阿部和重「ピストルズ」




1年くらい前からTwitterをやっている。海外の自転車選手がレース直後につぶやいているのを読みたかったからだ。なので昨年の世界選手権の後は放置していた。だが今年に入ってからネットの友人たちが次々と始めたので、以来割とまめにチェックしたりつぶやいたりしている。もちろん阿部和重氏もTwitterをやっていた。
このブログの文芸カテゴリを注意深くご覧になっている方など世界中で私ひとりだと思うので少々説明すると、日本の小説家で新作が出るたびに取り上げているのは阿部和重氏だけである。このブログでは、美味しくなかった店やつまらなかった書籍や音楽は取り上げないようにしよう、と当初決めた。そんなものを書き連ねても、読む人も不快である。わざわざ書かなくても、年間100冊以上の新刊を読んでいる私が取り上げないという事実でもって、遠回しに判る。それはともかく、阿部和重の小説だけ全部取り上げているくらい、私は阿部和重の小説を高く高く評価している。

何度か小説とは関係のないテニスのことやスーツのことでやりとりし、待ちに待った新作「ピストルズ」が届いたとき、私はすぐさま書棚にスペースをつくり、収め、それを携帯で撮り、画像をアップした。阿部和重氏に見つかり、リツイートいただいた。これだ 。おまけに「シンセミア」で写真を担当していた写真家の相川博昭氏からは、私がmixiにいることをTwitterで書いたのをお読みになられたらしく、何とも見つけにくいだろうと自分で思うのだが何のリンクもしていないのに見つけ、mixiのメッセージを送ってきていただいた。感動ものである。

でまあ阿部和重氏のリツイートを観た阿部和重ファンが私のところに来る。小説を読む人との交流が拡がる。それまでは割と工芸関係の方々とやりとりが多かったが、私はTwitterで宣伝するほど「売ることで頭の中がいっぱいな商売人」ではない。そして、職人や作家や工芸家や芸術家やデザイナーたちの発言を読むにつけ、失望することが多くなってきた。工芸と芸術との違いすら学ばぬ人の何と多いことか。というわけでそっち方面はうっすら諦めの境地に達しつつ、ようやく本来のイメージに沿った輪ができつつある。文芸/哲学/美学/芸術学、そして科学。

Twitterは膨大な情報の渦だ。取捨選択しないといけない。全員のつぶやきを読むことは不可能だ。今何してるかなんて、ほとんどの人は特にどうってことのないことをしている。仕事してますってのも宣伝に過ぎない。「今日も忙しい」とかつぶやかれても、ほんとに忙しい人はつぶやかないよ、としか思えない。「私はなんとかかんとかに頑張っている」って文を見せられても、ほんとにがんばってる人は、いちいちそんなこと世間にアピールしない。それら自体に価値がないわけではないが、それをネットで披露する価値はない。この人くらいであれば、今どこにいるかを他人様にお伝えしても読者は感動ものだ。そんなわけで私は実際の知人友人以外、そんなのを繰り返している人のつぶやきは読まない。何を考えているか、何か気づいたか、思考が頭から漏れたようなつぶやきを読んでいる。

思考には方法論がある。言い換えれば道具だ。道具を持ち、道具を使いこなせる人の文章は読みやすいし、中身が違う。私たちは結局のところ、自分が知っていることや考えていることしか言語化できない。言語の限界がどこなのかを探ろうとしたのはウィトゲンシュタインだが、誰も彼の達した場所に到達していない。道具があるのに持つことすらせず、感覚的とかセンスとかいった言葉で濁し、曖昧な言葉を綴る。思考を止め、人それぞれといったふうに切り捨てる。そこからは何も始まらない。私は、前へ進みたい。

最初に阿部和重氏のツイートを読んだとき、非常に丁寧な言葉遣いであることに些か驚いた。ですます調どころではない。ございます、ときた。それが何だかユーモラスに感じた私は失敬な人なのかもしれないが、阿部和重氏の小説を読んできた人なら、ニュアンスを解っていただけるものと思っている次第でございます。

群像新人賞を受賞したデビュー作「アメリカの夜」の書き出しを立ち読みして書店で笑った日から十数年。私は彼の文体に魅了されている。私が多用する「つまり、○○ってわけだ」というのは、あのふざけた装幀の、恐らく高円寺のレコード屋と思われる写真を全面に配した「インディヴィジュアル・プロジェクション」の中にある。私はそこでも笑った。阿部和重の小説は、笑える。ものすごく本気なのにドタバタである。しかもデビュー作冒頭のように、知的な罠を張り巡らせている。そんなわけで、いまでも私は「公爵夫人邸の午後のパーティ」が90年代最高の日本文学だと思っている。まあでもそんなことは本人に伝えない。それは私個人の問題であり(好みは人それぞれ、っていうのとはまた違う)、たいていの場合、ものを生み出す人としてみれば、最新作がいちばん良いって言われるのが嬉しいからだ。

「ピストルズ」は「神町サーガ」と呼ばれる一連の作品群にあてはまる。中上健次の時代ならともかく現在進行形の日本文芸でサーガを読めるとは思っていなかったので、とてもとても期待している。そして、サーがといえばフォークナーやガルシア=マルケスを連想するように、重厚長大で濃密な文学世界なものと相場が決まっている。なのでサーガとする時点で誠に勇気がある。どこかの誰かが書いた羊三部作や、権威などいらんと言っていながらスウェーデン大使館へ日参してノーベル文学賞を頂戴したあの人の小説などはサーガとは呼べません。全然違います。エーデルワイスとヘーベルハウスくらい違います。

そんな神町サーガの最新作ってわけだから、大作「シンセミア」を事前に読んでおかなくてはならないのか、それも面倒だなあ、と思うかもしれない。しかしそこは阿部和重、非常にサービス精神豊富な書き手である。何の心配もなく、いきなり「ピストルズ」に手を出しても全く問題のない内容となっている。ただやっぱり順番に「シンセミア」と「グランドフィナーレ」を読んでからのほうがより楽しめる。というどっちでもオッケーな書き方をしているところがすばらしい。ただし、昨日USTREAMというかDOMMUNEでネット中継された宮沢章夫氏などとの対談(虚構についてもっと聞きたかった。いい感じに阿部和重がフォーカスしながら話していくんだけれど急に下世話になり一旦リセットって感じが多かった)において、著者の阿部和重ご本人が「ピストルズは村上春樹の1Q84の続編、ブック3」ト発言したので、まずは「1Q84」を読むのがセオリーなのかもしれない。昨日がエイプリルフールだったということを差し引いても、これはほんとうにそうであると私も代弁しておく。

阿部和重氏がございます文体でTwitterに書いている理由も「ピストルズ」を10秒読めばすぐ解る。

とてもとても読み応えのある小説。
小説を読む楽しさを存分に味わえる一冊。
ごちそうさまでございました。
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