小杉奈緒 ninigi



月のような太陽からあたたかな涙が流れ、大地に降り注ぎ、生き物たちは潤い、たゆたう河となり、広く深い海となる。
 
ニニギはご存知の通り日本神話の神様の一柱。
ホツマツタエによると、イザナギは金沢出身だそうだ。

音楽にしろ小説にしろ、デビュー作には全てが詰まっているという。それまで生きてきたこと全てをひとつに収めようとするからだ。次回作からは、一年くらいの間に体験したことが糧となる、とも言われる。もちろんそれは一般論だ。そんな一般論に当て嵌まらないミュージシャンも存在する。デビュー作に全てが詰まっていて、どれだけ新作を出そうがデビュー作が最高傑作、というのでは、あとは落ちていくしかない。小杉奈緒は六曲入りのミニアルバムで、凡百の歌手とは全く異なる位相で成り立っていることを高らかに宣言した。余計な力を入れず、そのままで全然違うことをひとつのCDとして形にした。そこには処女作にありがちな青さや情熱のようなものは見受けられない。それは決して情熱がないというわけではない。判りやすいかたちで出していないだけだ。判りやすいかたちで表現することは簡単だ。簡単であるが故に、だいたいみんな簡単な方法で出してしまう。そして、そのやる気や情熱や頑張りといったものは、安っぽいものとなる。小杉奈緒の歌は、そんな安っぽい場所から唄われてはいない。


今年の夏、あれは確か私が縄文式土器を作った焼き上がりをクルマに積んで帰宅するときだったと思うのだけれど、金沢へ行ったら布団屋さんに寄ることが多い私はそのときも寄った。そこに、小杉奈緒がいた。たいていの人は、美人だなあと思うだろう。確かに菩薩顔の美人さんである。男だったら抱きたいと思う。しかし私は、頭蓋骨のフォルムにやられた。頭蓋骨をほしいとすら思った。一緒にいた子が感想を求めてきたので私は素直に「いい頭蓋骨だね」と言った。どんな変態やねん。でも残念ながら私のほうが遙かに歳上で、男で、私のほうが先に死ぬことは普通に考えれば間違いなし。でも頭蓋骨ほしい。ほしいと「思う」ことを止めることはできないのである。だからといって本当に頭蓋骨を奪ったら、それこそ安い猟奇的事件である。なので思うだけである。

ちなみに頭蓋骨の顔部分、前面のフォルムがすばらしいなと思うのは、よくある話ですが香椎由宇です。好み云々は置いといて、あの左右対称は奇跡的。ただ、頭蓋骨全体のフォルムとなると、そうではない。さらに話は逸れるが、顔の左左半分のほうがよく動く、すなわち表情豊かな人は、滅多にいない。最近話題のタレントは、そうだ。

でまあ布団屋さんへ行って小杉奈緒がいたら頭蓋骨ほしいなあと思いながら、そりゃまあちょこっと会話するようになり、あ、日本人だなあと感じたことがあった。右翼的なそれではなく、和歌な感じとして。なので私は新古今和歌集こそが日本語芸術の技巧が極限に達した美の最高峰だと思っているので新古今和歌集なんかがいいなあとか思っていたのだけれど、そんな私のぼんやりしたイメージなどはフルーツポンチみたいなもので、さらに遡ってニニギときたもんだ。百万年先を行っている。で、夏、布団屋さんが四日間のイベントやるときに私は「かき氷屋」としてホテルに泊まってお手伝いした。話は逸れるけれど、かき氷屋のご用命があれば私はどこへでも馳せ参じます。話を戻すと、そんとき私は、ずっと東京にいた小杉奈緒が、また東京へ行くつもりってのを耳にしていたから、うっすら残念に思っていた。まだちゃんと唄を聴いてもいないのに。それでつい「また東京行っちゃうんだよね」とか、まるで昭和時代のラブソングみたいなムードになってしまって自分でも発してから何だこの空気と思ったのだけれど一度言葉を発したら世界はそれを前提に時が流れるので、小杉奈緒も微妙に笑うことしかできず、まあそんだけのことだった。ホテル日航金沢のラウンジなどで歌っているということは、以前から聞いていた。

私は、彼女の父親が体調を悪くして、だから東京から戻ってきたことを、知らなかった。

それからしばらくしたら、白山麓の里山でイベントがあり、小杉奈緒が唄うってんで布団屋の社長とふたりで行ってみた。いやー、巷に溢れてるのか捏造してるだけだから溢れてるわけなどないのか判らないのだけれど、森ガールなんてのが洟垂れ小僧に思えるくらい森ガールだった。森ガールなんて言葉じゃ薄っぺらいくらい森ガールだった。屋外で、アカペラで、マイクを通さず唄うのがいちばんいい感じ。楽しそうに、微笑みをたたえながら唄っている。しかも、そういうのを押しつけがましく唄い方や表情に盛り込んでくる「歌手」が多いのだけれど、そういうのは一切なく、なんていうか「自然」としか言い様のない感じだった。あほみたいに暑い日で、さらに厚さを増すブルーシートに寝転びながら、夏は汗をかくのが夏だよ、とか私は思っていた。そしてのどかな雰囲気と相まって、踊っていいなら踊っちゃおうかくらいの、楽しい空気に満たされていた。

