フィッツジェラルド『グレート・ギャッツビー』村上春樹訳



悪くないです。
ジャズエイジと呼ばれる1920年代アメリカの最先端のモードとなり、世界恐慌と時を合わせるかのように凋落していったスコット・フィツジェラルド。その代表作。上流階級に憧れる俗物性の塊のような主人公の、悲しい話。この作品を歴史に残る傑作にした要素のひとつは、品格と大衆性とのコントラスト。でも村上春樹の日本語は、見事に村上春樹が自らの小説で描く立場と作品世界を築き上げている。さすが「セカイ系」と呼ばれるジャンルでしばしば引き合いに出される村上春樹の手腕である。

書き出しを引用してみる。“The Great Gatsby”は、最初と最後が名文として有名で、難しい単語を使っていないからこそ流暢な日本語にすることが難しいことでも有名なので、そこをみれば技量はもちろんのこと、訳者が訳者としてどのような立ち位置にいるかをうかがえるからだ。この小説の主人公はギャツビーだが、語り手はニック・キャラウェイという、最初から上流階級にいる人である。そして、この書き出しで描かれる、小さな頃に父から言われたことが、ギャツビーを見つめるまなざしに強く投影されているため、全編に関わってくる。刊行された順に引用してみる。普通は、後だしじゃんけんのほうが有利だからである。まずは原文

In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I've been turning over in my mind ever since.

“Whenever you feel like criticizing any one”,he told me, “just remember that all the people in this world haven't had the advantages that you've had.”



角川文庫 大貫三郎訳 初版:1957年2月20日

 今より若く心が傷つきやすい若者だった時に、父が忠告してくれたことを、その後ずっと繰り返し考え続けてきた。
「ひとのことをとやかく、批判したくなっても」と、父は言った。「ひとなみすぐれた強みを持っている人なんて、めったにいないんだってことを、忘れるんじゃないよ」


ハヤカワ文庫 橋本福夫訳 初版:1974年6月30日

 わたしがまだ若くて傷つきやすかった年頃に父からうけた助言が、その日以来ずっとわたしの頭の中に巣くい、わたしはその言葉について何かと考えさせられてきた。
 父はこう言ったのだった。「ひとを批判したい気持ちになった時には、世の中すべての人間が自分と同じような有利な条件のもとに育ってきたとはかぎらないのだということを、思い起こすことだよ」


新潮文庫 野崎孝訳 初版:1974年6月30日

 ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告をしてくれたけど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。
「ひとを批判したいような気持ちが起きた場合にはだな」と、父は言うのである「この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思い出してみるのだ」


講談社文庫 佐藤亮一訳 初版:1974年7月15日

 私がまだ若く、いまよりも心が傷つきやすかったころ、父が私に忠告してくれたことがある。それ以来そのことが心から去らない。
「だれとは限らないが、他人のことをかれこれ言いたい気持ちになったときは」と父は言った。「世の中は、お前と同じような長所を持った人間ばかりではないということを、よく覚えておくことだよ。」


中公 村上春樹訳 初版:2006年11月10日

 僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。
「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」


1974年に集中しているのは、映画化されたからである。

読んでいると、どうしても村上春樹の小説に出てきたシチュエーションや登場人物を連想してしまう。村上春樹の世界が好きな人なら、いちばん好きな海外小説にもなりうるだろう。私は、新潮文庫の格調ある文を選びます。

あとがきで書かれていることだが、村上春樹は“old sport”という言葉を、日本語に置き換えることは不可能と判断し「オールド・スポート」としている。これはイギリスの大卒の一部が使う言い回しで、アメリカでは通じない。あとがきの説明を読めば解る通り、嫌味な性格を表している。これをこのまま訳すのは賛否両論だろうけど、いちおう翻訳不可能という村上春樹の立場になってみても、彼は他にも「引き込み道」に「ドライブ」とか「渡り歩き」に「ワンダラー」とルビで逃げていることが頻出するので、これは唯一の言い訳なのかなあという気にさせられる。これまでの訳ではどうなっていたのかというと、それは他を読んでみてのお楽しみ。

ちなみに村上春樹は、世界各地域が持ち回りになっているノーベル文学賞において次のアジア枠の最有力と目されている。数年前に受賞した某小説家のようにスウェーデン大使館に日参すれば間違いないだろう。多作で、売上もあり、いくつもの言語に翻訳されている。中身はというと「日本的な情緒を表現している」という評価なので、アメリカ的な都会っぽさという日本における村上春樹のイメージとは、まるっきり逆である。というのも、タニザキやミシマの小説は余りにも日本そのものである一方、村上春樹の小説は現代が舞台だし分りやすい設定で、流れる音楽はアメリカンポップやジャズ。すんなり読めるだけに、なおさらその中での差異に目が行くからではないかと思う。解釈や分析の方法が西洋哲学であるために、現代の記号がちりばめられて自意識だけで築かれた村上春樹の小説の根底に流れる日本的なものや仏教観を、外国人は見い出すのではないだろうか。

複数の日本語訳がある場合には、訳者の文体になっているか、原文を日本語に移植しているかをみる。当然後者を選ぶ。あとがきで訳者が「この作品を○○に捧げます」といったことを書いてあったら、そのまま書店の書棚に戻します。でも、好きな小説ならいくつもバリエーションがほしくなるので、まんまと策にはまって購入しています。

映画は、衣装をラルフローレンが担当。しっかりと時代考証され、当時の上流階級と上流階級ワナビーの最先端モードで装っている。現在でも、ほんとうの一流の人はブランドで選ばないし、一流に憧れる人はブランドで身を固め、ほんとうはブランドものがほしいけれど買えない人はブランドなんて名前だけなどといったポーズをとる。マズローの齟齬を指摘するまでもなく、この人間の営みは普遍的なありかたで、世界中の人がお金持ちになるということは、残念ながらありえない。
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コメント

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i様
気がつくとすべて所有していました。
こんどの整理で、新潮文庫以外は放出しとうと考えています。

何このギャツビーマニアびくりした!
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