素材としての国産漆と中国産漆の違い

日光東照宮の建て替えで、日本産の漆が使われることになった。

寺社仏閣は定期的に建て替える。日光東照宮は、前回の改修で中国産の漆を使ったそうだ。しかし、中国産の漆は劣化が酷く、今回は高価でも国産の漆にしようということになった。劣化が酷いということはメンテナンスや補修に手間とコストがかかる。それだったら最初からまともなものを使おう、というのは良識ある判断だ。さすが徳川の鬼門。
以前テレビ番組で鹿苑寺金閣の改修を取り上げていた。あの金箔の下は漆だ。金閣も日本産の漆を使った。番組では日本産の漆と中国産の漆の違いを判りやすく紹介していた。日本産の漆をかけたものに硬貨をこすりつけた。すると、漆は何ともなく、硬貨が摩耗した。一方中国産はというと、ご想像通り、漆塗りに傷がついた。

漆器を品定めするときのひとつに、指ではじいてみる、というのがある。嫌がる漆器屋は多い。そりゃまあ売り物なんだから嫌かもしれない。傷がついたら売り物にならないし、そんな人は冷やかしとしか思えないし、とっとと買ってってくれ、買わないなら触るな、という感じなのだろう。でも、これがいちばん判りやすい。だからこそ、中国産の漆で作っている漆器屋は嫌がるのだ。ほんものの漆器は、爪くらい立てたところで何ともない。漆器を作っているとき、細部を微修正したくなるときがある。だが、下地を施してしまったら、かたちを変えることはできない。刃物のほうが弱いから、まさに刃が立たないのだ。

中国産と日本産は違うのかと、さまざまな位相で訊かれる。中国産の漆で塗っている職人や、中国産の漆で塗られた漆器を扱っている小売の人なら「同じですよ、国産が高いのは人件費が高いからです」と答えるだろう。イベントなどで、私のそばでそう答えている人がたくさんいる。卸や小売などは、そんなことはどうでもいいから(同じ見た目のものを)もっと安く作れないかということばかり気にしている。中国産といっても樹液の採取を中国で行っているだけで、精製や加工は日本で行われている。まあ同じといえば同じだ。しかし、まったくの別物だ。

まず見た目。艶が違う。艶が違うのは、潤いが違うからだ。だが、漆器従事者にしたところで違いを見分けることができない人のほうが圧倒的に多くなってしまっている。作っている人がそんな有様なので、購入する人は絶対に判らない。そのため嘘がまかり通っている。このあたりについては日本人よりもヨーロッパの審美眼を持った人のほうが見極めが早い。

次に、作り手側から見た場合。日本産の漆は「しゃばしゃば」しているのに、固まると硬い。中国産の漆は「ぼてっ」としている。この差は、できあがってから顕れる。日本産の漆で塗った場合は、薄くて硬い表面になる。中国産の漆で塗った場合は、厚くて柔らかい表面になる。蒔絵を施すものは、上塗りだけでも日本産だけにすると仕上がりが全然違う。私は凛としたたたずまいの器が好きというか、それが私の器のイメージとなりつつあってうれしく思っている。なぜそのようなイメージになるかというと、使っている漆の違いが大きいわけだ。同じかたちでも、中国産の漆で仕上げたら、どんくさい代物になることは実際にやってみたことがあるので痛感している。ひなびた雰囲気で清潔な、でも一般人には手の届かない暮らしを紹介する雑誌(クウネルとか天然生活とか)に頻出する根来(に見せかけた)椀は、中国産ならではのたたずまいである。それを「どんくさい」と思うか「ほっこりしている」と思うかは人それぞれなので別にどっちがどうというつもりはない。

見た目が違い、固まり方も違うのは、なぜか。成分比率が違うからだ。主にゴム質の含有率が違う。中国産の漆はゴム質が多い。そのため、色艶は鈍い感じになり、厚ぼったいのにしっかりしていない感じになる。ゴムは、古い輪ゴムがちぎれやすくなるように、劣化する。日本特有の分類に当てはめると理系でも文系でもなく芸術系の私なので、この手の話はそれくらいのレベルでしか解らない。劣化の酷い中国産の漆といえど、使ったらすぐに洗って拭いて保管する食器なら劣化の差は僅かかもしれない。しかし建築物や家具を毎日水拭きして乾拭きする人はほとんどいないだろう。

