眠音[neon] Vol.10 



石田屋が発行する「眠音」2009年夏号の特集は「ねおんなひと・きままな自転車ライフ」
メディア掲載といっても、漆塗りの自転車に乗ってるということで掲載になりました。
漆器でも、漆器屋としてでもありません。
気ままな人間で、自転車に乗っている私。
いつものように、顔が判る写真は載せないよう気ままなお願いをしました。
この日のポイントは、MAVICの新しいグローブと、
プログレッシヴロックの代名詞PINK FLOYDの「狂気」をモチーフにしたサイクルジャージです。
こんなのを海外から通販で購入するアホは他にいないというわけではなく結構います。
(狂気はアナログLPとCDと5.1chSACDの三種類ぜんぶ持っています)

※ここに載せた画像は、本文を読めないよう、見出し以外はガウスをかけてあります。

 
さすがプロの写真はすてきです。私が自分で撮って後で観ても「あれ……うーん、ほんとはこうじゃないのになあ」と思うばかり。それが一発で決まるというのはすばらしい。そりゃまあプロなので当然と言えばそうなんだけれど、漆器を撮るにはそれなりのノウハウが必要なのです。これは漆器特有のものもあれば、艶があるものに共通するものもあります。

私はカメラマンとしてお金をもらう仕事をしたことはこれまでわずか2回しかありません。しかも、そのうちのひとつは大学時代の同級生が自称広告クリエイターで実態は無職という私を見るに見かねて広島へ旅行気分で誘ったものだったりします。あとはアートディレクションだけです。

手がけた撮影で難しかったのは、アイスクリーム、カーオーディオ、宝石。アイスクリームは質感を出すのが大変です。バニラと、バニラの入っていないミルクの違いを、バニラの粒(これが入っているバニラアイスは安物です。何というか、出がらしの茶葉が浮かんだお湯のようなものです)が入っていないバニラの場合に出すのは相当大変です。おまけにアイスクリームってやつは溶けます。カーオーディオは、私が手がけていたのがイルミネーションが勝負といった感じで、2DINサイズがメインだった頃というのもあり、とにかく全部光らせればオッケーでした。そんなわけで私はなるべく音のうるさいCDを選び、カーオーディオのイルミネーションだけが浮かび上がる真っ暗なスタジオで、何とびっくりシャッタースピード2分とかいった気の長い私でもあくびが出るくらいの長撮りをしていました。もちろんスタジオ内にいる人間は動いちゃだめです。おまけに映り込みがないように「それって何か役に立ってるの?」と疑問に思うくらい夥しい枚数のトレペ的な紙を使い、ようやくカーオーディオは男くさいマットな黒に写るのでした。宝石は、映り込みよりも光の反射が肝心。色って要するに光なんだよねと知ったのは、宝石の撮影によってでした。写しているカメラが映り込まないように撮るノウハウは、宝石撮影のときに知りました。漆器の撮影で役立っています。

漆塗りの写真は、私のノウハウを逆算していくと、あまり明るくない場所で、シャッタースピードを1分くらいにすると、実物を目で見たときに近づくのではないかと思います。質感を出すことが非常に困難。作家のカタログなどでは、質感を出すことを放棄し、写真全体の雰囲気を演出する方向に走った写真も見受けられます。とはいってもそれはまだ良いほうで、ほとんどが「こんな写真ならお披露目しないほうがむしろ良いのでは」と思っちゃう代物ばかりです。品物に自信のある漆器屋さんこそ、プロのカメラマンやフォトグラファーに依頼すべきです。そしてそのカメラマンが、何を得意としているか、これが重要。食卓や、使っている「シーン」を撮るのが上手いカメラマンもいれば、静物撮りが尋常ならざる職人技というカメラマンもいます。そして、かっこよく撮るのとリアルに撮るのとでは、また異なります。

話が長くなりましたが何を言いたかったのかというと
光を自分でコントロールできない屋外で
私のかわいいロードバイクをすてきに撮ってくれたカメラマン(カメラウーマン)に感謝しているということです。

私は印刷物などこれからはどんどん減っていけばいいと考えている人間です。
(そのことについて話し始めると24時間でも足りないので省きます)
でも、こうやって印刷物になるとうれしく思います。
印刷物っておそろしいですね。

「眠音」Vol.10は、石田屋各店にあります。
100部いただき、いろんなお店に配りましたが、私の手元に20部ほどあります。
ご入用の方はcotaniguchi@gmail.comまでメールください。
普通郵便だか冊子小包だかメール便だかでお送りします。
全28ページ、夏野菜のレシピや肩凝り解消法など、相変わらず商売気のない充実した内容です。

