TB44 種子を蒔くもの、花と緑の物語

アメリカのクリティークが考える「日本で最も美しい庭園」は、ここです。

お題に沿った本を紹介しあうトラックバック企画に参加します。今回の主催は美結さん。お題は、花とか植物とかです。詳しくはこちら。ちなみに私が種子という意味の英単語“seeds”を覚えたのはティアーズ・フォー・フィアーズ、つまり「恐怖に涙」という二束三文なポップソングを歌っていた人たちによってです。確か、ノエビアのグライダーが珊瑚礁の上を飛んでいました。その後、渋谷で堤さんの勢力が拡大していたときに「これのどこが種なんだ」という体験をしました。一方、五島さんの東急といえば「手」です。わけがわかりません。単なるネーミングだよと済ませるほど大人になっていなかったのでしょう。そんな渋谷の種子が後に阿部和重を産み落とすとは当時夢にも思っていませんでした。なぜなら夢は自分が知っていることしか見ることができないですから。

美結さんは環境のことや生活のことをいつも真剣に考えていて、ほんとうに頭が下がります。売上日本一、広告費日本一、私もユーザーだったりするまさに日本を代表する企業がエコ替えとか言ってて

「買い替えないほうがエコでしょ」

と全国で突っ込んでいる人多数の昨今。ちまたの「エコ」はすべてビジネスなんじゃないのかとみんな気づき始めているような感じがします。それはともかく、今回まっさきに思い浮かんだのはレーモン・クノー「はまむぎ」とパトリック・ジュースキント「香水」でした。

でも前者はタイトルだけと言ってしまえばそれまでですし、後者は香水の原料が花といってもさすがに遠いだろということで自分内却下しました。でも「においたつ」感じがいちばん強いのは「香水」です。あと、松本大洋の「Zero」も思いついたのですが、既に取り上げているので却下です。そして、蛇口から幻覚がもれてきて胸の中に花が咲いてしまう超絶想像力の「日々の泡」も外せないですが何といってもブログのタイトルなので却下です。

本は木からできています。インクも大豆由来のものが増えてきました。

※本の紹介という趣旨からずれています。

ロケ地:石川県加賀市塩屋海岸
海はもう夏ですね。これは完璧な自然の風景です。


ロケ地:石川県加賀市刈安山ふもと
このあたりは急峻なので人の手が入らず杉林がない。
私の朝のコースです。林道なのでクルマは駄目。


ロケ地:石川県加賀市鹿島の森
軽井沢ではありません。加賀市です。手を入れず、自然のままのすてきな森。
東京だと明治神宮が意図的に手を入れず、森になりました。
八竹で茶巾寿司を買って明治神宮。とても21世紀とは思えずいい感じです。
明治神宮の森についてはリンク先をぜひお読みください。


ロケ地:石川県加賀市法皇山横穴古墳群
6世紀後半から7世紀はじめにかけてつくられました。
自然をいじくるのも、これくらいならかわいいです。
しかし今でもこの姿というのはすごい。


ロケ地:石川県加賀市山代温泉栄螺堂
晴れた日は白山まで遠望できます。黄緑色はゴルフ場。


ロケ地:石川県加賀市某所
藤棚。鉄分たっぷりですね。
まじっすか、やばいっすね、確かに。(←DAIGO☆STARDUST


ロケ地:石川県加賀市某所
一体何を作るのでしょうか。土地は余りまくっているのに。
加賀市の人口密度は243人/km2で、全国521番目(2006年10月)です。


ロケ地:石川県加賀市片山津温泉柴山潟
おそろしいくらい芝生以外に何も生えていない。
湖沼から噴水。しかも夜はライトアップ。田舎のセンス炸裂。


ロケ地:石川県加賀市中谷宇吉郎雪の科学館
雪にちなんだ六角形の建物は、やっぱり強引でひび割れている。
しかもアプローチは芝生。


ロケ地:石川県加賀市山中温泉
渓谷沿いの、つぶれた旅館。
どれもだいたい1000万円で売りに出されています。
でも水道の配管を手直しすると数千万円です。


ロケ地:石川県加賀市南加賀道路建設現場
地形を見れば判る通り、トンネルを掘るためにトンネルを掘っています。
わずか10分短縮するだけの道路。またもや芝生。
かれこれ5年こっちでクルマを使っていますが、石川で渋滞なんて一度もないです。


キャスト;

ジョン・ケージ 「小鳥たちのために」
植物ではなくきのこで恐縮ですが、きのこはお肉屋ではなく青果店で売られていますし、カビキノコ屋なんてありません。干したものは分類のしかたが干したものに変わり、切り干し大根やホタテ貝柱と同じく乾物屋です。学術界のことはともかく一般の日常だとワカメをはじめとして「動かない生物」は植物になることが多いので挙げました。種子ではなく胞子です。でも胞子は増殖のためにできて虫によって移動して別の場所でキノコになるので、種と生殖機能は同じようなものです。大違いですが。