私は「それは何故か」を10回くらい繰り返すのが好きなのだけれど、漆の違いについては「なぜ成分比率が違うのか」が、土地と気候が違うから、で終わってしまった。考えられることはいくつかある。でも想像なのでどれがほんとうなのか判断つかない。誰か教えてください。厳密に言えば、苗の育った土地によって性質が違う。植物なので当然のことだ。米や野菜や酒と同じ。「瀬戸物」という言葉が安価で粗悪な焼き物という意味になったのは、瀬戸の土がそういう土だったからだ。今は違うけれど。そしてもちろん、国産漆といっても一括りにできる訳でもなく、産地によって成分比率が異なる。成分でいうと、茨城の太子漆が、日本の漆と言える。生産量日本一の岩手浄法寺は、太子漆と比較すると、中国産の漆に近い。それが何を意味しているかは、言わずともお判りになるかと思う。

中国産の漆ばかりが出回っているから、漆器は手入れが大変というイメージとなっている。このことに関しても、やっぱり「10年使えば判りますよ」としか言えないのである。大切にしまっておくのは、丁寧に扱うこととは違う。傷がつきやすいと思われてしまっているから、何かあったときのハレの場に使うもので、ふだんは使わないものになってしまった。本来、漆器は、もっとがんがん使える。

とはいうものの、日本産の漆は高価だ。2007年夏の時点で、黒のスグロ目だと、一貫目(3.75kg)が、中国産で6万円(もっと安価なものもある)で、日本産が34万円。だいたい現時点で10倍の開きとなった。東照宮によって今はほんとうに入手できない。浄法寺の漆はさらに品薄となり、さらに値上がりを続けると言われている。

浄法寺の漆が入手困難になったら、そりゃ他の産地のものを探すことになる。というわけで、秋田の漆を少し貰って見てみて使ってみたら、これが想像とは裏腹に良かったこともある。かちっと固まって、丈夫で長持ちしそうな雰囲気がぷんぷんした。ゴミがほとんど混ざっていないのも、丁寧な仕事で好感を持った。某一大生産地の漆を買ったら、三分の一くらいゴミなんじゃないかっていう桶入り漆にあたった(というかハズレ)こともある。量産体制は目が行き届かないのか、技術なのか、その程度でいいと思っている職人のふりした商売人なのか、理由はよく判らない。

流通にのる日本の漆産地は、事実上現在は岩手の浄法寺(現在は合併により二戸市)だけとなっている。漆は高価だけれど、採取する人の賃金は、大卒初任給よりも遙かに低い。想像通り、人手不足だ。東照宮で使う漆の量は4トン。岩手では、1年に1トンという、そりゃまあそうだろうなあというざっくりとした試算で出荷の計画を立てている。これは、日本産漆の年間流通量とほぼ等しい(私だけで年間約4キログラム近く使っていることから、それがどれだけ市場に流通している漆器に比して少ないかお解りいただけるかと思う。ちなみに山中だけで私と同じ業種にあたる「漆器屋」は150ある)。そのため岩手県では、漆掻きをする人を集めている。で、集まるのは結局、生活の土台は年金で、ボランティア感覚でやってくれる高齢者ばかりだそうだ。どうも中間搾取してる人がいるような気がするのだけれどね。岩手は、そういう流通構造を廃し、漆掻き職人が直接販売までできる体制を整えたほうがよろしいのではなかろうか。そうすれば市場価格は変わらず、漆掻き職人の収入は倍になる。

私が作っている漆器は、だいたいいつも中国産が7割に、日本産を3割混ぜる。ウイスキーの水割りは水かウイスキーか、ということと似たことなのかもしれないし、まるで違う話なのかもしれない。日本産を半分に増やしても、艶や潤いは変わらない。化学的な作用については全く知らない。というわけで、私はそういった感じのブレンドを使っている。気持ちとしては、できれば完全な日本産にしたい。でも、そうなると非現実的な価格設定になってしまう。

