■手

手の感触がすべてで、それをスペックや図表にすることは不可能です。
数値化すれば「技術」になるのに、と的を射たような気になっている所謂日本における理数系の人が見受けられます。私にもそういう意味のことをそれとなく言ってきた人もいます。工芸の世界が閉じている要因は、作り方が明文化されておらずオープンソースになっていないことにあるとさえ考えている節がありました。それは自然科学の過信です。たとえば、塗りの過程。気温と湿度、力の加える数値と、刷毛を動かす速度を計測すれば、ある規則性が導き出せるかもしれません。しかし、それが何かの役に立つでしょうか。塗師を目指す修行中の人が指標にして仕事を体得することがありうるでしょうか。

刷毛ひとつとっても、毛の固さや摩耗具合などはひとつひとつ異なります。下地は固まった後に研ぎます。その砥石は何番手が良いか、そんなのひとりひとり好みがありますし、塗りの工程で使う炭には番手などありません。そこにあるのは、その職人にとって「良い炭」か「悪い炭」かのどっちかです。木地挽きにおいても、数値化した機械の旋盤で挽かれたものは、つまらないものです。薄挽きの皿などは、旋盤では挽くことができません。割れてしまいます。

職人ひとりひとりには、自分のリズムがあります。手で生み出す限り、個人の体格差や体力差などからは決して逃れることができません。職人や作家を目指す人は、何人もの先達の手さばきを見て盗み、何人かの良いとこどりして、ずっと向上心を持ち続け、振り返ってみると自分の仕事を確立していたという方法しかないのです。気温と湿度も同様、職人や作家には、自分にとってのベストがあります。マニュアルなど存在しえません。

雨の日。飲食店から出るとき、傘立てから傘を抜き取ります。同じかたちの傘でも、自分のものか他人のものか、握ってみればすぐに判ります。そのようなニュアンスを知覚できる人間が与えられた手の感触を捨て、数値化することにどれだけの意義があるのか。私は非常に疑問です。

数値化できれば、人間の手を煩わせることなく、機械で作ることができるでしょう。でも物づくりには、機械化できるものとできないものがあります。数値によって言語化された「技術」を有り難がる人は、寿司握り機が握った寿司でも食べて満足していてください。
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コメント

熊五郎様

コメントありがとうございます。手がけた器が自分の手を離れた後、どうなっているんだろうなあ、箱にしまってないかなあ、思ったほど使えないのかなあ、などといろいろ思いをめぐらせたりします。見ることができてとてもうれしいです。ありがとうございます。というより、私たちが作った応量器を選んでいただきありがとうございます。

ごはんの盛りつけかた、きちんとされていますね。応量器は、男性でも女性でもしっくりくる、不思議なカーブです。「持つ」や「掴む」という人間が物を支配する関係ではなく、手になじむという表現がぴったりくる、物に人間が寄り添うようなたたずまいになります。先人の知恵と、そこにたどり着くまでの過程に敬服します。

京都にお住まいなのですね。私は内藤商店の箒、有次の包丁を使っています。内藤商店は京都出身の知人に教えてもらったのが最初で、看板もない店構えというのに興味を持ち、店を訪れ、これはほんものだと確信しました。箒については調べていたので、同じ和歌山産の棕櫚箒を他でも購入できることは知っていました。でも内藤商店の親父と会話していたら、こういうものは職人から直接購入するのではなく、店舗で購入するものだというあたりまえのことに気づかされました。たべものや、歴史ある「建物」に目が向きがちなのは京都に限らず観光地としては自然な成り行きです。しかし、暮らす人たちの意識という点では京都は抜きん出ているし、ああいう店がずっと続くというのが京都の底力だと心から思います。

箱善は輪島で購入するのが良いと思いますよ。板を貼り合わせた四角いものなら輪島です(漆器の世界は、本末が転倒していることが多いです)。うちも注文があったときに作るのですが、輪島より高くなります。また現在うちでは応量器の下に敷く鉢単(茶懐石でも使用します)を作っているところです。鉢単が堅くなって脚がついて、携帯できないお膳になりました。

リンクは全く問題ありません。「リンク不可」とか「前もって連絡を」とかいうのは「無断引用厳禁」と同じくらい珍妙なことだと思いますし、何ら法的強制力はありませんよ。

初めまして。
以前、応量器を探していて、こちらのブログを知りました。

単純な消費者なもので、塗り物といえば輪島…、と思っていたのですが、こちらのブログを拝読して認識を改めました。
やはり、地域よりもどういう職人さんが作っておられるかが大切。
考えてみれば、当たり前の事でした。

応量器も使わせて頂いてます。
なんといったらよいか、違和感なく私の手に収まり、口をつけ、生活の一部に溶け込んでおります。
最初から、問題なく使用者の生活に馴染むというのは、それだけの技術とご苦労があったからこそだと思います。

これからも大切に使わせて頂きます。

尚、事後報告で申し訳ないのですが、トラックバックで失敗する事が多いので、記事中からリンクを貼らせて頂きました。
不都合がありましたら、ご連絡下さいませ。
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