私の好きな「コピー」

1990年代前半、私はしがないコピーライターでした。「大手町へ直通35分! 緑あふれる文教の地」とか「今年の夏は、忘れられない夏になる。 体験入学開催」とか「急にトイレが詰まったら、大変だ!」とか、即物的な煽りに加担していたわけです。バン(エクスクラメーション)をふたつにしてよとクライアントに言われたら、何の抵抗もせずふたつにしていました。そんなわけで広告にはちょっとした思い入れがあり、雑誌を手にすると表2と表4に載っている広告で雑誌の特性を判断しちゃいますし、日経を手にすれば15段はあるかなと見ますし、テレビも広告以外はF1やテニスやサッカーや自転車などのスポーツか深夜のNHK教育しか観ないという偏った生活をしています。

広告は非常に洗練された方法論によって、私たちの生活の中へ自然に忍び寄っています。その中でも私が好きなコピーベスト3は
土用丑の日 平賀源内

嫌煙権 中田みどり

婚約指輪は給料の三か月分 デ・ビアス(J.ウォルター・トンプソン)

です。


世界初のCMソングを発明した平賀源内は、夏に鰻を食べる習慣を確立してしまいました。ヴァレンタインにあやかってホワイトデーなるものを編み出し、マシュマロやクッキーなど様々なお菓子がイベント的なものをでっちあげましたが、鰻には遠く及びませんでした。食品業界のお手並みがお粗末なのは、この類ものがどれも「○月○日は○○の日」というのを設定するだけで業界イベントをしてしまうところですね。そんなの「ああそうですか」で終わってしまいます。蛇足ですがヴァレンタインデーは煮干の日でもあります。さらに蛇足ですが私は冷凍食品の日というキャンペーンに携わっていたこともあります。夏に売れない鰻。鰻は栄養があるから、ばてやすい夏にぴったり、という後付けの説明があります。でも、栄養価が高いなら夏に限らず一年中食べればいいわけですし、売上も伸びます。しかしながら年に1日だけにしてしまった潔さがすばらしいコピーです。ところが近年、長野県岡谷市の鰻業界が寒土用も鰻を食べるように仕向け始めていて、それはやめたほうがいいような気がします。年に二度、売上のピークがほしいのでしょうが、そんなことをすると土用に鰻を食べる人が減ることは理論上明らかです。ちなみに鰻は赤坂の重箱が好きです。

嫌煙という言葉は、嫌煙を訴えている人が自分のことをそう呼ばないところが興味深いです。煙草と毛皮と環境と食品については、ファシズム的なものを感じます。そもそも煙草が有毒であるという説を広めたのはナチスなんですが。私は自分で食べる野菜は自分で栽培しています。でもそれを他人に押しつけるつもりなど全くありません。何を食べるか、何を使うかというのは民族や国の文化と密接なつながりを持っています。声高に叫ぶ人を見ると、海外で同じことを同じ調子で訴えることができるのだろうかといぶかってしまいます。そしてそこには必ず線引きが要求されます。エスキモーは毛皮を使っていいけれど、エルメスは商品化しては駄目、とか。

環境についてもかなり考えて実行しているのですが、同じ生活を全員がしろとは思っていません。博報堂に多額の予算が流れているチームマイナス6%とかいうのも、私はマイナス25%くらいにしたほうが良いのではと考えています。実行しない人は必ずいるので、実行する人だけでうまくいく数値を設定しておかなくては無意味とは言いませんがドラスティックな変化は望めません。ちなみに私は掃除機や炊飯器は使いませんし、洗剤やシャンプーは一切使いませんし、クルマはプリウスです。チームマイナス6%よりもマイナスです。

話が逸れました。煙草については害を医学的に証明できていないそうですし、発癌性物質は水道水のほうが1万倍多いそうですが、それならそれで、単に「けむたいのは迷惑」とか「ヤニが汚い」と訴えれば良いだけです。反論されるものは出さないのが論争の基本です。で、公共の場や商業施設で他人に迷惑をかけている喫煙者がいたら通報すればオッケーというシステムを作っちゃえばいいのです。罰金は50万円くらい、払えないなら禁固1か月にしちゃってください。でもたぶん嫌煙者は、それでも許せないのでしょうね。

