2008年もごちそうさまでした

ヴザレビアン? 私は変わらず自然の恵みをもぐもぐいただいております。というわけで、おいしかった店。鮓一貫のランチは、小鉢、好きな料理一品、握り6貫、好きな握り2貫、デザート、コーヒーで2,800円。あんきもレタスは、好きな料理でも握りでも選べるようになった。私は両方あんきもレタスにしたこともあります。
■味の水の家
石川県加賀市。「隠れ家的なお店」というのは雑誌やテレビの常套句で、そんなことをメディアで流している時点で隠れ家になっていない。まさに隠れ家的。巷で言われる隠れ家「的」なお店というのは、たぶん博報堂が昔提唱していた「駅から600メートル境界説」に通ずるのだろう。一方ここは知る人ぞ知る店なので大切にしたいと思っていたのだけれど、検索したらブログに書いてる人がいたので私も書いちゃう。山の中というほどでもないというか、集落の最後にある。絶対そんな方向に飲食店なんてないよっていう道を進む。最後に左折してからの道は、小さな私のプリウスが実は3ナンバーであることを改めて気づかせてくれるような細さ。道の奥に建つ古い民家。アプローチから最高である。横浜の丘陵地にある囲炉裏焼きと古式蕎麦の店(「九つ井」というお店で、炭焼きステーキのコースを食べてから単品で古式蕎麦をしかも二枚食べた私は、連れてってくれた人に呆れられた。また久しぶりに九つりたい)を思い出す。建物は清潔。器は、骨董好きの先代が集めたという九谷が中心。どんな感じのものを食べたいかを予算といっしょにリクエストしておけば、まかせて安心。魚をたっぷりとか、肉をおいしくとか、いまの季節の山の幸づくしをたべたいとか、野菜と植物性たんぱくだけでとか、若い奴らが酒を飲むからとか、石川県外からの年輩のお客をお連れするとか、甘口だけれどしっかりと濃いお酒を飲みたいとか、まあとにかく用途と好みとボリュームを伝えればいい。前日までに予約で、当日の朝に仕入れる。たぶん1日2組まで。もちろん料理はできたてを運んできてくれる。おかわりや追加もできない。その日のベストな献立を考えて組んでくれているのだから本来これはあたりまえのことなんだけれど。話は逸れるが、京都に「一見さんお断り」な店が多いのは何故かというと、別に間口を狭くして高級感や希少価値を出しているわけでもなく、常連になった人にだけ特別なサービスをするわけでもなく、そのお客の好みや食べる量が判らないことには献立の組み立てようがないし、食べるペースを把握していないことには調理のタイミングも図れないからである。私が知っているお店は安い。でも、とてもとてもきめ細やかだ。水の家は、安い。というか、ボリュームありすぎ。味つけは、田舎の家庭料理そのもの。ある日の献立は、さんまと大根の煮物、かんぱちと水蛸のカルパッチョ、香箱蟹、ホタテフライ、鯛のあら煮、牛すきやき、蕎麦粥。生まれて初めて、牛肉を残した。ひとり300gはあったはずである。私がお願いした予算なら、すき焼きがなくてもいいくらいなのに。

■玄命庵
石川県加賀市。その名の通り玄米ごはんで、ということは有機野菜中心のおかず。味は格別特筆するほどのことはないが、たくさんの種類が少しずつ盛られたおかずの数々を自分で調理するとなるとこの価格では難しいのではないかと思わせるので、私の頭の中でお得ということになった。でもまあ「お得」というのを「ボリューム」で計るとなると、大量生産しているものが最もお得ということにもなりかねないのでむずかしいところではある。加賀市にあるNPOが主催するイベントに出店していて、そこで購入した玄米おはぎが素朴で味があって美味しかった。

■夢寐の刻
石川県能美市。昔の地名で言うと寺井。予約をすれば2500円のランチがあるそうだけれど、とりあえず1500円のレギュラーメニュー。これで1500円は、安いといえば安い。豪華な食材を使って値段をつりあげる「高級店」は巷にたくさん存在する。ここは正反対。安価な魚を、ちゃんとした調理をして提供している。突き出し的なスープ、魚介の入ったサラダ、野菜で一品、魚料理、稲庭うどんかごはん&味噌汁、デザート、コーヒーか紅茶、これで1500円。ただ、3年前にできたそうなのだけれど内装など店内の雰囲気は空間プロデューサーが手がけた感じで、90年代半ばに濫立した佇まいが微妙に古くさい。神宮前にあった、杉本貴志氏が手がけたクラブ「真空管」を思い出した。ふつうの民家でじゅうぶんなはずだし、わざわざお金をかけて品格を落とすことはないと思う。教養があれば「何もしない」という選択肢も出てくる。世の中、何事も斯くの如し。

