日記ではないのだけれど



登山家の野口健が、今後自分の身にふりかかることを顧みず、チベットについて発言した。知名度のある日本人としては初めてではないだろうか。身の危険を脇に置いておいても、中国やチベットからヒマラヤに登れなくなるというのが登山家にとってどれだけ苦渋のことなのか想像もできない。この人の愚直さには心の底から敬意を表する。テレビのバラエティなどに出演するのが激減するかもしれない。ほんとうは、その逆になるほうが、まっとうな世の中のはずなんだけれど。
野口さんのインタビューはこちら。後先考えずに喋ったわけでもなく、こういうことを発言すると自分が今後どうなるかを十分予測した上で話していることが、内容と流れから判る。もし中国が、中国の言うように暴力による支配をしていないのなら、野口さんの発言は重大な罪になるはずだ。でも、たぶん罪には問われない。餃子のときのようにうやむやになって収束していくだけだ。

文中で触れられている動画は、これ

いまのところ、他にまともなのは、櫻井よしこ氏くらいだ。

そもそも、武力で侵入されてたくさん殺されて女性は中国人男性の子どもを産まされ支配されて、中国が一方的に領土だと言っているだけ。中国から独立もへったくれもない話。NHKとテレビ朝日を筆頭に、メディアは軒並み中国寄り。善光寺は偽善光寺と名前を変えたほうがいいと思っていたけれど、どうやら考え直されたようだ。

ひとつだけ残念なのは、ダライ・ラマ14世が、チベットが独立運動で暴力を行使したら引退すると発言したことだ。マハトマ・ガンジーは、同じく暴力なく独立を目指した。そして、独立を果たすまでは引退しないと強く言っていた。ダライ・ラマ14世の真意は解るべくもない。でも、中国に付け入る隙を与えたことは確実だ。

日本が戦後中国に一方的な支配をされていたら、どうなっていただろうか。街を歩くだけで警察に蹴飛ばされ、それならまだいいほうで気の向くまま殺されたりもして、女性は中国人との性交を強要され、ろくな教育は受けられず、居場所はなくなり、神道と仏教は否定されて聖職者は軒並み殺され、それに異を唱えるためにただ「デモ行進」しただけで武力制圧される。「チベットが独立を企てて暴動を起こしている、中国は被害者だ」と思っている日本人は、そんな日本のほうがいいってことになる。どんだけマゾなんだって話ですよ。

ビースティ・ボーイズは、すいぶん前からチベタンフリーダムコンサートを開催してきた。たくさんのミュージシャンが参加し、収益はチベットに寄附された。先日は、ビョークが上海のライブで「独立のために立ち上がれ」という曲の最後に「チベット、チベット」と叫んだ。アメリカでは俳優たちが中国を批難している。フランスの聖火リレーでは中国の障害者が車椅子でトーチをリレーしていたときに暴漢が襲いかかってきたけれど、そいつはチベットの人ではなく中国の自作自演だったらしい。

現代は、写真や映像が残る。それがすぐにインターネットで全世界に流れる(中国国内には流れないけれど)。中には嘘や捏造もある。私はそれに騙されているのかもしれない。しかし、中国の嘘のほうが、すぐにメッキが剥げてしまうのだ。中国製は、嘘まで粗悪らしい。とんちを利かせるところが違う。

日本は中国に対して弱い。食品の危険性が明るみになってチャイナフリーが唱えられている。自給自足というか食糧自給率の向上に意識が向き始めている。でも、それだけでは中国を排除することは不可能だ。過去の因縁もある。そして何よりも、中国との貿易なくして日本は成り立たない。たとえば、中国のレアメタルがないと日本はクルマも携帯もパソコンもテレビもエアコンも造ることができない。日本と中国は分かちがたい存在になっている。そのこと自体を否定する気など、さらさらない。

長野の聖火リレーでは、日本はどういう立場をとるのか。世界中が見ている。


このサイトをご覧になってください。そしてもし気が向けば、署名してください。署名は、メールアドレスを入力しなくてもだいじょうぶなようです。



追記;

