ランス・アームストロング「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」

私はランス・アームストロングが嫌いだ。
これは決して確固たる理由があるわけでもなく、最後に照れちゃうようなツンデレでもない。
 
世界最大の自転車レースで、世界三大スポーツイベントのひとつであるツール・ド・フランスを私がテレビで観始めたのは1994年。スペインが生んだ偉大なる“太陽王”ミゲル・インドゥラインが4連覇する年だ。彼の明るさと温かさと寛大さと公平さと知性と情熱と愛しさと切なさと心強さと部屋とワイシャツと私と酒と涙と男と女を、私は私なりにテレビ画面を通して感じていた。こういう人こそ、3週間で15万キロカロリーを消費し(ということはそれだけ食べる)、その間に休息日が2日しかない、この世で最も過酷な“スポーツ大会”の頂点に立つのだと。

ちなみに好きなチームはスペイン、というかバスクのエウスカルテル・エウスカディ。オーナーも監督も選手も全員がバスク出身で、乗っているバイクもバスクのモンドラゴン加盟企業オルベアという、プロスポーツでは他に例のない地元だけというチーム。言うなれば、監督も選手も薩摩隼人だけで、オーナー企業も鹿児島のサッカーチームのようなものだ。同県人だけで構成されたプロ野球チームなんてありえるだろうか。ありえない。ありえないからこそ、現実にありえているエウスカルテルが好きなのだ。ツールではエースが総合5位くらいになることはあるけれど総合優勝はない。でも所属選手が北京オリンピックのロードで金メダルを獲った。エウスカルテル・エウスカディについては、また機会があれば(なーんてよく聞くけれど、それってその人の匙加減ひとつである)モンドラゴン協同組合なるバスク独特で日本の地方も採り入れればいいのにとずっと思っている組織形態について紹介したい。(←「したい」なんて言葉で締めると、なんだか偉そうですね

ランス・アームストロング(母親の最初の夫の子で、アームストロング姓はふたりめの夫の姓。ちなみにランスの母はその後三度目の結婚をしている)はアメリカに生まれ、中流家庭の生活様式が幅をきかせる街で育ち、中流家庭の子どもなら幼少時に一度は通過するフットボール(ルールや戦術が複雑なため知的階級が好むらしい)に早々と見切りをつけ(日本では階級によって嗜むスポーツが異なるということがないのでうまく想像できないが、たとえばイギリスだとサッカーが肉体労働者でテニスが中産階級で乗馬が上流階級のような感じなのだろうか)、トライアスロンでアンダー19チャンピオンとなる。そして自転車に専念するようになり、21歳にして世界選手権で優勝する。史上最年少だ。

ツール・ド・フランスは、1993年に初出場。ステージ優勝をひとつ決めたが、リタイア。翌年の私が観るようになった94年は姿がなかった。その翌年はステージ優勝がひとつで完走もしたけれど36位。そして1996年は欠場、その秋10月2日に癌であることが判る。

この本は赤裸々に書かれている。すべて真実だ。
だが、事実ではないかもしれない。
ふつうのノンフィクションのあり方とは逆である。
マイルス・デイヴィスの自伝が真実を語っているけれど事実ではないのと同じだ。

うろ覚えだが、漫画「シャカリキ!」で、主人公の野々村輝が大怪我をして手術とリハビリの末、再度自転車に乗ったとき、監督だったかチームメイトだったかが心配して声をかけたときに野々村輝が言った台詞が脳裏をよぎった。

「ビョーインに行けば治してくれるのが分かったさかい、こわくなんかあらへん」

でもこれは漫画の中の人。

自転車はヨーロッパのものだ。スペインのミゲル・インドゥラインは95年も優勝して五連覇を達成。その後もドイツのヤン・ウルリッヒ、イタリアのマルコ・パンターニなどが頂点に輝いた。私は彼らの平地でのスプリントや険しい山岳でのアタック、胸が痛くなるほどのアシスト選手の献身ぶりなどに魅了されながら、ロードレースの戦術や暗黙のルールや歴史に裏打ちされた奥深さとヨーロッパの層の厚さを学んだ。“哲学者”とも“海賊”とも形容されたパンターニの総合優勝はとても嬉しかった。そしてプリンスが示唆に富んだ詞で歌った1999年、ランスが睾丸と肺と脳の癌を克服してツールに戻ってきた。私は何とも思っていなかった。アメリカでしょ、チームはどこ? U.S.ポスタルサービス? アメリカのチームか。自転車は何? トレック? アメリカのバイクじゃないか。

