飯沢耕太郎編「きのこ文学名作選」



昨年11月に出たので、刊行後半年以内を目安に「新刊」のみ取り上げることにしているこのブログでは既に賞味期限切れだし、読了したものを取り上げるという最低限のマナーすらクリアできていない代物で、おまけに購入してすぐに泊まりがけの外出があって多分そのホテルにカバーを置きっぱなしにしているんじゃないかと思われるのだけれど、やっぱり取り上げておきます。というわけで、カバーありません。どんなカバーだったかも、もはや朧気でございます。

当然のごとく私もきのこ好きです。日本のいろんなきのこはもちろん、マッシュルーム、セップ、ジロール、フンギポルチーニ、トリュフ、白トリュフ、といったあっちのきのこも好きです。しかしあまり食する機会がないのもまた事実。現在の生活だと、きのこ摂取量の八割以上が、加賀の椎茸ではないかと思います。しかも、そのうち半分以上は干し椎茸という食生活。ま、地産地消ですね。干し椎茸100gが300円くらいなんですから、これはもう圧倒的に安い。やっぱドンコだよ、とかグルメ気取りで言うのも忘れるくらい安い。それを地元の水で戻して出汁をとるのだから、それがいちばん美味いに決まっている。加賀で調理して加賀で食べるならね。

ちょっとした心のあれがあって、ここ最近三年ほどは干し椎茸と昆布で出汁をとっております。



古今東西あらゆる文学をイナゴのように食い尽くしてきた私でも「きのこ文学」なるジャンルは初めて耳にした。というのは嘘で、既に「きのこ文学大全」なる本があることくらい知っていた。のだが、俺のほうが詳しいわ、それにジョン・ケージのほうがもっともっと詳しいわ、どうしても商品化したいならジョン・ケージと南方熊楠に書かせろよ、おまえは出てくんな、というありがちな若くて青い反抗心が擡げてしまい、手にしたことはない。それに、それがあるなら何でもありだろ、柑橘系文学だって貝文学だってドーナツ文学だってホームパーティ文学だって成立しちゃうじゃないか、と突っ込もうかとも思ったのだが、そこはそれ、きのこ好きのバイアスがかかってしまい、実際こうして一冊にまとめられると「やられた!」という感想である。いわんや、作品セレクトや監修を私にしなかったことが唯一のミスではなかろうかと思うくらい、きのこは私を病的にする。だが私は田舎の漆器屋、私が言ったところで相手をしてくれる出版社などいるはずもない。なので私は泣く泣く他人の仕事である本書を購入したというわけだ。

目次。
004 孤独を懐かしむ人/萩原朔太郎
017 きのこ会議/夢野久作
027 くさびら譚/加賀乙彦
089 尼ども山に入り、茸を食ひて舞ひし語/「今昔物語集」より
097 茸類/村田喜代子
137 あめの日/八木重吉
152 茸の舞姫/泉鏡花
209 茸/北杜夫
237 あるふぁべてぃく/中井英夫
257 蕈狩/正岡子規
261 茸/高樹のぶ子
277 くさびら/「狂言集」より
295 朝に就いての童話的構図/宮沢賢治
308 神かくし/南木佳士
343 キノコのアイディア/長谷川龍生
347 しょうろ豚のルル/いしいしんじ
363 解説


既に読んだことのあるものが七つ入っているのだけれど、これはおもしろい! 収録作品が割と私の好みに合っているところが何よりもすばらしい。加賀乙彦なんて、こんなことでもなければ一生読むこともなかっただろう。不要なのは村田喜代子、高樹のぶ子、宮沢賢治、くらいである。そんだけ省いたら一冊の本にならないだろ、と思うかもしれない。でも上記四人を省いても約250ページ以上あるし、あとは私が知っているきのこ文学の「傑作」を数点足せば、じゅうぶん一冊の書籍として成立する。そして生椎茸が干し椎茸になって旨味が凝縮されてさらにいろいろな栄養分が付加されるが如く、そっちのほうが濃い。

といったダメ出しをしていてもしょうがないので、本書の話。

この本は、出る前から「限定3000部、重版なし、増刷なし」とアナウンスされていた。なんとも言い様のない話である。手にとって、その理由が判った。装幀というか、文字組みが通常の文学アンソロジーとは全く異なる手のかかりようであり、印刷も大変そうだし、収録作ごとに紙まで変えているという凝りようで、しかも穴を空けてあったり、銀をのせた上からまたスミを印刷してあったり、とにかくもう装幀家なら一度はやりたい放題やってみたいことを一冊でぜんぶやっちゃっているのだ。こんなのデザイナーはともかく、印刷屋だか製本屋だかは二度とごめんな仕事である。