■すき焼き 犀与亭
石川県白山市の、旧松任市。すきやきとしゃぶしゃぶのお店。私は、すき焼きといえばまっすぐ切った葱と肉だけのやつか、ごぼうと肉だけのやつが好きなんだけれど、そんなこと言っているとまた嫌味な北大路だと思われてしまうのでふだんは口にしない。豆腐と野菜から出る水分がいやなんです。それじゃ「すき煮」ではないか。で、犀与亭のすき焼きは、野菜が丁寧に下ごしらえというかカットされていて、盛りつけも美しい。これなら見た目が楽しくなる。味は、すき焼きです。肉は大きいけれど柔らかく、箸で切って口へ運べます。卵につける必要はありません。わさびをつけて食べるとおいしそうな感じ。神戸牛の最上級を出すお店とかなんとかの額が架かっていますが、そのときによっていちばんのお肉を仕入れているので近江も能登も飛騨もあるようです。ちなみに私は、焼いて味つけして、煮込まずにとっとと食べるのが好きです。焼きですから。現在の味とホスピタリティとは無関係ですが、創業は明治14年。文明開化の味がします。っていうのはありきたりのキャッチフレーズですね。

■蕎麦 花川
石川県白山市。このあたりには蕎麦屋が多い。蕎麦で村おこしをしようとしたのだ。でも、全国的に蕎麦を有名にしようとしたら相当量を栽培しないといけないので、北海道産の蕎麦ばかりである。おまけに田舎の技術である。とはいっても蕎麦屋が集中していれば競争も起こるので、美味しい店もある。花川は、私のお気に入り。

■イル・ガッピアーノ
石川県野々市町。石川県でイタリアンなんて東京で加賀料理みたいなもの(たとえば、金沢で晩ご飯、ふたりで15000円の予算。イタリアンにするか、加賀でしか食べることのできない加賀料理を料亭でいただくか。そりゃ当然後者になる)なので、ろくな店がない。と思っていた(もちろん今でも思っている)私を裏切ってくれた店。トリッパの煮込みは、煮込んでからオーブンで炙ってあり、水っぽさが皆無で香ばしい。アンティパストミストは野菜でボリューム感を出そうとはせず、肉と魚がふんだんに盛り合わされている。ジェノベーゼのリゾットはチーズたっぷりで濃厚にしてオイリーではない。メニューにおけるソーセージのルビがサルシッチャなことからも判る通り、イタリアでも南の方の見た目と味つけ。ちなみに北はサルチッチャ。食べているときに「ちょうどいい」と思わず口にして同席者の頭の上にクエスチョンマークをつけてしまった。オーナーであり1年前に新しいお店を出したのでそっちへ行ったオーナーシェフの金山氏(何とびっくり石川県加賀市にある、塩ホルモンと豚足がおいしい錦城山の姉妹と親戚である)が広尾のイル・ボッカローネと恵比寿のラ・ビスボッチャにいたからだと知ったのは、後日ガッピアーノへ行ったことを加賀市在住の某氏に話してだった。たぶん私のイタリアンというとボッカローネが基準というか幼児期の刷り込みだったので、何かを感じたのかもしれない。鼻腔が喜ぶ店。強烈にワインを飲みたくなるけれど、サン・ペッレグリーノでじゅうぶんおいしいクチーナ・イタリアーナ。ブォーノ、モルトブォーノ! トロッポマンジャ!

■ステーキ GOHAN
石川県金沢市。1ポンド、つまり450gのサーロインが2580円。ハーフ225gが1480円。ステーキというのはワイルドな料理だと思っている私にぴったりの店。ソースは、ワイン、たまねぎ、バター。ガルニはコーンとブロッコリー。私はそれらをなくしてフライドポテトにしてもらっている。なんとなく、それが似合うステーキだからだ。というかステーキは基本的にマッチョな食べ物であって、上質なコース料理のメインなら80gでじゅうぶんだけれど、それではステーキを食べるという感じにはならない。ああ、今日はがっつり肉を食べたい、主食はパンじゃなくてごはん、と思ったら迷わずここ。デリシャス!