ランス・アームストロングは総合優勝した。個人タイムトライアル(一斉スタートではなく、3分ごとにひとりひとりがスタートし、純粋なるタイムを競う)は3つとも優勝。個人TTをぜんぶ獲るのは史上三人目だった。おまけに第9ステージのアルプスでもぶっちぎりで優勝してしまった。憎たらしいほど強かった。私にとってヒーローである山岳スペシャリスト、畢生のヒルクライマーたちが、ランスの背中を追うしかなかった。この第9ステージでのランスは今でも脳裏に焼きついているし、くやしいけれどYoutubeで何度も観る。平地での活躍は予想できなくもなかった。でも山岳での強さは、まさに戦慄だった。

2000年。2年連続の総合優勝を狙うランス。山岳ステージで、私のヒーローのひとり、マルコ・パンターニにステージ優勝を「譲る」というむかつくことをしやがった。私は心底ランスを嫌いになった。何て傲慢で、何て尊大な奴なのだと。しかし、私が大嫌いなランスは、他のレースに大して参加せず、毎年ツールに照準を合わせ、いまいましいことに前人未踏の7連覇を果たす。おまけにそのまま引退しやがった。おまえが負けるところを見たかったのに。なんて思っている時点で、巨人が負ければどこが優勝してもいいというアンチ読売巨人軍(すごいですね「軍」って)と同じようにランスにとらわれていることくらい自覚していたが、どうにもむかついた。他のレースに出ないで、毎年あいつがやってくる。最悪だ。アンチというものに全く価値があるとは思えない私は、たいていそういうのは無視していた。好きな選手やチームがあっても、嫌いな選手やチームがあるというのは、大して深く考察したことはないのだけれど変な気がした。私はソニーの製品がどうして駄目なのかを熱く語ったことはなく、ただ私は購入しないという選択をとっただけだ。だいたいがそんな感じで、頭の中の「無視」の引き出しにしまわれ、やがてそこからも消えてほんとうに無視になる。でもランスは積極的に嫌いだった。どなたかこの私の不可思議な心理について説明してください。でもフロイトやユングやラカンのような精神分析は何の役にも立たないので心理学で説明してください。

F1でもアロンソが「シューマッハが引退してからチャンピオンになっても意味はない。シューマッハと競ってチャンピオンになることに意味がある」と言って、実際チャンピオンになった。世代交代は常に若い方に動くというのは世の常というかあたりまえのことで、いつか必ず訪れる。でも、頂点に君臨してきた王者を、王者の席にいるときに引きずりおろすのと、王者の席が空席になってから座るのでは大違いだ。私は呑気な観衆のひとりにすぎないので、レベルの高い戦いを観たい。なので、ピークにいる王者を打ち負かす若者の登場には心の中で喝采を送る。ランスが引退してからのツールは混戦と言われた。そりゃそうだ、圧倒的な強さを誇ったランスがいないのだし、ランスが7連覇したときに7年連続2位だった選手などいないのだから。何が言いたいのか解らなくなってきた。

本書の中で特に有名な一節のひとつに「ツール・ド・フランスでの優勝と癌のどちらかを選ぶか、と訊かれたら、僕は迷わず癌を選ぶ。奇妙に聞こえるかもしれないが、僕はツール・ド・フランス優勝者といわれるよりは、癌生還者の肩書きを選ぶ」というのがある。非常に立派な言葉だ。こんなことを言われてしまっては、ランスを嫌いな私がろくでなしのように思えてきてしまう。越路吹雪だかアダモだかに「アーウィ!」だか“Méfie toi!”だか言われてしまう。

自転車はヨーロッパのものだ。これは変えようのない真実だ。私は今でもそう思っている。マウンテンバイクなんて生まれてからまだ30年も経っていない。未舗装路を走る自転車なら、ヨーロッパには100年以上前からシクロクロスがあった。このような史実を踏まえ、では、と私は私に問いただす。日本人がツールを走ったら嬉しいか、いまいましいか。答えは当然「嬉しい」だ。1996年に今中大介がツールを走ったとき、日本人が走っているだけで私は感極まりながらも同時に感慨深くもなっていた。そう、私は矛盾していた。ヨーロッパへ殴り込みに行くのがアメリカでは駄目で、日本なら良い。私が日本人だから、という理由も成り立つだろう。でも私は私の考え方の筋として、そういうのは避けたい性格だった。どこを当てはめても変化がない価値観のようなものを持っていたい人間だった。なのでこの矛盾は解消しなければならない問題となった。いかにも考え事が好きな人間の打ち明け話なので、ここまでおつきあいいただき読んでくれているだけで私は充分うれしいです。おまけに前もってお伝えしておくと、この文には落ちがありません。

