阿部和重/クエーサーと13番目の柱



ご紹介が遅くなりました。
阿部和重の最新作。
そりゃまあ当然おもしろいです。
同時代の小説家でいちばんのおすすめ。
しかも「ウェルカムバック!」と叫びたくなる快作。
 


「クエーサーと13番目の柱」は「インディヴィジュアル・プロジェクション」や「シンセミア」にあったドタバタ的でありながらも猛スピードで駆け抜ける快感と「ニッポニアニッポン」や「グランドフィナーレ」にあった現代生活のアイテムを用いた話の成り立ちを兼ね備えた上位互換のハイブリッドだ。わけがわかりませんね。私も適当に書いてます。

現代の生活をそのまま落とし込む阿部和重の小説は、数年後に古くさくなる虞れと共にある。阿部和重は、そんなのものともせずにネットやアイドルグループを使いまくる。それを刹那的と表現するのは正しいかどうか判りかねるが、ある種の覚悟をもって書いていることは確かだし、そんなことはとうの昔に作者にとっても自覚的なことなのだ。ということも含めて私は「同時代の小説家でいちばんのおすすめ」するのであり、同時代に生きていることを幸運と考えている。

文学新人賞受賞作を律儀に読んでいたころ。群像新人賞から阿部和重は登場した。1994年のデビュー作「アメリカの夜」は偏執的な蓮實文体の模倣で、書店で書き出しを立ち読みしていた私は声を出して笑ってしまった。それは後にパルコブックセンターの怪談話として都市伝説となるのだけれどそれはまた別の機会に。話を戻すと、ただひたすら小説を読むことに没頭するだけで快楽を獲得できる、というのが読書の楽しみのひとつで、でもそういう幸福な出会いは少ない。あくまでも経験則なのだけれど、そういう小説は、最初の100ページくらいまで読みづらくてなかなか進まない。でもあるときふっと小説に入り込んでいる。あとはもうラストまでぶっ通しでむさぼるように字を追う。

それは、描写がどうだとか登場人物の肉付けがどうだとか、そういう成り立ち方ではない。

「アメリカの夜」で、こりゃすごい小説家が出てきたなあとわくわくした私は、書店へ行くとたまに文芸誌をぱらぱらめくって新作があるかをチェックするようになった。でも群像新人賞なので「群像」なのは判りきってたけどね。そんで翌年に第二作「ABC戦争」が単行本で出た。これまたくだらないというか幼稚なことを上質な小説として書くという難しい技で、とかくテーマが高尚だったり主人公が道徳的だったりするほうが「程度の高い小説」とされがちな風潮をうっすら感じている私としては、こういうのは評価されにくいのだけれど私ひとりだけでも評価してしまっている。もちろんこれは阿部和重に限らず、極論を言えばレーモン・クノー「文体練習」のようなもので、割とくだらない内容を格調高い小説に仕立てるのは海外の小説が上手い印象を持っている。

で、1997年に中編ふたつが一冊の単行本として出た。「公爵夫人邸の午後のパーティー、ヴェロニカ・ハートの幻影」だ。これを私は最も多く読み返している。調べたことがないので正確なことはわかんないけれど、日本で最も多く読み返している自信がある。100回じゃきかない。あ、そんだけ読んだのは「公爵夫人邸の午後のパーティー」だけです。これはとにかく大好きで、語りの上手さと構成の上手さと技巧の上手さが詰まった素晴らしい中編だ。ほとんど話題に上らないのがくやしいけれど、別にそれでいい。小説といえば「このミス!」くらしか読まない人が何かの間違いで手にしてしまったら、わけがわかんなくて放り出し、あげくの果てには「つまらない」と烙印を捺すかもしれないから、話題に上らなくていい。でもね、小説が「文芸」と呼ばれるように芸術のひとつでありうるのは、こういう小説が今でも書かれているからなんだと思う。

しかし同時期に単行本が出た「インディヴィジュアル・プロジェクション」は、また全然違った。そこがすばらしかった。すぐに読めるので1日に何度も読み返したりした。そしてついに本作で阿部和重はブレイクした。小説のジャケ買いまで起きた。渋谷系だかJ文学の旗手とされた。それって文藝が言い出したんじゃないのって気もするし、小説の舞台が渋谷ってだけじゃないの安易だねとか思ったりもしたけれど、ご本人が嫌がってはいないご様子に見て取れたので外野がとやかく言うことではないのだから、特に何も言わなかった。というか私は文壇の人間ではないのだ。