早くも取引先のひとつが「返品」を要求してきました。
想像通りになり残念です。
また借金が増えるよとほほ。

善光寺の辞退に関する各国主要メディアの報道。

ガーディアン(英)

BBC(英)

AFP (仏)

ル・ヴィフ/レクスプレス (仏)

ローマンディ・ニュース(仏)

ヴェルト(独)

ヘラルドトリビューン(米)

ニューヨークタイムス (米)

グローブ・アンド・メイル(カナダ)


関西テレビは、あるある大辞典で民放連を除名になりました。なので言いたいことを言える。そのひとつがこれだ。そして関西テレビは、これをたくさんの人に知ってほしいから、youtubeに対して削除の指示を出していません。著作権と肖像権に厳しいテレビ局、目の敵にされていて時折私も「それはちょっとアップしちゃいかんだろ」と思うyoutubeなのに。

http://jp.youtube.com/watch?v=0SkVQSewvjY
http://jp.youtube.com/watch?v=7LavkLzQZo4
http://jp.youtube.com/watch?v=F3_EuzN0yeI


で、長野。
国境なき記者団のコメントは皮肉以外の何物でもなかった。
テレビを観ながら私は、恐怖と悲しさしか感じなかった。

長野へ行った方がmixiの日記で実態を書かれている。
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コメント

AK様
グレゴリオ聖歌は、私はサキソフォニストのヤン・ガルバレクがアドリブでサックスを吹いている「オフィチウム」という色物と、正統派ではないアインジーデルン修道院のものしか持っていないので合う合わないを決めつけるのは何ですが、私には合いませんでした。

Ladysmith Black Mambazoは、名前を聞いたことがあるような、ないような感じです。チェックしてみますね、Milton Nascimentoも。ありがとうございます。民族音楽を楽しむことは田舎だと想像以上に困難で、カルタコムのサイトは全部試聴してしまいました。得体の知れない怪しいジャケットを眺め、失敗することは目に見えているのだけれど買ってしまった、やっぱり失敗した、というのが懐かしいです。

ポップグループはビョークの記事(のコメント)ですね。過去の記事をお読みいただき、また覚えていらっしゃってうれしいです。ポップグループは大好きで、なけなしの金を払ってアナログを全部持っています。Pop GroupとThis Heatは大好きで、パンクだとCrassですかね。でもほんものだと思われがちなのでクラッシュあたりでお茶を濁すことしばしばです。パンクはゴミと言う人は、ロックはゴミと言っているのと同義であることを自覚していないことがほとんどです。

ある人が言った言葉に「良い音楽は眠くなる音楽」というのがあります。古来より同様の批評や思想はあります。西洋音楽の場合、最初は神に向かって歌っていました。だいたい要は「安らかにお眠りください」って神に言ってるわけですね。自分が作ったニンゲンに言われなくても眠くなったら寝るとは思うのですが。で、いつのまにか人間が「観客」になっちゃったんですね。という歴史も踏まえ、良い音楽と括られる中には眠くなる音楽も含まれていると思います。イラッとする要素が皆無なのでしょうね。まったりした音楽でも腹が立つほど出来の悪いものだってありますし、1/fゆらぎだかα波だかを謳うヒーリング系は、軒並み安っぽくて聴いていられませんし。それはともかく、その点において、音楽はノイズを超えていないのではと思ったわけです。もちろん、心かきたてる音楽が劣っているわけではありません。

いろんな場面で音が現れたり音楽が流れますね。AKさんのコメントを拝読し、人には、そのものの音を聴くタイプと、そのものに合った音楽が流れるタイプ、大きく分けるとふたつあるような気がしました。共感覚は、そのものの音を聴きとるわけではなくて記憶が結びついているだけなのでまた別のケースですね。非常に調和のとれた音が現れるものや景色が、やっぱりいいです。まがまがしい音しか出ないものは、ちょっといやです。音色にもよりますし。でも、たとえば引っ掻き傷をつけたり裂け目があるような解りやすくて安易なパンクではなく、黒無地だけれど絶対的にパンクな漆器も悪くないかもしれません。

