■パーソナル・インフルエンス

マスメディアによる大量の均一な情報よりも、
個人の意見を重視することは、よくある。
マスメディアは仕組まれたものであり、クライアントやスポンサーが背後に存在することを誰もが知っている。それよりは、信頼できる人の評価や、オピニオンリーダーが選んだものと同一のものを選ぶことのほうが、安心感がある。という考え方だったのだけれど、納豆や白いんげんやマイナスイオンなど、メディアによって猛威を振るった事象もたくさんある。

というわけで、現在ではマスメディアで発信される情報のうち、個人の意見が影響を及ぼす、というのに少し意味が変わってきた。なんのことはない、木村君がサーフィンをやればサーフィンが流行り、木村君がダーツをやればダーツが流行ったようなことだ。

この考え方が出来てきた背後には、マスメディアの限定性がある。

メディア側は、メディアを発信したことによって、生活者の中のオピニオンリーダーというよりマーケットリーダー(=流行を先取りし、おいしいお店を知っていたり限定品販売情報を教えてくれたりと、購買行動で周囲に影響を及ぼす層)が反応し、次第に広がっていく、と思っている。しかし実際は、メディアの中にいるオピニオンリーダーが、メディアを介して(メディアは「媒体」なので、そりゃそうだ)生活者に影響を与えている。ブームを作っているのはメディアではなく、個人だ。

このことは、メディアが一方では「公共性」や「ジャーナリズム」を自称していることからも逆説的に説明できる。メディアが言っている公共性とは、扱うものを平等にするわけではなく、単に誰もが享受できるものとして開かれている、と考えればすっきりする。

非常に洗練された広告手法には、パーソナル・インフルエンスを計算に入れたものがある。初期は、大衆の上に君臨するカリスマ的な「オピニオンリーダー」によって広がっていった。でも今は、何のカリスマ性も持ち合わせていない朴訥な人がマーケットリーダーにもなっている。それは商品のイメージと見事にフィットしている。そんな場合は、仕組まれているとは気づかれにくい。

関連記事

コメント

非公開コメント