私はキノコが大好きで、蕎麦やうどんには不要だけれど、そうめんのつゆを作る出汁に椎茸は欠かせません。出汁をとったあとの椎茸は醤油と味醂でこれでもかというくらい徹底的に煮込んで佃煮にします。イトメンチャンポンめんも、椎茸が入っていなければ魅力半減です。冷えた白ワインがあって、マッシュルーム囓ったら、とびきりのディナータイム。全然足りないおかわり、串焼き・お鍋・缶詰め・ホイル焼き・バター焼き、なんでもこいです。

ジョン・ケージは現代音楽の巨匠で、キノコ研究家としても巨匠でした。アメリカのキノコ学会を創設したのは彼です。音楽の博士号は持っていませんがキノコの博士号は持っています。そんなわけで、キノコに対する考察も常人では到達できないプロセスを経て語られます。導き出される答えも、いわゆる理系の研究者とは別世界。他にも禅や音楽についていろいろ語っていておもしろいのですが、むずかしいです。難しいことを言っているから読みづらいのではなく、文章は平易。でも、思考回路が違うのでむずかしいです。しかしながら彼が言わんとしているところが垣間見えるようにちゃんとなっているので、知的スリリングはじゅうぶん味わえます。

ジョルジュ・バタイユ 「青空」
大学生のときの話。ほかにやる事ありゃしない、遊びほうけている印象しか持たれていなかったのは実際そうなので致し方なかった私。ゼミで一緒になった中に、本気で小説家になりたい人がひとりいました。私は課題もやっつけ仕事で提出しているイメージ。自分で書いているとは思われていません。でもひとつだけ、小説や歌をつなげただけで話になっているという、そんなの出版しても印税が残るどころかむしろ赤字で、名誉も評価も絶対に与えられないものを書いていました。というか書き写していました。素人こそ好き勝手書けるのだから好き勝手書いてみたかったんです。

で、相手が真剣にデビューを狙っているなんて私は知らないですから、いつもの調子で「書いてるよ」と言ってしまいました。当然「読ませて」となります。仕方ないので原稿を渡しました。原稿を返してもらうとき、図書館から借りてきた何冊もの本が一緒にテーブルの上へ置かれました。計算する女の子、期待してる男の子。まあすごいエネルギーだなと感心する一方、見つけたのはそれだけだったかという残念感もありました。そのうちの一冊が「青空」です。「これ知ってる?」と言いながら該当ページを差し出したときの同級生の表情を見て、私は「こんなつまらない大人にはなりたくない」と、なぜか同級生なのに思いました。修羅場ラランバだか馬鹿じゃなかろかルンバだか知りませんが、そんな険悪なムードにならずに済んで良かったです。バタイユなんてただのエロおやじという認識しかなかったのでまともに読んだことなどありません。しかも実は、その部分はバタイユではなく松本大洋のパクリでした。「Zero」で五島が繰り返す言葉、ラストで大爆発するあの言葉です。それが「青空」では「私は花を夢見る」というタイトルの歌として載っていました。

それで読んでみたわけですが、割とおもしろくて今でも読んでいます。

久世光彦 「聖なる春」
土蔵に暮らす贋作画家。閉じた世界に入り込んできた若い女性。よくある設定です。モデルにしたいと思ったりします。きれいな指してたんだね、知らなかったよ、って感じです。知りませんが。しかし、この凡庸な設定の小説に強烈な印象を持っていました。ラストに、土蔵の外にある庭の樹花から花びらが降り注ぐ描写。鮮烈で、カタルシスとも言えるくらいでした。で、久しぶりに読み返してみました。なんということでしょう、そんなのありませんでした。私の中で降り注いだだけなのでしょうか。ほんとうに不思議です。しかし読めば、繰り返す、いつかみたいなあの光景が蘇るのです。それでまあ却下かなと思ったのですが、文庫の166ページにウーラントの詩が引用されているので引用します。

 
あなたたちは
新しい地面に播かれた
草の種子
いま 聖なる春を待っている
花の種子 


きらきらしていない、割とマイナーなクリムトの絵がふたつカラーで載っています。聖なる春が何なのかは、読んでみてのお楽しみ。と、もったいつけるほどでもなく、おっさんの妄想です。