■中華料理 仙桃
石川県金沢市。中国人ヴァイオリニストのコンサートに行ったらチャイナドレスを着てオーケストラアンサンブル金沢を従えて演奏していたので、クラシックのコンサートの後はイタリアンかフレンチを食べるのが常道なんだけれど中華を食べたくなった、と言ったら同行者に連れて行っていただいた(本来ならば何かを食べたいと思ったときに最適な店を思いつく才能は男の私が持っていなければならないのだが、金沢のことは詳しくないので金沢で生まれ育った達人におまかせするのが正解である)のがここ。店構えはふつうの街の中華屋。でも中国人がやっていて、店員同士は中国語で話す。メニューは冷菜から始まる、ちゃんとした中華。香港風叉焼というのが気になって注文。肉の部位なのか味つけなのか調理法なのか、どういうのが香港風か判らなかったけれど、香辛料がしっかり染み込んだ味で、噛めば噛むほど旨味が出た。焼き餃子は、軽く揚げたように皮全体がクリーム色。ぱりっとしていて噛むと中はぎっしりかつジューシー(と書いていて、春巻きを食べたくなったことを思いだした)。卵とトマトの炒め物は、他で見るような混ぜ合わせて炒めるタイプではなく、蟹の入っていない蟹玉のように平らなオムレツの上に、ざく切りしたトマトを炒めて鶏ガラとケチャップで味つけした餡にしたものがかかっていた。点心もあります。ハオチー!

■Katsu
石川県金沢市。串酒屋ということで、串焼きと串揚げ。おまかせ一人前が串8本で1000円だったか10本で800円だったか忘れたけれど、安い。つくねは焼く前に蒸してあり、中がふわふわ。たたきは3倍の値段でもいいのではないかというくらい美味しくて安い。単品でフォアグラとシャラン産鴨(正真正銘の「シャラン鴨」は現在ビュルゴー家だけが手がけていて、月間600羽。日本で食せるのは4店舗だけ。ここのは、あくまでもシャラン「産」の鴨)と仔羊もあり、確か700円から900円くらい。さらに、豚足も炭火で、皮が焦げることなくきつね色に焼き上がっていて、香ばしさが尋常ではない。もちろん中はもちもち。380円。ラストオーダーは24時半。アクセスも判りやすく、便利。

■おでん 若葉
石川県金沢市。どて焼きと茶めしも名物の店。三角形の典型的なはんぺんがなくてすじがあることからも関西風であることがうかがえる。あまり練り物を食べない私にとってはうれしいお店。印象に残っているのは、たこ、みつば、つぶ貝、すじ、しらたき、つみれ(ふわふわでおいしくて初めて行ったときに3つ食べた)。しいたけは出汁まで違う。全国的知名度はないけれどおいしい能登の万寿貝が切れているのは残念。以前も書いた気がするのだけれど、おでんを食べた後の器に熱燗の残りを入れ、日本酒の出汁割りとでも言うべき液体を飲むのは至福のひとときです。あまりスマートとは言えない行為ではありますが、ぜひやってみてください。

■蕎麦 権兵衛
同名の蕎麦屋が加賀市の山奥にありますが、こちらは金沢市片町。天ぷらうどんがおいしいとのことで、私も天ぷらうどん。東京ほど濃くなく、大阪ほど薄くないつゆの色。うーん、中部地方。辛くなく、ほんのり甘くてすっきりしている。出汁に昆布は使われていないように思えるが、ならばなぜすっきりなのかは不明。天ぷらうどんは海老天二尾で900円。ラストオーダーは驚愕の26時半。夜の金沢片町、飲んだ後に小腹が空いたらラーメンよりも権兵衛の蕎麦。というかうどん。なんだかんだで夜中にしょっちゅういただいています。