私にとっては、ノイズも音のひとつ、極言すれば音楽のひとつなんです。解りにくい説明でした。

こんにちは。

西洋音楽=言葉なんですね。本の紹介ありがとうございました。面白そうなので、さっそく手配しました。読んでみます。

前回コメントを書いた後、ふと、グレゴリオ聖歌なら仕事中もイケるだろうか?と思いました。わざわざCDを買うのも躊躇するので、単なる思いつきです。

南アフリカの音楽でよく流すのは、Ladysmith Black Mambazo。ズールー語と、時に英語の歌詞があったと思います。余談ですが、部屋で毎日流していると、置いているサボテンが、目に見えるほどすくすく育ちます。

ブラジル音楽では、Milton NascimentoのClube da Esquina。午前中流すと、気持ちよくはかどります。

ブラジルにしても、アフリカにしても、あまりに多くの人が多種の音楽をしていると思いますから、他にもいいもの沢山あるでしょう。ご参考までに。

そういえば昔、パンクはよく聞きました。あれは叱咤激励というのか、自分を追い込むときの音だった気がします。このブログの別の記事でPortishead のことが書かれていましたが、そこに出てくるPopGroup等などの懐かしい名前、思わず「お~」と声を上げてしまいました。Portisheadは存じませんでしたが、リンクしてある曲を聞いてみました。いいですね~。久しぶりに聞いた、声明などとは別の「心地よさ」でした。

また、曲のご紹介ありがとうございます。Flying Saucer Attack/Chorusが羊水の音というの、面白いですね。Rosenbergs Sjuaを視聴してみましたが、ナカナカよかったです。

音楽がノイズを超えていないというのは、自分にはわかるような、わからないような。。。。

たとえば、書画や絵画に音楽を聞きとったり、感情を時に音のように感じることもある。。また、お茶のかもしだす味+香り+力にも、音(音楽)を感じることができます。森の木々にも音を感じることがあります。、それらを考えると、音や音楽は、ノイズ以上のものではないか、あるいは、しょせん全て電気の作り出す電気的波長、とも言えるのかもしれない、とも思いす。。ちょっと抽象的でうまく表現できませんでした。。。

ところで、環境と場所での時間の流れ方の違いが与える影響は大きいですね。場所、環境だけでなく、自分が変わると聞く「音」も変わってきます。

また、ブログでの新商品紹介に関してコメントいただき、ありがとうございました。その「お気持ち」拝受しました。

AK様
おはようございます。
西洋音楽は言語なので、仕事中に流す音楽としては不向きだと思います。西洋音楽と言語については、ゲオルギアーデスの著作「音楽と言語」がおすすめです。言語であるということは論理です。ということは算数です。歌詞がラテン語からドイツ語になったとき、当然ながら音楽そのものが変わっています。中盤からは、どこを読んでも知的スリリングさに満ちています。このあたりを日本の音楽教育も取り入れれば日本語を西洋音楽にのせる新たな方法論が見つかるはずなのですが、どうも演奏と譜面にこだわっているようでもったいないです。そういう意味で、日本語をのせた西洋音楽は絵画や文芸よりも紛い物感が強いです。

雅楽はいいですね。寝起きに現代雅楽「秋庭歌一具」を流しています。でも雅楽はCDが少なくて一通り揃えたら覚えてしまって、それはそれで困りものです。声明は私が仕事するときには不向きでした。なんといいますか、仕事してる場合じゃないだろ正座しろ、という感じです。詩があるのも聴き取ろうとしてしまって頭がそっちへ行ってしまいます。自分……不器用ですから。同じ意味で、仕事中に日本語と英語の「歌」は駄目です。アフリカはサハラ以北しかまじめに聴いたことがなく、南は聴いたことがないのでCDさがしてみます。いいこと教えてもらいましたありがとうございます。ブラジルはカエターノ・ヴェローゾとボサ・ノヴァしか知らないのですが、楽しくなるというか海へ行きたくなるので私にとっては危険です。