もともと私はひねくれ者なので、どんな競技にしろ圧倒的に強い選手を応援することがない。いまではもうそれほどでももないのでたぶん若いとき特有のあれだと思うのだけれど、勝ってあたりまえのを応援して勝って気持ちいいなんて何だか安易に思えた。テニスだとウィンブルドンはサーブ&ボレーの選手が圧倒的に有利だ。なので私はストロークに秀でた選手が活躍すると楽しい。ベースラインプレーヤーのアンドレ・アガシが優勝したときは最高だった。ふつうならサービスエースになるはずなのに、アガシにかかれば打ち返してリターンエースになるのだ。翌年私は大学を卒業して広告会社に就職し、その広告会社はアガシが新たに契約したHEADをコンペで獲得した。私は新卒で某カーオーディオのチームにいたのだけれどHEADチームも掛け持ちし、毎日アガシのポジフィルムとにらめっこしていた。HEADといえばゴラン・イヴァニセビッチだったけれど、カタログの掲載順は当然アガシモデルが先で、雑誌広告もアガシだけ。イヴァニセビッチなど、ただのかんしゃく持ちで、かんしゃく持ちでも許されるほどの実力もなかった。でも私はそれから約10年後にイヴァニセビッチが悲願のウィンブルドン優勝を果たしたときは涙してしまった。DVDまで持っている。歴代のベストマッチではないけれど、私の中では真っ先に思い浮かぶ試合だ。話が逸れた。

自転車においては、爆発的なスプリントをかけて誰も追いつけなくなって独走状態で勝つ、でも山岳はてんで駄目、とか、山岳はものすごいけれど平地だと凡庸、とかいった選手が大好きだ。そして、勝ってあたりまえの選手が勝つより、全く注目されていなかった選手がいきなりとんでもないタイムを叩き出して下馬評を覆すと興奮した。カザフスタン(いちおうアジアなので、自転車の世界では見下されている)やコロンビア(時折とんでもない山岳スペシャリストが現れる)の選手にも注目するようになっていた。やっちまえ、エリート気取りの鼻をあかせ、パターン化された勝利の方程式を頑なに守るやつらじゃできないことを見せつけろ、とかいった感じで。そして私は思い至った。ランスも、そっちのひとりではないのかと。アメリカは、ロードレースの国ではない。

そんなこんなで、昨年の夏に文庫化されたのを機に本書を読んでみた。



画像に映っているハンドルは、Dedaのニュートン31というやつ。左側に広げた黄色いのはマイヨ・ジョーヌ(ツールで総合首位に与えられる黄色のジャージ)であるわけがなく、ウインドブレーカー。私がこんな色の服を身につけるのは自分でも意外なのだけれど、ウィンドブレーカーを必要とするときはクルマを運転する人の視界も良くないので、なるべく目立って存在を早めにお知らせしといたほうが安全だ。なので、服の趣味とは無関係に黄色いのを着る。レインジャケットも黄色だ。

画像右上、ハンドルに架かっているちぎれた黄色い輪っかは、ランス・アームストロング基金へ寄附するともらえるリストバンドだ。いんちきビジネスのホワイトバンドをはじめ、この手の「なんとかバンド」はすべて、この“LIVESTRONG”の後追いだ。日本では500円前後で売られているが、それは転売で儲けている人たち。実は1本1ドル。10本10ドル。日本への送料は10ドル。私は2005年の夏に個人輸入し、9本を友人知人に配った。ところが自分の分としてひとつ持っていたものは、あっけなくちぎれてしまった。ミサンガは、自然に切れたら願い事が叶うと言われている。では、このゴムだか合成ゴムだかでできているこいつが切れたらどうなるのか。教えてくれよランス。

