FM-N1/fill in radio from KAGA

ラジオのゲストに出た話。
本題に入るまで長いです。
山代温泉にあるバー、スイング。みんなジャズバーだと勘違いしてるけどうちはカクテルバーなんです、と何度聞いたか分からぬが、みんなそう思っているのは店の名前がSWINGだしジャズライブもやってるんだから致し方ないよ、それに名前をつけたのは自分なんでしょ、何がしたいのよ、だったらシェイクとかスプーンにすればよかったじゃない、と、なぐさめているふうに見えて問いつめたくなり、実は心の中では居酒屋だと思っているんだけどね、などとは口が裂けても言えない。というか口が裂けても滑舌の良い人なんているのだろうか、いや、見たことない。そんな「カクテルバー」のオーナーバーテンダー、東さん。私は彼のことを「往生際の悪いM」だと思っている。私が思っているだけであって「彼はこういう人物だ!」と世界に訴えかけているわけではないし、人によって印象は変わる。ほんとうはスマートな紳士なんだろうけど、私が破壊しているのだろう。

私は、東さんが一緒に暮らしている犬君に吠えられる。でもまあ私はうちで飼っている犬君にも吠えられるし頭を撫でようとしたら手を噛まれたこともあるので、屋内でなく庭で暮らすワイルドなミニチュアダックスフントに吠えられるくらい別にいい。人様の庭で寝っ転がって腹を出してまで心を開いたので、やれることはやったと思っている。食べ物で釣るのは簡単だが私の流儀に反する。動物も、子どもも、女性も。東さんとは夜中に腹ごしらえすることもあり(東さんの奥さまには内緒)、奥さまの実家でごはんもいただいたこともあり、山に登るといえばついていき、店には私のグラスを置いてもらっていて、要は一方的にあつかましくしていて、良く言えば仲良くしているわけだ。

東さんは石川のコミュニティFMでラジオ番組を持っている。私はメディアの取材を受けるとき、メディアの規模や内容によって、話すことをころころ替える。ほんとうのことを言っても記事にならないことが判りきっているからで、ほんとうのことでないなら何だって同じという気持ちである(事実と異なることは言わない)。それはメディアなのでいろいろと仕方のないことで、だから私はブログをやっているとも言える。そんなわけで東さんのラジオならふだん抑えていることを全部ぶちまけることができるかなと思い「娘をくれ」と10回言ううちの1回くらい「ラジオで喋らせろ」と言ってみたら娘のことについては無回答だがラジオで喋らせてくれた。メディアに掲載させろと言ったのは生まれて初めてである。で、喋りすぎてしまい漆器の仕事につくまでの話で大半が終わってしまった。それで2回に亘る放送というのだから、不幸にも前半だけ聴いてしまった方にとってみれば漆器屋なのか何なのかさっぱり分からないだろう。私はオオカミに育てられたわけでもないし、バルセロナで金メダルを獲ったわけでもない。どこにでもいる人間の成長期など聞いたところで何の役にも立たない。そんな器の大きい番組スポンサーがどなたなのかはラジオを聴いたことがないので存じ上げぬが、私が購入できるものであれば購入したい。住宅メーカーや学校だったら購入できない。

番組のブログには、ゲストの仕事をしているときの様子や収録のときの様子が毎回載っている。顔が出ないということは残らないところがラジオの良いところで、私はテレビだったら自分から出たいなどとは思わない。ところがブログがあって、だいたいいつもみんな顔が載っている。顔が判る画像をネットに載せないでくれと言ったら、往生際の悪いMである東さんは何か言っていたような気がするけれどしぶしぶ了承されたようで、収録時の撮影は後ろ姿だった。いきなり撮られていたらビョークになったかもしれない。そんなわけで紹介ページはこんな感じになっている。

私は狐の皮をかぶった狼なのだけれど、東さんは羊の皮をかぶった羊であり、それこそが多くの人に慕われる所以だ。誰も彼をジンギスカンにしようとは思わない。ふかふかの毛に包まれて心地よくなる。まさに、眞木準(それとも西村佳也だったっけ)が考えた名コピー「さわってごらん、ウールだよ」が持つ空気感そのものである。そして東さんの毛はアンパンマンのように減っていく。それでいいと本人が思っているから、物事はそうなる。

