古井由吉「白暗淵」



なんなんだろう。

圧倒的な読書体験を強いられる「仮往生伝試文」と「楽天記」をピークに
古井由吉の小説は読みやすくなり続けている。
かといって「枯淡の味わい」などといった耄碌の正当化とは全く異なる。
エカチェリーナナラカミーチェくらい異なる。
読みやすくなったからといって質が下がったわけではない。
そこでは日常が幽玄なものになっているし、枯れどころか潤いがある。
一文は短くなり、横文字も程良く使われている。
むしろ読みやすいだけに「めくるめく感」や深さが解りやすい、
という意味で読みやすい(どないやねん)。

古井由吉を読んだことのない人には、これまで「沓子・妻隠」をすすめてきた。
初期の短編で、芥川賞受賞作であり、読みやすく、文庫で安いし、
なおかつ古井が描き出すある種の狂気や社会性の欠如が書かれているからだ。

しかし近年の「野川」(講談社文芸文庫ではなく講談社文庫で文庫化)や
この「白暗淵」などは、ただ字面を追うだけでも「読む」ことができる。
しかも、古井由吉の小説に特徴的な、
生と死、そして現実と非現実が曖昧になる手腕は冴え渡っている。

私は「仮往生伝試文」を1か月以上かかって読了した。
「白暗淵」は一晩で読めた。そういうことだ。

とりあえずいちばん新しいのから読んでみればいいんじゃない?
と、古井由吉について言えるようになるとは思わなかった。
少し前の「忿翁」や「辻」ではまだ考えられなかったことだ。

これは、私が古井に慣れたということでもない。
「仮往生伝試文」で検索しても書評や感想がほとんどないのに対し、
(百戦錬磨の読書家が投稿するweb書店bk1にも「仮往生伝試文」のレビューはない)
「白暗淵」だとブログがたくさん出てくる。

先日、検索でこのブログの「本を差し上げます」に辿り着いた方からメールをいただいた。
いちばんの目当てはまだあったので良かった。
小説を書く勉強をされている方で、とある著名な批評家に師事しているそうだ。
その批評家は小説の中身を「叙述」と「描写」に分けるのが好きだったような記憶がある。
(叙述にも描写にもなっていないのは「説明」であるというのが一般的な見解)
彼が「白暗淵」の構造というか成立過程を読んだらどう判断するのか、少し興味がある。

雨が降ったら「雨が降った」と書きなさい。
これは、カポーティの言葉。
私はこの言葉がとても好きだ。
でもそれは凡人だからそう書くのがいちばん良いということだ。
小説を書けない人が文章を「ブンガク的」にしようとすると、
文学的ステレオタイプの数珠繋ぎになってしまう。
そういう小説は多い。大衆文学で「これはもはや純文学だ」と評されるものほどそうだ。
だが、創造性と技と方法論と知性と知恵と力量があれば、
古井由吉のような書き方で小説を成立させてしまえる。
それは模倣すらできないものだ。
だからこそ私は古井由吉の小説に強く惹かれる。

権威に興味のない古井由吉は、ある時期から文学賞の受賞を辞退し、
芥川賞の選考委員を自らおりた。小説を書くことに専念したいから。
そして毎年1本書き上げている。
今年も連載が始まった。
楽しみだ。

倉橋由美子小島信夫はもういない。
言葉によって何かを創造する文芸家、
ほんものの小説家と私が思えるのは、この人だけだ。

「沓子・妻隠」から時系列でもいいし「白暗淵」から遡るのもいい。
現代日本文学の最高峰であることに異を唱える人が少ない金字塔
「仮往生伝試文」を死ぬまでに一度体験してほしい。
できれば、絢爛豪華な函・布装・金箔捺し・エンボス・トレペと、装幀の贅を尽くした初版を。
(装幀は、講談社文芸文庫ではワンパターンを繰り広げる菊地信義氏)
ピーク時には3万円を超えたが、いまでは新装版の半額以下で入手できる。

毎日新聞新刊紹介記事。
中日・東京新聞書評記事。
朝日新聞書評記事。
MSN産経書評記事。

しかし、それにしても古井由吉は冬の夜に読むのが似合う。
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