■ピンチ

ピンチはチャンスと言われます。

ビジネス誌や成功体験を綴った自叙伝などに頻出します。
苦境に立たされたときにブレイクスルーがどうのこうの。
小泉純一郎氏も、総理時代からしきりに使っています。

しかし、ピンチはピンチです。ツンデレでも表裏一体でもペアでもありません。
何をしてもそれ以上酷くなることはない、という状況を指すのではない。
もっと最悪の事態をイメージできてしまうからこそピンチなのです。

真夜中。人里離れた断崖沿いの道をクルマで走っている。
ガードレールを突き破ってクルマが崖からまっさかさま。
幸いにも衝撃で投げ出された体は崖の途中にある木の枝に引っかかった。
これは平常時でもなくチャンスでもなく死でもなく、ピンチだ。

助かる可能性はゼロではない。でも、このままというのも困る。
そんな状態のとき、木にぶらさがっているときは、一体何のチャンスなのでしょう。

ピンチという宙ぶらりんの状態ではなく、
ほんとうに最悪の状況へ突き落とされたときに見いだした光明が、
ビジネス誌や成功体験を綴った自叙伝などで語られています。
それはピンチなんて生やさしいもので片付けられるものではありません。
「今思えば、あのとき木にぶらさがっていたからこそ、今の自分があるんです」
そんな人いない。もっと地獄を見ている。
崖から落ちて、生きていた場合、手術を受けてリハビリに励んだ人たちだ。
それはピンチではなく、一連の出来事に区切りのついた大惨事。

仕事でトラブルになる。お客からのクレームが来た。
その声を聞いて、商品や役務を向上した。ピンチはチャンス。
お客さま相談室や広報部があるくらい立派な企業なら、
クレームのない商品づくりと体制にしておくほうが先です。
それを当然としてやっているところは、そんな「美談」とは無縁。
わざわざクローズアップする必要のない、ふだんの営みなのだから。

ある企業が不祥事を起こす。ピンチである。
では、不祥事を起こすことはチャンスだろうか。
船場吉兆はチャンス到来なのだろうか。
サッカーの試合。5点ビハインド。ロスタイム1分。
監督は「ピンチはチャンス!」と思っているだろうか。

「ピンチはチャンス」は、苦境に立たされたとき、
そうとでも思わないとやってられない、というときに使われがちです。
人間心理の作用としても自然なことです。
しかし、そう思っているだけではチャンスになりません。
抜け出せたのは、時間が解決して、傷が癒えたからです。
チャンスはピンチの中に属するものではありません。
と、ありふれた結論になってしまいました。
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