T.E.カーハート「パリ左岸のピアノ工房」

しっとりとしたノンフィクション。職人気質も海の向こうではこのような描かれかたをするのかと、まなざしと文体が心に響いた。そして、読了する前から、いますぐアンティークピアノを所有したいという誘惑に駆られた。実物を持たないと読み進める資格がないのではという気持ちが、ほんの少しだけわいてきたからだ。どんなピアノ本や音楽本よりもピアノを始めたくなる一冊だと、ピアノを弾けない私だからこそ断言します。
ピアノの再生は、間違いなく技術とノウハウと「センス」を要する。
機械的にリペアするのは、確かにリペアなのかもしれない。
しかし、重要な何かが決定的に失われる。

自転車のシフトやクランクといったコンポーネントといえば、
日本のシマノとイタリアのカンパニョーロが双璧。
そのふたつは設計思想が明確に違う。
触れて心地よいのは、やはりカンパニョーロだ。
30年前のカンパニョーロは今でもファンがいる。
歴代チェーンリングのコンプリートをめざしている人もいる。
でも30年前のシマノが大好きという人には出会ったことがない。
カンパニョーロは、スペックではなく快楽原則に忠実なのだ。
それが設計でありデザインであり、軸があり本筋があるということだ。
誤解されやすいが、感覚で作っているわけではない。
快楽原則に忠実であるには、より高次の理論とノウハウと技術がなければ不可能だ。

日本でピアノ。アメリカ西海岸で漆器と同じくらい変なことなのかもしれない。
著者が見つけたピアノ工房のような場所が、日本にはあるのだろうか。
そこでは、一見さんには決して見ることのできない店頭の奥に工房があり、
天才的な仕事によって無名のピアノが絶品と生まれ変わり、
ひとりひとりに合ったピアノを(入荷できたなら)教えてくれ、
日本の気候に合わせた再生を施してくれるだろう。

話は逸れるが、フランス人は議論が大好きだ。
まるで議論が栄養であるかのごとく。
私が出会った数少ないフランス人たちとは、ゲンズブールとセリーヌの話をした。
たとえば
「ゲンズブールが入院するとき鞄に煙草しか入れなかったのはなぜか」
これだけで90分×4回。
この書籍には、そんなシーンも登場する。

私は議論が大好きで、議論の火種をぽつんと輪の真ん中に落とす。
で、それがどのような延焼を起こしていくかを一歩引いて楽しむ。
しかし日本では議論の内容がフォーカスされて本質に向かうことは滅多にない。
話のスケールがだんだん大きくなり、手に負えなくなり、凡庸なものになっていく。
そして結論はもはや思考停止状態である。
「音楽ってやっぱりいいよね」とか「人生いろいろだよ」とか。
何が文化の違いって、こういうのが文化の違いである。
ヴァレンタインとヴァンアレン帯くらい違う。

閉話休題。

文章も、ノンフィクションにありがちな、必要以上に警鐘を鳴らすものでもなく、
「ほっこり」でも「うっとり」でもなく、美辞麗句を並べ立てるのでもなく、
何かに分類するのでもなく、スピード感あふれるものでもない。
でもよく考えれば、これがnon fictionなのかもしれない。

ネットで読める書評というより紹介文はこちら

著者が出会ったStinglは、今はもうなくなったオーストリアのピアノメーカー。
検索してみたら、八王子のピアノ工房にあったことが分かった。
聴いてみたかった。



というすてきな本は、picoさんからいただいた。
いただいてから随分経ったけれど、ありがとうございます。
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