国産漆100%で漆器を作ることは、簡単だ。何も考えず、国産漆を仕入れ、それを使えばいいだけだ。それがボテッとしていてゴム質が多いものであろうが、潤いがあって締まるものであろうが、国産漆100%であることが最も大事なのだから、国産漆100%なら何でも良いのだろう。それはともかく、ただ単に、そんな高価なのを自分の普段使いにする層が極めて少ないから、市場にないってことに過ぎない。私はいくつか作ったことがあります。

下地も下塗りも上塗りもすべて日本産の漆を使った場合、私が手がける最も「ふつう」のお椀(国産木材を燻煙乾燥して下地は能登産地の粉と京都山科産砥の粉を使い、水や混ぜ物をしない堅地で、布着せして、それでいながら9000円)のお椀は、5万円台前半あたりになる。3万円台の応量器は10万円を軽く超えるだろう。「国産漆だけで塗っている」と謳っている作家や工房は多い。しかし、最後の最後、上塗りの最後だけ、日本産の漆100%で塗っていることがほとんどだ。下地や下塗り、そして上塗りの最後を除いた工程は、日本産を混ぜてあれば良いほうで、中国産100パーセントという人もいる。なぜそんなことが判るのかというと、仕事場にあるのはチューブに入った日本産と、大きな桶の中国産、ということがあるからだ。こういうこともあるから職人や作家は仕事場を見せたがらなかったりするわけです。割って工業試験場へ持ち込んで成分分析すれば一目瞭然なのだけれど、高価な作家ものをそんなことする人などいるわけないので明らかになることは永遠にない。そして今日も「国産漆100%」と謳った漆器がネットショップなどにドヤ顔で鎮座している。

岩手では、東照宮を契機に寺社仏閣への営業を強めていこうという意見もあるらしい。とてもすばらしいことだと思う。でも、私たちが使うぶんは今まで通り流通してほしい。現時点ですでに漆の流通量に占める中国産の割合は95パーセントとも99パーセントとも言われている。これから東照宮の建て替えが終わる4年間、国産の漆が不足する。すでに品薄状態で価格が高騰している。私としては、材料価格の変動に合わせて商品価格を改定するわけにはいかない。

ともあれ、浄法寺はタバコの栽培なんてとっととやめて、漆の木を絶やさないでほしい。縄文時代から漆は栽培されてきた。日本産の漆がなくなったら、日本という国は大きなものを失う。岩手は税金をぶちこんで漆を採取する人に賃金を出し、都心から来た人を無料で育て、住まいを与え、1000年後も漆を採取する光景が日常であるようにしていってもらいたい。これらはたぶん、だぶついている地方公務員(平均年収700万円超)を10人減らせば可能なはず。ビジネスとして考えるから成り立たないだけだ。心情としては、規模は小さいながらも資源メジャーになる可能性を秘めているのに、何をしてるんだ岩手は、という感じである。

話は逸れるが、日本は対外的に日本のものを輸出することに関して不器用だ。私の顔がいけないのか声色がいけないのか原因は分からないけれど誰も信じてくれないことのひとつに、アメリカ合衆国ではウーロン茶はおろか紅茶よりも日本茶の輸入量が多い時期がかつてあったというのがある。teaといえば緑茶のことだった。これはアメリカ合衆国が成立する経緯とも関わっていて、紅茶は好まれていなかったというのも理由にある。輸出側の日本から見ても、1875年における日本の輸出総額では何と3分の1以上がお茶だ。でも今は壊滅状態。お茶といえばインドと中国。絹も綿も負けた。漆器も、19世紀末に欧米へ広めるチャンスがあった。でもやっぱり駄目だった。話を戻す。

個人で漆を栽培して採取して漆器を作っている人もいる。山中でも漆の木を育てているグループがいる。また別のグループ(漆器従事者の組合があり、そこに部署を横断した「漆部」なるものがあるのだ)は、何故か中国から輸入した漆を山中で精製している(同様のことをしている漆器産地は他にもある)。そのことをブログにアップする行為は間違いだ。漆の木を育てているならまだしも、これでは紀州の梅干しが中国産なのと変わらないことになぜ気づかないのか全く不思議である。そんなことは即座にやめてもらいたい。中国産であることを隠して、観た人が「へえ、山中は漆も自分たちで精製してるんだ、すごいね」などと思うと思っているのだろうか。自分たちが世間知らずなだけであって、生活者のほうが厳しい目を持っている。そんなことで騙される人のほうが多いと思っている時点で終わっている。樹がないのに漆はある。じゃあその漆はどこから来たの? そこの紹介がないね。どうして仙台は牛がいないのに牛タンだけはたくさんあるの? という人びとの自然な思考回路の働きさえ想像できないのだ中の人は。なので間違いなわけである。では何故中国から生漆を輸入して山中で精製しているかというと、漆部というのは営利目的の事業であり、単に安く上げたいからに過ぎない。でも質が低いので下塗りに使えるかどうかという代物だ。ただこれは技術的なことなので、今後向上すれば、質が高くて安いというものになりうる。話が逸れた。