仕事中に流すCDは
Jan Garbarek/Dis
The KLF/Chill out
Rosenbergs Sjua/R7
Flying Saucer Attack/Chorus
が多いです。ヤン・ガルバレクはサキソフォニストで、もはや環境音です。KLFは、アンビエントハウスの創始者です。いわゆる音楽ではありません。ローゼンバーグは北欧のグループで、平均律ではなく純正律です。フライング・ソーサー・アタックは西洋音階ではあるのですがギターノイズが全面に出ているドローンサウンドなので、羊水の中にいたとき耳にしていた音と近いです(電車で眠くなるのは椅子があったかいからではなく、電車の騒音が羊水の中で聴いていた音と似ているから落ち着くという説があります。つまり、まだ音楽はノイズを超えられていないのです)。仕事のときは、好きな音楽を流せば良いわけでもないところが難しいですね。

東京で、会社勤めしていたころは小さなCDラジオを机に置いて、パンクやダンスをかけていました。徹夜で作業になると、もはや頭脳労働ではなく精神力や忍耐力の問題だったので、のりに合わせて無理矢理動いていたわけです。雅楽など流していたらキーボードに突っ伏して泥のように眠り、はっと目覚めたらテキストボックスに「っっっっっっっs」とかいったのが延々続いている、ということになりがちです。住まいの一室を事務所にしていたときは鳥のさえずりだけのCDをずっとかけていました。今は窓を開ければ鳥や蛙や虫やクルマが五月蠅いので、そんなCDは不要になりました。あと、これはどこかに書いた気もするのですが、東京と田舎では、時間の流れ方が全然違います。民放とNHK教育のような違いです。そのため、単調といえどもハウスなどは流せません。ちぐはぐです。

新商品については出し惜しみしているとさえ言われるくらい紹介しないブログでして申し訳なく思います。実名でブログを書くというのは、書いている本人がどんなエクスキューズをつけようと、ひとつの例外もなく世間に向けて宣伝しているに過ぎません。売っている人だけではなく、作っている人も。私がブログを書いているのは、ある理由からです。その理由と、あまり新商品を紹介しないことをご説明するには原稿用紙30枚ほど必要になるので省かせてくださいませ。

知ることは楽しいですね。アハ体験(ただのじれったいクイズやパズル)だかクオリア降臨(昔から言われていたことを都合良く絞り込んで言い換えただけ)だか知りませんが、あんないんちきとは本質が異なります。知らないジャンルがあったとき、苦手意識を持ってしまって入り込もうとしないのは機会喪失です。日本には適度に自然も技術も知もあるので、楽しいことだらけです。「なぜ?」「なに?」という言葉に凝縮される子どもの好奇心は天才的で、そこから学ぶこともあります。なぜ○○は□□なのか、というところからさらに踏み込んで、○○とは何か、というのを考えることも楽しく、頭がラリッてしまいます。言語が足りないのでしょう。

相変わらず長文でまとまりがなく申し訳ないです。

こんにちは。
なるほど、西洋音階ですか。西洋音階は、世界の音楽の中のほんの一部でしょうが、我々にとっては教育を受けた際に浸み込んでいます。
個人的な感想ですが、仕事をしながら音楽を流した時、思考の邪魔にならなかったのが、雅楽、声明、南アフリカ音楽、そして、瀬戸際だったのがブラジル音楽でした。それほど試していませんし、偏っていますが。。
西洋音階は、思考=言葉感覚に近いのか?などと思い巡らしたことがありました。西洋音階は、声明などとはまるで別世界に感じます。

ブログの専門性のお話、興味深く拝読しました。専門性を高めると宣伝になりがちとのこと。専門の知識を持つ方が、愛情をこめて平易な言葉でご自身の分野について話されるのは、伺っていて非常に楽しいことだと感じています。
一読者としては、新しい商品についてもお話を伺えると、楽しい限りではあります。
「知ることは楽しみ」と以前どなたかがお話されていましたが、「まさにその通り!」と思っています。