そのとき、イベントの進行役をしていた人が、後で小杉奈緒のお父さんだと知った。

そんなわけで小杉奈緒の印象は、唄の上手い、頭蓋骨がすばらしい人、となった。

それからも私は私で漆器屋なのだけれど仕事が発生しないからこそ気軽な感じで遊びに行けるわけで、それは小杉奈緒が加わる前からそうだったのだけれど、小杉奈緒はいたりいなかったりした。もちろん私は小杉奈緒目当てで足を運んでいたわけではなく、布団屋さん全体が好きなので立ち寄っていたのであり、いないときだって以前と変わらずアイスクリームなどを手みやげにお邪魔したりしていた。布団屋はキャバクラではない。で、その布団屋さんは極上の天然素材を扱うところが私は気に入っていて、でももちろん高価なので私はちまちまとしか購入できないのだけれど、好きであることと購入金額は比例しないのである。と自己正当化しておく。それはともかく、アイダーダックダウンを買い付けにアイスランドまで行ったり、布団やリネンだけではなく、イランのギャッベまでをも現地へ行って買ってくる。一口に麻といっても色んな種類があり、ダウンだってそうだ。私はいつも「へえー」とか間抜けな声を漏らしながら、いろんな素材を撫でる。その一方で、いまでも綿布団の打ち直しなんかもできちゃう職人技も備えていて、もう私の好みにぴったりなのである。何の話だっけ、あ、小杉奈緒が天然素材に包まれているって話をしたかったんだ。

CDを出すという話を聞いて、こりゃもう絶対買うと決めた。今年はあまり心に響く新譜がなく、それはこのブログの音楽カテゴリを観れば明らかな通り、おすすめできるものは存在しないも同然だった。なので期待は大きくなっていった。詩が書けないと言っていたこともあるけれど、そんなの「なるようになる」しかないのだから、と私は達観していた。ずーっとスキャットでもいいよとすら思っていた。だって私はプロデューサーではなく、単なる頭蓋骨フェチだから。というよりむしろ全編スキャットでアルバムを出せる人など滅多にいないし、そういうのがほしいとすら思った。でも彼女は「歌」を唄いたいから、言葉のない歌など無意味と思ってるかもしれないし、それは確かに無意味である。

唄が上手いとはどういうことか。それを今さらここで論じる必要もないしお里が知れるので書かない。ただ、ひとつの見方として、小杉奈緒の唄がスペシャルな“gift”であることは簡単に説明できる。声は、喉だか腹だかから出す。決して心臓から出るものではない。喉だか腹だかから出た音は、人体の外へ放たれる前に、頭蓋骨で響く。ならば、頭蓋骨が「ストレスのない美しい形状」であれば最強である。スピーカーを考えれば、それはもうそうだ。こればっかりはどんだけボイストレーニングを積もうとも、すばらしい師匠と肝胆相照らそうとも、どんだけ人脈とお金があって何でもできようとも、決して手に入れることはできない。そして、顔の筋肉は均整がとれている。左右の違いも非常に少ない。これはどのように育ってきたか、生活してきたかによる。いびつな顔からはいびつな歌声しか出ない。

表現の位相が異なるということは、アクセスの仕方というか「交通」の手段も異なる。そういう回路で唄が自分の心と体に届くということに気づく人もいれば気づかぬままの人もいるだろう。でもそれは、確実に、異なる回路で届いている。そこが「奈緒ちゃんの唄は違うよねー」という感想にまとめられていく。そのことに私は不満を持っているわけではないし、そういうのはどうでもいいと思っている。単に私が、それはなぜなのか、ってのを知りたがる性分ということに過ぎない。



ちょっと前に、どんな段階のどんな状態のものかは判らぬが、歌の入ったCD(CD-R)をいただいた。おもしろい文字でなんか書いてある。早速私は、屋外の生活音が消えた真夜中、窓辺に水を張った皿を置き(湿度が高いと音が良いと私は確信している)、ちょっと毛色は違う濃い音色で音を空気中に放つ私のオーディオで拝聴した。全編スキャットでもいいじゃないかと私はまた思った。ジャズのスタンダード(になってるのかな)である「Bridges」の奥深さと母性は、もはや凄まじいと言うしかないほどだった。そして、岡林信康が、病床の盟友を歌った「君に捧げるLove Song」は、歌い慣れてルーティンワーク化した岡林信康本人の歌唱よりも、思いやりと丁寧さをもって唄われていた。「Bridges」は好きな曲なので、カーオーディオに入れて私も唄ったりした。これぞまさに、澄んだ水に混ざり込んだヘドロである。ヘドロが混ざると、水の澄み具合が際立つ。