デ・ビアスはダイヤモンドシンジケート。1929年に社長就任したオッペンハイマーはロスチャイルドと組み、大財閥を築き上げました。婚約するときにダイヤモンドリングを贈るというのも、そもそもデビアスが考え出しました。当初は結婚指輪もダイヤモンドだったけれど欲張りすぎたのかうまくいかず(成功事例ばかり語られるので余り紹介されていない)、1930年代に婚約指輪だけに絞ってからは大成功。これは、同じ資源メジャーにあてはめれば「ガソリンは新居の容積分」とか「金の延べ棒は新郎の身長分」とか言ってるのと同じことです。ガソリンや金だと変で、ダイヤモンドなら素敵、と感じることこそ洗練されたマーケティング手法なわけです。ご丁寧にも、どれくらいの価格のものが良いかまで指定。ダイヤモンドなら何でも良いわけではないのがすごいですね。できるだけ高価なものを、それも貨幣相場が変わっても大丈夫なように。そこが見事です。しかも、日本では三か月分になっていますが、これは各国の経済事情および女性の特性(性格的なことではなくマーケティングにおける環境分析)と照らし合わされており、国によって異なります。ちなみにイギリスは二か月分、アメリカは一か月分です。日本は、なめられているわけです。

南アフリカ拠点のデビアスは、近年ロシアやイギリス連邦の台頭などもありシェアを落としています。それでも世界のダイヤモンドの9割近くを支配していますし、今でも通用していることを編み出したというのは偉大ですし、ダイヤモンドの価格のコントロールはデ・ビアスが行っています。紛争ダイヤは市場から排除しました。また、デ・ビアス(とJ.ウォルター・トンプソン)は「ダイヤモンドは永遠の輝き」というこれまたすばらしいキャッチフレーズも生み出しています。どうすばらしいのかと言うと、転売されると市場価値が下がるので「ずっと持ってなさい」ということです。

デ・ビアスの広告を手がけているJ.ウォルター・トンプソン。恵比寿ガーデンプレイスの30階に日本法人を構える広告会社。世界三大グループのひとつWPPのリーダーです。日本で婚約者に三か月分のダイヤモンドを買わせ、それまでは婚約のときにダイヤモンドを贈っていたのはわずか5%だったのを70%にまで引き上げ、現在も安定推移しています。シャルウィシャルウィと妙に色っぽい女性が語りかけるハーゲンダッツも彼らの仕業。爽やかな朝にはコーンフレークというのも彼らの仕業。ブランディングなどお手のもの、現在日本の広告会社はJ.W.トンプソンをベンチマークとして、インサイトという手法を必死に真似ています。トンプソン・ジャパンは、最近になって売上高を公表しなくなりました。逆に怖いです。

コピーライティング、コピー開発、ひいては広告制作も、自己満足というか内輪受けの多い世界です。ADCもTCCも、評価するのはその世界で飯を食っている先輩です。なので「プール冷えてます」とか「ジャンジャカジャーン」とかいった、言葉遊びで一過性のものが高評価になります。流行語として消費されていくものもあります。それらのコピーはキャンペーン期間中しか使わないものなので、積極的に一過性でなければならないのでしょう。私などは資料請求の数で評価されていました。でも私は、日々の暮らしを変えるくらいに浸透してしまった「習慣」を創出することこそコピーであり、言葉の力だと考えています。

それにしてもNHK教育というのは時間の流れ方が遅いですね。歳とったらこれがちょうど良くなるのかなと思ったりもするのですが、高校講座も遅いです。CMで成り立っていないので1秒のせめぎあいなど無縁なのでしょうが。でも「もったいないなあ、もっと情報量を増やせるのに」と思うことこそが、何かに侵された考え方なのかもしれません。
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コメント

i様
どこに突っ込むのかと思っていましたがそこでしたか。

嫌煙厨が殺到しないかこわいです(> <)

LIN様
長くなっちゃいました。

ニーズシーズとインサイトは違います。より深く突っ込んだ感じで、それでいて突っ込んだ感が前面に出ていない感じです。LINさんが見つけたインサイトの説明は「かゆいところに手が届く」と「あなたはここがかゆいですね?」の違いのようなものです。かゆいことは確かなのですが、本人が気づいていないこともあります。整体をしてもらって初めて自分の骨が曲がっていたことを知るようなものです。