AK様
おはようございます。
私は、私の理解(合理性や効率や性能など)を超えたものについては、まず質問します。何度も。その結果、こっちが学び、何か結びつくものがあれば提示することもあります。その一方で「なるほど。でも私はそれを選ばない」ということもあります。いずれ取り上げたいと思っていることのひとつに北欧家具があります。北欧家具といえば全てを削ぎ落としたシンプルなミニマムデザインの代表格と思われています。でも実際は、意味のある装飾と高度な木工技術が詰め込まれています。機能性の極致です。日本人が椅子をデザインすることの滑稽さを自覚していない「デザイナー」がほとんどです。デザインの世界にいる人間が、北欧をミニマムと定義づけてしまっているからです。生まれたときからダイニングチェアで食事をして、リビングにはソファのある住まいで育った世代は、日本ではこれからだと思います。また何を言おうとしたのか、どこかに行ってしまいました。

音楽についてはそうですね。確かにそうなのですが、私が意固地というか西洋音階に否定的なのだと思います。グローバリズムのひとつであり、キリスト教布教と同時進行した西洋音階を聴いて心が震えるのと、声明で「感動」することや歌舞伎を「鑑賞」することなどとでは、当の日本人でも何か変わってしまっていると思っています。一方通行のような感じです。

このブログは音楽と文芸と漆器についてのことがほとんどで、つまり私が好きなものだけを書き綴ったものです。範囲は広くないと思っているのですが、そう思っていただきありがとうございます。ブログは専門性を高めれば高めるほどアクセスが増えますし、私も新刊情報だけのブログやミネラルウォーターだけのブログなどを読んでいます。しかし、逆スマイルカーブを描く工芸の世界で、私はスマイルカーブを描く作り手のひとりです。作り手にしろ売り手にしろ、専門性を高めると宣伝になってしまいがちです。毎日の仕事を淡々と綴ることも、代わり映えしません。ずっと使えることを売りにしているので、新商品情報など載せません。

あまり褒められると調子に乗って口を滑らせるので、叱咤でお願いします。

こんにちは。
ユニークという日本語には、確かに誤解を招きそうな感情が含まれていましたね。フォローアップしていただき、ありがとうございました。
 自分にとって、「ユニーク」とは「千差万別」ということで、目線に高低はありません。つまり、その言葉に感情が入っておりませんでした。
乳母車をキャスターつきの杖としてお使いの方も、調味料や梅酒を自分で作られる方も、欧米人から見て笑われるかどうかと関係なく、その方々の選択の自由だと思っております。
例えば、もしそこで、「もう少しいいアイデアがないか」「もっといいアイデアがあるよ」と思われているなら、そこにコミュニケーションが発生するのでしょう。
 中国とダライラマが会話の機会を持つこと、それが期待されます。
 また、「音楽が国境を越える」のは、音楽がどんな文化の人間にも、感動、興奮、言葉に表せないような心への衝撃を与えることだと感じています。その際、どのような衝撃を受けたか、それを表す言葉が、西洋文化の影響を受けていようが、言葉に表すのが下手であろうが、その音楽から受けた振動を各個人が受け入れ感じることで、「国境を越える」ことができるだろうと思っております。
 ところで、このブログでは幅広いサブジェクトを取り上げておられ、学ぶことも多く、とても興味深く拝読しております。ありがとうございます。

AK様
コメントありがとうございます。
長野は、こうなるかもしれない、もしくはこうなるかもしれない、というあらゆる可能性の中で、割といやな感じになってしまったと判断しています。最悪と言っている人も大勢いますが、もっと酷い事態もたくさんあります。

国家と国民性と個人は違うということを踏まえ、外国人と会話していると、日本人のキャラクターというか国民性というか、そういったものに腹立たしさを感じている人も稀にいます。私も、事前情報や経験がないと、認めて尊重するということができないことがあります。認めて尊重するからこそ「相容れないね」という結論になることもあります。それはそれで相手を知ったわけですし、理解し合えているわけなのでゼロではないと考えています。

