レヴィ=ストロース「ブラジルへの郷愁」



世にエッセイや紀行文の類は星の数ほどあるけれど「悲しき熱帯」 くらい優れた読み物として成立しているものとなると、数えるほどしかない。ような気がする。レヴィ=ストロースは、かつて(そして現在でも)西洋人が心の底から思っていて、それを植民地主義やオリエンタリズム などの基となったメンタリティ「西洋人が最も進んでいて優れている」という幻想を打ち壊した。彼は、上から目線ではなく、丁寧に対象──「未開」の非白人──を観察した。そして、その成り立ち、すなわち構造を見た。構造主義だ。それは猛威を振るっていたサルトルの実存主義 をも駆逐し、現代の哲学(価値観と言ったほうが自分の生活に沿うかもしれない)の基礎を築いた。
 
レヴィ=ストロースは、西洋からは「未開の地」と見えた土地で、婚姻関係を研究した。「文明的で優れた」西洋では禁忌とされている近親婚 。もちろん未開の地でも禁忌だった。でも、何か違った。どこまでが「近親」なのかが、西洋と「未開の地」では違ったからだ。ふつうなら西洋人は、だから「未開の地」は「野蛮」だ、で終わる。自分たちこそ王室を見れば明らかな通り近親婚を繰り返してきたのにね。でもレヴィ=ストロースは、そこで終わらない。彼は政治家でも資本家でもネトウヨでもなく、文化人類学者だったから。「未開の地」の婚姻関係に、とても緻密で洗練された規則性を見いだした。それに比べりゃ西洋人のほうが単純だった。そして、そういう規則性を確立したのはなぜかを考えた。

彼は医学者でも生物学者でもないから、遺伝子に異常が起こるとかそんな理由でタブーとなったなんて浅はかな結論は出さないし、近親婚を繰り返すと遺伝子的に安定するという説もあって、むしろレヴィ=ストロースは、安定したらまずいから他の血と混ざるようにしたとすらほのめかしている。ついでに言うと、レヴィ=ストロースは心理学者でもないので、フロイトのような「本能的に人間ってのは近親相姦したいんだよ、だから禁止したんだよ、Q.E.D.」などという、だったらそうしてりゃいいじゃん別に禁止しなくてもいいんでしょ問題は何なのさ、と突っ込まれること必至の戯れ言で終わらせるようなこともしない。

誰と、どのように結婚していくか、というのが親族の構造だ。その構造を解き明かす手法が、後に哲学の分野で構造主義として確立される(もちろん、レヴィ=ストロース以前に言語学の分野で、後に構造主義とされるものが芽生えてはいたのだけれどね)。おまけに「西洋人が最も優れている」という幻想というか思いこみというか思い上がりまで崩しちゃった。

レヴィ=ストロースのすごさ、彼が何を見いだしたのかは、こことか、こことか、こことかを参照してください。私よりも遙かに頭脳明晰な方々が完結に説明しています。話は逸れておまけに飛躍しちゃうけど、もし近親婚が禁忌でない社会となったら(種族を絶やさないためという大きなテーマでは、それは別に悪いことでも何でもない)、究極的には性別など不要となってしまう。飛躍しすぎですね。でもそうなんです。で、有性生殖が無性生殖に変わるのは退化か進化か、ってわけですね。

逆から見れば、
より遠くの女性と結婚すると、男が褒められる。
ひとりひとりに価値があり、場所を移動すると価値も上下する。
これはいまの日本でも割としっかりそうだと思う。
だって、そういうものだから。


逸れた話が長くなっちゃったけれど、レヴィ=ストロースについて書く機会は恐らくもうないだろうから、さわりだけ書いときました。そんなわけで、文化人類学者である彼の著書は、西洋の価値観を押しつける植民地主義的なものではないので「方法を援用する」とか「ものの見方や捉え方を身につける」には最高のマニュアルとなっている。おまけに読み物としてのおもしろさまで兼ね備えた「悲しき熱帯」は、死ぬまでにぜひ一度読んでみてほしい。今回言いたかったのはそれだけ。あとは、本書の紹介。



各国の言語には、どうしても日本語に翻訳できない言葉がある。英語なら“miss”だ。“I miss you”「私はあなたを失った」だと直訳で、テストでは零点。何を言ってるのかというと、みなさまご存知の通り「あなたがここにいなくて、とてもさびしい」という意味だ。で、ブラジルにも、そんな言葉がある。“Saudade”だ。ポルトガルでは「サウダーデ」で、ブラジルポルトガル語では「サウダーヂ」とカナ表記するのが近い。で、saudadeがどういう言葉かというと、これまた説明するのが難しい。ましてや日本語の単語ひとつと置き換えるなんて無理。無理だけど、書物では無理とか言えず何とかしなきゃいけないから、だいたい「郷愁」をあてている。最近めっきり信頼性を落としたウィキペディア日本語版によると「単なる郷愁(nostalgie、ノスタルジー)でなく、温かい家庭や両親に守られ、無邪気に楽しい日々を過ごせた過去の自分への郷愁や、大人に成長した事でもう得られない懐かしい感情を意味する言葉と言われる。だが、それ以外にも、追い求めても叶わぬもの、いわゆる『憧れ』といったニュアンスも含んでおり、簡単に説明することはできない。」とのことで、やっぱり長いし、説明しきれていない。アマリア・ロドリゲスの唄声で「暗いはしけ」 でも聴けば、うっすら解るんだけどね。

