マイク・マクゴニガル「マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン」 



1991年はロックの当たり年だった。アメリカではシアトルからグランジが大爆発し、イギリスではロックとダンスが融合したマンチェスタームーブメントがピークを迎えていた。The KLFは世界を翻弄し、ちんけなバンドのプライマル・スクリームが一躍時代の寵児となり、サッカーのファンジンを作っていたおっさんはダンスとロックの橋渡しをするDJとして君臨し、カート・コバーンは蝕まれていた。たくさんの名盤が生まれ、時代の徒花でも懐メロでもなく、今でもふつうに聴けるものばかり。その中でも私が最も愛聴し続けているのが、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン(通称マイブラ、以下MBV)の2ndアルバム「ラブレス」(リリース当初の邦題は「愛なき世界」)だ。制作費4500万だか6500万だかで、レコーディング期間3年、エンジニアは総勢18人、所属するインディレーベルのクリエイションを破産に追い込んだことでも有名な、終わりなき偏執狂の創造性を極限まで追求した、いまさら私が言うまでもなくロック史に燦然と輝く名盤中の名盤中の名盤中の傑作。サイケデリアの到達点、シューゲイザーの金字塔。隙間なく空間を埋めつくすギターノイズ。その上から降り注ぐ美しい旋律と甘く気怠い声。官能性と多幸感に満ちた夢のような世界。CDは3回買い替えた。LPも磨り減ってしまい、なんとかクリエイションのオリジナル盤をみつけて2枚目を購入した。

本書は、そのアルバムの制作現場や裏話などをまとめたもの。
要は「なんでそんなに時間がかかったのか」という話。
 
リアルタイムに聴いていたものが名盤となることに違和感があった。でも考えてみれば「ラブレス」は1991年リリースなので、すでに18年が経っている。私が音楽を聴きはじめたのは1983年で、そこから18年前というと1965年である。ロックなんてほとんどが1965年以降のもので、その前となるとエディ・コクランくらいしかいない。そう考えると18年経てばロックの名盤に加わっても変ではないのかもしれない。ストーン・ローゼス、マッシヴ・アタック、ニルヴァーナ、このあたりは名盤の常連だし、1997年のレディオヘッドのオーケーコンですらなんだかそんな仲間入りしてるし。

MBVは「ラブレス」リリース後にクリエイションから大手のアイランドレーベルへ移籍するが、現時点まで1曲も公式リリースはない。時折トリビュート盤に参加したり個人名義でサントラに新曲を提供したのみである。でも解散もしていない。つまり「ラブレス」は最新アルバムでもあるのだ。このことが神格化を促したことは否定できない。

偏執狂が行き着くところ。それはいつも悲劇だ。ブライアン・ウィルソンのスマイルは発売されずに終わり、なぜか最近になって不完全版が出た。ブライアン・フェリーのホロスコープは海賊音源すら出回っておらず、フェリーは創造力を使い果たして懐メロカバー歌手に成り下がってしまった。唯一、ロックで偏執狂の夢を具現化できたのが、MBVのLovelessだ。一発で決まる演奏力の高さや、曲の新鮮さを保つ録音とは全く異なる世界がここにはある。楽器の演奏がどれだけ上手くなっても、それはあくまで楽器の音色だ。「ラブレス」で聴けるギターノイズは、楽器の音でもないしエフェクタの音でもない。そういう成り立ち方ではないのだ。

当時のクリエイションレーベルは法人ですらなくほんとうの個人経営で、逆説的に弱小のクリエイションでなければこのアルバムを出せなかったはずである。大手だったら会社側が発売日を決め、日程が逆算されてスタジオの手配がされる。想像してみてください。あなたはレコード会社を経営している。従業員は事務の妻だけ。全然お金がない。所属しているバンドが話題となりはじめ、シングルは好評だった。続いてアルバムのレコーディングに入る。スタジオをバンドに貸す。1か月経つ。バンドはスタジオから出てこない。あなたは「いつできるのか?」とバンドに尋ねる。バンドは「すぐ」と答える。その状態が1年半続く。いつできるのか判らないからラジオや雑誌へのプロモーションなんてできっこない。あなたは待つことしかできない。費用はふくれあがり、4500万とも6000万とも言われるほどになった。バンドはレコーディングを終えてからエンジニアリングに入った。エンジニアに満足いかず取っ替えひっかえして結局18人がクレジットに名前を連ねた。あなたはついに「レーベルが倒産する前にアルバムを完成させてくれ」とバンドに懇願する。3年経っていた。アルバムができあがり、バンドは満足な顔でスタジオから出てきた。バンドメンバーは住まいがなかった。バンドもお金がなかったのだ。でもあなたはお金がないどころか借金まみれになっていたので無一文でホームレスなバンドメンバーのほうがマシである。できあがったアルバムは、とてもじゃないけれどラジオで流せるようなものではなかった。おまけに曲間には無音状態がなく、つながっていた。

