多和田葉子「犬婿入り」 -完結しない、とあるひとりのペルソナ



基本は新刊しかとりあげていないのですが、これはおもしろいのでとりあげます。と書くと、せっかちな人はすぐにbk1やamazonで購入ボタンをクリックするかもしれませんが、それはこの記事を読んでからにしてみてください。でも、もしかしたら、あえてネット書店で購入したくなるかもしれません。

私が好きな小説家は10人くらいいて、そのうちいちばん好き歴が短い(なぜか、昔のテレビ番組「ねるとん紅鯨団」で男が「第一印象から決めていました」というのが効きめのある台詞として通用したように、好きや知っているのが長い人ほど偉いような風潮が世間にはあって、いろんなことを懐疑的に見てしまう私は長い=偉いという一般的な印象すらも疑わしいと思うことがある)小説家が多和田葉子

私が好きな小説家10人を伝えたところ、多和田を読んでみようといううれしくてありがたい人がいて、その人がこの「犬婿入り」を購入した。書店ではなくネット書店でというのがポイント。で、普通に読み進めていたら、話が判らなくなったそうだ。多和田葉子の小説ならありうることなので私は深く考えなかった。合う人は合うし、合わない人は合わない。世の中なんでもそんなもんだ。だが、これは、そんなのとは訳が違った。京都会議全国京都会議くらい違った。

ページがめちゃくちゃなのだ。

多和田葉子「犬婿入り」講談社文庫版は
007 ペルソナ
077 犬婿入り
138 解説
という構成になった短編集。

で「ペルソナ」の中盤、p32(ページ見開き右側)の向かい側が、p129で、ご丁寧にもその近くに「犬婿入り」と書かれている。まあノンブルが打たれているので気づけよ、という突っ込みもあるかもしれないが、ふだん小説を読むとき、いちいち毎ページでノンブルを確認するだろうか。おまけに、p32とp129の繋がりは

光りながら両側から人々を押し潰そうとする商品の山にはさまれて、道子は伏し目がちに合うなと言う人間嫌いの父親も、みつこのことだけは悪く言ったことがないので、別に悪いことをしたという感じもないままに、その時々の自分のふるまいなど忘れてみつこに甘え始めた。

  多和田葉子「ペルソナ」「犬婿入り」 『犬婿入り』講談社文庫 p32, p129
  (たった一文なのに何というややこしい出所の明示↑)

と、繋がっていないんだけれど繋がっているように思えてしまう可能性がゼロではなく、良く言えばウイリアム・バロウズのカットアップ、もしくはシュルレアリスムのオートマティスム、要は助詞の使い方がおかしな破綻した文章である。



購入した人が「これはおかしい」と気づいたのは、p137で終わる「犬婿入り」なので、p129からだと、わずか9ページしかなくて、いきなり文庫本の真ん中で「解説」が始まってしまったからだ。これは斬新すぎる。斬新であることに創造の力をすべて注ぎ込んでしまって肝心の中身がお粗末になってしまった一時期の筒井康隆にも思いつかない構成である。おまけに解説の後は普通に初出と奥付があって、一瞬だけ皆川博子「死の泉」を連想させた。で、奥付の次には当然のごとく「講談社文庫刊行の辞」と、講談社文庫目録が続く。ここまでくれば、奥付をも巻き込んだ死の泉方式でもない。もしかすると目録まで巻き込んだ畏るべき構造なのかもしれないが、読んだことのある私にはそうでないことが判っている。

というわけで「本書」の構成は、順に

目次
ペルソナ 扉ページ
ペルソナ 本文 009-032
犬婿入り 本文 129-137
解説 138-148 
初出、奥付、講談社文庫刊行の辞、講談社文庫目録
ペルソナ 本文 65-76
犬婿入り 扉ページ
犬婿入り 本文 079-137
解説 138-148 
初出、奥付、講談社文庫刊行の辞、講談社文庫目録

つまり、どうでもいいところが重複していて、70ページの短編「ペルソナ」の30ページ分が欠けている。順番は変でもいいから読めればいい、という購入した人の謙虚でいたいけな要望も打ち砕く特別仕様である。そんなわけで私は多和田葉子の「旅をする裸の眼」の講談社文庫版を書店で乱丁落丁がないか確認して購入して「ペルソナ」を読了していないその方に無理言って交換してもらい、私のものとなった。



書籍の製本現場を見たことある人がこのブログのありがたい読者の中でどれだけいるのか判らないけれど、私の場合ネット書店で購入したときたまにあるのはページの上端が裁断されていなくて繋がっているパターン。大抵は、紙が折り曲がっていて、切られなかったものだ。面つけして印刷しているので、束ねてから裁断する。なのでそういうことが起こりうる。幸いにも、これほどまでの乱丁にお目にかかったことはなかった。年間200冊ほど購入する私(読了するのは100冊ほど)には遭遇しなかった逸品でうれしい。

奥付にある“乱丁本・落丁本は購入書店を明記のうえ、小社書籍業務部あてにお送りください。送料は小社負担にてお取替します”という文章が、奥付が二か所にあるので二回書かれているところも、同じことを繰り返して喋るとアホっぽいことを思い起こしてくれ、何とも微妙な気持ちになる。そこまで念を押しておきながらこの事態。

音羽グループの雄、日本最大の出版社である講談社は、かつて大日本雄弁会という名前だった。「大事なことだから二度言った」というのが最近ちょっとしたブーム。しかし弁論(ひとりで話す)やディベート(対抗戦)では、それをやると負け戦になる。幼稚だからだ。