自転車といえば、今日、友人のバイクが届き、帰宅ついでにうちへ寄っていきました。
これから自転車通勤するそうです。雨の日も。
ミニベロなのに前後フルサスのMTBというMV5 FSというモデルで、さすがルイガノって商品企画がお上手。
コンポーネントもシマノDeoreとSLXで、街乗りにはオーバースペックなくらい。
街乗りサイクリングはもちろん、ちょっとした山なら余裕で入ることができます。
私もMTBかシクロクロスがほしくなっちゃいました。一瞬。




ここからは蛇足。

「眠音」の巻頭には、前号から永瀧達治氏によるコラムのようなエッセイのような文章の連載が始まった。永瀧達治といえば私にとって、神と繋がるシャーマンのような存在である。何が神か、何を繋げていたのか。もちろん、セルジュ・ゲンズブール。私は永瀧達治の文章(そしてときどき立川直樹の文章と)によってゲンズブールを知っていった。私がゲンズブールを墓参したのは、彼が亡くなってからだいぶ時間が経ってからだ。でもそれも、永瀧達治の文章に触れなければ墓参すらしなかっただろう。いわんや、パリの生家を参って壁に落書きするなど、そんなことを聞いていなければ決してすることはなかっただろう。

当時はインターネットなどなかった。

すぐに絶版になることが明らかな書籍をチェックし、雑誌もゲンズブールという文字が表紙にあれば中身を見ずに購入した。私が大変だったのは、私の周りには私よりもゲンズブールに詳しい人がいなかったことだ。いつしか私は周囲からゲンズブール情報はkotaみたいな感じになっていて、私は「そうじゃないのに」と思いつつ、ゲンズブールに惹きつけられた人が周りに増えていくのを心地よく感じていた。東京中の中古レコード屋をあさり、私が既に持っているレコードがあれば、ほしがっている友人に知らせた。渋谷パルコの地下にあった洋書店に写真集が入荷されれば、ピグマリオンコンプレックスの女の子に伝えた。

そうやって、いかにも素人なことをやっていた私だった。
世界中にいるゲンズブール狂の足下にも及ばない、
ゲンズブール“情報”マニアに過ぎなかった。
おまけに、ゲンズブールにしろ彼のパートナーだったバーキンにしろ、
男が好きというのは憚られ、自称フレンチロリータな女の子が言うなら許される雰囲気があった。

バーキンのようにTシャツとジーンズですてきな女の子は割といる。
男で髪がぼさぼさ、無精髭を生やしてかっこいいなんてゲンズブールと芥川龍之介くらいである。
横光利一新感覚派な髪型は何もしていないからこそなのかスタイリングしてあれなのか、私には謎)

要は、ガキが来る世界じゃない、という空気だった。
私はヴィトゲンシュタインがいきなり北欧の断崖にある小屋で暮らし始めたのと同様に、
ミシェル・フーコーが同性愛者であることを前提として彼の著書を読まないと誤解しちゃうのと同様に、
ゲンズブールの生き方を知っておかないと彼が生み出したものを心の底から理解できないと考えていた。

これは作家主義とは異なる。

で、こっちに帰郷してからゲンズブールを知っている人が周囲にいるかと思えばそうではなく、たまにこいつならと思って聞かせれば安っぽい音と一蹴され、映画を観せればポルノと思われ、東京で「ゲンスブールナイト」なる催しが度々あったことなど信じられないくらい長閑な毎日になった。でも私はゲンズブールを聴き続けている。歌詞の邦訳までライフワークのように続けている。なぜゲンズブールがその単語を選んだのか、仏和辞典ではなくフランス語の辞典まで繰りだしている。しかしまだまだ(私にとっての)謎は解けない。だからこそライフワークなんだけれど。そんなわけで「眠音」の前号を拝読してから石田屋の田中社長と(いつものようにくだらないというか彼にとっては息抜きな感じで私が石田屋を訪れてお茶をいただきながら)雑談をしていたときに、ふと永瀧達治の文章がありましたねと切り出したら、田中社長もゲンズブール好きだということが今さら判明し、いろいろと今後が楽しみな感じになってきた。私はゲンズブールに謁見できなかった。彼は死んだ。でも私にとってのシャーマンは、私のロードバイクの写真の対向ページに文章を書いている。

田中社長や、私は会ったこともないけれど永瀧達治のような大人の男は、いろいろ知っている。知っているというのは他でもなく体験しているということだ。私よりふたまわりくらい上の世代には、こういう人たちが稀にいる。私の世代は、もはや情報が先行してしまっている。知っている人だけが知っている世界というものを形成しづらくなってしまった。それでもまだ、ネットに流れない物事はある。そういうのをどれだけ知っているか、自分の足で出向き、体験したか。それがほんものだ。