■天ぷら かっ宝亭
石川県金沢市。金沢に限らず、地方には日本料理の細分化された店が少ない。私の住まいの近くだと「寿司 天ぷら うどん」なんて店や「寿司 中華」なんて店まである。どれかひとつで勝負するには人口が少ないから何でも食べられる割烹や居酒屋になってしまうのか、寿司も中華も商売にしないともったいないくらいの腕前だから二枚看板なのか、私には判りかねる。さて、そんな地方の金沢において、目につく天ぷら屋といえばここ。天ぷらは江戸前。江戸前は、たれとつゆ。で、そんな技術の継承などない金沢では鮨や寿司に塩が多い。そんなわけで、天ぷらもやっぱり塩。ねたが地のものなので他では味わえない。さすがに東京の名店みかわやあさぎ、さらには街のなんでもない天ぷら屋で食べる幻の魚「銀宝」などとは比べるものではないのかもしれない。でも価格も違うので、気軽に天麩羅ならここ。しかし価格とのバランスを考えると、神宮前にあるつる岡が私の中ではいちばんでもある(カウンターだけしかなくて、ひとつひとつ目の前で揚げて順番に出し、定食が750円)。というわけで、石川県で天ぷらを食べるならここだけれど、県外の方がわざわざ食べに行くほどのものかと問われると、私はもごもごしてしまいます。

■寿司 あいじ
石川県金沢市。カウンター6席だけの店。つぶ貝は、注文を受けてから貝を開いてさばいた。固すぎもせず、箸でつまんだら崩れるような柔らかさが売りなだけの握りでもなく、ちょうど良かった。

■ピッツェリア Le parfum deux La mer
富山県射水市。ナポリピザ。建物は木と白壁の日本家屋。玄関で靴を脱いでスリッパを履く。板張りの床はきれいに磨かれている。基本のマルゲリータをいただいたが、ナポリ風というには少々塩気が控えめでトマトがフルーティ。ナポリと聞くと厚い生地に濃厚なトマトソースという組み合わせを期待してしまうのは古い人間だからなのだろうか。でもまあ「ピザ」としては相当おいしい。特に生地。

■SUNA
福井県福井市。カフェ&ダイニングとのこと。アジアンリゾートを意図した内装。濃い色の木でできた枠に、白い布。ベッドまわりにしつらえられるのを、各テーブルの仕切りにしている。布を開けると靴を脱いで足を伸ばせる。料理はパシフィックリムをさらに拡大した無国籍。20代前半向けかな。

■蕎麦 八助
福井県勝山市。越前蕎麦というより、ふつうにまっとうな蕎麦。行くといつも、ざるとやまかけをいただく。つゆは甘めで美味しい。午後は喫茶タイムで、前もって予約すれば蕎麦もいただけるとのこと。店内では、蕎麦粉を挽いているところや打っているところを見ることができる。

■中華 東海一品香
宮城県仙台市。同行者のひとりが夜中にラーメンを食べたいというので、じゃあここだったら俺は何かつまんでビール飲むよ、ということで入った。中国人の家族がやっていて、ぶっきらぼうを通り越した感じ。何かあると「ニホンゴワカリマセン」で済ますような感じ。夜中だし贅沢言ってられないからしょうがないと思ったのだけれど、食べたらそんなの全然気にならなくなった。メニューの冒頭は通例通り冷菜で、鶏と大根の和え物に目がいったので注文したら大根がないのでキュウリでいいかと尋ねてきたので内心むしろそっちのほうがいいのでそれでいいと答えたら、とても400円とは思えないボリュームの冷菜が出てきた。ポーションが香港である。1260円でも高いと思わないだろう。しかもおいしい。鶏とキュウリといえば棒々鶏だけれど、酢と醤油と辛子で味つけしてある、とてもさっぱりしたものだった。あとは焼き餃子を注文。ラーメンを食べたいと言っていた同席者はチャーハンにした(ラーメン屋ではなく中華料理屋に行き先変更した場合は、これが正解である)。それらもボリュームがすさまじい。軽く茶碗一膳分をふたりに分けても、チャーハンは一人前以上あった。しかも、べたつくこともなく固くなるわけでもなく、ふわふわのチャーハンである。ビール2本と上記料理で2500円くらい。何なんだここは。こんなの近所にあったら毎晩行ってしまうだろうから、なくて逆に良かった。