漆を栽培している人はいる。しかし、それらのどれもが、生産量が少なく、ということは品質にムラがあり、駄目な年は駄目なはずなのだけれど何故か毎年作っていて同じ価格か微妙に値上がりしているし、黒や朱を作るとなると毎回違う色味になり、精製の技術が未熟なために不純物が混ざっているけれどむしろそれを手づくりの味わいなどとエクスキューズして、早い話がいまいちだ。ポーズや自分の漆器の価値を上げようという気持ちではなく、真剣に取り組んでいる人がいるかもしれない。そんな人に対して言う言葉ではないかもしれないが、私から見ると、素人の蕎麦打ちのようなものに映る。

「ぜんぶ自分で作りました!」と言われても、プロセスが結果を左右することはない。世間一般の認識では、いちばん頑張った人がいちばん、という感じがある。しかしそれは順番が逆だ。いちばんの人がいちばん頑張っているのは当然なのだけれど、いちいちそんなことを世間にアピールしない。私は「がんばる」とか「真剣」なんてのは評価に影響されず(もっと厳しいことを言えば、がんばって仕事したり真剣に取り組んだりするのはあたりまえのことだし、そういうのを聞くと「何自分だけ頑張っているかのような勘違いをしているんだこの人は」と思うし、がんばっているのは仕事そのものではなく金もうけなのではとさえ思うこともある)、すべては結果だと考えている人間だ。さらに、漆器においては、ほんものであるか偽物であるかは何年も使わないと判らない。それこそが「結果」だと考えている。できあがった時点で結果だなんてちゃんちゃらおかしい。

日本は、他国にウルシノキの育て方や精製の仕方などを指導する必要などない。そういうのは観光客向けにやるだけでいい。ノウハウを外に出すことは自分の命を縮める。話は飛ぶが、ビリヤードのキューは日本の某メーカーが世界でも評価が高い。そのメーカーも、廉価なものは中国で作っている。しかし、何年使っても曲がらず、折れることなく使える高品質なキューは日本で作っている。同じ「木」だ。そこにはノウハウがある。中国の工場が「自分たちも優れたキューを手がけたい」と言ってきても作らせなかった。そここそが最も大切だと判っているから、安価にできると知っていてもノウハウを伝えない。だから日本は世界に誇るキュー製作の技術を保持し続けている。何年か前の日経ビジネスに載っていた。雑誌とは、そういう異業種のストラテジーをベンチマークのように学ぶものであって、いま何が売れているかとかなどを知るものではないし、そんなの知りたければ自分が街に出ればいいだけだ。それはともかく、中国に伝えてしまった漆器業界は、とりかえしのつかないことをした。即物的で、売れるものは安いものとしか考えておらず、売れないから価格を安くすることしか考えず、そのためには品質などおかまいなしで、たくさん作ったからどこにでもあふれ、ただでもいらないものに成り下がった。本来数値化できない日本の技術を中国へ流出してしまったのは愚かな行為だ。

少し前まで、日漆連という日本の漆業界を牛耳っているのかいないのかよくわからない組織のトップは、プラスチックの弁当箱を作っている人だった。同じ形でも、赤や黒だと漆器、ピンクや水色だと弁当箱。どないやねん。ちなみに日漆連では、プラスチックに漆を塗ったものも「漆器」と定めている。なぜなら漆器っていうのは漆を塗った器であって、胎が木だろうがプラスチックだろうが関係ないでしょ、という言い分なのだ。それでいて、木にウレタン塗装したものは「合成漆器」という意味不明の名称をつけている。ちなみにプラスチックにウレタン塗装したものは「近代漆器」と呼ばれている。関西芸人の突っ込みが聞こえてきそうである。「いやいやいや、ぜんぶ漆器ちゃうやん、おこるでしかし」と。しかし、時すでにやすし(関西だけに)。誇りや矜恃以前に、恥を知っていただきたい。えーっと、漆器の話ではなくて漆の話だった。

