも使われます。金沢の漆器の人たちは、全員及び腰だったようです。斜めになった筒状のものを木で作ることは、難しいです。角度が合わないと大変ですし、ほんの少しでも内径が違うと使い物になりません。ぴったりのものができても、底がないのでなおさらきちんと木地を乾燥しないとそのうち変形してきます。はっきり言ってしまいますが、金沢在住の漆器作家や職人では、誰ひとりとしてそれだけのものを作ることができません。作ることができれば、依頼を断らずに作っているでしょう。ひとつだけなら作ることができるかもしれませんが、商品として同じものを作り続けることは無理です。恋愛というか失恋をしたら誰でも恋愛小説をひとつは書けそうな(気がする)のと同じことです。またもや話は逸れますが、新しいミステリのトリックを10こ思いついたら、2時間サスペンスの脚本家として一生食っていけます。

各工芸分野が「紙コップのホルダー」という共通のテーマを与えられて新商品を勢ぞろいさせる場所に漆器が不在である事態になることがいやで、私は依頼を受けました。金沢とか石川とかそんなちんけなことは私にとってはどうでもよく、漆を手がけるひとりとして、です。誰からもお金をもらえるわけでもないけれど職人にはお金を払わなくてはいけないにもかかわらず。ブログで何度も書いている通り、私の漆器は制作に半年ほど要します。半年あれば、紙コップに完璧かつ絶妙にフィットするホルダーを作ることができたのですがそれは無理。木の乾燥や下地を手っ取り早いものにするかと一瞬思いましたがそれは私の信念つまり戦略ドメインからは外れています。となると、やっぱり諦めなくてはいけないのかというと私はそこで停止(=後退)する人間ではありません。漆というジャンルで要求に応えるため、限られた時間の中で完成させるため、ある問題解決法を見い出しました。ソリューションは、問題が持ち上がってから考えていては生まれません。日頃からさまざまなことを意識していないと、選択肢とそれをつなぐ思考法が蓄積されないからです。カップホルダーは、もはや木ではなく、漆塗りですらありません。でも漆によるカップホルダーです。すでにできあがっています。9つ作って、使えるものは2つか4つ。私の部屋で、出番を待っています。

カップホルダーだけは、私の名前で展示もされますし、カフェでも使われます。

新しいことをすると、すぐにアイデアを真似する人が現れます。今後それも楽しみです。

カップホルダーは、木ではないので、木地にあたるものをある方に作っていただきました。その方も、今回の展示会を楽しみにしています。展示会の初日に金沢へ訪れる予定になっています。その他にも、私はかなり多くの人を誘いました。20人ほどですが、私の漆器がどのようにコーディネートされているのか観るのを楽しみにしていました。私の漆器単品ならご存知の、インテリアやテーブルウェアの流通に携わる人たちです。その中には、東京から来る予定だった人も複数います。その人たちは金沢旅行をとりやめました。直前なのでキャンセル料金が発生しました。当然ですが、皆、例外なく金沢市に失望しています。

現在、金沢は市をあげて「金沢ブランド」の確立に躍起になっています。

ブランディングとは、抽象的なコンセプトを設けてロゴを創って商品をそろえれば一丁あがりというものではないのです。
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コメント

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明日中にアップします。

で、北海道の報告まだ?

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京都にいる工芸好き様

コメントありがとうございます。
漆は、漆メーカーが作ったものを作家や職人がチューブや桶で購入しているので、差別化できるところが呂色なのかもしれませんね。私はそういう「伝統」は無視して、体に害のなく長く使えるものを選んでいます。それを指定して職人に購入してもらったり、職人に渡したりしています。なので、良し悪しの観点が、ちょっと異なります。

山中というか私が作るものよりも他の産地のほうが良ければ、そっちをすすめます。昨日、東京から温泉旅行に訪れた、私と同世代の方が店鋪にいらっしゃいました。重箱を眺めて手にしたので、私は「山中はろくろで挽くので円いものが得意です。重箱などは輪島のほうが良いです」と伝えました。作り方の違いなどを説明し、結局、薄挽き干菓子盆(京都にいる工芸好きさんも購入されたものです)、一閑張の棗、ねじきり香合、脚つきのお皿を注文されていきました。こんな感じで、私は正直に言います。