バブル期は、鉄鋼業界のような直接“消費者”(あまり好きな言葉ではありません)の手に渡らない業種までもがテレビCMをたくさん流していましたね、リクルーティングのために。現在はそのようなこともなく、テンションも下がっているように一見思えます。しかし数字で見た広告業界そのものはバブル期が突出しているに過ぎず、長い目で見ればずっと右肩上がりです。

何をもって黄金時代とするかにもよりますが、私は1980年代の浮かれた広告より、現在の一見地味な広告のほうが洗練の度合いを増していると思います。だからこそこわいですね。笑えないというか。広告業界全体の売上も当時より高く、クリエイティブもバブルより良くなっています。以前はカンヌで騒いでいましたが、今ではカンヌくらいでは騒ぎません。

コピーライターという言葉が広まったころのCMを見ると、1980年代の歌番組の映像を見る恥ずかしさと同じものを感じます。そして、広告業界にスターは不要だと考えています。その広告で自分の名前を売るのは間違いです。これは現在、建築業界に広まりつつあるような感じがします。

今は、巨人大鵬卵焼き、いつかはクラウンではなくなりました。そのことは広告に携わっている人も知っています。個別マーケティングにも、いろいろな方法論があります。

流通の現場は、広告出稿量の少ない商品は並べたがりません。特にスーパーマーケットです。食品、飲料、トイレタリーといったものですね。ひとりひとり人間は違います。でも、カレーのルーや歯磨粉やコスメやクルマを1億種類作ることは、現実問題として難しいと思います。天然酵母で毎朝作っている「手作り感」に溢れたおしゃれな店構えのパン屋に並んだパン・ド・カンパーニュも、すべて同じ味、同じサイズ、それがその店のパン・ド・カンパーニュです。それが好きかどうか、選択肢の中から選ぶしかできません。そして、一方では「モノが多すぎる」とも言っているという具合。素敵なものが欲しいけど、あんまり売ってないから、好きな歌を唄う、というイエローモンキーのJAM状態です。手作りのものが良いというのも、イメージです。そして、手作りのものも広告をしている場合としていない場合があり、プロモーションについては大量生産品と同じです。たとえば私がテレビCMを月間3000GRPくらい出稿したとします。それで私が作るものは何かが変わるか。変わりません。広告のあるなしと生産形態は別の話です。マスプロダクトとハンドクラフトの違いは、そこではないんです。

これが最も重要なのですが、テレビもラジオも新聞も雑誌もインターネットも、広告がなければ成り立ちません。ワールドカップやオリンピック、F1グランプリもそうです。LINさんが興味を持たれているロハスも電通です。

広告のないものを買おうとするには、大変なエネルギーを要します。結局、口コミかネットになりがちなのではないでしょうか。口コミにも手法が3種類あります。最近は自演や情報操作がバレてしまうことが多いようですが。日本はブログのおかげで誰もが批評家になっています(ブログについて思うこともあるのですがそれはまた別の機会に)。私は、ほんものとは、インターネットに「情報」すら流れないものだと思っています。このことに私は常にジレンマを感じています。

もう広告でモノが売れる時代ではなくなってきたのではないように
思います。
私は広告よりネットでの口コミを信用します。
(ネットでの口コミにもいろいろ問題はあるのでしょうけど…)
広告の黄金時代は1980年代だったのではないでしょうか?
>インサイト
って何?と検索したら、
「“どうやったら売れるのか”を考えるのではなく、
”こんなサービスを待っていた”と言わせるためのマーケティング手法」
とありました。
これって昔からマーケティングでいわれているところの
「ニーズとシーズ」とは違うのでしょうか?
広告を仕事にしていた頃、人間は一人一人違うのに、
ターゲット特性を決めてひとくくりにすることに抵抗がありました。
大量生産で作られたモノにはどうしても愛着がわかなくて
ひとつひとつていねいに手仕事で作られたモノが好きです。
そういうわけで私自身は広告に否定的なんですが、
まだまだ、広告にあおられてしまう消費者は多いのでしょうね。
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