麻のブックカバー(新書サイズ)



何かほしいものがあるかと訊かれたので窓の外から聞こえる電車の音にかき消されないようにしながらも大声でもないように気をつけて「新書判(175×105mm)のブックカバーがあれば白水uブックスを外でも読めるんだけどなあ、布か紙で、いい感じのやつ、わりとずっと探してるけどないんだよ、作って」と、猫を膝の上で撫でながらリクエストしたら作ってもらった。(←保阪和志風のフィクションです)

何でも言ってみるものである。
厚みも良い具合にとってあって(スチュワート・ディヴィッド「ナルダが教えてくれたこと」がフィットするように、という簡単なのか難しいのか判らないサイズのリクエストだった)、京極夏彦氏の京極堂シリーズも第三作なら入る。第二作「魍魎の匣」を入れようとすると「みっしり」どころか破れそうである。ほう。入らないものは入らない。この世に不思議なことなど何もないのだよ、関口君。
(読んだことのない方には何だかさっぱり判らないと思いますがご了承ください)

でも今ではこのサイズに用があるのは白水社のuブックス文庫クセジュ(文庫を名乗っているが新書サイズ)かアーティストハウスくらい。岩波新書も講談社ノベルズも読まない。なのでこれくらいでいい。がばがばのゆるゆるなのも困る。

リクエストというよりアイデアの相談で、長い紐をつけてエビアンホルダーのように首からさげることができるのはどうかと伝えた。でもすぐに却下となった。本がかわいそうとのこと。首からさげれば鞄が不要だし、電車でも何だか楽ちんな気がしたけれど、私はほとんど電車に乗らないことに気づいた。でも、割と長めの紐がついていて、これはとても使いやすい。壁にかけることもできる。



でも私は、街ゆく人が首から文庫本や新書をカバーに入れてさげて歩き、公園やカフェで首に紐をかけたまま本を開くところを夢想する。そんなわけで調べてみたら、既に特許申請されていた。しかも何だかすごそうである。自動めくりで防水。完璧ではないか。だが特許で閉じてしまったら普及しないので普及しないだろう。ちなみに海外旅行でガイドブック片手に、というときをターゲットにしたこんなのは市販されている。

一方、私が作っていただいたブックカバーの紐は、綴じてない側(開く側)に紐がある。ぶらさげていても本が開かない。作った人が、こっちのほうがいいとのことで、私はそれに従った。作ってもらうのだし、おまけにお金は一円も払わないので無理は言えない。実際に使ってみると、ブックパッカー方式よりもこっちのほうがいい。

紐はフェルトで、素材を考えてくれたんだなあとありがたくなる。織られた布だと頑丈に縫わないとほつれてくるし、だったら最初から紐でいいじゃないかとも思うのだがそれだとごつい感じになるし、かといって和紙を撚ったりしていては富国強兵時代の女工である。フェルトを選んだ作り手はすばらしい。



一緒に写っているのは、1990年に銀座伊東屋で購入した文庫サイズ。素材は牛の革と綿の糸。20年近く使い続けても、どこもへたっていない。もちろん、手入れなんてしたことがない。これくらい使わないと皮革製品は良し悪しの判断がつかない。私は買い物が好きなのではなく、ずっと使いたいから購入するのだ。とはいうものの、思うところあって2000年ごろから皮革製品を購入しなくなった。皮を剥ぐだけのために育てられる動物のことを思うと、皮革製品なんて買えない。皮革製品の輸出・輸入・販売は禁止しちゃえばいい。



そんなわけで、文庫判も新書判も持ち運びできるようになってとてもうれしい。出張などでホテルに泊まるとき、なぜか私は白水uブックスを読みたくなる。文庫は小さくて何か別のものという思いがずっとあるし、かといって単行本を持ち歩くのも、何しに出張来たんだという感じである。