■ほくしん鮨 仙台駅3階店
立ち食いの鮨屋。安い。北海道の鮭の白子が一貫100円。あじや赤身といったふつうのねたがふつうにおいしい。握りの技術はともかく、北海道東北の魚介類を手軽に堪能するにはぴったり。

■香味庵まるはち
山形県山形市。漬け物寿司。よくぞ漬け物だけで寿司はおろかコースにまで仕立て上げたものだと感心する。京都ならありそうだけれど、東北の、しかも城下町としては思い浮かべると最後の方になる山形(米沢ですね)で、というのが驚き。コースには山形名物の芋煮も含まれています。建物も古くて趣がある。2階の板座敷から1階のトイレまでは距離があるけれど、トイレまでのアプローチが楽しい。

■とうじそば 峠路
長野。木曽と松本と上高地のトライアングルの中心的な里、奈川。とうじそばとは「投じ蕎麦」と書く、寒さの厳しい奈川の郷土料理。鉄鍋でだしと醤油でことこと煮込まれた、たっぷりの野菜と揚げとつくね。まあなんというか、醤油で薄く味つけした鍋ですね。で、竹でできた、穴のあいたおたまのような「とうじかご」に、うちたての蕎麦を入れ、それを鍋に入れ、湯がく感じでさっと上げる。で、食べる。蕎麦しゃぶとでも言うべき料理。合いの手に、つゆを飲んで具を食べる。あったまる。冬季限定メニューとなっている蕎麦屋が多いのでご注意を。峠路は野麦峠の近くにあり、営業そのものが4月から11月。ということは、10月に行くのがいちばんいい。奈川の蕎麦屋だと福伝も有名です。

■さかた菓子舗
長野。松本インターを降りてから上高地への道の途中。菓子舗なのになぜ食事メインのここで取り上げるのかというと、ここはおやきが名物だから。野沢菜おやきと野菜おやきときんぴらおやきを買って、食べながらくねくね道をのぼって安房トンネルを抜けて、東京方面の出張から帰ります。大きくないけれど、ずっしりしている。蒸し焼きで、皮がぱりぱりでおいしい。焼きたてのあつあつを頬張ると最高。いずれも185円。焼かないおまんじゅうもありますし、小倉あんもあります。おやきが広まらないのは、おいしいと思えるおやきが少ないからです。ここのを食べれば、がらりと印象が変わります。

■白ひげ食堂
滋賀県高島市。国道161号沿い、琵琶湖の中に大鳥居がある白髭神社の隣。通るたびにいつも「豚汁 めし おでん」と書かれた看板が気になっていた。で、自転車で走ったときに寄ってみた。当然、豚汁とごはんとおでんである。おでんは自分で選ぶセルフ。とことん煮込まれた大根は大きいのに中まで色が濃い。豚汁は味噌の味がしっかりついていて、野菜の甘味が出た豚汁ではなく、肉体労働者の味。うまい。そして二度目は、豚汁ラーメンをいただいた。何のことはない、豚汁に卵麺が入っているだけのものだ。甘くない豚汁なのでラーメンのスープとしてもいけるのだろう。一味とねぎをプラスするというのも味噌ラーメン的。ちなみに豚汁うどんもあって、こっちは400円と破格。自転車ツーリングに最適。

■リストランテ 季の雲
滋賀県長浜市。イタリアン。ギャラリーショップに併設というか、ギャラリーショップが併設というか、ともかくギャラリーショップには漆だと赤木明登氏や輪島キリモトなどおなじみのものが並んでいて、骨董というか中古もたくさんあっておもしろい。で、イタリアンはプリフィクス形式。プリフィクスというのは日本だとバブル崩壊後に拡がったメニューで、コースで決まっていて、中身を何種類かから選べるというもの。特別な料理は料金を追加。かつて護国寺にあったパ・マルがまともなフレンチで、プリフィクスで安かった。季の雲は、前菜とパスタとドルチェで2500円か、それにメインがついて3500円。というわけでパスタは、パスタではなくポルチーニ茸のリゾットを、メインは牛ほほ肉の赤ワイン煮込みを選んだ。前菜の盛り合わせも凝っていた。鶏肉を、ハムとテリーヌの間のどこかといった感じに調理してあるものが珍しかったし、フォワグラのテリーヌもまともなテリーヌだった。リゾットはフンギポルチーニだけではなく椎茸や舞茸などたくさんの茸が入っていて、くどくならない程度のチーズ。ポーションも多く、100gはあったと思う。牛ほほ肉の煮込みは、肉の脂とソースの両方がねっとりとしていて食べ応えがあった。一切れのサイズも、見ただけでおなかいっぱいになるような大きさでもなく、見ただけで切なくなるような小ささでもなかった。同行者はエビと水菜のペペロンチーノと、豚肉のグリエ。店はリストランテを名乗っているが、安くておいしいタベルナ。もしくはオステリア。器はギャラリーショップで取り扱っているものを使っています。