とんでもない原石というか、石って感じではないから何ともまだ形容しがたいし、書いちゃっていいのかどうか分かんないけど書いちゃうと27歳だし、原石っていうのはほんとそぐわない話だ。でも他に日本語がないから原石ってことにしとく。でもやっぱり、仮に石だとすると、美しいカットがされる前の掘り出された原石はこれから磨かれて美しさを増していくって感じだからデビューアルバムが最高傑作ではないってことにも話が繋がっちゃうおそれがあるからそのへんは区別しときたいので書いとくと、このデビューアルバムは、ちゃんとした宝石であり、小杉奈緒がこれからリリースしていくCDは、ひとつひとつが宝石として成立しているものだと間違いなく思っている。

ちなみにお母さんもミュージシャン。
Wikipediaにも項目がある。
紙ジャケでCDも再発されたりしている。
プロデュースは山下達郎、バックのメンバーは細野晴臣や坂本龍一など、ジャケットは松任谷由実。

CDリリースの日にライブやるってんで、もちろん私はとりあえず自分のぶんだけ予約した。金沢市民芸術村のパフォーミングスクエアという、初めての単独ライブとしては破格の場所だった。そして、CDのリリースとライブが同日ということが決まると、小杉奈緒のお父さんが亡くなった。もちろんそれは外部の人間にとってそうなだけで、尽力していたことは想像に難くない。日本のポップスやロックの黎明期からミュージシャンを支えてきた人。お通夜のときには誰もが知ってる大御所ミュージシャンやバンドからの花が並んでいたそうだ。その日は、金沢の花屋から花が消えたとまで言われるくらいだった。金沢市民芸術村のパフォーミングスクエアを抑えたのは、お父さんだった。

昨日のライブで本人が語っていたからほんとうにそうなんだろうなあと思ったのは、お父さんが亡くなってもまだちゃんとその事実に向き合えていないということ。とにかくお父さんが設定したCDリリースとライブのことで頭がいっぱいで前に進まないといけなかったからというのは想像がつく。歌詞も作らなくちゃいけない、衣装はどうする、CDのアートワークは、などなど、むしろよくこんな短期間にこれだけ豊かで完成度の高いものを作り上げたもんだと思っちゃうくらい、それはスピードが速くて濃いものだったろうなと思う。おまけに初めてのことばかりだし。



で、ライブのチケットは、300枚が完売していた。友人を誘う暇もないくらい、あっという間に完売した。ライブの日は、冬の北陸としてはほんとうにほんとうに珍しく、朝から快晴だった。まだ積もって間もない真っ白な雪に世界は包まれ(数日経てばクルマの排気ガスやタイヤの粉塵などで茶色く黒くなっていく)、すばらしい日になることを予感させた。むしろ、午後三時くらいの、少し太陽の光が黄色を増してきたくらいの時間帯に、屋外でライブしたほうが神々しいんじゃないかってくらいの空だった。

私は、チケットを購入してクルマで遠出して観に行ったライブでも、途中で出ることが数多くある。「つきあってられん」と思うのだ。それはなぜかというとまた話は長くなるので書かない。昨日は、ひさしぶりに「終わってほしくない」ライブだった。唄声はすばらしく、心を込めて丁寧に唄われていた。タイム感もピッチも彼女だけのものだった。歌は言葉であり、伝えたいことがあるっていうのは表現者として基本中の基本だなと改めて感じた夜だった。テクニックの披露に終始するライブやコンサートとは全くの別物だった。クラシックの正統な教育を受けたり、高名な音楽家に師事したり、といったことがどれだけスポイルされてしまうことなのか、とか思った。それはたぶん、美味しいコーヒーを作りたい一心で独学で美味しいコーヒーの淹れ方を研究する人と、高名な焙煎家に師事して「手順」だけを覚えてその通りに「しかできない」という違いに似ている。ミュージシャンを支え、そして石川県の風土を大切にしてきた父親と、今でも作曲能力の高さと歌声が評価されている母親のもとで、彼女は歌手として最も大切な「歌を大切にする」ことを身につけていったのだろう。そして、そんな両親から生まれて育った小杉奈緒は、ハーフ的な半々ってもんじゃなくて、足して割らないハイブリッドなもののように映る。

女神とか歌姫とか、そういう安直な言葉は使いたくない。
けれどもこのCDのタイトルは「ニニギ」だ。
ニニギは略称。
アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギ。
稲穂が豊かに実って天地が賑わう、という意味。
それがどういうことかは、聴けば判る。
1曲目「歓喜の唄」が、そういう歌だそうだ。
スケールが違うよね。

昨日のライブを観賞した人は幸福だ。
素晴らしい「デビュー」の瞬間に立ち会えたことを、またとない幸運に巡り会えた時間だったと思う日が、必ず来る。




小杉奈緒 ninigi
1 歓喜の唄 作詞 小杉奈緒 作曲 佐野観
2 この道・water is wide 作詞 北原白秋 作曲 山田耕筰 Scottish Traditional
3 青葉町リバーハイツ 作詞 小杉奈緒 作曲 小畑和彦
4 君に捧げるLOVE SONG 作詞・作曲 岡林信康
5 水面 作詞 小杉奈緒 作曲 石川征樹 小杉奈緒
6 帰り道の夢 作詞 小杉奈緒 作曲 小畑和彦
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