モーム『サミング・アップ』



小説ではなく思い出話が基調となったエッセイ。姿勢というかまなざしがすばらしい。立派な人物。それでいて読む者に苦労や克己をうながさないところがさらにすばらしい。大衆小説が格下扱いされていて、それでも大衆小説家であることを選んだ元英国秘密諜報部員。
なんとなく前後につながりのあるようなないような短い文が77章。最も引用されることが多い、人生観についての15章から17章は圧巻。ここだけでも立ち読みする価値あり。文学(文芸ではない)好きは243ページの56章から、哲学については最後の最後、275ページの63章から。文章を書く人(つまりすべての人)は41ページの11章から立ち読みしてみると役に立つと思う。

でも、役に立つか立たないかは人それぞれだし、専門的なことになればもっと役に立つ本はあるし、何かの役に立てるための読書、という態度はあまり好きではなかったりします。そして本書では、イギリスの演劇事情に疎い私にとっては何がなんだかというところもあった。裏を返せば、文芸や哲学に疎い場合、最後の方などちんぷんかんぷんかもしれない。そこまでモームも親切ではない。ボリュームが10倍になってしまう。

ヘミングウェイ「キリマンジャロの雪」と並んで史上最も優れた短編の称号を与えられている、短編も得意だったモームの代表作「雨」について理解が深まる。書いたころのことが綴られている。「雨」は単に基督教的価値観を自分と他人に課しながら自らの行動は本能のおもむくままという人間が選んだのは、という話ではない。誰だって弱さはあるし過ちはある。大切なのは、それをどこまで自分自身で受け止め、これからの言動を変えていくか、だと思う。でなければ弱い人間のままだ。自分が心から素晴らしいと思っていることでも、他人に押し付けることは醜いことだ。という話だと思ってこれまで読んできた。歩いている私の前に立ちはだかって「募金をお願いします!」と言ってくる素晴らしい人たちのように、社会にはいろいろな「善意」がある。

ここからは「雨」を未読でこれから読む可能性がある人は読まないほうが良いかもしれません。なので白色にします。

最後にあの女性は笑うのはなぜか。勝ち負けで判断した場合、勝ったのは何か。理性とは人間を「善き人」として存在させることができるのか。身体と精神は別々のものか。聖職者は市民に対して優越感を持っていないだろうか。遠く離れた土地へ行くと性格的な傾向は非日常になるか、それともより一層強まるのか。人を救うという「気持ち」は、理性から来ているのか、それとも根源的なところから来ているのか。何事も行き過ぎることなくのんべんだらりと毎日を暮らすことが善いのだろうか、それとも誰かを不幸にしてでも激しく生きるほうが善いのだろうか。熱帯地方特有の雨が降り続かなければ、異なったことになっただろうか。うるさい音がずっと続いている状態において、その音に慣れるということは、自分には何か変化が起きるのだろうか。いつまでも慣れることができない状態のほうが、変化があるのだろうか。

といったさまざまなことを考えさせられ、読む人なりの解釈ができるからこそ、短編小説の傑作として世界中で読み継がれている。読み返せば読み返すほど、だんだんと緻密さが解る。そこまでいけば、モームヤバい、超ヤバい。という状態です。モームは読みやすさを心がけているので非常に平易、大学の一般教養レベルの英語力があれば原書で読めます。

「雨」の背景について知りたくなったら、ジーンズのリーバイ・ストラウスの遠縁でスペルは同一のレヴィ=ストロース。これしかありません。

日本語訳は、行方昭夫。モームの翻訳では、この人が好きです。

一体どの本について書いているのか解らなくなってしまいました。

軽い読み物は(カバーを外して)お風呂で読むことが多いため、べこんべこんになっています。カバーをかけて本棚にさせば、何ともありません。何と言いますか、部屋は綺麗だけれど押し入れの中はめちゃくちゃ、という感じです。
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