作り始める前、どんなのがいいかなと話していたとき、私は「ピンクと黄緑色のストライプとかアニメキャラがプリントされた布とかでなければ何でもいいよ、まかせるよ」と言った。それだけだ。ありがとうございます。
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コメント

i様
帰郷してすぐのころは書店に寄っていました。もちろん中古レコード屋も。東京へ行くと必ず池袋のジュンク堂へ行きました。古書店は新潟県村上のお店が宝の山でした。東京の玄人古書店では考えられない安値でしたし。まあでも出張なので、そんなことで頭がいっぱいだと、なんかちょっとあれなんです。H&Mのコム デ ギャルソンとか、今年3月にオープンするドリス・ヴァン・ノッテンとか、そういうのと仕事はうまく同時にこなせないです……自分、不器用ですから。買い物するなら買い物に行く、映画やコンサートならそのためだけに行く、会うとしても友人知人、仕事は仕事、っていうのが合っています。

出張で本買わないの?

kyokoym様
ありがとうございます。と私が言うのも何なのですが……。新書サイズはいいのないですね。もっといろいろビジネスチャンスがあるように思います。いま売っている雑誌「エスクァイア」に、紙のブックカバーを無料で配布しているカフェが載っていました。でもやっぱり文庫サイズなんですよね(無料配布なのでサイズが大きくなるとコストが上がるし流通量が新書と文庫じゃ比較にならないからというのは解るけれど)。トルソーをお持ちだったような記憶があるkyokyomさんなら自作できそうですね。自作できるとなると、バイアス使いとか背表紙にあたる部分だけ別の布を使うとか、いろいろやっちゃいそうです。

栞といえば、かつて岩波文庫の栞をコンプリートしようと、とっておいたことがあります。でもなぜか同じものばかり重複するし、時折「なんで俺はこんなもの集めてんだ」なんて思っちゃったりして、あるとき捨てました。というか広辞苑があれば事足りる内容ですし。どうも私は男性にありがちなコレクション癖が皆無のようです。

かつて、新潮文庫の「Yonda?」だか何だかで、川端康成の腕時計をゲットしてやろうとたくらんでいたこともありました。でも集められませんでした。周囲に集めている人がいると気前よくあげちゃうんです。で、いまはもう切り取ることもしていません。そしていつしか文豪ウォッチはラインナップから消えました。

アニメの栞なるものは私には未知の世界ではありますが、トレカのように価値に違いが出てきそうな感じがします。たとえば古書店で手にした岩波文庫に萌え栞が挟まっていたら。私は恐らく、その関連性を小一時間考えてみると思います。恣意的(最近「確信犯」並みに誤用が目につく言葉です)なものではなく、絶対に何か意図があるという前提で。それはたぶん萌え栞だからこそなせるわざであり、岩波文庫に他の文庫の栞が挟まっていたら、ああ、いらなかったんだな、で済ませます。これは単に、文庫におけるブランド力の違いです。と思ったけれど、講談社文芸文庫の栞は私の心をくすぐらないので、それって一体どういうことなんだろう……って、こんな受け答えで申し訳ないです。

京極堂、第三作は地味なポジションなので思い出しにくいですね。

あ!

京極堂シリーズが出てきて嬉しかったです!e-274
でもわたくしはシリーズの順番をまったく覚えていませんでした。
三作目を自力で思い出そうとしていますe-350

お邪魔します

とてもステキなカバーですね!v-280
わたくしも新書サイズのブックカバーも欲しいなあと思っていました。文庫サイズのカバーはビニール製と紙製頂き物のを所有しているので丈夫な布のカバーがいいなあ。自分で作るにはまず素材を物色しないと。
素材が麻だと風合いがとてもいいですね。
話は変わりますが、わたくし栞も集めていまして、書店で貰ったものや本に挟まっていたものをとっておくのですが、テレビの下に挟んでおいたらある日母が部屋に入ってごそっと抜いて捨てられてしまいましたv-12
アニメの栞とかを萌えとはまったく関係ない本に挟んでおいて、いずれ本が売り払われたときにその本を手に取った人がページを開いてみたら萌え絵の栞が挟んであることに何か感慨を抱くだろうか・・・ということを想像して楽しみにしていのたですがv-63
今また萌え栞を集めていますe-277
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