悪いやつ

前回は参加できなかった、お題に沿った本を紹介するトラックバック企画。第33回は「読書記録」の檀さん。お題は「悪いやつ」です。

悪いとは何かを考えはじめると、わけがわからなくなります。もちろん犯罪者は悪いやつですし、罪を犯していなくても反社会的であったり非道徳的であれば善くはありません。私がわからなくなるのは、もっと平凡な日常の中での、私にとっては悪い人であり行為だけれど、ある人にとっては善い人であり行為である場合です。その人のことを悪いと思う私が悪いのか、なんて考え始めたら無限ループです。そして、すべての人間にとって悪い人とは存在しうるかというのも、私の手には負えません。
多くの男性がそうであったように、私も悪いものに憧れたりしていた子どもでした。ピカレスク、ノワール、アンチヒーロー、コンゲーム、復讐劇、何と魅惑的な響きでしょう。大薮春彦の小説なんて、いま抱いた女を躊躇なく撃ち殺します。どうも私は練りに練った犯罪もの(『シャドー81』や『大誘拐』など)、情念うずまく怨恨もの(えーっと、何があったか)よりも、唐突でエキセントリックな面もある登場人物がいきなり殺しまくったりするものが、読んでいて好きなのかもしれません。でも現在の本棚を見渡すと、そういうのがありません。良い人ぶっているのか、悪い人だから読む必要などないのか、うーん。考えるのはやめます。

■久世光彦『早く昔になればいい』
ヒロインの「しーちゃん」は、静かに狂った二十歳の子。語り手の「私」は、十四歳の少年。しーちゃんは誰にでも脚を開く。なので私も友人たちとしーちゃんを犯す。そして一年後、しーちゃんは静かに死ぬ(これはp13で語られるので、ねたばれでも何でもないです)。フェリーニの映画「道」を観たことのある人は、読まずとも語り手の気持ちのうつろいが分かると思います。そんなわけで、なんとも哀しいタイトルです。しっとりとした文体もすばらしい小説。

■矢作俊彦『マイク・ハマーへ伝言』
要するに横浜の悪がきたちによる屈託だらけの話。私は団塊世代の屈託は笑って楽しんで読んでしまう不届き者です。クルマ大好き人間たちのひとりが警察に追われて事故で死んじゃったので、復讐するという内容。警察のクルマが、V8で300ccで300馬力という怪物らしいのですが私にはよく分かりません。ハードボイルドで、アスファルトの熱気がじりじりと伝わってきます。カーチェイスで勝負。最後、見事に怪物パトカーを操る憎きおまわりさんは事故って死にます。もちろんマイク・ハマーは出てきません。私立探偵濱マイクは林海象監督がニューヨーク滞在中にミッキー・スピレインから思いついたと発言していますが、偶然にも双方横浜が舞台でもあるので、この小説を知らなかったとは言わせたくないです。

■島尾敏雄『死の棘』
初めて読んだときは不謹慎にも何度も笑ってしまいました。やるせなさ最高潮の私小説。夫が浮気したので妻の精神が狂いはじめる。それでも夫婦は夫婦として暮らそうとする。しかし500ページを超える長編のほとんどは、妻がなじる台詞の洪水。最後の最後で夫は、安堵と暗い影の両方を感じることとなる。いやもうたいへんです。確かに浮気は悪いことですが、いきなり何の脈絡もなく駅のホームで平手打ちとはあんまりです。いろんな国の法律の基となっているハンムラビ法典に則れば、奥さんそれはやりすぎですよという気がします。でも精神を病んでしまったので最強の天然です。私小説というのは、たまらないというかいたたまれないですね。あまり得意ではありません。

■ガブリエラ・ガルシア=マルケス『族長の秋』
娼婦から生まれた男は、あの手この手で軍隊で昇進し、大統領にまでなっちゃいます。悪いやつほど出世する。よくある話です。で、とにかく暴君の極みをつくした独裁者。絶対的権力を持っています。やりたい放題です。という話は歴史小説にもよくあるとは思いますが、この小説のすごいところは、この大統領閣下、年齢は150歳とも250歳とも言われています。最悪です。悪い火の鳥のようなものです。死ぬのを待ってられません。300ページと少しですが、改行が一度もなく、筆圧の高い文体で、濃いです。

■ドストエフスキー『悪霊』
有名すぎる小説なので中身の紹介は省きます。私がいちばん好きなドストエフスキーの小説です。観念のかたまり。

■アドルフ・ヒトラー『わが闘争』
「歴史上最も悪いやつは?」といったアンケートを実施したら、たぶんこの人が二位に圧倒的大差をつけてトップになるのではないでしょうか。最終解決を見い出す前に書かれたもので、徹底してアーリア人の文化的創造性と、非アーリア人の文化的支持と、ユダヤ人の文化的破壊というキャラ設定を熱弁します。何度も同じことを言っていたり、明らかに嘘だったり、前に言ってることと齟齬があったり、内容も内容ですが、文章や構成もおかしいですこの人。スピーチなら効果的なのでしょうが、文章は校正しないといけません。

