多和田葉子「ボルドーの義兄」



まず最初に結論を口にして、それはなんでかっていうとこうだから、だってそれってこういうわけで、と話が続く「さかのぼり形式」は、実際に話を聞くときには相当の苦痛を強いられる。プレゼンテーションならば最初に結論というか提案を出しといて裏付けを説明していく方法はマニュアルにもある。それを小説としてやってしまう多和田葉子は技術のある書き手だ。

 
多和田葉子の小説は何よりも読みやすさを優先している。日本語の正しい使い手であることはもちろん句読点のつけかたにもそれは表れている。恐らく彼女はできることなら読点を使わないようにしているのではないかと感じた。というのは冒頭にある一文「立ち止まったまま、まわりをみわたすと、今列車を降りた人たちが出口に向かって液体状にまとまって流れていき、最後には優奈と若い電気技師だけが残った」では読点を一文における最大限度とされている3つ使っている。最初と次の読点は「まわりをみわたすと」をひらがなで記述すると区別がつきにくいからつけているのではなかろうかと思ったからだ。話し言葉ではそんなところで一呼吸おかない。そして前後の文には読点がない。

私は読点のつけかたにルールを決めていない。鉤括弧の前につけないという基本のひとつを守っているだけだ。区切りが明快になって「目で見て読みやすい」ようになることを一応心がけている。なので同じ構造の文章において読点をつけることもあればつけないこともある。漢字の前にはつけないことが多い。それでいながら読みにくいのは私の日本語能力の低さなわけで自分でも残念である。

短い断章が連なる形式。断章のひとつひとつには漢字一文字が鏡面文字になった章題がつけられている。鏡であることや裏を意味するのではなくてフィルムのネガティブのような意味ではないかと読んで思った。もしくはハンコのようなもの。これはあくまでも私見であって別に意味はなくて単なる遊びなのかもしれない。

カバーはマゼンタと濃いピンクと濃い赤と銀の箔捺しの特殊4色印刷だと思うのだけれどもしかしたら私がピンクだと思っているのもマゼンタかもしれない。具体的に言うと「形」が鏡面になっているのが濃いピンクで「夏の間どうのこうの」がマゼンタ。

ふつうにスリリングでおもしろい小説です。
関連記事