話は逸れるが、このコピーのすごいところは、ウールを他の単語に差し替えるとおもしろおかしくなってしまうところだ。「さわってごらん、漆器だよ」とか「さわってごらん、カルティエだよ」とか「さわってごらん、エコバッグだよ」とか「さわってごらん、冷やし中華だよ」とか「さわってごらん、仲間由紀恵だよ」とか「さわってごらん、JR東海だよ」とか「さわってごらん、わたしの脚だよ」とか、さわらなくても見りゃ分かるし、言われたからといって触りたくなる気持ちが増すわけでもない。最後は何だか女王様っぽくなるが、男に替えると変態になる。なぜなんだ。それはともかく、私は、単語の差し替えがきかないコピーこそが、コピーだと考えている。何にでもあてはまるのはコピーではなく「感覚的」な「センス」があると思わせているだけの凡庸な文章に過ぎない。毛皮やシルクの業界は、やられたと思ったに違いないのか違うのかは私には判らない。

セルジュ・ゲンズブールは「私は写真に写るのが苦手だ。太陽の下では、アドニスくらい美しくないと」と言った。彼は基本としてミュージシャンなので、ジャケットには彼の写真が使われることもあった。しかし私は、私を前面に出す職業ではない。箱に作った人の顔写真が印刷されたものなどない(やってみたらブレイクするかもしれないので誰かやってみてほしいような気もする、と思ったけれどフィリップ・スタルクがやっていた気もする)。そして、私はアドニスのように美しくないし、ゲンズブールのように良い顔にもなっていない。まだ若く、緩い顔だ。私が理想とするのはセリーヌタピオ・ヴィルカラのような深い顔だ。なのでまだ顔写真は基本的にお断りしている。たとえばこのページは、左の二重線の四角に顔写真が入るフォーマットなのだけれど私がお断りしたからこうなっている。

東夫妻の話を引き出す技術にはまってしまい、というか、このおふたりと一緒にいると雰囲気がそんな感じではなく品があってスマートになるので、ほんとうにまずいことを話すきっかけを見事に奪われた。といったことをここで書いていては、私が往生際の悪いMである。で、ああ、このままでは気持ちが落ち着かない、SWING行って東さんをいじくらないと、というのも彼の作戦のうちなのだ。そんなわけで彼は手練れのバーテンダーだ。



店に置いてもらっているのは、ヒキハリの、かみ合わせが悪いもの(グラスと漆器の名誉のために付け加えると、かみ合わせがうまくいかないのはグラスが真円ではないためで、漆器は真円である。でもそれはコンマ数ミリの世界なのでガラスが悪いというわけではないし、このグラスがかなりの精度であることも解っているし、でなければ漆器と組み合わせるときに選ばない)。このグラスは電球製造の技術をグラスに応用したもので、厚さは0.9mmしかない。世界中のどのグラスよりも薄い。ということは飲み口がシャープで、きれが出る。カクテルに最適だ(霞町にあるウォッカトニックのウォッカトニックが美味しいのは、グラスが薄いのも相当に影響しているはずだ)。と言いながらスイングではフランジェリコカンパリサザンカンフォートなどリキュールのロックばかりなわけですが。

ちなみにこうした甘ったるい酒を飲む男は悪い男なので世の淑女はお気をつけください。バーボンやスコッチを渋く飲んで決めてるつもりの男なんて自分に酔ってるだけなので無害です。甘い酒を飲む男は「愛してるよ」なんて挨拶代わり。グラスを口に運ぶ回数と同じくらい「愛してるよ」とキスをローテーション。女性を追いかけるくらい恥ずかしくも何ともない。頭の中にはラテンの音楽が流れている。ふたりで地中海を旅行しているところを思い浮かべて楽しくなっている。雑誌を読むなら女性誌である。対してハードリカーを飲む男はトレンチコートの襟を立てたハードボイルドなのでそんなこと言わない。女性を追うこともない。パーソナルエリアに入ってきた女性にだけ、いきなり「行こうか」とか低い声で言うと相場が決まっている。どこへ行くのかハードボイルドでない私には判らない。彼らはグラスとタバコとヘミングウェイの文庫本をローテする。頭の中にはピアノトリオが流れている。メロウなジャズの旋律によって過去の記憶が呼び覚まされてメランコリックになったりしている。雑誌を読むなら「男の隠れ家」である。ハードボイルドな男は大人の女性との一夜限りの逢瀬を求めているのだけれどハードボイルドなので自分からは動けない。女性が寄ってくるなんてのは映画の中だけで、隣同士の子どものために勉強部屋を作るタッチくらいありえない。女性とどうこうしたかったらそんなところで酒を飲んでる場合ではない。そこまで思っていない女性と知り合ってもお酒をごちそうするくらいで、一夜限りの逢瀬を望んでいたはずなのに何故か次につながるメルアドをほしがり、そんなこんなで「いい人」に認定されてしまい、それはそれで俺は女と寝るのが目的ではないと方針を変更して自分を納得させる。なので軽薄な甘い酒を飲む男の言動が忌々しい。でも自分を正当化させるために男たるものうんぬんかんぬんとご託宣を述べる。