先日、脳梗塞に罹っていた友人が退院した。喋るのも大変なのでどうなのと自分で思ったのだけれど、携帯アドレスを知らないので昨日電話した。まあふつうだった。退院祝いにこれを差し上げようと思っている。この本は、原題“It's not about the bike”の通り自転車乗りがわくわくするような自転車レースについての本でもなく、かといって泣かせる系の癌についての闘病記でもなく、極めて低い生存率の病から生還する分析哲学の本だ。病は、退院すればオッケーなわけではない。退院してからが大事だ。

10年ほど前、私は明治神宮前駅のホームで意識を失った。救急車で慶応大学病院に運ばれ、うんざりするほどたくさんの検査を受けた。判ったことは、脳の血流が悪くななるということだった。私は毎日薬を飲み、毎週MRIを撮りに、月に一度脳波の測定で病院へ通った。慶応義塾大学病院は最悪で、何故救急車はそんなろくでもないところへ私を運んだのかと恨んだ。勘の良い人なら判ると思うが、信濃町というところも好きではなかった。私にもそれなりに医師の知り合いくらいいるので写真をほしいと申し出ても無碍に断られた。そのくせいつまで経っても原因すら判らず、原因が判らないことには日常生活で変えるべきことや気をつけなきゃいけないことが判らない。というわけで数値を見るのと薬だけの対処療法だった。あるとき、受付で支払いをしようとしたら、私は事前に聞いていないことを受付の女性に言われ、私は「聞いていないです」と言った。受付の女性は、驚いたことにパウチされた紙を顎で指し示した。それを読めということらしかった。私は「あのですね、」と言った。すると受付の女性は机の裏側にあるボタンを押したようだった。すぐさま警備員が来て、私と受付カウンターの間に入ってきて、私の前に立ちはだかった。私が用のあるのは受付の女性だった。だがそこは警備員、警備のプロである。私は患者のプロでもないしむしろお金を払って患者になっているわけで、歯が立たなかった。つまり、私など客ではなく、私が行く病院ではなかったわけだ。それからは「お大事に」の一言もなく、毎週受付で無言で事務手続きをされた。まあそんなことはどうでもいい。私は私の体を治すことを何よりも優先してやらなければならなかった。受付の女性が無慈悲だろうが杜撰だろうが頭の中は勤務を終えてからのことでいっぱいだろうが、日々の仕事にうんざりしていて仕事の質が右肩下がりだろうが初めからそんな態度で患者に接してきた人間だろうが、そんなことは私の体とは無関係だ。そのとき私はフリーのクリエイターではなく広告会社の社員で、会社は労災認定を出してくれた。感謝している。もちろん、周囲の人にも感謝している。あいつやあいつがいなければ、私は餓死だかなんだかになっていただろう。私はしんぼう強く薬を飲み続けた。薬の副作用で、クールが売りの私なのに微熱が続き、汗が出た。ゆで卵のようだった肌もブラックマヨネーズの吉田のように荒れた。激しい運動は駄目だというのでもともとスローな動きのアダージョな私だったのにレントになってラルゴになり、体質が変わってすかすかの骨と脂肪だけの体になってしまった。いかにも広告業界な体つきになってしまった。スーツを作るたびにサイズが大きくなり、ジーンズは驚愕の34インチになった。体を動かさなければ動かさないほど、筋肉がなくなればなくなるほど、食べる量が変わらなくても人は太る。どんどん基礎代謝が下がるからだ。でも、たまに寝坊することはあっても「永久に目覚めない」ことはなかった。2001年、脳波に異常がなくなった。

人は誰でも多かれ少なかれ、自分という存在について思い悩む。窮極的には存在理由っていうことになる。哲学の担当分野だ。「自分らしく」というのも安売りされてきて、何だか自分が気持ちよく満足できるようになりたいってことに過ぎない文脈や、何かを諦めたときのエクスキューズに使われることが増えてきた。「資本」主義の日本らしい流れだ。現実の「生き方」に落とし込み、ひとつの切り口で見てみると、王道の上位を指向する人もいれば、反抗することで示す人もいる。自ら異端を望む人もいる。自分を主張しないということを主張する人もいる。私はどちらかというと「人と違うこと」が好きだ。ブログで長文を書くのも、ブログというのはこういうものだ、というのを無視している。まあそんな感じのちっぽけな「違うこと」に過ぎない。違うことが正しいとは限らない。でも私はそれなりに倫理観をもっている。自分の倫理観にそぐわないことは、世間の常識であっても、その反対をいく。電通には、有名な「鬼十則」がある。もうひとつ「戦略十則」というのがある。私は帰郷するとき、この反対をやろうと決めた。話が長くなったが、そんなふうに人と違うことが好きな私でも、脳波が正常と違うのはまっぴらごめんだった。「人と違う」のと「異常」は違う。ピーターファンデンホーヘンバンドとサージェントペパーズロンリーハーツクラブバンドくらい違う。

