内藤商店の棕櫚箒



箒。産業廃棄物にならず、電力を消費しない。
そして、掃除機よりも部屋が美しくなる。
建築家の道田さんは京都出身。とある広報誌に連載をお持ちだ。京都の箒屋について書かれていた回があった。ものすごく興味を持ち、以来私は事あるごとに早く箒を持って使いたいと、クイックルワイパー(に眼鏡拭きと同じ素材の布をつけたもの)を使いながら思い続けた。江戸時代の箒がお店に架けてあるというのだから、何としても見たいと思った。棕櫚箒について調べ、箒について調べ、東京では箒屋に寄った。文章には店名などは書かれていないので、私は道田さんに教えてもらった。

クルマで私の住まいから7回曲がる。残暑が続く京都。三條大橋袂、大通りに面したその店は看板も出さず異彩を放っていた。間違いないという匂いがぷんぷんしていた。先客があり、私は大小の箒やいくつもの種類が置かれた束子、用途の判らぬものなどをしげしげと眺めた(後で話を伺うと、高い場所にある棚の奥の埃をかき出すもの、卓上の埃をとる刷毛、鍋を洗うせせら、などなどおもしろいものばかりだった。さらに後で別の人から聞いたのだが、テレンス・コンラン氏があるアイテムの造形美/機能美に感動したそうだ)。先客がめでたく箒をお買い上げになって、私は店主に話しかけた。江戸時代に作られた箒を持たせてくれた。棕櫚はとても柔らかな手触り。なおかつ腰があった。

柔らかくて腰がある、というのが良い箒。
草を使ったふつうの箒は、新品のときがベストだ。
先端が摩耗して、しだいに硬くなっていく。
なので、使っていくうちに部屋から土間、庭へと格下げになる。
でも棕櫚は、使っていくうちにより柔らかく、なおかつ腰が出てくる。
棕櫚箒は一生使える、というのは、そういう意味でもある。

棕櫚は英名palmで、これは本来ナツメヤシのことなのだけれど日本でパームツリーといえばシュロで、南のリゾート感を演出している。でも和棕櫚は宮崎あたりが原産。ちなみにpalmを使った箒は万年箒という別名がある。棕櫚箒は棕櫚の何を束ねているのかというと、シュロ皮と呼ばれる幹の上の方にある樹皮をお湯でゆでて、燻蒸し、晒葉をいうものを作る。そこから繊維をとり、1本1本をまっすぐにする。で、編みながら束ねる。ほんとうに昔の人の知恵にはキョウトですがコウベを垂れます。やっぱり現在では国産素材の入手が難しく、安価な中国産がほとんどだそうだ。人件費が違うだけで棕櫚自体は同じでしょと思うかもしれない。でも、漆器と同じく日本産と中国産は異なる。日本産は比重が軽いために掃き掃除が楽で、柔らかなのに腰がある。素材も違うし繊維づくりのノウハウがある。やはり質が高くて長持ちするのは日本産なのだ。

箒はフローリングをきちんと掃除できない、というイメージがある。だがそれは棕櫚の箒の場合、全くの逆だ。棕櫚には樹脂がある。その樹脂が床を磨く。棕櫚の箒は、掃除をすることによって床磨きもできる便利なものなのだ。たぶん昔の人は、いろんな植物で箒を作ったはずだ。そして、箒には棕櫚が最適だという結果になった。現代の私たちは、ただそれを選ぶだけでいい。何と便利な世の中だろう。京都のその店の一段高くなった床は、棕櫚箒で掃除しているからつやつやでぴかぴかだ。何かで表面仕上げしているフローリングに有効なのかどうかは判らない。棕櫚は、畳にしても木にしても、床を傷つけない。箒が摩耗するからだ。さて、床を天然樹脂で磨いたり、接地面が摩耗する掃除機はあっただろうか。

私には縁のない話だが、大理石の床にもシュロの箒が良いかもしれない。
カーペットは、私にはよく解らない。ペルシャの人が知っていると思う。

話は逸れるが、私はぬかるんだ土や、川を裸足で歩くのが好きだ。一部がラムサール条約によって保護されている湿地帯が加賀市にはあり、そこ(ラムサール条約ではないところ)も靴を脱いでずんずん入る。土や砂や落葉は汚れではない。虫が汚い? いえいえ、人間が唯一自然にとって害毒です。汚れたとしても、家に上がる前に水で洗い落とせばいいだけだ。私にとっては、得体の知れない化学物質のカクテルでピカピカに磨かれた床のほうが汚い。物質は、水分があると匂いを強く感じる。化学物質の混ざっていない土は、湿っていても良い匂いだ。


