■よりどころ

過去の作品や現在評価されているものを手本にしても、単なる模倣です。
私は漆器に限らずテーブルウェア全般における「これが売れている」というのに乗っかるわけでもなく、対抗して真逆を行くのでもなく、無視しています。トレンドをお勉強だかリサーチだかするくらいなら、道ばたの葉っぱや砂浜や水の流れや結晶を眺めています。フィボナッチ、フラクタル、黄金比、ピタゴラスの定理、複雑系とカオス。自然の造形は発見の宝庫、すばらしい力学で成り立っています。そこにある精緻な秩序とパターンがすばらしく美しいのです。

それをそのままデザインに活かすことはしません。たとえばパルテノン神殿。縦横が黄金比というのは有名です。でも実は、黄金比というのはそのまま使うとしょぼい。パルテノン神殿は、斜め下から見上げたときに最も美しくなるよう計算して設計されています。まず、その目的があったわけです。で、どうしたか。直線はひとつも使わなかった。顕著なのは、正面側の中央にある膨らみ。さらに、柱を傾けた。

それを斜め下から観ると直線の四角い建物に見えるわけです。

黄金比を知っていながら、そこから踏み込んで人間の視覚も考慮し、最も美しく見えるよう徹底的に緻密な計算をした。そのため、現在でも史料としての価値だけではなく、荘厳かつ優美な美しい建造物として名を馳せているわけです。もし中央が膨らんでいなかったら、直線ではなくへこんで見えます(天井は曲がり、中央が低く見える)。こうしたことこそ、人間がデザインするということだと思います。自然の中に潜む数字をそのままとりいれてデザインするだけでは、だめなのです。

どうせお椀を作るなら、凡庸な曲線ではなく美しい曲線で作りたい。でも、そこに潜む美の理由を商品説明で声高にアピールすることも、何か違うと考えています。「これ縦横が黄金比で、しかも少し膨らませてあるんですよ!パルテノン神殿と同じなんですよ!!」なんて言っても「へー、そう。だから何?」って話だからです。

「美」は人工的(アーティフィシャル)なもので、対する「自然美」は人間の手によらない全く異なるもの。自然をモチーフにするだけではチャチなものしかできません。自然の力学と算数を土台にして、人間の手で美を生み出す。木の特質を活かし、性質に逆らわないかたち。機能面はもちろんのこと、素材の面からも理に適ったかたち(木の器と陶磁器と金属の器とガラスの器が同じかたち、同じ方向の美しさを指向しているのは私には理解できない)。そして、何百年後もふつうに使われるかたち。そういうものを作りたい。


蛸貝(アオイガイ)
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