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オラモ+フィンランド放送交響楽団

石川県立音楽堂のホールは、パイプオルガンがあるため四角い。

プログラムは、5日のサントリーホールと同じ。
シベリウス「交響詩 タピオラ」
ドヴォルザーク「チェロ協奏曲ロ短調」
ブラームス「交響曲第2番ニ短調」
おそらくアンコールも同じだと思う。
フィンランドは中立国だった。なのでソ連と不可侵条約を結んだが、ソ連が侵攻した。そうなるとドイツも黙ってはいない。ナチスがフィンランドに侵攻し、駐留する。そうなるとソ連はやり返す。結果ドイツは敗戦国。フィンランドは、戦時中にはナチスによって、戦後は英米によって売り渡され、ソ連の占領下となった。国防上もワルシャワ条約機構に準じていた。過去のソ連による侵略はタブーとなる。それを一般的には「フィンランド化」と呼び、かつて日本の首相も不用意にこの言葉を使って世界中から顰蹙を買った。西側諸国はどこもフィンランドと同盟を結ばなかった。後ろ楯のないフィンランドは、ソ連に対抗できるわけがなかった。しかし、戦後すぐの1948年に独立して、気がつけばEC加盟国。フィンランド化という言葉にまとわりつく弱々しいイメージとは異なり、私はフィンランドの政策は立派なものだと思う。ソ連に占領された過去があれば優先的に東ヨーロッパの仲間入りだが、冷戦時代も東ヨーロッパには分類されていなかった。その手腕は立派である。

同じ中立国でも、永世中立国という言葉のイメージから(遠く離れた日本の私たちは)戦いを放棄した平和な風土をイメージするけれど、実は陸軍と空軍はもちろんのこと海軍まで擁する圧倒的な軍事力を持ち、ナチスはベルギー経由でフランスに進むくらいで、ドイツとイタリアが同盟を結んだと知るや否や独伊の連絡通路に使われるのは目に見えているので国境のトンネルを自ら爆破し、ナチスシンパと共産主義者の両方を処刑し、経済封鎖に備えて現在も数年分の食料を貯蔵し、いまなお学校にはシェルターがあり、兵役は義務で、中立を宣言しているからこそ領空内に戦闘機が入ったら枢軸国だろうが連合国だろうが容赦なく攻撃して合計254機を撃ち落として誰からも何も言わせないし罪にも問われず、国連加盟後も武装解除せず、法人税が主要な州で13%と格安であり最初の10年は非課税であったりするため世界各国から企業が集まり潤おうので現状より損するECに加盟しないスイスとは大違い。

ジャン・シベリウスは、フィンランドの独立心を高めた、国民的英雄。ソ連占領時代には演奏が禁止され、曲名を変えて演奏されていた。帝政ロシアの弾圧を受けて独立運動が高まりつつあった時に書かれ、ロシアによって演奏が禁止された交響詩「フィンランディア」は、第二の国歌と言われている。

サカリ・オラモはフィンランド出身の指揮者で、若手の注目株。現在はフィンランド放送交響楽団を率いている。ふつうシベリウスならフィンランディアか交響曲第2番をもってくる。タピオラというセレクトが渋くて良い。オラモの指揮は若さがほとばしっていた。冬のシベリウスといえば「瑞々しい透明感」という形容がなされるが、まるで違った。もちろん繊細で美しいという形容は成り立つが、もっと熱気があった。こういうシベリウスは、フィンランドの人でなければ出せない。

そして、私がこのコンサートに足を向ける決め手となった、ミッシャ・マイスキー。彼のチェロには、心の底から陶酔する。なめらかな揺れが、たゆとう流れとなり、絶妙のバランスで一体となり、届く。ちょっと長方形すぎるホールだけれど、マイスキーのチェロに関してはサントリーホールよりも合っているのではないだろうか。

石川県立音楽堂は約1500席とさほど広くないが、空席が目立った。というより、人が少なかった。S席でも1万円、C席なら4500円なのに。東芝とフジテレビのおかげでこの価格。地元の新聞が関わると一気に俗っぽくなるので関わらなかったのは幸いだったのだが、これだけ告知されなかったのは田舎ならではのちんけなメディアの攻防があって、地元メディアが協賛しなかったら黙殺という風土は変えたほうがいい。あんな空席だらけでは、マイスキーのような一流の演奏家が二度と来なくなる。ともあれ「モッタイナイ」という言葉は、こういうときに使うものである。ただ、客層は良かった。なのでこれからも大々的に告知しなくていいです。

コンサートを楽しんだ後は、きらきらとしている街並を歩くのが好きだ。微熱状態になった感情と心に合う。で、路の両側に並ぶ、あたたかな光が外にもれてくる店のひとつに入り「いまさっき才気溢れる指揮と懐の広いチェロを聴いてきたんだ、この感動が消えないすてきな料理を頼むよ」なんて言いながらコートを脱げば至福の時間のデクレッシェンドが引き延ばされる。けれどこの街には、そういう街路がない。音楽堂にもバーコーナーはあるけれど、あれは幕間のもの。なので、歩いてすぐの場所にあるホテルの29階のバーで余韻にひたった。

ちなみに4日は「真冬の昼もJAZZ」というイベントを観てきた。私は、私の理想の造形美を備えた人のステージを観に行った。飲酒しながら聴けないという私にとっては相当のハンデだったが、非常に楽しんだ。吸い込まれないように意識を踏ん張っていなければならないほどだった。ニューヨークから来ていた黒人のテナーサキソフォニストが、明らかに他の出演者と異なる次元にいた。テナーが子どものおもちゃのようだった。あまり本気を出していないのだろうが。とてもフランクな人で、演奏後、いい加減な私の英語に付き合ってもらった。ああいう人がたくさんいるのだろうと思うと、米日におけるジャズ層の厚さに歴然とした差があることを思い知らされる。

帰り道、日本のジャズはどうなのかという話題になり、ただ単に輸入しているだけという、輸入再加工の得意な日本人としては意外な結論になった。ヨーロッパの各国には、伝統音楽とジャズを融合させたものがあり若年層が集まるクラブではそっちがかかっている。たとえば日本で、三味線で4ビートを刻みながら尺八が吹き荒れるようなことをしたら、とんでもなく貶されるだろう。北欧ではドラムンベースと融合させたトランペッターもいる。以前のアシッドジャズではなく、ジャズだ。もっと自由で可能性のある音楽のはずなのだが何故こうなっているかというと、かつて日本には偏屈なジャズマニアがいたからだ。それ以来ずっと形骸化している。「これがジャズ」「こんなのジャズじゃねえよ」という何を根拠に言っているのか解らないジャズ喫茶世代の言説が外国人にとってどれだけ珍妙に見えるかはこれに詳しい。「真冬の昼もJAZZ」の最後にジャムセッションがあった。あれはセッションではない。自分の引き出しの中から出したお決まりのフレーズを垂れ流しているだけだ。たぶん本人たちがいちばん分かってるのだろうけど。

指揮もジャズの金管も、あっちにいってしまった人を観るのは貴重な体験です。
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