Maher Shalal Hash Baz/C'est La Derniere Chanson



【J-Pop】

旧約聖書を読んだことのある人ならおなじみの、マヘル・シャラル・ハシュ・バズ。通称マヘルは音楽家であり陶芸家でもある工藤冬里氏によるユニット。まともな日本人ミュージシャンの宿命でもあるかのようにやっぱり日本国内よりも海外のほうが知名度も評価も高い。レコード会社との契約も海外のDominoだ(サイケデリックの隠れた名品をリイシューしてくれるので大好きなレーベルだ)。ネットが発達してそうした傾向は超加速した。正直海外での評価とか別にどうでもいいんだけれど、こう書いてあるのとないのとでは印象が変わるのもまた日本人である。この新譜「セ・ラ・デルニエール・シャンソン」はCD2枚組で全177曲。打ち間違いではありません、全177曲。ちなみに日本盤はアウトテイクを集めたCD3も含めた3枚組で全237曲。

アルケミーレコードを軸とする大阪のサイケシーンで名前を見たのが最初だった(今に思えばサイケデリックというわけでもないのだけれど)。キャリアはそろそろ20年になるかというくらい。かつて関わっていたユニットのキャッチフレーズは「毎夜うごめくマイナーの気配」というもので、確かにそんな感じの、ちょっとだけおどろおどろしくて、ほんのりサイケ風味で、何とも言えないロックだった。いかにもアンダーグラウンドな。それがいつしか彼岸の境地に達したか、非常にシンプルで、音色もかわいいものに変わっていった。ソニック・ブームがそうなったように、マーキュリー・レヴがそうなったように、キング・クリムゾンを脱退したピート・シンフィールドのように。サイケデリックをとことんまで突き詰めてもしかしたら一瞬あっち側に行ったかもしれない人だけが行き着くことのできる場所。そんなわけで私は常に「今の工藤冬里」が好きだ。

夏の日、ちょっとだけ標高の高い草原に、大きな樹が一本。
その樹にもたれて風に当たりながらうたた寝するときに最適。
浮遊感を出そうとして出しているのではなく、演ってみたら浮遊感があるだけのこと。
寝ている間に猫が近寄ってきて私の匂いを嗅いで、どこかへ行く。
蜻蛉が私の鼻にとまって、むずがゆくて起きる。
雲の形は大きく変わっている。

トラック数が多いということは一曲一曲が短い。かといって佳品や小品と称するのも何だか変な感じで、歌ものやポエトリーリーディングなどではふつうのポップソングが冗長に思えるくらい物語がある。おもちゃ箱のようであり、宝石箱のようでもある。ふつうの「ミュージシャン」ならこれらひとつひとつのモチーフに紋切型なメロディをつけて5分くらいの曲にして10曲作ってアルバムのできあがり、って感じにしちゃいそうである。つまりこれは贅沢なCDというわけだ。これを前衛音楽の引き出しにしまったままではもったいない。私にとってはナチュラル系でオーガニックな音楽だ。それでいてロックンロールでもある。スポーツで言えば猛虎魂を感じるといったところか。よく分かんないけど。下に動画のリンクを貼ったので時間と興味のある方は観てみていただきたい。これはヘタウマでも下手くそでもなく、超上手い。過去の名曲を譜面通りに弾くことが上手いと思っている方には少々厳しいかもしれない。私は、譜面通りに弾くのなんて上手くも何ともないと考えている。

前作「他の岬」1曲目、出だしの歌詞“サスペンデッド”をあんなふうに区切るのは相当斬新だ。ふつうはああいうふうに区切ることができない。やられてみればコロンブスの卵なわけで、なーんだ、って感じであるが、それはやっぱりコロンブスの卵であって、思いつくことも発することもできない。私たちは使用するだけでなく思考もすべて日本語であるがゆえに、日本語を客体化できないからだ。でも工藤冬里はできる。そういうところがすごいなあと思う。言葉に繊細で丁寧であるからこそ、崩すことができる。「言葉に丁寧」というのはその遙か手前の段階で、譜面通りに楽器を演奏するのと同じようなものだ。

先月、工藤冬里のピアノソロアルバム「彼は窓から帰って来る、手に職を持って 」が出た。
舞踏とピアノのデュオによる完全即興演奏ライブとのことで、とても興味をそそられる。
ライブ盤は多作でありながら枚数限定のものが多い。
常に動向をチェックしていないといけないが、これは通常のリリースのようだ。

片手で数えても指が余ってしまう、日本の音楽における数少ない「アーティスト」(=芸術家)です。

公式サイト
Wikipedia:Maher Shalal Hash Baz
ニコニコ動画:【Live】工藤礼子(Maher Shalal Hash Baz)ーねこ
Amazon.co.jp:C'est la Dernire Chanson
recommuni:工藤冬里インタビュー

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