かつては日本人も「魂の民」と海外から評価されていたことがありますね。大和魂とは特攻精神を意味するのではなく、本来は自国文化を重んじる心を意味しました。日本が日本でなくなってしまうのではないかという不安が心の中でうっすらと沸き上がった明治時代にクローズアップされました。でも既に源氏物語で使われている言葉です。対になる言葉は漢才/洋才で、和魂洋才/和魂漢才も、海外文化をそのまま受け入れず日本流にアレンジする、昭和までの日本人に特有のものでした。カレー、ラーメン、ナポリタンも、その流れでしょう。トマトソースのスパゲティがケチャップでハムとピーマンを炒めたナポリタンになろうが別に恥ずかしいことではないし、ナポリタンをからめたフォークが宙に浮いている蝋細工も日本の小さな工場の技術力というか職人魂を発揮していて悪くないと思っているのですが、どうも恥ずかしいと思っている日本人が多い気がします。

AKさんはそのような意図で「ユニーク」という言葉を選んだのではないことは宝という言葉をお使いであることからも充分承知しておりますが、誤解を招きやすい表現なのでこれを読まれる方に向けて蛇足ながら書きますと「ユニークである」「独特だ」と考えることも、上から目線、オリエンタリズムと近いもののような気もします。自分中心というか。AがBをユニークだと感じる。その場合、BはAをどう感じるか。Aが自分に都合良く想像するのは「憧れ」のようなものであることがほとんどです。もちろん実際にBが感じるものは憧れではありません。

日本の田舎には、今でも乳母車をキャスターつきの杖として使っている高齢者がいます。脱穀した稲で藁を作り、蔓で籠を作っている人がいます。調味料や梅酒を自分で造る人もいます。現在日本国内では再認識されつつあるそのような「美徳」も、それだけを切り取って海外で流したら、工業大国でIT先進国で何でも買えるニッポンというイメージではなく、欧米各国から見れば笑いの対象となるでしょう。当事者たる日本人としては「違う違う、そうじゃない」と鈴木雅之状態か「違うよ、全然違うよ」とマーク・パンサー状態になります(海外の取材クルーが来たときだけ民族衣装になって家電製品を隠す民族はしたたかかですね)。そういう意味で私は「発展途上国」の「ユニーク」な文化や習慣を笑いものにするテレビのバラエティ番組に嫌悪感を覚えます。

音楽は文化や観衆や国境を越えるとよく言われますが、そんなときの音楽は例外なく西洋音階です。雅楽もホーミーもケチャも、オリエンタリズムに侵された視点でしか聴かれることはありません。

中央アジアの国々は、精神的な充実度や、家電製品に依存しない快適性を重視しますね。GNPではなく国民総幸福量(GNH)を尺度としている国もあれば、首都をテントで覆う計画を発表した国もあります。科学技術の進歩も、いろんなものが手に入ることも、要は経済活動でありビジネスの鴨であるに過ぎないことを本質で判っているのでしょう。

何を言っているのかまとめようがなくなりましたが、そんな感じです。

署名ありがとうございました(私が言うのもなんだか変な感じではありますが)

ブログ拝読し、署名しました。
各国の情報など、提供していただき有難いと思います。
長野現地レポートのあまりの悲惨さ、冷酷さには、ある程度想像はしていたものの、驚きました。
以前、ある方が「チベットは魂の民」と言っていました。そのようなユニークな文化を受け入れることは、人類の宝が増えることでもあると思っています。

あや様
ほんとうにつらいですね。
50年も続いているということに対すると、こっちまで何か麻痺してしまいそうです。
善光寺は、はっきりと「チベット問題が理由」とコメントしました。
「混乱するから」とか「危険性があるから」といった、よくある台詞で逃げず、
明確に言ったところが海外からも評価されています。
「たかじんの~」はこっちでも放送していて人気があるようですね。
署名ありがとうございました。

shosen様
ごぶさたしております。
この件、shosenさんのような職に就かれている方は
心に差し迫ってくるものが重く深いのではと思います。
中華思想は中華人民共和国成立以前から脈々とあります。
自分たち(漢民族)が最も優れている、というのが根底、
漢民族が世界の中心となる、というのが理想なので、
それだけではないとは思いますが、そうでもあると思います。