そこまでずるずると行ってしまうのが、クリエイションレーベルのアラン・マッギー。
彼は経営者ではなく音楽好きなのだ。
その後クリエイションはソニーの資本が入ってインディではなくなり、オアシスで潤った。
で、大きくなりすぎちゃったからクリエイションを解散し、再び個人経営のレーベルを始めた。
私はこういう男が大好きだ。
彼以外に「ラブレス」を世に送り出すことができる人物はいない。

後年アラン・マッギーはインタビューでこう語っている。

「プライマル・スクリームもマイ・ブラッディ・ヴァレンタインも、仕事上の関係は終わってしまったけどね。プライマルとの17年は、ケヴィンとの4年間に等しい。でも僕は本当に彼を評価しているんだ。あまり軽々しく言うつもりはないのだけど、もしリアム(・ギャラガー)が天才的なロックンロール・スターだとしたら、ケヴィンは天才的なアーティストだし空想家だ。でも、ケヴィンと同じリングに登るには大変なパワーが必要だよ。だから彼ともう一度仕事をしたいかと聞かれたら、答えはノーだね」


2009年4月12日付のamazon.co.jpの「海外のロック・ポップス」ジャンル。
並み居る強豪を抑えて、CDではない本書が1位になった。
マイブラだけのブログも日本にたくさんある。



「ラブレス」は、トレモロアームを使いまくった演奏そのものだ。揺れる。揺れるリズムとかではなく、音が揺れている。最初の2秒、ドラムが「タタタタ」と鳴る音だけがまともな音で、以降は全ての音が歪んでいる。ドラムはサンプリングなんだけれど生身の人間が演奏するよりも絶妙な間をとって尚かつ揺れる。ドラムの音を配置するだけで気が遠くなるような作業だ。ドラム、ベース、ギター、ボーカルは全部モノラル。何層にも重ねられたギターノイズだけが、かすかに右と左で異なる(こともあるような気がする)だけだ。それなのにこの揺れは何ということだろうか。

MBVのリーダーというか、彼の頭の中を具現化するためにMBVがあるようなものなんだけれど、そんなケヴィン・シールズはツアーのときに夥しい数のエフェクタを使う。ここにその写真がある。
http://mbv08.seesaa.net/article/107480055.html
しかしながら本書を読んだらもうひとつ驚愕の事実があった。ケヴィンは揺らし系のエフェクタを全く使わないそうだ。トレモロアームとワーミーのみ。おまけに何層にも重なっているようにしか聞こえないギターの音は、何とびっくり重ねていないそうなのだ。「ラブレス」以降、雨後の筍が鼠算式に増えたが、そんなMBVのフォロワーがMBVと同じようにするには道具に頼らないと無理って感じで使いはじめたらしい。おそるべしオリジネイターである。エフェクタいらずでこれですか。フローティング・トレモロのあるフェンダーのジャズマスターさえあれば同じ音を出せるんですか。それってベンチャーズも使ってましたよね。そしてパートナーにはジャガーにケーラーつければ完璧なわけですか。絶対そんなわけない。過去18年間、世界中の音楽マニア--私のような楽器を弾けない人間からアマチュアギタリストからプロミュージシャンまで--がどれだけ解析しても再現不可能なのだ。機材は日々進歩している。1991年リリースの音は、誰も解明できなかった。それが「18人のエンジニア」によるポストプロダクションなら解析するのは諦めなければならない。だが昨年衝撃的なできごとがあったので、ポストプロダクションでないことは判っていた。

2008年のフジロックフェスティバル。MBVは最新アルバム「ラブレス」からの曲もたくさん演奏した。どれもが野外ライブとは思えぬ音色と音像で、アルバムと変わらないことに驚いた(その理由は本書を読んで解った)。私はまぶしくてハレーションを起こして何も見えなくなるギターノイズの洪水に身をゆだねながら、18年間聴き続けてきた音楽と邂逅していた。ダンスでもロックでもない、1990年代に生まれた中で最も奇妙な曲「soon」で、観衆は縦にのったり横にのったりした。ステージのラストは轟音ノイズ炸裂の「You made me realise」で締めた。1991年に川崎で観たMBVのライブは、音がくっきりしていて攻撃的だった。18年経ち、ライブなのにCDよりもすばらしいものになっていた(おかしな言い方である)。恐らくMBV=ケヴィン・シールズが追い求めた音を獲得できたのだろう。どんな機材を使っているのかなんてどうでも良くなった。18人のエンジニアが音をこねくりまわしたものよりも、こうしてライブで演っている音の方が遙かに良いのだ。攻撃的でありながら甘美。枯淡の境地とか歳を重ねて渋くなったとかいう常套句とは無縁。自らが生み出す轟音のせいで片耳を潰したMBVのリーダー、ケヴィン・シールズ。彼こそがギターノイズマエストロだ。