私は久しぶりに心から晴れ晴れした気持ちになっていた。でも、晴れようが快晴だろうが、湿度はゼロパーセントではない。雨や雲と同じ成分が、うっすらと混ざっている。私は意識をなくすのではないかという恐怖を常に持ちながら今でも毎日を過ごしている。クルマを運転しているときも、吊り橋を渡っているときも、シーカヤックに乗って波に対してうっかり平行になってしまってひっくり返る瞬間にも、誰ともすれ違うことのない季節外れの山の中をトレイルランニングしているときも、先の見えない急カーブが連続する坂をロードバイクで下っていて向こうから大型トラックが来ていことが音で分かるときも、それはよぎる。退院してから、病というものがその人にとってどんな意味をなすかが分かれる。それを完全に打ちのめすか、それに支配されながら生きるか。私は残念ながら、もう完全にだいじょうぶだと判っていながらも、やっぱりふとした隙に恐怖が訪れる。恐怖は、隙が大好きだ。とてもとてもくやしいが、私はランスのように強い人間ではない。比較することも馬鹿らしいくらい器が違いすぎる。そして私は凡庸な言葉を思い出す。病は気から。

脳梗塞に罹った友人には、私のようになってほしくない。
自分が「かつて罹った」病に対して、退院してからどうするか、この本には書かれている。

でもまあやっぱり自転車選手としてのランスは嫌いだ。むかつく。
おまけに今年復帰しやがった。ツールに出場することは確定している。
また、春に行われる「世界最高の自転車レース」ジロ・デ・イタリアにも初めて出る。
しかも復帰はお金ではなく癌基金のためときた。何とも非の打ち所がない。
突っ込みどころがないので、ただ「嫌い」と言うことしかできないというわけだ。
非論理、感情論である。

これだけおおっぴらに嫌いと言っておきながら取り上げているわけで、ということは超おすすめの本。

ただし、助詞が少々おかしくて日本語としてよみづらく(たとえば“クリスは、マルコ・パンターニやミゲル・インデュラインといった世界的自転車選手はみんな、僕が足元にも及ばない選手たちだ、と言った。”という文がある。これは“クリスは僕のことを、マルコ・パンターニやミゲル・インデュラインといった世界的自転車選手の足下にも及ばない、と言った。”とするほうが主述が錯綜せずスマートだ。さらに、足元という漢字は文字通り足元を指し、足下と書いてこそ“影響下”といったときの“下”の意味になるんだけれど、こんなところまで細かく突っ込む人間もあまりいないので世の流れは変わらないような気がするので私は大人の文章作法や言葉遣いに関しては15年くらい前から諦めムードですがご注文のほうは以上になりますがよろしかったでしょうか)、自転車に関する言葉も、たとえばツール・ド・フランスの「総合優勝」が「全体優勝」となったりしていて(自転車用語に関しては仲沢隆なる人物に監修をしてもらったと訳者あとがきにあるのだが……)、興醒めとは言わないまでも、小説ならどんな造語でも使ってかまわない。読むほうはその小説家の言葉選びや文体が好きか嫌いかで済む。でもこれは現実にある物事についての、日本語で唯一手にできる本なのだ。こういうのは困る。そして、そういったことを差し引いても、ランスの語り口への畏敬の念はこれっぽっちも揺るがないのだから、ランス嫌いの私にしてみれば、ほんとうに困る。

蛇足だが、このブログには誤字脱字がたくさんある。でもまあ別にいいかと考えている。綿密に校正だか推敲だかやろうものなら恐らく私はたったひとつの記事すらも、何年経っても「完成」できないだろう。これは私自身の問題だ。そして私自身以外の理由として、私は、この文章でお金をもらっているわけではない。まあこれは言い訳の一環でもある。


Lance Armstrong:公式サイト
Wikipedia:ランス・アームストロング
ランス基金:LIVESTRONG Lance Armstrong Foundation
リストバンドの購入方法は、サイト右上の“SHOP”→“WRISTBANDS”で、好きなサイズと数量を選び、国と住所と名前とカード番号を入力するだけ。簡単。偽物がはびこっていて、本来の意味を考えると偽物では台無しです。

