SEIGEN ONO

【The music】

むかしむかしのこと。私は、とあるレストランでバイトしていた。そこは、モードに興味があれば誰でも知っている人たちや、モードに無関心でも広く知られている俳優などが毎夜集っていた。経営者が上智出身でフランスに渡り、人脈を築いたのだ。その店の常連客のひとりが、オノ セイゲンだった。
そのころの私はマンチェスタームブメントにやられていて、おまけに大学のゼミの先生は芝浦にあったクラブのプロデューサー(何度も営業停止になったことからも、本場と変わらぬクオリティだったことはお判りいただけるかと思う。あれを体験してしまったら、ふつうのクラブなんておままごとだよ)だったので、爾来クラブミュージックにどっぷり浸っていた。

で、大学には音楽学科もあったのでクラシックに触れるようになり、ジャズもモダンは通過してフリーをかじってECMっていいよねとか言ったりしてユーロを聴きはじめていた。つまり、言葉本来の意味で、鼻持ちならないスノッブだったのだ。今も結構鼻持ちならない人物と思われているかもしれないが、当時の私に比べれば今の私などスナフキンである。

店のスタッフは、社長も含めて「せいげんさん」と親しみを込めて呼んでいた。私もそれに倣った。食べものの好みを蓄積し、ワインの好みを覚え、料理のタイミングを把握した。要は、お客さまとウェイターである。せいげんさんのテーブルは、いつも自然で上質なよろこびに満ちていた。おかしな言い方だが、料理がおいしそうに見えた。

そして、今でも鮮やかな記憶として私の心に残っている、ボジョレー・ヌヴォーの日がやってきた。せいげんさんはカセットテープを持参してきた。何とびっくり、そのとき初めて私はせいげんさんをミュージシャンだと知ったのだ。社長が大切なものを持つようにテープを受け取り、再生した。音楽ひとつで、パリの街角ができあがった。それだけなら、よくいるミュージシャンである。もちろん、パリの街角を再現するだけでも音楽家として既に敏腕なのだけれどね。しかし、さらなるステージがあった。

せいげんさんはフランス人の恋人と食事をしていて(飲食店だからあたりまえだ)、そして驚いたことに立ち上がって、ふたりで踊り始めた。これが圧倒的にすてきだった。とてもとてもナチュラルで、世界中のどこでも普段からそうやっている人だということが即座に判った。見せつけるのではなく、誰だって踊ることは簡単な気がしてくるような感じだった。社長は店内の照明を少し落とした。

他のお客たちも、うっとりしていたり微笑ましかったりさまざまだったけれど、みんなせいげんさんが踊るのを眺めていた。ワインを飲みながら。店内はハッピーな空気に満ちていた。私が飲食店で踊り出したら、つまみ出されるのがおちである。

おいしいものが好きで、いつも周りに自然でありながら世界共通の普遍的な上質さを醸し、自分の欲求を満たすための音楽ではなく、押しつけがましくなく、その裏には想像もできないくらいの知識と経験と知恵があることが見て取れるのだけれどそんなのを直接的に披露することなどなかった。

これが音楽の力だと、化学的作用(念のため:ドラッグではありません)に頼って即物的な快楽を得ていた私は、ようやく知った。私は今でも、彼より「自然」で「上質」で「普遍的」なミュージシャンを知らない。五感を揺さぶったりくすぐったりするのは、感覚や本質で作られたものだと考えられている。でもそれは、単に相性の問題に帰結する。ある人にとって五感を揺さぶる曲も、別のある人にとっては単なる曲でしかない、ということだ。せいげんさんの音楽は、そんな安っぽい接続方法とは次元が全く異なる。世界のどこへいっても有効だ。それは、繋がる/解る/共感する、という強い意志によって紡ぎ出されたものだから。