そんなわけで、新譜なんて出さなくていいからケヴィン、
死ぬまで「You made me realise」と「To Here Knows When」と「soon」を演奏してください。
これからも、もっともっとすばらしくなるはずだから。

アルバムは2枚。
「Isn't anything」と「Loveless」のみ。
シングルも初期は典型的なインディギターバンドなので聴く必要なし。
でもクリエイションに移籍して大化けしてからは必聴。
「You made me realise」と「Feed me your kiss」と「Glider」と「tremolo」の4枚。
大名曲なのにアルバムに収録されておらず高値が続く「You made me realise」は
ブレイクのギターノイズだけの部分が案外短い。
ライブだと5分も10分もやってくれるから、ライブに行くのが正解。



左上、初期のEPとミニアルバム4枚をまとめたアナログ。デモが入った7inchつき。1st「This is your valentine」(1985年1月 Tycoon)はベルリンっぽくて少々ドアーズ風味。「Geek」(1985年12月 Fever)はいかにもインディギターバンド。かなりポップ。「The new record by」(1986年9月 Kaleidoscope sound)ではいささか速くなる。「Sunny sundae smile」(1987年2月 Lazy)にはファンの多い“Kiss the eclipse”収録。いずれもオリジナル盤は高値。右上、1stアルバム「 Isn't Anythig」は過渡期の音で、唄っている内容はケヴィンとビリンダの熱々な恋ばな。左下、シングル「Feed Me Your Kiss」はMBV全楽曲の中で最もベースが前に出ている強力な曲で、これは45rpm12インチレコードでなければならない。右下が2ndアルバム「Loveless」で、ジャケットは音楽そのもの。ジャズマスターの残像がサイケデリックな赤に埋もれている。ハレーションを起こしている1stアルバムの(ある意味一本調子な)攻撃性は抑えられ、深化した。

CDは、上から「Ecstacy and wine」が1987年8月リリースの4thシングル「Strawberry wine」と同年11月リリースのミニアルバム「Ecstacy」をレコード会社が勝手にコンパイルしたもので不本意ながらも廃盤なのでこれにせざるを得ない。いかにも80年代ギターポップで、ラブレスみたいなのを期待すると肩すかし。2枚目は「Isn't Anything」のCDで、その下が決定的な名曲「You made me realise」収録のタイトルなしシングル。少女が芝生に寝ころんでナイフと花を持って微笑んでいるジャケット。MBVが希望していたクリエイションに移籍できたもんだから、やる気満々、凡百インディーギターバンドからギターノイズの権化に大変貌。音がいきなり分厚くなった。他の曲もコード進行が変で、変な曲の博覧会。次が「Soon」収録のシングル「Glider e.p.」で、セカンド・サマー・オブ・ラブに沸く当時、打ち込みドラムで大好評。4つ打ちなんだろうけどハウスでもないリズム、延々かき鳴らされているのにうるさくないギターノイズ、のんきな上ものメロディ、1990年代で最も変な曲に認定された珍品。Soonはアルバム「ラブレス」に収録されているのでこれを購入しなければならないということはない。いちばん下が「tremolo e.p.」で、タイトルはトレモロアームとインスパイア元のスティーヴ・ライヒから。全編アンビエントギターノイズなノンストップシングル。ラブレスにも収録されている「To here Knows when」が最高。

これでMBV全ディスコグラフィー。あとは1stプレスにだけついていたおまけなどがある。ケヴィン・シールズは個人名義で映画「ロスト・イン・トランスレーション」に新曲を提供しただけ。しかもギターインストばかり。この映画は史上最も美しく東京を撮った映画として有名で、私もそう思う。特にラスト、ジーザス&ザ・メリーチェインの“Just like honey”が流れ出す瞬間、全く美しくなくて日本を代表する景観ともいえる西新宿のカメラ街なんだけれど、このシークエンスは圧倒的に美しい(私はこのシークエンスだけで10時間くらい語るので超うざい)。抱きしめられ、あふれてくる涙を流さないようにこらえるスカーレット・ヨハンソンの目力もすごい。あれが演技だ。東京と地方の情報格差の反作用なのか何なのか知らないけれど観ない人が地方には割と多い。これはそんな意地っ張り的なものなんてものともしない完成度の映画だ。東京のプロモーションビデオではない。なので観ないともったいない。ケヴィンのノイズも超フィットしている。

