Pen No.291 2011 6/1号



阪急コミュニケーションズ
特集「神社とは何か? お寺とは何か? 3」
寺社仏閣に関わる職人技も取り上げるとのことで、応量器を紹介いただきました。
黒は半艶(艶ありと艶消しの中間)で、その質感と、洗朱が艶ありな質感が、見事に出ています。また、洗朱は赤みが濃くなったり黄色に転んだりして非常に撮影が難しく、これまでに掲載いただいた雑誌にも、濃く出ているものが見受けられました。でもこれは、実物と同じ色です。質感も出ています。カメラマンってすごいですね。ありがとうございます。

文中、応量器を使うお客からの声に関してのところ、それはむしろ私が応量器に教えていただいたことです。東京にいた頃は、居酒屋に入ったら料理のメニューを右から左まで全部注文し、飲み物は5つ単位で注文していた、暴飲暴食の塊だった私。そんな私が、玄米を前の晩から水に浸し、昆布と干し椎茸で出汁をとり、味噌を造ってるんですよ。ごはん、漬物、味噌汁。メインのおかずがなくても、ひとつひとつ丁寧に作れば、とても豊かな食事になります。米のとぎ汁について、調理器具は整理整頓しておくこと、などなど、ちゃんとした生活を送ることがどれだけ大切かを知りました。ごはんを炊くという行為ひとつとっても、炊飯器や電子レンジは論外として、土鍋で炊くのが秘かな人気となっていますが、鉄鍋で炊くほうが美味しいです。炊飯器のごはんを食べ慣れている人にとっては、土鍋のごはんは美味しく感じる。物事すべてそういうもんです。ついでなので申し上げておきますと、底の平らな部分が小さいほど良いです。ただ、鉄鍋で炊くと、土鍋よりも手間と手入れが増えます。どっちを選ぶか、何を選ぶか。その積み重ねが、生き方です。私自身が、応量器に魅せられたひとりなのです。

自分が言ってることと、売ってるものと、プライベートでやってること。
これらに矛盾があると、私はストレスになります。
全てに筋が通っていれば、すーっと風通しが良くなります。

禅宗のひとつ曹洞宗で使われる応量器。曹洞宗では、食事も大切なものと位置づけています。曹洞宗では、主要な五大役職のひとつに、料理係があるのです。あるコミュニティにおいては、料理係というのは意外と重視されていないことが多いです。学食、社食、船の長旅、などなどを思い出してみると、むしろ低い立場であることが多いです。開祖である道元には、食事についての著書もあります。「典座教訓」と「赴粥飯法」です。前者は、料理を作るときの本。後者は、食事をいただくときの本。読みやすくておかしなところのない現代語訳が、講談社学術文庫から合本で出ています。価格も手ごろです。修行したことのない私が持ち得ている知識と実践方法は、すべてこの二冊からです。

他のあらゆるジャンルと同じく、工芸の世界も新商品が出ないとメディアに取り上げられることがないです。私は意図的に新商品を作っていません。その理由は、うちへお越しになった方でしたら耳にタコができるくらい聞かされる羽目になったいます。それはともかく、そうなるとメディアやイベントとも疎遠になります。そんなの全く構いません。私は、百年使える品質と、百年使えるデザインを心がけています。既に私が作った漆器を愛用している方々を裏切ることはできないのです。携帯の機種変とは訳が違うのです。

ものが売れないから、新商品を作る、売る。
売れないから、素材や手間を手抜きして安くする。
それらは、間違いではありません。
むしろ家族を養うための立派な仕事とされるでしょう。
でも、唯一絶対の正解でもありません。

今回の特集は「新しい工芸のカタチ」とか「ジャパンデザイン再発見」とかいったありがちな特集とは異なり(そんなオファーだったら聴く耳持ったかどうか非常にあやしい。実際に私は一度、某出版社からの電話に対し「そんな来年になったら古くさくなるような代物ばかり集める特集には飽きましたし、50年前からあるものを特集したほうがおもしろいと思いますよ、とはいっても醤油差しとかヤクルトのボトルとかいった工業製品だとそれはそれで飽きが来てますし、工芸で。なんで逆なんでしょうかね」と言ったことがあります。率直に言えば「一緒にすんな」ってことです)、神社とお寺の特集で、その世界に携わる人たちも紹介するというものでしたので、快諾しました。ありがとうございました。

とてもすてきな特集なので、買って損はないです。月二回刊で書店に並んでいる期間は短いですし、Penの宗教特集は反響が大きいようで完売しちゃうんじゃないかってくらいのようです(実際、キリスト教特集は私も買おうと思っていたのですが、気がつくと書店から消えていました)。ツイッターでもフォロワーが現時点で8人か9人購入していますし、他にも既に私と応量器を知っているにもかかわらず友人知人が20人以上購入しています。これは、私(の漆器)が載っているから買おう、というレベルを超えています。っていうことはどういうことかっていうと、特集がすてきだからです。




目次を丸写ししときます。
・数字で読み解く、神社とお寺の実態。
・ますはおさらい、どこがどう違うのか。
・よく目にする言葉の、意味するところは?
・知られざる魅力を求めて、社寺めぐり。
・秘密のベールに包まれた、その正体に迫る。
・名僧の生涯を、書画とともに振り返る。
・匠の技に、神仏と人との強い絆を見た。←ここ
・神事としての、祭りの意義を考える。
・暮らしに根ざす、年中行事のルーツとは?
・お寺に眠る、秘蔵の宝を見に行こう!
・読んで納得、神社とお寺の奥深さ。


私は、帰郷してから二年間は漆と木のことを学びました。また、過去の漆器の断面図を集めまくりました。ふつうは後継ぎといえば、そういうのはすっ飛ばして、親父とは違う「若い感性」で新商品を作りはじめます。これは、効率性の問題でもあります。毎回デザインするたびに何らかの問題が生じることと、最初に木と漆の理科や算数を叩き込んどくのと、どっちが良いか。良い悪いの問題でなければ、どっちが自分のものづくりに則しているか。伐った木は変形します。どっちの面に変形するか、変形する力はどういう向きに働くのか、といったことを知っていれば、私にとっては今後デザインするときに「楽」だったのです。もちろん、そんなの知らずに「デザイン」している漆器屋も多いですし、二年間は売上として大きいです。でも、そうしとかないと「新しい形を生み出す」意味などないと考えたのです。「作っていくうちに覚えるよ」という、ありがちな感じもいやでした。それって、覚える前のものは、他人様からお金をいただけるようなものではないだろ、と思うからです。そんなこんなで、2002年に帰郷して、2004年に初めてデザインしました。「nero」ってやつで、今に思えば安易なネーミングです。neroがどんなものかというと、ここ(ブランデーグラスのように持てるお椀と、泡がきめ細かくカップも画像内にあります。これまでの機能を疑ってかかってデザインしてました。つまり、不満爆発だったわけです)をご覧になられるとお判りの通り、ふたりぶんの食器が積み木のように収納できるというものです。休業中のエルブリで2001年に私が体験した記憶に大きく影響されています。御影石を切ったような質感となるように、黒といっても各所を塗り分けています。ちなみにneroは現在もドイツの美術館を巡回しています。で、なんで応量器でないneroの話をしているかというと、初めてデザインしたneroを、初めて取り上げていただいたのが、Penだったのです。もちろん漆器屋として初めてマス媒体に掲載となったものです。全く無名の私は、メディアやイベントに声をかけられるようになりました。そのきっかけを与えてくれたのが、Penなのです。

応量器については、こちらの記事をご参照ください。
関連記事