それから「せいげんさん」がどれだけすごい人なのかを少しずつ知っていった。ヴァージンレーベル本国の日本人初契約。コム デ ギャルソンのショーの音楽。マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスやオスカー・ピーターソンなどジャズの超名盤のCD化やリマスターでのエンジニアリング(つい最近もヴァーブのジャズ名盤60タイトルをリマスターした。特に現時点で最高の音質、極めて自然なマスタリングであるDSDによって生まれ変わった盤のすばらしさといったら、モダンジャズマニアが認めたくないくらいすばらしい。私はふつうのCD化は嫌いだけれど、DSDは好きです。→リンク)。誰もが口ずさめるCM曲やJ-POPのエンジニアリング。そして時にはプロデュース。いち早いSACDマルチチャンネルや1bit DSDへの取り組み。スタジオを持ち、レーベルを運営している。知れば知るほどすごいことになっていった。

東京、ニューヨーク、パリ、リオデジャネイロ。せいげんさんの音楽は、私の印象だと主にこの世界四都市のハイブリッドだ。しかも高度で、自然。さまざまな色が溶けあう夕暮れ時の空のように、海岸の砂に煌めくプリズムのように。

なおかつ、どこでもない街、海岸、高層ビルなどをイメージさせる。ユートピアは現実にないからこそユートピアなんだけれど、せいげんさんの腕にかかれば音楽として現出できる。

スイスのモントルーで開催されているジャズフェスティバルに出演することを知り、迷わず私は行った。とてもとてもすばらしいステージだった。セイゲン・オノ・アンサンブルは、ステージ上にブラジルのカフェを構え、観客にカイピリーニャをふるまった。とてもせいげんさんらしく感じた。それから数年後、ようやく初めて日本でライブを行った。その1stステージ、あの緊張感はこれまでに体験したことのないものだった。観客もすべて玄人。最初の10分、暗闇の沼に広がる墨のように、音だけが動いていた。

私がバイトしていた店と同じ経営による中華料理店(豪華な中華といえば回るテーブルだった時代、四角いテーブルに深緑色のクロスをかけて一躍最先端となった店)の曲も作っている。タイトルはずばり“The Green Chinese table”だ。モントルーのライブ盤にも収録されている。

せいげんさんは、曲を作り、演奏メンバーを適材適所に配し、自らも演奏する。ソングライターでありコンダクターでありプレイヤーだ。ギターも鍵盤もサンプラーも操る。そして、世界に名高いリミキサーでありエンジニア。耳が良い。技術にも詳しい。そして、そんな言葉で済ませてしまうのはどうかと思うけれども色々考えたところで他に言いようがないので言っちゃうと、天才。

iTune music storeでも配信している。当然、iPodで聴くのに最適なようにリエンジニアリングを施している。でも、できればSACDマルチチャンネルを体験してみてほしい。渋谷にオノ セイゲンのSACDを試聴できるスペースがある。

おすすめは、1994年リリースのオリジナルアルバム「BAR DEL MATTATOIO」(ライナーノーツはブラジル音楽界のおじいさんカエターノ・ヴェローゾで、英訳はアート・リンゼイ)と、モントルーのライブ盤「Seigen Ono Ensemble MONTREUX 93/94」(ライナーノーツはモントルージャズフェスティバルの最高責任者Claude Nobs)の二枚。ピースフルで、暑苦しくないけれどもあたたかで、おなかつ爽やかで心地よい風が靡いていて、脳裏には夕陽や海岸や街角や摩天楼などの映像が浮かんでは消える。子どもは笑っている。老人は微笑んでいる。女と男は微笑みながら愛を語り合っている。





■COMME des GARCONS
コレクション音楽をまとめたもののVol.1で、バブル全盛期のきらびやかでとんがった音色。

■COMME des GARCONS
コレクション音楽をまとめたもののVol.2で、バブル全盛期のきらびやかでとんがった音色。二枚とも現在は入手困難。

■BAR DEL MATTATOIO
渾身のオリジナルアルバム。世界中の音と音楽が詰まっている。畢生の傑作。

■Seigen Ono Ensemble MONTREUX 93/94
モントルー・ジャズ・フェスティバルのライブ。ピースフルな空気が見事に再現される。あたたかな涙が心から流れる。