あとひとつ、これは所有していないのですが、西条八十の詩のひとつを朗読すると死んでしまうという都市伝説があります。そんな杉沢村のてけてけ口裂け女が耳に白い糸を垂らしながらクローン携帯片手に佐川急便の飛脚のふんどしに触るようなことがあるわけないです。西条八十の件に関しては張本人の四方田犬彦が悪いやつです。聴いたら発狂する和音よりも信憑性が低いと思います。ほんとうにそうなら悪用する人が必ず出てきます。夫に毎晩朗読させる妻とか、族長の秋の大統領に朗読させる部下とか。しかし都市伝説や正義の糾弾やリスキーシフトといった、ひとりひとりは悪くもないのに集団になると悪意や危険に傾くのは、こわいですね。笠井潔の「テロルの現象学」は今でも有効です。


画像で本を置いているのは、友人から借りたコントラバス。和製英語でウッドベース。借りたままベーシストになるという算段、借りたものは私のもの、まさにジャイアンリサイタルです。つまり私も悪いやつです。

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コメント

>LIN様
私も、ある人にとっては良い人で、ある人にとってはものすごく悪い人物になっています。そして、良いといってもいろんなかたちの良いがあります。すべての人を満足させるのは不可能だから何も行動できないなんて思春期のような悩みはありませんが、気をつけなきゃと思います。単純な善悪二元論で割り切れないからこそ楽しいと考えるようにしています。『マイク・ハマーへ伝言』の彼らは、心底悪い人間ではなく、悪いことがかっこいいと思っている人たちのような気がします。子どもですし。
結婚している場合、浮気は悪いことですね。それが日本の法律です。

>檀様
主催おつかれさまです。ほんとはこのお題を目にしたときすぐに思いついたのはセリーヌとボードレールでした。でもこのふたりはいつも最初に思いつくのでいつも脳内却下しています(とはいうものの前回のお題にセリーヌの亡命三部作で参加すれば良かったなと今になって思っています)。そんなわけで挙げたラインナップ、ハードボイルド、確かにそうですね。でも上記説明の通り、屈託を笑ってしまう悪い読者です。『死の棘』も笑ったので、私が笑うとハードボイルドなのかもしれません。

>Mille C様
死の棘、夫が発狂してしまってから、正直少し興醒めでした。
トミノの件は四方田犬彦『心は転がる石のように』に書いてあって「みんなに教えてあげよう!」なんて言ってます。まだ新しい本ですが、検索すればお判りの通り、かなりの速度で広まっています。都市伝説とブログは、ネットの情報だけで真偽を確かめることができない事象においては、相性が良いみたいです。具合が悪くなって途中で止めた、なんて書いてる人まで出てくる始末。Mille Cさんのブログのトップページにおすすめとして『砂金』が載っていたので、Mille Cさんなら四方田の件を知る前に朗読したことがあるはずだと思い、持っていないけれどエピソード的に追加しました。コメントありがとうございます。知らなければ何も起きない、まさにプラシーボです。

『死の棘』は笑えますよね。(映画のほうも笑えました)
奥さんも奥さんですが、旦那のほうも…
一緒に発狂してどうする。
『「死の棘」日記』も読もうと思っているのですが、入手できずにいるうちに島尾ミホさんが亡くなってしまいました。

ええっトミノ、朗読すると死ぬんですか!?
まだ記憶力が良かった頃に丸暗記して暗誦していましたが、あれから十余年、まだ生きております…。
なんなら今でも暗誦できますよ。

ありがとうございます

この度は、ご参加ありがとうございます。
とてもハードボイルドなラインナップだと感じました。
「死の棘」でハードボイルドというのもへんですが、あのやるせなさは、ハードボイルドの匂いがします。
案外、ハードボイルドと暗黒小説は、同じベクトルを向いているのかもしれないですね。

>悪いとは何かを考えはじめるとわけがわからなくなります
同感です。
今回のお題は、改めて、自分にとっての悪の定義について
考えさせられました。
たとえば、kotaさんがあげていらっしゃる『マイク・ハマーへ伝言』の彼らは
私にとっては「悪いやつ」というより「やんちゃ」なイメージです。
よくよく考えてみると、とんでもないことをやらかしているわけですけど…
あれを読む限りでは、警察の方が「悪いやつ」に思えてしまう。
『死の棘』は未読ですが、浮気って、やっぱり悪いことなんでしょうか?
いや、私自身は浮気はしないですけど、一人の人を愛し続けるというのは
至難の技だなあとは思ってます。
だから長年、夫婦として連添っている人って尊敬しちゃう。
恋人が嫌いになるというんじゃなくて、飽きてしまうっていうこと、ないです?
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