ごぶさたしております。

チベットの件に関しては、残念な気持ちと、どうして中国はこうなんだ・・というどうにも不思議な気持ちと入り交じります。
いわゆる中華思想というのは、共産党以前からあったものなのでしょうかしら。今回の根っこにあるのは、それだけではないような気もしますが。。。

先月以来ずっと気になっていたチベットのこと。チベットの人々に対して行われた暴力について考えると本当に心が痛いです。

今回のことも中国が日本社会の中にいかに入り込んでいるかということがよくわかる出来事のひとつですね。善光寺の判断は本当に評価に値するものだと思います。
関西テレビの"たかじんの~"でもこの問題については相当言っていますね。

一般の私たちにできること、ひとつでもいいからしていきたいと思いました。最初の一歩にと署名させていただきました。

i様
そうですね、不感症もいますね。
イギリスBBCの論調は、日本人は不感症という前提で、
静かな善光寺の決断を評価していました。
署名ありがとうございます。

lilla様
欧米は中国製品の品質については日本よりシビアに見ていますね。自社の中国製造についても、体制が日本とは異なります。無関係なものごとに冷淡な割には、自分の生活のレベルは落としたくないから娘の手術代をカンパしてください、というのにはすぐ募金する人がいるのも興味深いです。政治的にも思想的にも仕事でも中国と無関係という人でも、生活のあらゆる場面で中国と大きく関わっているわけですから、ちょっと悪人的な言い方になりますが「もっと相手を知る」ほうがいいような気がします。
署名ありがとうございました。

LIN様
音楽いいですよね。ダンスだということがよくわかる音楽です。
マレーシアでの事件、NHKの報道がさっそくネットに流れています。
http://jp.youtube.com/watch?v=4KhLQp8uRW0
100人に蹴られて「怪我はない」わけがないと思うのですが。
日本にいる中国人が、先端の尖ったポールにつけた国旗と、水の入ったペットボトルと、ペンを持って長野に結集するようですね。学生バイトの聖火警備隊もいますし、どうなることやら。中国は共産思想というより思想(の自由)を許さぬ全体主義ですね。日本政府もメディアも実態は知っていますよ。報道しないだけです。日本人が対外的に強く言えないところは、悪くもあり良くもあると思うんです。環境(ビジネス)については完全に主導権をヨーロッパに握られましたが……。
署名ありがとうございました。


※記事に、善光寺の辞退についての各国主要メディアの報道を追加しました。

署名してきました。
あのサイトの音楽、いいですね。
しかし、こういう時、日本人は(自分も含め)事なかれ主義で
ダメですね。
そんな中、マレーシアで「フリー・チベット」と叫んだ日本人が
100人近い中国人に取り囲まれたとか。
中国人は、長いこと共産主義に支配されているからか
国家が「右向け右」といえば右を向くところが問題だと思います。
カルフールボイコットも集団ヒステリーですよね。
中国に出店している日本の流通業者は
今頃、日本政府やマスコミによけいなこといわないよう、
圧力かけてるんですかね?

署名してきました。

不感症、言いえて妙ですね。確かに日本人は妙な被害感情は強いのですが(例えば、毒餃子の際、あるブログでは「日本の発信力なんてゼロ。オリンピックのときに多数の欧米人が食あたりで苦しめば、やっと欧米が中国食品の非道さに気づく」なんてことが書いてあり、アホか、思ったことがあります。例の事件はCNN,BBCでちゃんと取り上げられていたのですがね。もっとも既に中国製品や食品で中毒を起こした人はアメリカ、カナダなどで存在し、社会問題になったという事実もあったりします)
そのくせ、自分とかかわりがない(と思われること)には冷淡という実に浅はかな人が多いように思います。

マゾてより不感症なのでは。
署名しました。
あなたも立派だと思うよ。
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