ものすごい決めつけである。

これは私専用だけれど、私がいいよと言った方は使うことができる。でも前述の通り薄いので、これでソルティドッグを飲もうとすると東さんの技量が試されてしまうので、絶対におやめください。また、黒摺りカップを使ってくれているので、これはまあカクテルを飲むにはどうかと思わなくもないが、どなたでも使うことができる。

周波数とか聴取可能エリアとかは、えふえむ・エヌ・ワンでご確認ください。

“カクテル”バーSWINGのページはこちら
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コメント

kyokyom様
おはようございます。コメントありがとうございます。
ラジオは私も聴けませんでした。
日本だと矢作俊彦がハードボイルドの典型として非常に完成度が高いと思っております。特に言い回しが秀逸です。完成度が高いと私はどうなるかというと、笑ってしまうのですが……。スペンサーシリーズは「初秋」を読んだことあります。ハードボイルドを「男の美学」とか言うのって、男性だけなんですよね。amazonのレビューにしても、ブログにしても。研究しているのは女性のほうが割と多い印象です。あくまでも印象です。

グラス、薄いのに頑丈なところが機能に徹していて好きです(出たばかりのころにセットを購入しています)。薄いと「美味しく」なるというよりも、受け手が鋭敏になるというのもあると思います。グラスで味は変わりますね。マグカップで麦茶、ワイングラスで蕎麦湯、うーん。香りも味とすれば、シャンパングラスやワイングラスのバリエーションのように形も関わってきますね。「こっくり」としたお酒や、甘口で濃い味のお酒には、口当たりが厚めのもので、中で転がる感じの形(うまく説明できません)が向いているような気がします。厚いのにも滑らかでつるつるしているものと、でこぼこしてざらざらしているのがありますし、まろやかになったのはお酒と器の相性が良かったのでしょうね。こういう「あれっ!?」ていうのは楽しいですね。

厚めでまろやかといえば、お茶碗で常温の酒を飲み始めたら依存症への危険ゾーンですが、もともと「茶碗」というだけあって飲み物をいただくカップだったわけで(陶磁器には「酒茶碗」もあります)、なかなかまろやかです。さらに歴史を遡れば、丼くらい大きな碗に持ち手が両耳のようについているのをむんずとつかみ(昔の中国が舞台の漫画に出てきそうなやつです)、飲んでいたはずです。位が高いと脚が長く繊細になっていきましたが、当初のものはまろやかではないかと想像しております。

kotaさん、こんにちは。
うわー、ラジオ聴きたかったです。残念です。。
ハードボイルドな人間をおちょくった文章楽しませていただきましたー。
それにしても、ハードボイルドな小説を読むとなぜか全然ハードボイルドに思えなくてその珍妙な台詞に思わず吹いてしまいます。
ハードボイルド小説でない本に自分のイメージするハードボイルドな精神を見たりしてしまうことの方が多いです。
などと書きながらそういえばスペンサーシリーズにはけっこうハマっていました^^
あ、でも日本のハードボイルド小説とはちょっと違うような印象を受けました。

唇が切れそうな薄いグラス、とても気になります。グラスでお酒の味ってかわるのですね。そういえば厚いお猪口で日本酒をいただくと少し味がまろやかだったような気もしました。

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