■マクロビ割烹 NAKA
大阪市中央区。うちの応量器と、禅僧三点揃の箸を使っていただいているのでおじゃました。食前酒を、応量器のいちばん小さな器に注いである。米と麹の香りが豊かなどぶろく。玄米の押し寿司は噛めば噛むほど味が出てきて風味が変わる。カウンターだけで音楽もなにもなく、心地よい空間。マクロビオティックなので動物性たんぱくや添加物を一切使っていない。それでいて精進料理のような清貧さもない。彩り豊かな皿が次々と現れ、そのどれもが味わい深い。このような丹精込めた料理を盛られる器は幸せ者だ。

■コート・ドール
同名の店が石川県にもあるらしく、誤解を与えていたことに最近気づいた。港区三田。フレンチ。正統フレンチ。日本でいちばん好きなフレンチ。長年行っている。よく考えると恐ろしいというか凄まじいことなんだけれど、いつ行っても裏切られることがないし期待通りの路線で想像以上を体験できる。フォワグラやサーモンのテリーヌ、牛テールの煮込みや仔羊のローストなど、基本中の基本が別次元。定番である赤ピーマンのムースは天にも昇る舌ざわり。これひとつとっても、コート・ドールを超える店に出会ったことがない。馴れ馴れしさも芝居じみたところもない、距離を置いたスマートなサービスも正統そのもの。ギャルソンの監視下に置かれているのではなく、客にくつろいでもらうために空間を提供しているような感じ。くつろげる。バブルの途中から、日本ではさまざまな「フレンチ」が跋扈しはじめた。体に優しいフレンチ、新機軸フレンチ、見た目の盛りつけがオシャレなフレンチ、有機野菜を使ったうんぬん。そうした店が時の流れによって浮き沈みした90年代にも、コート・ドールは正統を貫いた。見た目では判別しがたい、まっとうな仕事をしながら。雑誌映えもしない。そして今、ようやく適切な地位を獲得しようとしつつある。これは、いまから正統を獲得しようとしても絶対に無理なことだ。シェフの斉須政雄氏は、これまでにいくつも奇跡のような料理を生み出してきた。でも、実際にテーブルの上に置かれるのは、何の変哲もない料理だ。そして、食べてみればその手のかかりかたと丁寧さが瞬時にして判る。初めて行く方は、ぜひトマトのムースと紫蘇のスープを組み込んでみてください。セボン! アビヤント!



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コメント

いぶし銀の四季様
こんにちは、コメントありがとうございます。

四季さんやkyokyomさんのように本を読み慣れている人でないと読了できないだろうし、読み慣れていないと「え、これが名作なの! なんかつまんなくない?」となりそうな気もするのです。

そういう感じで「解る人には解る」のかもしれませんね。ほとんど無名、本を読む人にとっても「名前は聞いたことあるけれど読んだことがない」ということが多いようですし、文学史やドイツ文学の「お勉強」では軽視されていますし。

えっ、私?

私ってば、もしやいぶし銀…?