(↑まだ大した年月が経っていないので、かたさがある)

樹脂があるので耐水性もそれなりにある。だから束子になったし、屋外で使う縄の材料に選ばれた。私は前の日に飲んだ茶殻を撒いて床を掃除する。生乾きのような状態のもの。いつも飲んでいるので加賀棒茶が多いけれど、掃除にはふつうの葉っぱが良い。綿埃が茶殻にからまる。つまんでポイ。新聞をとっているなら新聞を濡らしてちぎって撒けばいい。砂埃的なものは、最後にA4の紙で集める。ちりとりもはりみも今はまだいらない。腰が悪くなってから使えばいい。

私が選んだのは束が7玉のもの。束が5玉の安価なものもある。価格は、7000円から2万円ほど。価格の違いは束の数と素材。高価なものは、繊維がまっすぐになっている。それだけ素材づくりから手間暇がかかっているということだ。上手い人が使えば一生ものだが、慣れていない人や手入れしない人が使うと10年後には見るも無惨なものになる。何日がかりなのか判らないが、これで2万円なら安い。おまけに東京の某有名箒店だと5万円で売られている。

扱い方のポイントは、力をかけすぎないこと、床と平行にすること、使わないときは壁に架けたり吊したりすること、雑な扱い方をして棕櫚が広がってきたり箒が汚れてきたりしたら固く絞った雑巾で拭く、くらいか。棕櫚は、曲がっても戻る。そういった程度のことで長く使える。棕櫚の摩耗は非常に少なく、お店に架かっている江戸時代の箒で一寸。

ただの紙と紐で包まれた箒。とても美しい。紐は知恵だ。西洋のラッピングは装飾的な側面が大きい。極言すれば、西洋のラッピングはリボンがなくても中身を傷つけずに保管と運搬ができる。リボンはないけれど美しい、箒を包む紐。何が用の美って、こういうのが用の美である。私は、クルマを駐めた場所まで、木屋町通を箒片手に歩いた。気分は弁慶である。使うのが楽しみになった。でも、100年経ったオーラは、100年間大切に使わないと醸し出すことはできない。私が死ぬとき(驚くべきことにそれは30年後より先だと良いほうではないかと最近思うようになってきた)、この箒はどんな姿になっているのか。小さくオーラをまとっているだろうか。それとも、オーラとは対極の空気を醸しているだろうか。ちゃんとしたものは、年月が経ってどうなっているかで、使う人の性格が露見する。

柄は竹なので、一本一本太さが異なる。全部握って確かめ、私はいちばん太いのを選んだ。もっと短い方が良い小柄な人なら、節ひとつぶん切り落としてしまえばいい。自分の体格に合わせることができるのも箒の良いところ(掃除機にS,M,Lなどのサイズはない)。竹と棕櫚は銅線できつく縛られ、紐も使われている。最後に鋲が打たれている。手仕事の極みだ。私は掃除機に感動したことは一度もないが、この箒は架けておくだけで変な複製画よりも遙かに絵になるし、眺めて撫でる楽しみまである。おまけに掃除までできる。


(↑一本一本、向きを考えて束ねてある)

棕櫚の箒や束子が現在でも産地として成り立っているのは、和歌山の野上谷。1300年ごろから地味に続く。伝統的工芸品などには指定されていない。でも私は京都のお店で購入した。職人から買えば少しは安いかもしれないし、直接購入するのは何となく良い感じなのも解る。だが野上谷で箒を作るのは職人だから、売るのが仕事ではなく作るのが仕事。この目で箒を作るところを見てみたいという誘惑はある。でも、それはしてはいけないことなのだ。自分ひとりだったらほんの休憩がてらお願いしますよ、と思うかもしれない。でもそんな人が毎週ひとりでも訪れていては、仕事にならない。職人は一見頑固だけれど蓋を開ければ話好きというイメージがある。しかしそれは単に威張りんぼうの蘊蓄好きな人が表に出ているからそうなっているだけだ。漆器の世界で目にしているのだけれど、商売人になった職人は、どうしようもない。作っている時間よりも話をしている時間のほうが長い。

