ウラジーミル・ナボコフ「賜物」



大傑作です。
ザ・ポリスというポップバンドのヒット曲に「高校教師」というのがある。男の教師と女の高校生の恋愛話、ということになっている。何と言ってもタイトルが高校教師なのだから。で、何故いきなり「高校教師」の話になるのかというと、この曲の歌詞に“old man in that book by Nabokov”って一節があるからだ。歌詞の日本語訳はこちら 。ちなみにこの曲は執拗に韻を踏んでいて割と凝っている。詞というより詩ですね。朗読すると気持ち良い。そんなところからも“言葉の魔術師”ナボコフの影響がみてとれる。「高校教師」の英語の原文はこちら 。ちなみに日本語訳の「ロリータ」は、現行の若島氏の訳ではなく以前の大久保訳が良いです。

ザ・ポリスのスティングはデビュー前に小学校教師だった。教育実習は中学校だった。
今は大富豪を相手に1回数千万円のギャラで優雅で凡庸な手抜きライブをして生活している。

私はこの曲をリアルタイムで聴いていたわけではなく、リメイクされた「高校教師'86」を鼻水垂らした糞がきのころに聴いたのが最初だ。で、ナボコフなんつってるからそりゃまあそれは当然「ロリータ」のことなんだろうなというのは察しがつく。へえ、スティングってのはただの守銭奴じゃないんだ、と少し興味を持って歌詞を読んでみたら、なんかおかしい。おかしいというのは、邦題「高校教師」についてだ。ナボコフを引き合いに出してるというのもあるが、歌詞の中を検証してみると、どうも高校ではなさそうな気がしたからだ。

歌詞によると
・教師は若い
・女子生徒は教師の半分の年齢
である。

高校というのは15歳から18歳までが通うところと一般には認識されている。

ということは、若くても教師は30歳ということになる。それは「若い教師」だろうか。私が高校生の頃は、25歳くらいの女性教師も「おばさん」だったし、だいたいみんなそんな認識だった。それが30歳とかになっちゃうともうとても若いとは言えない。若さというか若い要素が皆無である。逆の見方をしてみる。教師全体で30歳は若いか。定年がお幾つなのか知りませんが仮に65歳とすると教師の年齢は22歳から65歳までとなり、そりゃまあ30歳は若い部類に入る。じゃあ若いんじゃないか、で済ませれば良いだけの話ではあるのだけれど、どうもしっくりいかない。

この歌詞は三人称で書かれている。教師の視点でも女子生徒の視点でもない。しかし女子生徒の思いが綴られる箇所もある。私は「若い」を、女子生徒から見た印象とした。そうなると30歳は若くない。おっさんである。そして、ナボコフ「ロリータ」がそうであったように、年上の男が若い女性に翻弄される、という状況になることが最も多いシチュエーションは、新任教師である。30歳くらいの教師になると手慣れたもので毎年ルーティンワークである(田舎の公立では)。

でまあ流石に22歳はないだろうと私も思うので、これは「中学教師」なんだろうと勝手に私は判断した。24歳の教師、生徒は12歳。教師は若くてフレッシュで、生徒は教師の半分の年齢。このあたりだろう。ではなぜ邦題が「高校教師」なのかというと、歌詞の内容の通り「中学教師」にしたら大問題で発禁になるかもしれないだろうから、というのは憶測で判る。で、そこでまた新たな疑問が湧き出てくる。ってことはですよ、高校生との性愛は一般的な倫理観や何やかやでは許容範囲なんですかね、高校生というのは記号ですかね、っていうことになるがそれはまた別の機会に。


ナボコフを形容するときにつきまとう“言葉の魔術師”っていうのにも、いくつかの意味がある。私は、彼が愛したチェスのように硬質でドライで整然とした美しさを最初に思い浮かべる。芸術とは人工品のことだから。そして、練りに練って選び抜かれた言葉を、これもまた彼が愛した蝶の標本を扱うように、静かに丁寧に配置していく。そんなイメージ。世間ではロリコンの語源となったということでしか知られていない「ロリータ」も、やはり彼にしか書けない第一級の芸術品である。書き出しを声に出して読んでみてほしい。舌に快感が広がる。

Lolita, light of my life,
fire of my loins.
My sin, my soul.
Lo-lee-ta:
the tip of the tongue taking a trip of three steps down the palate to tap, at three, on the teeth.
Lo. Lee. Ta.

執拗に韻を踏んでいながらも文章として成立している。ということは、これ以外に書きようがない。大衆小説は推敲する程度で済む。「これ以外の言葉で書くと台無しになる」なんてことはない。むしろ読者が頭の中で校正しながら読む代物まで巷には溢れている。純文学と大衆文学の違いは、芸術品か否かの違いとしても論議されることがある。以前このブログに書いた通り私はそうは思わないのだが、そのおかしな定義が正しいものと踏まえた上で昨今の日本文芸を俯瞰してみると、すべてが大衆文学ってことになっちゃうんじゃないかなあと思う。なのであまり純文学とか言わない方が良いかと存じます。

というわけで、冒頭で傑作とか言ってる私ですが、これはロシア語原文で読まないと真髄を知らぬということになる、ということを知ってしまうのは幸か不幸か、って話であります。でもこれまでも日本語訳で充分に傑作扱いされているので、酷い翻訳しかなかったこれまでとは違い、ロシア語原文から訳された全く新しい日本語訳のこれ(表紙カバーのタイトルと著者名がロシア語なのが、そのことを高らかに宣言をしているようにも思える)読むことは、まさに傑作中の傑作を堪能できるとも言えるかもしれません。とにかくおすすめです。ほんとうにたまりませんよ。ドイツへ行きたくなります。しかし、ずるい書き方ですねこれは。

どんな内容なのかは、検索すればいっぱい出てくるので省きます。

帯の説明文に「1984年」とあるがこれはもちろん間違いです。
河出書房新社の担当編集者の頭の中には村上春樹のあれがあったのかもしれませんね。
それにしても酷い間違いです。第二刷からは訂正しといてほしいものです。
編集している池澤夏樹氏が実はノータッチとかそんなおちなのでしょうか。
読了したとき、私はTwitterに「これは1984年が舞台」と書いたのだが、
突っ込みを入れてくれる人がひとりもいなかった。
たぶん今はもう、ナボコフといえば賜物ではなく、ラビットナボコフなのだろう。



かつて福武文庫から出ていた酷い翻訳も高く売れなくなって古書店は困ってるでしょうね。

※「ロリータ」は英語で書かれ「賜物」はロシア語で書かれた小説です。

河出書房新社:賜物
Wikipedia:ウラジーミル・ナボコフ
日本ナボコフ協会:公式サイト
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