■COMME des GARCONS volume one +two
2 in 1になり、音色は締まって濃い。バブルの華燭を削ぎ落とした、90年代の音。

■Forty days and forty nights
ホログラフィックレコーディング。ヘッドフォンで聴くとおののきます。

■COMME des GARCONS REMIX
盟友アート・リンゼイによるリミックス。基がかっこいいから何やってもかっこいい。ダブリミックスを出してほしい。

■at Blue Note Tokyo →
青山ブルーノートでのライブ。私のブルーノートにおけるベストライブ。あまり音が良くないことで有名なブルーノートで、NHKの技術者などを動員し、SACDマルチチャンネル録音。緊張感しか存在しない無音も再現。SACD黎明期で6000円。

■So peaceful, simple and strong
8人編成のスタジオレコーディング。なかなかのまがまがしさで、変わりつつあることを感じさせた。

■I probably will not remember you
オノ セイゲンはサンプラーとキーボード、メンバーはバスクラとトランペット。

■Forest and beach
「BAR DEL MATTATOIO」と「MONTREUX 93/94」を二枚組にしてSACD化。マルチ層にはフランスの森とイタリアの海岸の音。感涙。

■Seigen Ono Septet 2003 Live
青山ブルーノートでのライブ。7人編成。

■COMME des GARCONS
2005年リマスター盤。音色はさらに洗練と自然さを増す。手を加えれば加えるほど人工的になるなんて凡人の仕事とは無縁。SACDマルチにはライブ録音。層によって収録曲を変えるというのもSACDならでは。なんだかんだで一枚なのに90分楽しめる。


画像と紹介文は、私が持っているのだけであって、オノ セイゲンのディスコグラフィーは50枚くらいある。

二枚の「COMME des GARCONS」は普遍だ。今年も最新型が出た(プレスリリース ←pdfです)。SACDで一枚ずつのリリース。ツェペリンやクリムゾンが何度もボックスセットを出すのとは訳が違う。音質を良くしているのではなく、音色が変わっている。それでいて音が良くなっているとしか言いようがない。「当時のオリジナル盤をお持ちの方は、ご購入されませぬようご注意ください。」とのことなので律儀な私は購入していない。

川久保玲からは「洋服がきれいにみえるような音楽を」と「誰も、まだ聴いたことがない音楽を」とだけ要望があった。話は逸れるが、20世紀の最重要ファッションデザイナー3人に選ばれた(あとふたりはシャネルとアルマーニ)黄色人種の日本人レイ・カワクボは、周囲のスタッフをすべて日本人で固める。縫製は東京、帽子職人も日本人といった服づくりはもちろんのこと、コレクションでもそうだ。照明は二瓶マサオ氏。来場者が「すてきな照明だなあ」と思うような照明は「照明ショー」になっちゃうので駄目で、存在感を誇示しないけれども明らかに違うという職人技で世界でも最高レベルの技術とノウハウを持つ。アーティストではなく服のことしか考えていないので存在感を消すがゆえに、無名である。今すぐ日本大学藝術学部演劇学科照明コースは二瓶氏を招くべきだ。グラフィックデザインは井上嗣也(オノ セイゲンのCDジャケットまわりのデザインも手がける)。そして音楽はオノ セイゲン。