なんて書いてたら、本当にそんな気がしてきました。
いえ、自分のことをそんな風に言うなんておこがましいんですが(笑)
そうよ、分かる人には分かるのよ!って感じで。
いや、何を言ってるんでしょうね。
失礼いたしました。
オールヴォワー ボン・ジュルネ!

kyokyom様こんにちは。御返事遅くなりまして申し訳ないです。大学にて媒体や媒介で快楽を追求する「メディア美学者」のゼミをとっていた快楽マイスターの私です。デザイナーフーズやシンクロエナジャイザーやハウスミュージックでお手軽に快楽を得ていました。快楽が「強い」とか「高い」ではなく「深い」を選ばれたところに鍵がありそうな感じですね。衣食住で得る快楽は土台のようなものなので、根源的で本質的であるかもしれません。食べることや性交することは多くの動物に共通で、もちろん不可欠です。獲得したときは快楽です。生きるために不可欠なことは快楽を感じるようになっているんです。でも、その先にあるものが高次の快楽ということになりそうです。もしくは長期目標の達成時とか、実現困難なことほど快楽が圧倒的な気がします。

我慢からの解放は、空腹を満たすとかトイレに間に合ったとかいったのと似てる気がします。恋をそんな感じでとらえている人は、恋愛が長続きしません。やっちゃったら満足で、その後は何かあればストレスになるからです。

快楽物質にもいろいろあります。私はドーパミンが出る行為やセロトニンが出る行為よりも、ベータエンドルフィンの出る行為が好きな気がします。いわゆるあげあげハイテンションではなく、まったりリラックス状態です。インドの性秘技に、腰を動かさず半日くらい合体したままっていうのがあって、なんだかものすごいそうですよ。坐禅なんかも到達するとすごそうです。このあたりはshosenさんが詳しそうです。でも、いわゆるランニングハイもベータエンドルフィンが分泌されているようなので、動いちゃ駄目というわけでもなさそうです。

ちなみにゼミの先生、
・全身にフィットするスーツを着て
・いろんなプログラムが入ったコンピュータを脳と直結
とかいうものを作って、自宅にいながらにして宇宙旅行や性交を「体験」できるものをお金があれば作りたいと言っていました。彼によると、触覚や味覚だけだはなく視覚も脳だからオッケーだそうです。私が生徒だったときは「ウォークマンとヘッドフォンの間にかませて、それを通せばどんな音楽を聴いてもα波が出るマッチ箱くらいの小さな装置があるんだけれど誰か一緒に事業にしない?」とか言っていました。エンドルフィン・マキシマムを意味するクラブ「エンドマックス」を東麻布にオープンさせたり、芝浦のクラブは何度も営業停止になったり。そんなデジタルエクスタシーな武邑光裕先生も、いまでは立派な人物になっています。

そんなわけで、挙げられた四つの中では、なぜだか歌がいちばん深い快楽をもたらすように思えます。いまのところは。でも歌が突出しているわけではなく、ダンスや書道も同じようなものな気もするんですよね。というわけで「場合による」というありきたりの安易な解決策を用いて、一旦この話はやめておきましょう。

コンクリートは好きでも嫌いでもないです。美しくないものや機能を満たしていないものは残念に思い、ちゃんとしたものはいいなあと思います。つまり、他の素材と同じです。ただ、自由度が低いですね。多くが、いかにも四角四面としたモダニズムという感じです。また、コンクリートは(厚さによりますが)寿命が短く、いつかはひびが入ります(モルタルのほうが強いです)。何百年と建物を保つ木や石など自然のものには適いません。ではなぜ広く使われるかというと、仕事のしやすさと、コストです。

ローマ帝国のころ、コロッセオやパンテオンに使われた古代コンクリートのほうが、いまのコンクリートより強度があるんですよ。何しろ今でもありますからね、それらは。あとは、捨てるときにどうなのかなあというのがあります。解体後、粉末にして捨てるっていうのは、木や石を捨てるのとは何か違う気がするんです。

「遠目で見ると美しい」ものは世の中にたくさんあって、かたちが美しいコンクリート建築もそのひとつのような気がします。

私にとって良い建築とは、品質と設計ともに「古くならない」かどうかが最も重要です。そして、解体したときにゴミが出るか否か。もともと私にとって建築物は芸術品ではなく実用品ですし、本来は西洋の概念でも芸術ではなかったのですが……建築が芸術でないことについては以前どこかのコメントで長ったらしく書いた記憶があるので省きます。

東京文化会館といえば最後に聴いたのは2001年のキース・ジャレットです(キースはあまり好きではありません。ドラムのジャック・ディジョネットが大好きなんです)。建物は、名作建築として名高いですね。こんなこと言っていいのかどうかわからないのですが、外観設計はル・コルビュジェの劣化コピーに有機性を付加したもののように見えます(有機性は、あのコンクリートと鉄の庇、そしてお城の内堀のような水堀とその壁面)。遠くから見ると、私には建設途中で断念した新幹線の駅のようにも見えちゃうんです。コストを抑えるためにコンクリートを使わざるを得なかったのかもしれませんし、設計したのがコンクリート打ち放し大好き世代の建築家だったからかもしれません。