私は注文があれば、木地固めや下地から全て国産漆100%で作っております。これまでで最も酔狂、いや傾奇者な方は、桐(柔らかいため、かっちり挽けない)を使って漆をたっぷり吸わせてくれ、と樹種の指定までした。ろくろ挽きなら山中漆器だし技術の話。どんな漆を使うかは素材の話。なので、国産漆を用いて山中で作るのがベストと判断したそうだ。それは当たっている。100年使えるか否かは、表面塗装である漆はもちろんのこと、骨格である木地と、筋肉である下地も重要。

国産漆が稀少となっている事実に関して、私の「気持ち」はというと、そりゃそうだよ何でもそうだよ、という感じである。周囲を見てみれば、実は何だってだいたいそうなのだ。なので声高に危機感を煽って買わせることもしない。稀少です! とか言いながらそれ売って自分が金儲けするのって、なんか根本的に矛盾を抱えてるような気がするんだよね。そして、最後の漆掻き職人になれば、それはもう大金持ちになること間違いなしなわけで、いまはその過程にあるに過ぎない、とも言える。
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コメント

B-CATS TOKYO様
はじめまして。コメントありがとうございます。

同じ「何かを生み出す」といっても、職人は創造性皆無で良いと考えています。言ってしまえば、機械ではできないことを司る感じです。有名な事例としてiPodの鏡面仕上げが日本の職人による手業であるように。完全に、第二次産業に含まれるものです。前衛的なものは芸術分野とされることが多いようですね。単に「いま」の奇を衒ったものなのか、振り返ってみたときに進化の過程へ含まれるものなのかは、芸術学におまかせするしかないとは思いますが。

服飾における心理学、何のことやらさっぱり判らないところがおもしろそうです。コーヒーは、雑味を徹底的に取り除いたものと、とんでもなくワイルドなもの、両極端が好きです。東京でコーヒーというと、かつての職場の近くにあって隔日くらいのペースで飲んでいたタンポポコーヒーを思い出します。

私は感性を信じていないのかもしれません。当然、自分の「感性」になど自信はありません。おまけに何でも分析的に見てしまいます。私は芸術家ではなくメーカーですので、感性を売ってお金をいただくという行為はできません。そもそも、感性って何? という感じなんです。なぜ言語化できないのかすら、納得のいく説明をいただいたことがありません。

というわけで、実際に会ったら質問攻めにするような気がしてなりません。私の質問攻めは「それはなぜですか?」を最低は10回繰り返します。それでもよろしければこちらこそよろしくお願いいたします。

漆の話、楽しかったです。

拝啓。

漆の話、大変勉強になりました。
また、それ以外の話も興味を持って楽しく拝読させて頂きました。
「物作り」・・・
“結果が全て”私もそう感じます。
ただ、私の場合は、物作りも職人芸的なものと前衛的な物で分けてはいます。
前者は完成度が全て、後者は完成度よりは発想重視という具合でしょうか。

まあ、前衛なので当然前例が無いため、完成度の高さはこれから追求するわ
けです。結局、進化論みたいなものだと思っています。

私は服飾分野(一般布~倒錯的な皮革まで)などを中心に心理学のメソード
開発の活動をしています。(心理学を芸術化するというか視覚化するというか
何というのか。ようするに感じやすく見やすくする、という前衛概念です。)
Kotaniguchiさんの話、一度生でブルーマウンテンコーヒー片手に聞いてみた
いものです。
いや、私なんて感覚的に思考していますから、理路整然としたKotaniguchiさん
の話がとても魅力的に感じるのですよ。
もしも東京の都心界隈にいらっしゃられることがあって、さらに私のような
無名アーチストで差し支え無ければ、是非よろしく・・・。