MBVの楽曲をリミックスしたものやカバーは、どれも屑。他の人の曲をMBVがリミックスしたものだとMogwai“Fear Satan”が飛び抜けて良い。MBVの曲になっているという意味でだけど。16分あって聴き応え十分。中盤のギターノイズだけのところもたっぷりあって満足。

MBVはPVにも力を入れていた。とはいってもディレクターが大御所だとか予算がすごいとかいうのではなく、フィルム撮りしていたのだ。色の洪水、延々と続くハレーションが特徴のMBVのPVは、テープやデジカムでは色が良くない。私の記憶によると日本のテレビドラマでフィルム撮りした最後のものは「私立探偵濱マイク」だったはずだ。あれを観たことのある方なら、フィルムとテープの違いがお判りかと思う。

発行がP-VINE(サイケデリックの名品をリイシューしてくれる)で、邦訳がクッキーシーンの手によるというのもうれしい。ふつうの雇われ翻訳家じゃじゃ話にならないし、かといって日本の音楽関係は渋谷にある渋谷氏の某社が出しゃばりがち。伊藤氏は「ロッキング・オン」誌がMBVに見向きもしなかった頃からMBVのことを日本に伝えていた。日本語訳は彼以外にありえない。そして同氏が訳した「クリエイション・レコーズ物語」には、アランへのインタビューが載っている。両方読まないと真実は見えてこない。まあ、両方読んだって「藪の中」状態になるわけだけれど。

聴かずに読むのはおかしな話。MBVに興味を持たれたら、まずは885円で売られている「ラブレス」を聴いてみてください。
で、本書を読むというのが失礼のない、最善の手続きでしょう。

印象に残ったケヴィンの発言。

「誰もぼくのようにギターを弾いていなかった。というか、ぼくら以外にトレモロ・アームを使うバンドはいなかった。ぼくらはトレモロ・アームだけを使ってすべての変調をおこなっていた。これはすごく変わった特徴だと思う。演奏するのがとても大変だったから、誰もそれを真似しようとは思わなかったんじゃないかな」

「ぼくは自分だけのやり方を発見した。自分自身のフィーリングを表現する演奏方法というものを。ヴォーカルのバックでギター・トラックがひとつしか空いていないような場合、複数のアンプやマイクを使って1本のギターのサウンドを厚くする。さらに開放弦やオープン・チューニング、そしてジャズマスターかジャガーのギターにあるトレモロ・アームを使うことで、サウンドがよりビッグになるということがわかった。意識的に考えてそうしたわけじゃない。あるひとつの感情表現をギターであらわすことができたというか。ベンディングさせたサウンド…、言葉で説明するのは難しいね。リスナーの耳に聞こえているのは、オープン・チューニングとベンディング奏法を用いた、サウンドとサウンドの“間”にあるものなんだよ」

「トレモロ・アームをすべて改良したんだよ。ぼくはアームを普通のポジションで使わない。通常のやり方じゃ、まったくうまくいかないと思う。ベンディング奏法というのは普遍的な性質を持っている。これはあらゆる文化のなかに存在する。でも西洋の音楽では、しばらくの間、なかったことになっていた」

「通常、レコードを作るときは、中音域を抑え、高音域と低音域とを上げることで、よりスウィートな響きにしようとする。さらにステレオ・セパレーションやリヴァーブ、アンビエンスなどを駆使して、よりハイファイなサウンドに仕立て上げる。そうやって、ビッグな、空間的広がりのあるサウンドを求めることが多い。でも、ぼくが録音したものは、ほとんどモノラルだった。『スーン』はモノラルだし、『トゥ・ヒエ・ノウズ・ホエン』もモノラル。ステレオ・セパレーションのかけらもない。“ビッグ”という感覚は、深さという認識からも創出できる。例えば『ペット・サウンズ(Pet Sounds)』やフィル・スペクターのプロダクションは、もちろんモノラルだよね。つまり、ステレオ・セパレーションやアンビエンスといったものよりも、周波数のバランスのほうが深さを感じさせる。それが重要なんだ。いかにも効果的に聞こえるというものは、ぼくの心に響かない。ひとつのスピーカーから何かが聞こえてきて、もうひとつのスピーカーからまた別の何かが聞こえてくる、それがどうした、って感じ。80年代の典型的なステレオ・サウンドというのは、まずドラムに派手なステレオ・エフェクトやゲート・リヴァーブをかける。ギターは極端なまでに左右にふられたりしている。でもって、オーヴァーダブによって、ヴォーカルとドラムを中央に…。いかにも大企業的で脆弱なサウンドだね」


マイク・マクゴニガル「マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン」
My Bloody Valentine/Loveless←何と885円
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