いまうちに来た方は、もれなく柿とさつまいも攻撃を受けます。
先日、仕事ではなく輪島へ行ってきた。赤木明登氏、角偉三郎氏の息子さん、大宮静時氏の仕事場におじゃましてきた。ビッグネームばかり。いちおう私も漆器屋なので、ふつうの方が驚くところでは驚かず、差異やスタンスのようなものに興味がいった。なるほどと思うことあり、悪い想像通りで残念なことあり、想像を絶する楽しい驚きありと盛りだくさん。ひょっこり私ひとりが訪ねても同業者なので門前払いになるのは目に見えている。連れて行ってくれた方に感謝。

私は同業者の仕事場よりも、他のものづくりをしている人たちの仕事場を見るのが好きだ。ちゃんと作っている人はオープンだ。道具も見ることができる。質問すれば説明してくれる。ちゃんと作っているから、隠す必要もないし誤魔化す必要もないし虚勢を張る必要もない。そして、世界が違うけれどもものづくりをしているからこそ通じ合う場所がある。ここ1か月ほどで、ハンガーを作る人、鋳物を作る人、鋳物に漆を塗る人、焼き物を作る人、ガラスでものづくりする人、鉄器を作る人、銅でアクセサリーを作る人、木工家具職人と出会い、イタリアで活躍するデザイナーがうちに来た。

有名な人ほど売れるということなので、仕事は生産性や効率を考慮するようになり、自分が手がける工程は減っていき、システマティックになっていく。そうならないように居続けるのは、相当強い人間でなければ無理。先日東京でお会いした南部鉄の人などは、そんなに作れないから新規の取引先はお断りしているそうだ。

ふつうは、人を雇って売上拡大するだろう。山中でも、そうしないのは馬鹿であるかのような風潮だ。だからこそ山中漆器は日本一の生産高を誇る巨大産地となった。もしくは、家族や弟子など「こいつらを食わせていかなきゃいけない」から、たくさん作る。営みとして世間一般のイメージは、そっちのほうが責任感があるように思われることが多い。結婚して嫁をもらうと社会的責任が増すとか、そういう類のものだ。でも私は、それは逆であると考えている。家族を養うなら、金持ちになりたいなら、ものづくりなどしないほうがいい。

大宮さんのお住まい兼工房は、とてもおもしろかった。言葉では言い尽くせない。すべてが規格外で常識から逸脱し、でもご本人はふつうの暮らしですよといった風で、ほんものだ(奥さまの、土と藁を混ぜて発酵させて壁に塗るときはニオイ地獄だったことを話すときの楽しそうな表情が印象的だった)。こんどお酒と布団を持って泊まっちゃおうかとたくらんでいる。

時には漆器づくりをしている人の仕事場を拝見すると、自分の立ち位置がよく判る。会社でいえば企業ドメインのようなものだ。戦略とか戦術とかではない。考えようによっては残酷なことだけれど、立ち位置によってできあがるものの佇まいは大きく変わる。どう作っているか、どんなところで作っているか、といったことはもちろん大切だ。でも、そういったことは情報に変換できる。現場へ行けば、情報に変換できないことを享受できる。そして、それこそが、クリエイションの秘密なのだ。


なぜこんな話になったかというと、大宮さんのところへおじゃましたのは既に夜で、私たちは正直おなかがすいていた。で、出していただいたのがさつまいもと栗だった。なんだかおふたりの食料を奪ってしまったようで心苦しくもあったが、そりゃまあ皮までおいしくいただいた。で、私もこの時季は昼ご飯がこんな感じなので、なんだかうれしくなったのだ。

野菜も果物も、自分で作ったのと商品として売られているのとでは、全然違う。合気道と北海道くらい違う。

食欲の秋とか芸術の秋とかスポーツの秋とか言うし実際体育の日も文化の日も学園祭も秋なんだけれど、なんとなく、ひとりひとりのふだんの生活が強調されているだけのような気がします。
関連記事

コメント

非公開コメント