京都の仕事だから京都のものを、という気持ちは良く解ります。呂色がすばらしいことは分かった、でもそれをどこにどのように使うかは別、っていうシンプルなことが、なかなか……。私は金網を京都の職人に依頼し、カトラリーは広島の職人に依頼し、竹は大分のものを使い、私の要求に応えることのできる和紙を探して全国を調べ回っています。どう考えても、茶漉しの金網は京都の職人がいちばんです。手で編んでいるのに、ミリ単位の私の要求に応えてくれます。石川県の和紙の職人やメーカーとも顔見知りですし、他の工芸も同様です。「加賀の技だけでまとめあげたもの」ということに価値(実質のないイメージ)を感じる人も多いです。行政も、そういう括り方が大好きです。でも、それはそれ。それでは私が作りたい質にならないという意味においても、そういう村意識のイベントや新商品開発やブランド立ち上げには参加しないわけです。

工芸の世界が取り残されているのは、古い慣習や風土に溶け込むことが、その業界に馴染むことであり、仕事を覚えて居場所を確保することであるかのような錯覚が今でも当然のように残っているからです。私は、行政や業界におけるこれまでのやり方や商習慣といったことを無視しています。なぜなら、同じやり方では、同じものや同じことしかできないからです。山中漆器の最大組織は1年で退会しました。基本的には、どこ吹く風という感じでやっています。でもたまに、障害物競走をしているような気持ちになります。

明日の北海道でのイベントも、各方面からいろいろ言われています。これまでは、毎年恒例の単なる旅行でした。私はそれが我慢できず、旅行の担当になったので実のあるものに変えました。でも、多くの人にとっては、私が何か新しいことを発案することが良くないことなのです。これまでのものから変えたり本当のことを言うと、悪者になってしまうのは世の常です。でもまあ、私は私なので、ほんとのことを話してこようと思っています。

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志そのまんまで、作り続けて下さい、そして書き続きて下さい。

京都にもいろんな人がいますが、
以前、仕事の最中に、
迎賓館にも納品している漆芸屋さんから、
「漆仕上げは、京都の呂色が最高です!!他とは全然違います、漆は全て任せて下さい!!!」と言われました。
また、京都住まいというだけで、岐阜かどっかで特注の陶器タイルを製作させているオヤジに
「京都のお仕事だから、ぜひ京都産のものを使って下さい!」と言われたことがあります。
どっちも好みに、その場に合わなかったので使いませんでしたが、
こんな話は、工芸というのか、この仕事にて関わってるとなんぼでも出てきます。
なんや屈折したプライドを自分勝手に都合良く押し付けてきます、そんなんは即返り討ちです。
ブランドなんて、一方的に発信するもんや無くて、返信があって評価されてなんぼです。
最後に正しく評価して下さるオファーが来て、良かったです。
次、きばって下さい。

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shosen様

長いぼやきをお読みいただき恐縮です。
さっきメールをチェックしたら、あるキュレーターからメールが届いていました。ヨーロッパにある美術館で来春開催される展覧会への出品依頼でした。そんなわけで、気分はプラスマイナスプラスです。

加賀じゃがポタージュは、山中の観光協会なのかな……。shosenさんが目にするくらい全国紙でも記事になるんですね。そのことに驚きです。ポタージュは道場六三郎さんのレシピなので、とはいっても正確なことは判らないのですが、道場漆器店さんのような気がします。私は山中ではなく加賀市(山中も合併で加賀市になったのですが)なので、山中のこういうのには声がかかりません。声がかかっても手がけないと思いますし、それを周囲も知っています。ちなみにじゃがいものスープは、自分で作るヴィシソワーズがいちばん好きです。

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いろいろ裏事情があるのですね。それでも、漆器でいろいろチャレンジされる姿勢には、いつも敬服しています。
今日の朝刊に、山中温泉観光協会が考案した「加賀じゃがポタージュ」が写真入りで紹介されていました。
漆器のカップと、スプーンがそえられた写真です。kotaさんも、その製作に関わっておられるのかなぁ・・と思いながら拝見していました。
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