Tony Allen/Secret agent



【world】

アフロビートを広めた人といえばフェラ・クティと、この人トニー・アレン。いわゆるアフロビートはナイジェリア出身のフェラが確立したもの。アフリカの音楽と「アフロビート」は異なる。中古屋と名古屋くらい違う。ファンクやソウルやジャズやガーナ生まれのハイライフなどと渾然一体となった強力で高温なリズムに、ギターとキーボードがうねってホーンが鳴りまくって分厚いコーラスとコール&レスポンスで軍や警察に対するメッセージを乗せた。メッセージソングでありながらダンスミュージックでもある。これはもはや民族音楽ではない。フェラはずっと文字通り戦っていた。警察に捕まっても、歌の内容は変わらなかった。


でも、フェラ・クティはもういない。1997年に死んだ。
 
でも、アフロビートの根幹「ビート」はトニー・アレンなのでまだだいじょうぶだ。

トニー・アレンはフェラ・クティの音楽におけるリズムを担当していた。要はドラマーである。アート・ブレイキーやマックス・ローチのレコードを聴いて独学でドラムを始めた。マックス・ローチの教則文を読んでハイハットも使いこなすようになった。当時のアフリカにはジャズを演奏できるミュージシャンがおらず、音楽で生計を立てることができなかった。トニーは電気技師として働いた。そして1964年、フェラと出会う。アフリカにはいないと思っていたジャズドラマーを見つけたフェラは、ジャズバンドを結成。2年ほどしてジャズの本場アメリカへ渡る。で、アメリカで順調にキャリアを重ねたかというとそうではなく、黒人解放運動を目の当たりにして、西洋に好き放題されてきたアフリカの歴史を知る。ここでフェラにとっての欧米は、憧れの地ではなくなった。ナイジェリアへ帰国し、アフリカの音楽を模索するようになる。そして1970年ごろにできあがったのがアフロビートというわけだ。1970年代前半のアルバムはどれも濃くて強い。

1979年にフェラの元を離れたトニーは自己名義のバンドを組みナイジェリアで活動し、1984年、アフリカのアイデンティティを持ちながら、ロンドンへ渡る。私が知ったのはそれからしばらく後のトニーだ。それからワールドミュージックのハブ空港であるパリに拠点を移し、アフリカの代弁者として西洋の価値観や文化に毒されることなく音楽を紡ぎ続けた。トニーはもうすぐ70歳になる。

この新譜は夏にぴったり。最近は何枚かクラブ寄りのアルバムが続いていて、そういうのに興味ないので紹介しなかった。でもこの新譜はクラブのフロアに対応していないからこそアフリカそのもののダンスミュージックとなっており、どっちが踊れるかといえば断然こっちだ。ジントニック片手に適当に横揺れするなんて許されない。エアコンの効いたコンクリートの箱の中なんて似合わない。こういう(アフリカの人ではない私がアフリカの音楽を聴くだけで別の世界を垣間見る)疑似体験が簡単にできることこそ音楽というかCDの良いところなんだけれど、頭で聴くことに慣れきっていると、うまくすんなり体の中を流れないのかもしれない。なので聴き慣れた文法の中でのみ良し悪しや好き嫌いを判断してしまう。これは、とてももったいないことだ。(同じような意味で、私は絶対音感を持ってしまった人をもったいないと思う。世界にあるのは平均律だけではないのだ。いずれ純正律のCDも取り上げたいと思いつつ、何年も経っている。新譜がないからだ)

日本人に決定的なまで足りないのはリズム感だ。音楽の定義はリズム、メロディ、ハーモニーということに西洋音楽ではなっている。西洋音楽でそう定義づけられているということは、私たちがふだん耳にするJ-Popやジャズや演歌などあらゆる音楽ジャンルがそうだ(いくらヨナ抜き音階といえどもそれってつまり西洋音階の七音から二音抜いたペンタトニックスケールである現代の演歌--かつての演歌は政治風刺であり演説だった--を日本の音楽だと思っている人はさすがにいないと思うが)。で、リズムに関しては、白人もなかなか苦手だけれど黄色人種も独特である。雅楽のリズム感はすばらしいのだけれどなぜか日本人はそれに見向きもせずに西洋音楽の文法でリズムに乗ろうとする。数年前に金沢市で開かれたジャズのイベントに、ゲストとして無名の黒人サキソフォニストが登場した。もう圧倒的だった。私は「こんなの見せつけられて、他の出演者たちはよく恥ずかしくもなく自分たちも音楽を演ろうなんて思えるよなあ」といった意地の悪いことを思っていた。同じ4ビートだけれど、まるっきり異なる。

日本語を西洋音楽に乗せることはとても難しい。初めてまともにフィットさせたのは佐野元春ということに日本のポピュラー音楽史ではなっている。そして現在でも佐野元春の発見した方法論から何ら発展していない。日本語のラップやヒップホップが滑稽なのは、そもそも合わないからだ。黒人の話し方は黒人のリズムであり、ああいう環境で生まれ育っていないと絶対に無理だ。そのことと同じように、ロックやポップスでも、なかなか滑稽なものばかり蔓延している。ロックやポップスならまだいいが、さまざまな民族音楽になると、なんで日本人のあなたがそれをやる必要が? という疑問符が沸くものばかりだ。何も響いてこない。酷い場合には珍しいジャンルを演る隙間産業狙いなものまである。ダンスの上手い白人が日本舞踊を舞って、どう感じるだろうか。それは確かに上手い。だが日本舞踊ではない。なので私は最近日本人ミュージシャンの音楽をほとんど聴かない。聴くとしても白人黒人の猿真似のようなものではなく、枠外の人種だからこそ生み出せる音楽ばかりだ。数週間後にそのひとつを取り上げる。

ついでにもうひとつ申し上げておくと、日本語で歌うからJ-Popである、というのは間違った帰納法の使い方だ。たとえば、もし仮にそうならば、英語詞で唄われたザ・ブリリアントグリーンの初期の曲は洋楽になるのだろうか。というわけで、歌のないジャズであろうがクラシックであろうが、私の中では日本人が演っていれば「日本人の」ジャズやクラシック、と、括弧つきの別物となる。それは酷い話だと思われるかもしれないが、欧米のほんものと同列に扱ってニュートラルに比べるほうが酷いと私は考えている。

戦っていないのは音楽ではない、というのはもちろん間違いだ。音楽の中に、戦う歌もある、ということに過ぎない。でも、有史以来膨大な音楽が生まれてきた上で、何か新しい曲や歌を作るときには、程度の高低こそあれ、何かしらの戦う要素が含まれていないことには話にならないのも真実である。何か新しいものを生み出すということは、それまでの全てを全否定もしくは一部否定することにほかならない(でも大衆音楽のほとんどはそうですらない消費物なんだけれど)。箸にも棒にも引っかからない「癒しの歌声」とかいったものに私の心が微動だにしない理由のひとつが、それだ。そのような効用を求めるとき、私は川や山や海へ行く。音楽でなくても音で充分なのだ。で、そこで何かステップを踏んで口ずさめば立派な音楽のできあがり。そして、どんなステップを踏むのかは、人種による。こればかりは変えられない。血だ。

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ちょっと古いトニー・アレン独占インタビュー
井上薫はchari chariやAURORA名義ですてきな音楽を生み出している日本のDJで私も何枚か持っているしイベントにまで行ったことがあるくらいなんだけれど、だからといって共同作業して昇華するとは限らないのが音楽の難しいところでもありおもしろいところ。
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