話を戻すと、そんな依頼を受けたオノ セイゲンは、ジョン・ゾーンやアート・リンゼイ、ビル・フリゼールといったニューヨークのアンダーグラウンドの一筋縄ではいかない面々を従え、どこにもなかった音楽を生み出した。「洋服がきれいに見える音楽」で「誰も聴いたことのない音楽」は、音楽に新たな機能を提示した点で歴史に残る。それは決してブライアン・イーノのような環境音楽でも、無機質な音楽でもない。環境音楽や無機質な音は、違和感を伴い存在を意識させるものだ。コレクションにおいては主従関係の従にあたるオノ セイゲンの「音楽」には、ひとびとの暮らしが投影されている。それこそがほんとうの「環境」であったことに意識しているのかしていないのか判らないけれども世界が気づいた。よってコレクションに溶け込んでいる。おまけにコム デ ギャルソンの品格やポジションにぴったりとフィットしている。さらに、音楽単体でも何年でも楽しめる。

Volume Oneの1曲目“Something to hold on to”の、圧倒的なリズム。誰も聴いたことのないリズム。そしてビル・フリゼールとアート・リンゼイのギター、ジョン・ゾーンのサックス。川久保玲の強烈な意志とメッセージ(それは表立って言葉になることはなく、常に服の中に潜んでいる。なぜ女性もののニットに穴が空いているのか。それは決して性的歓喜をもたらすものではなく、むしろそういったものを拒絶している女性が身にまとい、そのような旧態の視線をも拒絶する)に比肩しうる音楽であり、コム デ ギャルソンのランウェイでなければ音楽が勝ってしまうほどだ。観たことないけどね。クリエイターとして最も大切なこと、クライアントの要望に応えるということを最高レベルで実現している。これは、川久保玲とオノ セイゲンでなければできないことだ。だからこそ伝説的名盤となった。

毎年毎年、パリやミラノでは定番の音楽、打ち込みやロックを流すコレクションが多い。恥ずかしげもなく、パンクやグラムに想を得た服を着たモデルが歩く。そこにパンクやグラムが流れる。そのようなあり方とは別の方法論で、川久保玲はファッションの都へ殴り込みをかけ、根本的な創造の違いをもって挑み、違和感と本質を見せつけた。西洋中心主義で成り立つ場所で。そこでは、既存の音楽を使うことなど(簡単だけれど)できない。オノ セイゲンの音楽も、コム デ ギャルソンという「思想」の具現化に不可欠なものなのだ。

レコーディングは1987年。Vol.1が1988年S/SのCOMME des GARCONSとオム・プリュスで使われ、Vol.2は1988-89年F/WのCOMME des GARCONSで使われた(CD化にあたってミキシングとマスタリングをやり直してある)。川久保玲の要望として前述の二つは非常に有名で、あまり知られていないけれど実は1989年F/Wでは、さらなる要望が加えられている。「ふわふわとして軽いもの」と「透明感があって明るくとびはねるような楽しい気分」のふたつだ。これは、そのときのコレクションを見れば一目瞭然。

それから20年経ち、当時最先端だったもののほとんどは色あせてしまった。セピア色の懐メロであり、当時の自分を思い返すフックとなるものだ。しかしオノ セイゲンの「COMME des GARCONS」は、常に最先端であり続け、同時にクラシックでもある。これは奇跡のようなことだ。

とあるアルバムのライナーノーツに、ロラン・バルトの言葉が引用されている。

 
「新規の」ものでありながら、まったく「新品だ」というわけでもない。それこそ、芸術やテクストや衣服の理想状態ではないか。
 

耳の良さ、感覚の鋭敏さと回路の高度さ、知識の豊富さ、見聞の広さ、技術とノウハウ、そして作曲、演奏、人間性と人望、すべてにおいて超一流である彼にしか生み出せない音楽だ。

私がだんとついちばんで敬愛する日本のミュージシャン。唄が上手いとか演奏が巧みだとかいうのとは、まるっきり次元が違う。広辞苑と中耳炎くらい違う。中耳炎にすらなれない私は、いまだお客とウェイターという関係(つまり無関係)の記憶にひたり、ボジョレー・ヌヴォーの夜、あの魔法のような時を反芻している。



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