                                    敬具。


?様
たくさんのページをご覧いただきありがとうございます。
非公開のコメントも拝読しました。

いやー、正直言って人間でいることが厭になることもあります。
でもまあそれはお伽話なので置いときます。

コメントを何度も頭の中で理解しようとしましたが
「私の人間性を貶めることは人間として間違っている」
ってことになるのでコメント全体が破綻していますよ。

「こいつは他人を批判する。だからこいつは人間として間違っている」
と?さんが誰かに言うこと。
今の場合の誰かは、このブログをご覧になっている方すべてです。
世間に向かって「自分が人間として間違っている」と
自分でおっしゃっていることにお気づきでしょうか。

でも意図はだいたい解りますのでだいじょうぶですよ。

問題にされているのは内容ではなく書き方、
ということでよろしいでしょうか。では訂正いたします。
「阿呆」「馬鹿」ではなく「愚かな行為」である、と。
でもひとつの文章に同じ単語を何度も使うのは文章作法として×なので
?さんの言葉をいただいて、ひとつは「間違い」にしますね。

誹謗中傷でおもしろおかしく書き立てて、
下品な人間を喜ばせる、という意図はありません。
もちろん、何を書いてもいいとも思っていませんよ。
「阿呆」とか「馬鹿」とかいう言葉で濁しているんです。
レポートのような客観叙述で実名を書いたほうが良いんですかね。

?さんは私の人格批判をなさいました。
私が人格批判をしているわけではないことは、
お読みいただけばお解りになると思っていました。
言葉が足りなかったようで、反省しています。

漆の精製に携わっている人や、中国の工場から仕入れている人とは、
実際にはふつうに接しています。ご期待に沿えないかもしれませんが。
ある行為をもってその人そのものを否定することは、
どんなに人徳者でもしてはいけないことだと考えています。

嘘や隠しごとをして自分たちの小さな村を守ること。
ガソリンを「みんなで値下げしないように頑張っていた」と平気で言える、
生活者のほうを向いていない福井の企業たちのように。
欺瞞だらけの輪の中に浸かりきるのが「人間性」ならば、
私は人間性なんていらないです。
こっちから投げ捨てます。間違いで結構。

でもこれからは控えめにしますね。内容は変えず、文体は。
私の器を選んでいただいた方の「人間性」まで疑われるのはいやですから。
まあ、そんなこんなでありがとうございます。

いただいたコメントの、ふたつめの内容について。
つきつめて考えていくと、コメントを残すという行為をとった
?さんご自身のことも指してしまうことにお気づきでしょうか。
ちなみにひろさんからはお礼のメールを頂戴しましたよ。

ともあれ、人間性についてご立派な考えをお持ちのようですし、
会ったこともない人の人間性を云々おっしゃることのできる方なので、
一度遊びに来ていただけたら為になってありがたいと思っております。

敬愛するピアニストのブログの、とあるページのコメント欄、
URLを貼っておきますので是非お読みください。
http://makoppo081.blog52.fc2.com/blog-entry-141.html#comment

一言

ブログだから何かいても自由なのか?
人のやってることに対して阿保とか馬鹿とか言うのは
人間として間違っている。
どんなにすばらしい作品を作ろうが人間性が伴っていないので
は話にならない
漆に関する薀蓄言う前に人間性を磨きなさい
以上

i様
ありがとうございます。
でも何か違うんです。
年越し蕎麦を食べるのを楽しみにしながら紅白を観ていたら、
いつのまにか寝ちゃった。
で、起きたら時すでにおせち、
といった感じのやつなんです。
上の改変したものなのかな。

もう探さなくていいですからね。

みつけてきたよ

それよりこの間紅白見てたんだよwww
そしたらさwww俺ったら途中で寝ちゃってさwww
目が覚めたのは次の日の朝ww
時すでにおせちってねwwwwwww
やかましいわwwwwwwwww


それより今日スーパーでおせち買ってきたんだよwww
そしたらさwww賞味期限切れでさwww時すでにおせちってなwww
おめでとうございますwww



i様
私はこれも好きです。

それより修学旅行行ってきたんだよwww
そしたらさwwwサービスエリアでバスガイド置いてっちゃってさwww
バスガイドを置いてバスが移動ってなwww
やかましいわwww


おせちのやつも好きなんですが見つけられませんでした。

>時すでにやすし

それより今日スーパーでお寿司買ってきたんだよwww
そしたらさwww賞味期限切れでさwww
時すでにお寿司ってなwww
やかましいわwww
非公開コメント