現在でもアマゾンに「在庫あり」と表示されるのは何故なのか、私には判らない。

というわけで、目立った仕事な感じのものだけ紹介。



萩原朔太郎。
文字が大きい。六文字が四行。
清潔という意味できれいな紙なのだけれど薄くて裏映りするためか片面印刷。



夢野久作。
さらっとした紙に、オレンジ色でイラスト。その上に本文。



今昔物語集。
これは何と言うフォントなのだろう。ひたすらかっこいい。説話にぴったり。



八木重吉。
黒い紙の上に、白で印刷してあるね。紙が途中で変わっている。



泉鏡花。
なぜか薄桃色の紙に、横と下の余白が狭苦しい感じに組まれている。



北杜夫。
こういうのは好きではありません。安易な発想。やってはいけない。



正岡子規。
マットな薄い紙に、斜めの文字組み。もちろん切れてる文字もある。



狂言集。
コントラストが激しすぎて、可読性は高いけれど疲れるという典型例。



宮沢賢治。
端を残して、何か白いのが敷かれてる。



長谷川龍生。
銀色の紙に、薄灰色の文字。これを完読した人はいるのだろうか。



いしいしんじ。
絵がスミと特色の二色印刷。文字組みの都合か、絵の縮尺を変えてあるような。


紹介していないのは「ふつう」です。
なぜ「ふつう」のもあるのかは、よく解りません。
私には与り知らぬ大人の都合があるのでしょう。



この一冊が、ブックデザインという側面から見て労作なのは疑いようがない。でもそれは労作にすぎない。私にとってブックデザインとは中身を引き立たせるものであり、それ自体が目立ってしまってはどうにも邪魔なものに変質するのもまた事実。文芸作品を読むという目的におけるブックデザインは、まず何よりも文字組みに全霊を傾けてほしい。ただテキストを流し込んでおいて「デザイン」なんて言えない。どのようなフォントであれ、漢字かなまじり文においては全てが完璧ということはあり得ない。そういう見た目の問題や、文章の緩急や筆圧の高低までをも緻密に丁寧に根気強く「デザイン」した書物があれば、私は文庫一冊に数千円払ってもいい。それは労作なんて言葉では足りないくらいの「結晶」だろうから。本書のような「分かりやすい大変さ」よりも、私はそっちのほうを高く高く評価する。

ちなみに今ではすっかり廃れてしまったmixiの中にある青空文庫では、夢野久作の「きのこ会議」が、お気に入りランキングで今日は33位となっている。ユーモアあふれる掌編をたくさん書いたことが徐々に知られてきて何だかうれしい。とはいっても夢野久作といえばあっちのほうのやつで、お気に入りランキングでも9位に「ドグラ・マグラ」が、29位に「キチガイ地獄」が入っている。しかしながらこれもまた有名な「少女地獄」が43位なのを見ると、きのこ会議は大健闘と言えるし、レビュー数では堂々の3位なのだ。

長谷川龍生のところは、眼に入った瞬間「無理」と思い、まったく読んでおりません。
なので読了しておりません。
逆光で読めるのですが、そこまでして読もうとは思いません。
今後も読了する予定はありません。

編者の飯沢耕太郎による解説は、この手のものにありがちな浮かれ具合が鼻につき、少々いただけない。何なのだろう「きのこ語」って。こういうのは、さらりと流すのがスマートであり、粋である。企画書の最後のほう「効果」の項目に「イメージが安っぽくなる」と書かれているような感じ。と、今回このブログ記事において熱く語ってしまった自分を省みながら、思う。

こんな体裁でなくて構わないというかむしろそっちのほうが良い。
普及版をちくまかどこかで出してほしい。
「じょうずなワニのつかまえ方」とは話が違うのだ。

ブックデザインはご存知コズフィッシュ祖父江慎と、吉岡秀典。

何やらけちつけてばかりの記事になってしまっている気もしないでもないですが、文芸書の文字組みにまで話が及ぶ機会など滅多にないのでついつい口を滑らせたということであり、改めて言うまでもなく、本書はすてきです。

港の人:「きのこ文学名作選」
Wikipedia日本版:ジョン・ケージ
Wikipedia日本版南方熊楠
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