私が新卒で入社した広告会社では、他の「総合広告代理店」と呼ばれる広告会社と同じく、営業採用もクリエイティブ採用も全員で新聞雑誌ラジオテレビのマス四媒体での研修を受けた。出版社は講談社へお邪魔した。つい先日まで大学生だった私たちは、機械によってすさまじいスピードで製本されていく雑誌を目にした。毎週数百万部を印刷製本しているのだから、あれくらいでないと追いつかない。あれならまあ、たまにこんなことがあってもしょうがないよなあと思ったりもする。そう思わせるための研修であるなら見事なものだ。

出版社にとって収入源は広告なので、出版社にとってのお客は購入する読者ではなく広告主である。講談社ではないが、一部も売れなくても黒字という雑誌も、かつてあった。広告のチェックに比べれば地味で不採算部門の文芸書なんて人員を割くわけにはいかないのかもしれない。

乱丁くらいでこれだけ書く私もしつこいというか暇である。

ご所望の方は、何と交換してくれるか明記の上、メールください。
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コメント

Mlle. C様
一冊こんなのあったら、他にもあるかもしれませんから、想像力豊かな人ほど身の毛のよだち具合もえらいことになりそうです。シュルレアリスムとカットアップは、ノンブルをしっかり打っておいてもらわないと、何がなんだか判らなくなっちゃいそうですね。

詩で思ったのですが、歌詞だとリピートが多いので間違っていても気づかなそうです。と思ったけれど、ページをまたぐ長い歌詞は少ないですね。

エリュアールといえば、本人の朗読による「自由」が収録されているアルバム“La Resistance”がハルモニア・ムンディのカタログにあって、探していたことを思い出しました。ありがとうございます。また彷徨ってみます。

大学時代の友人が、企業の入社案内や大学の入学案内を作っていて、ノンブルがめちゃくちゃになったまま入稿してしまったことがあるそうです。ダミーを入れておいて最後に数字を入れればいいし、さして重要なものでもないのでうっかりしちゃったのでしょう。そのまま校正で誰も気づかなかったらロールプレイングゲームブックになって話題になったのに、と私は言ったのですが、ノンブル以外のページ構成は間違ってないので、そういう言い訳も効かないんだよ、と相当へこんでいました。

でもノンブルはスミ1色なので、ストリップ修正すれば爆安で修正できます。というわけで、そんなにへこんでいるところをアピールしなくてもいいのにと私は内心思ったのでした。

パソコンが普及して、印刷会社に依頼せず自分でいろんなものを作るようになったおかげで、カタログ14ページとか、わけのわからない相談が減って私としてはありがたいです。

多和田葉子を読んでみようかなと思ったのはMlle.Cさんのブログを拝読したことがきっかけです。そんなこんなでおかげでこのような逸品と巡り会うことができました。重ねてお礼申し上げます。


美結様
印刷会社にいらしたことがあるんですね。みなさんいろいろ歴史があっておもしろいです。真っ白なページとは、まるで平野啓一郎の“衝撃の”デビュー作にして音楽に例えるならプログレッシヴ・ロックのような大袈裟感たっぷりで様式美の大博覧会となった「日蝕」のようですね。洋書は良品交換が面倒だなあ……。

通常の印刷はCMYKの4版で、特色、エンボス型捺し、箔捺し、ニスびきなどは、さらにそれぞれ製版しますね。なのでお金がかかる=豪華な感じになるのでしょう。でも、やりすぎは下品ですし、必然性のないものはデザイナーの自己満足です(また何事にもあてはまることを書いてしまった)。

私の名刺、表はスミと特色、裏は特色1色という、色数が少ないのに印刷会社泣かせなものです。というのも、特色はDICで指定することが多いけれども、DICを購入する印刷会社なんてないから、印刷会社はCMYを熟練の技で混ぜ合わせ、DICに近づけているわけです。しかもそれを慣れないソイインクでやらせています。

ハガキも特色2色で、宛名面は4色という変則です。

スミ1色のモノクロ印刷も、たとえばグラビア印刷のモノクロ写真集であれば、特色でグレーを濃いのと薄いの2色を使うと、できあがりが大違いです。ドットや網目があるかないかが写真と印刷における見た目状の最大の違いなので、それをなくすわけですね。写真や写真家のテイストによっては、スミより濃い特色を使ったりもしました。でもそんなちゃんとしたモノクロ印刷は減りました。釈迦に説法だったら大変失礼しました。

工場見学は楽しいですね。工芸職人の仕事場も好きですが、なんといいますか圧倒的な工場も好きです。ばかでかくてものものしい工場で、ちくわを作ってるとか。

洋書を購入したら、一部真っ白なページがあったという話は聞いたことがあります。
見事な製本(笑)
印刷会社に務めていたので、全工程、巻かれた紙の大きさも知っています。工場見学。
記事読んで噴出してしまった。
先日、特殊印刷について、4色?もう一工程ある?って。

これはすごい。面白いです。
でも、もし自分がこれを作ってしまった印刷会社の人の立場だったらと想像すると、身の毛もよだちます。
私も昔一度だけ乱丁本に遭遇したことがありますが、それはエリュアールの詩集でした。
「あれー、なんかこのフレーズ前にも読んだことある気がするけど、こういう詩なのかなあ、シュルレアリスムだしなあ」
とか思ってたら乱丁だったというオチ。
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