庇も、やるなら元ねたのようにもっと徹底的にやってくれればよかったのにと思います。でもホールとしては最高水準だと感じます。とはいうものの、できてからまだ半世紀も経ってないので、少なくともあと60年は経たないと私としては評価のしようがないです。60年後というと間違いなく私は死んでいるわけですが。いまは「古くさい」から「懐かしい」に変わってきている段階ですね。ちなみに10年ほど前に改修されているので、私の中では、いまのところナシです。でもまあ私の感想などとは関係なく「名作」として語られるでしょうね。

木造建築のホールがあってもいいのにと、常日頃思っております。ものすごいデッドな音響で、反響で誤魔化すことができないため演奏家は嫌がるでしょう。だからこそ、演奏を聴いてみたいです。

東京文化会館の図面はこちら
http://udf.blog2.fc2.com/blog-entry-129.html

特徴的な庇の元ねた、議事堂
http://homepage.mac.com/ruelle/CHANDIGARH/PhotoAlbum319.html

私事を書きますと、漆器は乾燥した空気が駄目なので、コンクリート造りの建物で閉め切ってエアコン、というのは最悪なんです。ということは人間にとっても、と思っちゃうので、なんだか息苦しく感じることがあります。石なら、そんなことにならないです。

できあがったばかりでぴかぴかの建物は、美しくないものであっても、そりゃまあ「きれい」です。中には美しいものもあります。では、おんぼろの建物ではどうか。木造は例外なく美しさを持っています(そして、できあがったばかりよりも数十年経ったもののほうが頑丈なようにできるのも木造の良さです)。石も同様。では、おんぼろのコンクリートはどうか。こわいです。退廃美やパンクロック的なものはあるけれど、美のメインストリームからは離れています。そんなわけで、おんぼろになっても美しいコンクリート建築ができれば、ほんとうに美しいコンクリート建築だと(建築界の価値観は知らないですが)私は思います。

で、やっと疑問にお答えいたします。コンクリート建築を美しいと感じるのは間違いか、ですね。間違いではありません。なぜなら、美とは人工物にしか存在しないからです。「美」と「自然美」は、全くの別物です。というか、そもそも木であろうが石であろうが、採って切ってしまえば自然ではありません。

シュティフター、いいですね。なんとなく四季さんの感じがします。私は昔読んで、つまんない代物だと思ったことがあります。ええ、私も若かったのです。時間の流れ方が独特なものは今では大好きなのですが……。登場人物がいい人ばかりで、その代わりなのかどうか判らないけれど自然が厳しく描かれている、という印象です。

こんにちはー!

kotaさん、こんにちは^^
歌と恋と装うことと食ではどれが一番快楽が深いのかというしょむないことを考えながら参上いたしました。
多分恋でしょうかv-207
昨日ラジオで流れていた「歌に生き、恋に生き」を聴いた影響です。

ところで、kotaさんにお尋ねしたいことがありまして参上いたしました。
kotaさんは、建築にも興味をもっていらっしゃるように(勝手に)思っていますが、ええと、あの、コンクリート建築って嫌いですか?
今、シュティフターの『晩夏』を読んでいて、古い建築の魅力がこれでもかこれでもか、えいえい、と語られていてまいっております。
そんなシュティフターが今世紀に生きてコンクリートの建築物を見たらどのように感じるだろうかとふと思いました。
僕は上野の東京文化会館の屋根部分なんかを見るとあの重量感にうっとりしてしまうのですが・・・。
kotaさんは常に自然の素材に親しく触れていらして、その魅力を知り尽くしていらっしゃるから木や自然石の建築物とコンクリートの建築物を比べた場合にどのように違いを感じられるのか興味がありましてよろしければお聞きしたいのですが、でももちろんその気になって下さったらということでお願いいたします(ぺこり)
コンクリート建築を美しいと感じる感性はそれは果たして美意識を持っているのか?あるいは持ちうるのか?ということが気になります。
では、失礼いたしました。





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