それよりも、棕櫚で作られたものを主に扱うだけで200年近くお店を構えることができている京都の奥深さに気づくべきだろう。って、産地の職人のことなど頭になく、京都の老舗で買うほうが多数なのかもしれない(東京ではホウキモロコシを編んだ江戸箒の白木屋傳兵衛が、野上谷の棕櫚箒も売っている。「内藤商店さんで売られているのと同じですよー」とセールストークされた。なんか変だなと感じながら値札を見たら、なぜか内藤商店より少し値段が高かった)。もうひとつその店で購入したものがあるけれど、それはまた別の機会に。その道具は、飛騨の木工職人が買っていくとのこと。ちゃんと作っている人はいるんだなとうれしくなる。こうしたお店だからこそ、そんなことを知ることもできる。北野武がとある本で語っていたが、本物の奴ほど「うちに来なよ」と言う、すべてを明らかにできる自信があるからだ、偽者ほど手の内は明かさず「いえいえカタログをお持ちしましてぜひご説明を」というわけだ。北野武はそんな感じで全国のいろんな無名のほんものを買いに行っているらしい。内藤商店は、サイトもカタログもない。包装紙も名前が入っているわけでもなく、薄茶色の紙。ブランドで買い物する人には物足りない買い物なのだろう。

和歌山県は箒やたわしなどキッチン・トイレタリー用品で全国シェア8割。その理由は、昔からこういうものが作られてきたからだ。逆に言うと、昔から作られてきた伝統的工芸品に指定されている数々の「伝統工芸」も、昔とは様相が変わり、棕櫚の箒ではなくプラスチックのトイレブラシのようになっている。また、棕櫚箒といってもインド、インドネシア、中国産の棕櫚を使って作っている「国産棕櫚箒」もある。

ドアがなくて開けっ放しだけれど気軽に入れない店構え。
寡黙な雰囲気を醸している店主。
でも結局私は1時間近くお邪魔した。
店主は最後に「また来てね」と言った。
20年後、箒を持って行こうと思っている。


(↑さて掃除しようか、あ、Tシャツに穴が! の図)

でもその前に、修理の依頼で行くかもしれない。

内藤商店で売られている棕櫚箒は、桑添勇雄商店のもの。
桑添さんは棕櫚箒づくりの第一人者。
そこで修業して独立した人もいる。
選んで間違いない箒です。


Wikipedia 
和歌山社会経済研究所 野上谷の棕櫚を訪ねて
ほうき屋ドットコム 棕櫚の特性


※この箒をブログで取り上げるときは、店名を伏せようと思っていた。本来こういうものはメディアなど不要のものだ。インターネットにあふれ返る「くだらない情報」と同じ位置に下げることはない。クチコミを重視する人は何年かごとにパナソニックでもダイソンでもヒュンダイでもハリーウィンストンでも買っていればいい。でも、検索したらけっこうな数の人が紹介していた(「棕櫚 箒」でGoogle検索すると、関連検索に「棕櫚箒 内藤商店」と表示される。何人にも──某所ではおそらく5000人以上──棕櫚箒のすばらしさを話してきた私もその一翼を担ってしまったのかもしれないと思うと複雑な気持ちになる)ので、私が隠したところで事態は何も変わらない。掃除機より高価な箒を選ぶ人は絶対数が少ないだろうから、まあ別にいいか、という思いもある。
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コメント

あや様
そうですこれです。
紹介している文章を読むと見たり触れたくなる魔性の箒です。うちにいらっしゃったらお見せしますよ、もったいつけるものでもないですし。でも、京都へ行く機会があればお店に是非。たくさん種類があって驚きます。サメ皮のわさびおろしを掃除するためのブラシというかたわしまであるんです。
あやさんもそうでしたか。あまり思わないほうが良いのか、意識するほうが良いのか判りかねるのですが、お気持ち察します。でも、私も、理由は違うような気がします。


i様
>また髪のばしてるの?
はい。吉田拓郎なら教会式で挙式しなくちゃいけない長さです。

>すこし太った?
はい。現在のBMIは22.3です。
Tシャツがストレッチ素材で、
余計そう見えるのかもしれないと言い訳しておきます。

>あたまに何かかぶってるの?
タオル地のバンダナキャプです。

また髪のばしてるの?
すこし太った?
あたまに何かぶってるの?

以前お話してくださったのはこれだったのですね。
読み初めてしばらくしてから無性に実物に触ってみたくなりました。いつか縁があれば触れる機会に恵まれるのかもしれない・・・と感じつつ拝見しました。

理由は違うのでしょうけれど、私も最近30年後には生きていないかもしれないとなんとなく感じていたので不思議な気がしました。
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