Youtube:1999年ツール 第9ステージ
ランスは前日までの総合首位で、黄色いジャージを着ている。先に逃げた赤いのと緑色のは、総合優勝争いに加わっているふたり。ふたりにとっては、ここで差をつけてゴールして、前日まで首位のランスとのタイム差を縮めたいところ。スプリンター(平地に強い、パワー系)だと思われていたランスは、この山岳ステージ(体重の軽いクライマーが強い)で勝つ必要などなかった。誰もそんなこと予想していなかった。そんなことすれば疲労困憊、翌日からくたくたになっていつのまにかタイム差がなくなってしまう。ランスは前日までに6分以上も2位に差をつけていた。なのでぶっちゃけ2先に逃げているふたりに3分くらい先にゴールされてもだいじょうぶだった。でもランスは集団から飛び出し、逃げていたふたりに追いついた。ちなみに逃げは、山岳では決まることがあるが、平地では決まらないことのほうが多い。集団の中で空気抵抗を受けずに体力を温存し、一生懸命風を切って逃げている選手に対し、集団は集団らしく一致団結してじわじわと差を詰め、ラスト数キロでアタックすればいいからだ。とにかく、ランスがここで勝つ必要などない。だがランスは追いつくどころか抜かして先に行った。スプリンターだと思われていたのに、すいすい坂を登って行った。しかも、ペダリングがパワフル系ではなく、軽くすいすいという感じだった。私は恐くなった。え、平地で速いだけでステージ優勝もしてるんだからじゅうぶんだろ、もう復活してるよ、やめてくれよ、と思った。このステージを優勝しちゃって、平地も山岳も強いってことは最強なので、これはランスが優勝しちゃうかもしれない、こいつは、がんばった翌日に疲れが残って前日のがんばりが帳消しになる(ステージ優勝だけを狙っている選手によくあるし、逆転で総合優勝するためには自分はこのステージで大差をつけて勝たないといけないとなった選手もやっちゃって翌日ああやっぱりということがある)ようなやつじゃない、行ける確信があるから行っている、と感じた。大して注目されていなかったアメリカ人のランス。アルプスの山奥にファンがいるわけもなく、道路にまったく名前が書かれていない。

Youtube:ランス・アームストロングvsマルコ・パンターニ
2000年ツール。癌から生還した男と、4年後に命をなくす男。ランスは黄色いジャージ。パンターニはピンク色のジャージ。先に逃げたパンターニ。彼は典型的なクライマー。逃げて勝つ。ランスは集団から飛び出して追う。自転車レースを見たことのない人には何が何だかさっぱり解らない「自転車競争」にしか見えないと思うが、ものすごい駆け引きがとんでもない速度で目まぐるしくなされている。そしてランスはこの動画だと4分後半から5分前半にかけて、1分くらいずっとダンシング(立ち漕ぎ)している。こんなのランスにしかできない。嘘だと思ったら近所の坂でやってみるといい。立ち漕ぎは楽だと思われているけれど、実はエネルギーを消費する。ちなみに立ち漕ぎでは腕に力を込め、ハンドルを引き寄せるようにして反作用で上に登る、というのは間違いである。重力に逆らって登ろうとしているのに押さえつけてどうする。手は添えるだけが理想。体重は、できるだけペダルに集める。これはあくまでも理想で、そんな人はこれまでにいない。延々とダンシングで進むランスの後ろで、パンターニは時折疲れ果てたかのようにサドルへ座る。当時これを観ていた私は、もちろん“イル・ピラート”パンターニに勝ってほしかった。でも勝てる気がしなかった。お時間のある人は動画を観れば分かるが、この勝負はパンターニが勝つ。ランスは「俺は総合優勝をとるからステージ優勝なんてどうでもいい、だからパンターニに譲ってあげたんだよ」とコメント。私はとてもむかついた。何様のつもりだお前。(←そう言うお前が何様だよ
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コメント

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kotaさん、こんにちは。
黒田硫黄の『茄子』というマンガに自転車のロードレース(レーサー)が描かれていたのをかつて楽しく読んだので、今回の記事は、とてもスリリングで楽しかったです(kotaさんの病気の箇所はどきどきしましたが。。)
ところで、山って登ったら降りないといけないのですね。以前、少しだけテレビで放映されていたのを観た事があったのですが、下りのスピードの速さにおののきました。

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