野呂邦暢 「草のつるぎ」
夏、太陽が照らす大地。むせかえるような草の匂い。あれを文字に移植できています。話は軍隊のトレーニングなので、草の匂いは倒れたときに味わっています。空は今にも私を包み込むような青さで、不思議なほどまぶしい。鼓動はどきどき、目先はくらくら、胸のドラムがヘビメタを演奏している。どうして空は青いんだろう、不思議でいっぱいだったころ。夕焼けに舞う雲、あんなふうになれたらいいなと思ったり、ひとつふたつ消えてく家の明かり数えていたあのころ。世界でいちばん熱い夏、ぴかぴかの靴を脱いで、草むらに倒れ込んで味わう、あの「ざらっ」とした感触と「むわっ」とした草の匂いがすばらしく生々しいです。すすきの葉っぱで腕を引っ掻かれて血が出たときの感触が、そんな描写なんてないのに思い出されます。うまい書き手です。うまいし芥川賞受賞作なんだけれど地味。


植物といえば、きれいな花や、家具や住まいに使われる樹木がクローズアップされがちです。雑草は、雑草と十把一絡げにされています。でもそれは人間の都合に過ぎません。食べるにしても鑑賞するにしても使うにしても、人間の役に立つものは栽培されます。人間の叡智だか科学だかをもってしても栽培できないものは天然ものとして珍重されます。私は、きれいな花とか山の杉林とかを「自然」だとは思いません。自然だとしても「自然科学」の自然です。人間が支配した土地でも、アスファルトに咲く花のようにしぶといのが自然です。幸せ短い一年草は、彼らなりに地球における役割を果たしています。人間が植物を利用することは、たとえ樹木や草花や田畑であろうと、自然界から切り離された行為なので人工です。

アーティフィシャルなものは芸術だろうが工業だろうが、数字と論理と秩序によって自然を人工に変える営みです。鹿島の森には、陸地に住む蟹と、海に住む蟹がいます。走ると踏んでしまいそうなくらいたくさんいます。人間が手をつけなかったからこそ、生態系は維持されているのです。海岸によくある松林になっていたら、蟹はいなかったでしょう。何に使うのか誰も解らないまま国中を杉林にして、今度は杉花粉が害だから伐採する。どないやねんって話です。人間以外のいきものたちは、誰も人間の介入なんてお願いした覚えはありません。てめえの価値観できれいだとかきれいじゃないとか選別して、てめえが生み出したお金という制度でランクづけして、一束100円の花から一本数万円の花まで選り取り見取り。新規オープンといえば息苦しそうな鉢に入れられた、自然の姿をどこにもとどめていない胡蝶蘭。飲食店に置かれた花は雄蕊と雌蕊を取られている。自分が食べる大豆は遺伝子操作してあると拒絶するけれど青い花ができると科学を絶賛。何かといえば花、冠婚葬祭は花だらけで終われば燃えるゴミ、刺身の横に花、風呂でも花、それでも足りずに国や都道府県の花から366日の誕生花までレッテルつけないと気が済まない。で、それと同時にエコとか抜かす。すばらしいですねニンゲンって。なんて書くと、今回は人間全員を敵に回すことになるのでしょうか。しかし私も人間です。一体どういうことでしょうか。というのは算数なのでまた別の機会に。

私は、今回載せた画像の場所たちを、上にいけばいくほど美しいと考えています。西洋哲学における、人間が生み出す「アーティフィシャル」なもの、すなわち「美」とは出所や成り立ちが全く異なる「自然美」があるのは、上の3つだけです。あとはすべてアーティフィシャルなもので、おまけに美しくありません。そして、行き着くところは冒頭のSFアニメのような足立美術館の庭園です。庭木を剪定するにも、人間の都合で伐るのと樹のことを思って伐るのでは正反対。

何度言ったか判らなくなりましたが、花屋の花や植木屋の木は商品です。壁紙や掛軸と同じものです。田んぼや畑は建物です。駐車場にするか田んぼにするかの違いであり、人間が自然を改変するということでは同じことです。二項対立は解りやすいので大衆的で、何の根拠もなく広まっているものに農耕民族と狩猟民族というのがあります。日本人が農耕民族なので、農耕民族は狩猟民族よりも優しいとかマイルドだとかいうイメージ。しかし、欧米だって土地を削って住まいを建て、道路をつくり、大地を切り刻んで畑をつくり、農地ができれば組織ができて階級ができました。百歩譲っても、農耕と狩猟の他に、牧畜があるはずです。狩猟民族=肉食、農耕民族=菜食、というのもおかしな話。そこから肉食=野蛮、菜食=穏和、となるのはもっとおかしな話。で、仮にその二項対立が存在するとしても、そうなればそうなったで農耕民族のほうが野蛮で酷いのは世界中の歴史が証明しています。たとえば私たちはアイヌに迫害されたでしょうか。彼らが自然と一体となって暮らしていた土地を「開墾」したのが私たちです。手をつけず、必要なものだけ採集する営みが、最も自然を大切にしています。まあ、もう無理な話なんですが。でもなるべく手をつけないようにしよう、というのが私の気持ちです。