本書は原題“Saudades do Brasil”で、邦訳タイトルは「ブラジルへの郷愁」だ。15年ほど前に大判の写真集で出ていたのだけれど当然それは高価だったので購入せず、パルコの地下にある書店で延々と立ち読みして「読了」しただけだった。それがレヴィ=ストロース没後一年ということで廉価版として登場した。よって、印刷の質は誠に悪い。モノクロ写真なんだけど、グレーと銀を足した複数色で分解製版してグラビア印刷したら、とてもとてもすてきな写真集になっただろう。でもそうなると当然またもや高価になるだろうから、これでいい。



レヴィ=ストロースが20代のときに訪れた、1930年代ブラジルの写真。金字塔「悲しき熱帯」の舞台のひとつであるブラジル。そこでレヴィ=ストロースが「観たもの」を、そのまま本書を読む者も観る。無限とも言える「瞬間」の中で、どこでレヴィ=ストロースはシャッターを切ったか。なぜここで切ったか。そして、それから60年後、写真たちは一冊の写真集となった。レヴィ=ストロース自身による「その瞬間、レヴィ=ストロースは何を思ったか」が解るキャプションつきで。その間に「悲しき熱帯」が書かれ、全世界がその知に歓喜した。私も、そのひとりだ。

本書は「悲しき熱帯」を愛読した人であればあるほど、かけがえのない写真集となる。レヴィ=ストロース自身が、若き日に訪れた、今はないブラジルの姿に「サウダージ」を覚えるように「悲しき熱帯」を読んだ人にとっては、まさに日本語では表現することが難しい感情を湧き起こすものだ。写真を芸術として捉えるならば、本書の写真たちは全くの無価値だ。でも、私は心を激しく揺さぶられる。レヴィ=ストロースは「文明的な西洋社会から来た立派な学者」としてブラジルに降り立ったのではない。真摯に、誠実に、西洋では未開人扱いされていた現地の人たちと接している。そこには、日本の美徳である一期一会すら感じる。そのまなざしが、写真には露わとなっている。写真に写る現地の人たちの態度や表情が、とてもふつうだ。これは、なかなかできないことだ。そうしたところに、私は心を激しく揺さぶられる。

その豊かな「人間の暮らし」をまざまざと見せつけられたあとに見る、文明や開発(恩着せがましい西洋からの「手助け」なのだ)によって画一化されたブラジルの「発展」との対比といったら。レヴィ=ストロースは「遅れている人たちに最新の文明を与える」でもなく「かつて西洋人がしてきたことを贖罪する」わけでもなく、かといって現地の人と対等に接しているわけでもなく、非常に稀な、それこそ素晴らしい人格が備わった者にしか到底不可能な接し方で、現地の人と接している。それが、本書の写真から見てとれる。見てとれるというか、こぼれている。レヴィ=ストロースを批判するフェミニストの方々は、このような写真を撮ることができるだろうか。レヴィ=ストロースが獲得したほどの全面的な信頼を、現地の人々から得られるだろうか。



世界で貿易量がいちばん多いものは何かというと、そんなのクイズにするまでもなく、石油だ。では、二番目に多いのは何か。コーヒーだ。かつてブラジルは、西洋人が飲むためにコーヒーを栽培し続けた。自分たちは、それがどんなものかも知らずに。そして今ではフェアトレードとか綺麗事を言ってるけれど結局は中間搾取してることに変わりないものまで出てきてるし、コーヒーの価格が上昇していると「文明人」たちは騒いでいる。私はコーヒー栽培を見たことがないのだけれど、100gの豆が日本において数百円で売られているってことは、現地の人は一体どれだけの収入があるのだろうか。知るのが恐いね。


この新版で追加された訳者あとがきを、勝手に大部分を引用する。


 再刊にあたって読み直してみて「プロローグ」に著者が記しているように, 人間にとって最も原初的な感覚である嗅覚をはたらかせた, 匂いによる過去の喚起がつねに現在であるのに対して, 知性と結び合わされて認知する, 本書に提示された古い写真が, 過去に写されているものの欠如のしるしであることを, まざまざと感じる.
 著者レヴィ=ストロースがこの写真集にこめた深い喪失感が, 「郷愁」という日本語に訳したのでは表せない深さと激しさを帯びて, この写真集にはみなぎっている. だからこそ著者は, ノスタルジーといった甘美な想いに結びつく言葉を避け, ブラジルへの想いにおいて共感を抱いていたダリウス・ミヨーの楽曲の題名から, フランス語には対応する語のない「サウダージ」というブラジル語の複数形を, 敢えてそのまま原書名(Saudades do Brasil)に選んだのであろう。日本語にも「サウダージ」にぴったり当てはまる語がなく, やむなく新版でも「郷愁」とした。



一冊の写真集(とキャプション)を読み終え、こんなあとがきがあるんだから、やっぱり川田順造はすばらしい。もちろん、1995年に刊行されたときから巻末にある「訳者あとがき」も、すばらしい。レヴィ=ストロースの「態度」について、これほどまで正確に表したものはないだろう、と、レヴィ=ストロースに会ったこともない私まで確信しちゃうほどすばらしい。


Wikipedia日本語版:クロード・レヴィ=ストロース
中央公論新社:「ブラジルへの郷愁」
オンライン書店bk1:「ブラジルへの郷愁」
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