もし仮に私が同じような「慣れた大人」ならば「じゃあこんど永瀧さんを加賀温泉に招待しますよ、金沢じゃ食えないもの用意して。プラダの社長が社員にホスピタリティを教えるあの宿にオーディオ持ち込んで延々ゲンズブール流して飲みましょう」とか言うところなのだけれど、実際の私といえば「あのう、こんど本持ってくるんで、サイン貰えますかね……そんなの嫌がりますかね、失礼ですかね」とか言っちゃって格好悪いったらありゃしないとほほ。

ともあれ、歳をとるとすてきなことが待っています。
広がるようでもあり、フォーカスされていくようでもあり。



永瀧達治氏は本誌において、人生のリセットについて、フランスの事情と、自身の東京と金沢の二重生活を中心に言及している。私は常日頃から日本は不自由な国だと考えている。大学を卒業して新卒で入った会社で人生がほぼ決まってしまうからだ。リセットではなく、会社を辞めてマックジョブにつくような「外れた」場合は、修正することが非常に困難である。いきなり東京での生活を捨てて田舎で野菜作りを始める人もいたり、田舎でものづくりを始める人もいたりする。割とそんな人もいるように思えるのは、そういう人がクローズアップされるからに外ならない。逆からみれば、クローズアップされるのはレアケースだからである。フランスでは3年間で250万人が人生を変えたそうだ。日本でいうと500万人。

女性ならば旦那の収入をメインに生活を組み立てることができる(場合が多い)のでいきなり何かを始めることも(男性に比べれば)困難ではない。しかし妻と子どものいる男がいきなり仕事や生き方を変えることは不可能だ。旦那がいきなり「パイロットになりたい」とか「画家になりたい」とか「プロ野球選手になりたい」とか「カリスマ主婦がいるなら俺は日本最初のカリスマ夫になってやる」とか言い出したらそんなの即離婚である。高卒でも改めて「勉強」したいなら大学に行けば済む。しかし一旦就職して社会人になってから「就職のために大学へ行く」というパターンは寡聞にして知らない。何か資格を取るためにスクールに通うことがほとんどのはずだ。最終学歴と、新卒で入った世界。このふたつでだいたいが決まる。学歴社会という言葉は日本では東京大学を頂点とした偏差値によるヒエラルキーを意味する。だが、その裏側には私が感じているところがある。そして残念ながら高学歴のほうが人生を変えるときの選択肢は多い。

なんだか暗いムードになっちゃったが、人生を変える人がフランスでは多くて日本では少ないという違いは国民性もあるだろうし「人生変えたいとか別に思わない」とかいった人が多いなら、それはそれですてきな国であると言うこともできる。実際私も東京での広告業界を捨てて帰郷したので「なんで戻ったの? もったいなくない?」とかいった質問は数えきれないくらいされた。それくらい、変えることに保守的な感じなのだろう。また、長くやっているほうが偉いという空気も日本にはある(私は懐疑的だ)。

自分の現在の境遇が不満というのは、こういった話とはまた別の問題である。


自転車といえば、いよいよ7月4日からツール・ド・フランスが始まります。今年は07覇者のコンタドールも出場できるし、もちろん昨年覇者の山に強いサストレも出るし、今年のジロを制覇した地味なメンショフ(ジロで優勝が決まった瞬間に叫んだのが超かっこよかった)も出るし、おまけに前人未踏の七連覇を達成した1971年生まれのランスが復帰するし、昨年はサストレのアシストだったシュレック兄弟は解き放たれるのか、2年連続2位のエヴァンスは今年も2位なのか、話題に事欠かない豪華な顔ぶれです。

昨年5位になって上位選手がドーピング違反で失格になって4位になったヴァンデヴェルデは今年も私が乗っている自転車と同じ設計だけれどカーボンの質が段違いで最高級なFELTのF1SLに乗ります。ヴァンデヴェルデが所属するガーミン・スリップストリームはチームタイムトライアルで勝てなかったら空気でしょう。個人タイムトライアルだとファビアン“スパルタカス”カンチェラーラがいますし無理です。平地スプリント最強のマーク“マン島超特急”カヴェンディッシュは何勝するのか楽しみです。

そして何と言っても今年は今中社長以来13年ぶりに日本人が出場します。しかもふたり。ひとりはスポンサー(シマノ)の意向なわけですが、もうひとりはそういうのが一切なく選ばれました。フランスのチーム、Bboxブイグテレコムに所属する、日本人唯一のプロチーム(18チームあり、Jリーグで言えばJ1みたいな感じ)選手である新城。フランス人主体のチームなので、移籍1年目のアジア人がツールの9人枠に選ばれることがすごい。チームのエース、トマ“アホの子”ヴォクレールと共に逃げに加わって全世界に映像が流れるのを期待します。新城はマネジメントに関してホリプロと契約したのでメディアにも登場するかもしれませんし、しないかもしれません。それはともかく、ウィンブルドンと重なるのは1日だけ、また寝不足の毎日が3週間続きます。

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