本文中に歌の歌詞がいささか強引に紛れ込んでいます。
ちょっと遊んでみました。20曲、すべて邦楽。
正解者には何かすてきなもの(プライスレス)をお贈りします。
メールでも、非公開コメントにアドレス記載でもかまいません。
おっさんくさい選曲なので若い女性には難しいと思いますです。
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コメント

美結様
「エコな自分が好き」な人は、生活を変えようとせず、エコバッグとマイ箸とマイボトルを購入し、わざわざクルマに乗ってキャンドルナイトに参加します。対極を例に出してしまいましたが、自然な成り行きでそうなっていったとのこと、それは尚更なかなかできることではないと思います。

豊かさは、自分が何もせずに享受できるものではないし、便利や快適とは相容れないものではないかと考えております。「豊か」のイメージが人と違うのかもしれません。豊かの対義語は貧しいです。品詞が違うのですが、そうなっています。でもそれは、なんだか物資を豊富に持つことを意味しているのではないんじゃないか、知恵とかものの見方とか世界との接し方とか感受性とか経験の問題なんじゃないだろうか、という気がします。このあたりは、まだ私の頭の中で枠組みや整理整頓ができていません。頭の中が物にあふれてとっちらかっている感じです。

曇天で荒波というイメージとは裏腹に、日本海は小さいので波が低いんです。鵠沼や白子でサーフィンしていた私だったりしますが、こっちではやる気になりません。とても穏やかです。シーカヤックに乗って、陸路では行けないところへピクニックしたくなるくらい、凪も長いです。

コメントが遅くなりました。
たら本参加ありがとうございます。
ブログでに話題が環境が多いのは、自然の成り行き。
すごくロハス(この言葉もすこし嫌になっています)な生活はおくっていません。花を育ているのは語らいから、華道は日本を文化を学びたい、それだけ。
でも、昨年の猛暑を体験するとカラダが悲鳴をあげて、少しでも思う反面、豊か生活との共存は無理かしらと思うこともあります。
白神山地のポスターで「ほっといてくれたので自然」ですよなコピーがありました。
エゴとエコ。
似ているけど、違う。
風景とご紹介頂いた本は知らない本ばかり。
昔、初夏の石川県に旅行したとき、青空が綺麗で、日本海も穏やかだったことを思い出しました。

四季様
コメントありがとうございます。
庭、人工美と自然美の「調和美」だそうです。
そんな言葉知りませんでした。
鹿島の森いいですよ。ぶよだかあぶだかもいて、
刺されたらものすごく腫れます。かゆいです。

鉢植えの花も死ぬことはないのですが、
なんでこいつはこんな人生になっってしまったのだろうかと、
鉢植えをしげしげ眺めたりすることがあります。

砂はきれいですよ。清潔です。
本くらい平気でぶっさします。
土だとそんなことできませんけどね。
スペインの空は、もっと直裁的に青いんだろうなと夢想します。

もっと本が小さく写っている画像もありました。
でもこれくらいがいいかなと思い、
とりあえず最初に大きく見せておけば後は推して知るべしかと。

永瀬君とともさかさんの映画は私も観ておりません。
イメージを喚起する小説は映像の作り手にとっても喚起されます。
でも、映像に携わらない大多数の読者の中に、既に映像があります。

歌詞は無駄に難問のようで、たくさんクレームいただいております。

やばいサッカー後半はじまった。

kotaさん、こんにちは。
「日本で最も美しい庭園」、すごいですね。
あまりに人工的に整いすぎて、見ていて怖い…と思ったら
そういう話に流れていくのですね。
鹿島の森が素敵です。
でも既に自然の姿を全然とどめてないように見える胡蝶蘭でも
やっぱりちゃんと生きてるんですよね。
ベランダに放置しつつ3回ほど花を咲かせたことがあります。
植物にしたら、ほんといい迷惑ですよね。

今回、画像の撮影にてこずってるって一体?と思ってたら
こういうことだったんですねー。
海岸に本を立ててしまったところにもびっくりですが
この風景に、バタイユの「青空」のタイトルがやけに似合う~。(笑)
なんだか「バタイユを探せ」状態で、うきうきしてきちゃいます。
(いや、もちろんバタイユだけじゃないんだけど)

「日々の泡」は、私も出そうかと思いましたよ。一瞬だけ。
あの作品のイメージ喚起力はすごいですね。
自分の中では既に脳内映画状態となっています。
(だから本物の映像は見たくなかったり…)。

歌の歌詞は全然分かりませーん。
むしろティアーズ・フォー・フィアーズの方が馴染みがあります。
(って、とりとめがなくてスミマセン)
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