とにかくおもしろい小説「インディヴィジュアル・プロジェクション」は、ブックオフで105円で見つけたら捕獲して、会った人にプレゼントする、という本としてかなり私の中を通り過ぎた。捕獲数はパトリック・ジュースキント「香水」に次ぐはずだ。新刊買えよって話なのだが、それだと貰う人が気を遣ったりするなんやかやがあるので、気安い感じで渡すほうがいいし、そうしている。

「インディヴィジュアル・プロジェクション」や「クエーサーと13番目の柱」に顕著なこととして、最後まで読んでも全てが明らかになるわけではない、というのがある。これは、広げた風呂敷や伏線を回収できていない駄目なミステリとは少々話が異なる。なぜなら、すべてを明らかにしなくても別にかまわないからだ。そのことをもってして出来が悪いと断ずるのは些かどうなのとも思ったりするけれども、すべてが明らかとなってすっきりする読書を求める人にとっては時間と金を返せと言いたくなるであろうと察するので、amazonでの評価が低いのも致し方ないとも思う。

しばらく長編が出なくてどうしちゃったんだ、福田和也が「作家の値打ち」に書いていた隘路にはまり込んでしまったのか、と思っていたら、2ちゃんねるを思わせるネット世界も重要な舞台となる「ニッポニアニッポン」を2001年に刊行。これまた名状し難い怪作で、トキを殺しに行くおはなし。何とも頼りない感じでそこがじりじりするのだけれど、そこも作者の思惑通り。まんまと楽しんだ。

その後、なんとなく代表作扱いとなっている大作「シンセミア」が出た。サービス精神豊富な阿部和重の本領発揮、長いのに1日で読んでしまい、もっとじっくり堪能すれば良かったと後悔してしまった。これが初めての阿部和重という人が私の周りには割といて、それはもちろん私のせいなのだけれど、だからといって過去の小説にも手を伸ばすか否かはその人次第で、その確率は半分くらいだった。なぜか文庫化された短編集が選ばれる傾向にあり、それがどういうことなのかは何も分析したことはない。

そこからは順調に長編が刊行された。なんとなく、それまでの仕事を整理整頓したような印象だったけどね。2005年は「グランドフィナーレ」で、2006年は「シンセミア」よりも先に書かれていたけれど単行本化されていなかった「プラスティック・ソウル」が出て、おまけに携帯サイトで連載していた「ミステリアス・セッティング」も出て、しばらく止まったかと思ったら長めの「ピストルズ」が2010年に出た。

と、阿部和重の長編(中編と呼んだほうがいいボリュームのもあるけどね)に親しんだ方なら、冒頭の「クエーサーと13番目の柱」は「インディヴィジュアル・プロジェクション」や「シンセミア」にあったドタバタ的でありながらも猛スピードで駆け抜ける快感と「ニッポニアニッポン」や「グランドフィナーレ」にあった現代生活のアイテムを用いた話の成り立ちを兼ね備えた上位互換のハイブリッドだ。というのをうっすら解っていただけるのではないかという誠に不親切かつ淡い期待を込めるのみで、ただの思い出話と堕した今回の記事を締めたいと思います。

阿部和重を最初に読むなら「インディヴィジュアル・プロジェクション」と「ニッポニア・ニッポン」が一冊になった、何ともお得な文庫本「IP/NN」がいいでしょう。初期三作は、なかなかの難しさです。遡って読むほうがいい、非常に珍しい小説家でもあります。とはいうものの、サーガ的なものもあり、私の戯れ言なぞを鵜呑みにして最新作から遡って呼んで行くとまずいことにもなります。

本書を読むと発泡水を飲みたくなります。読む前に用意しておくことをおすすめします。




「クエェーサーと13番目の柱」が出る少し前に、これは何というのか……たぶんノンフィクションなのだろうけど「幼少の帝国」という、そりゃもちろんロラン・バルトの著作タイトル(の邦題)をねたにしたものが出た。これはこれでおもしろかったですよ。「書かれていること」に対して「興味深く考察」できました。それは「へえーっ、なるほどー」と単純に感心するようなノンフィクションではない、という意味でもあります。


日本経済新聞:書評
週刊文春:インタビュー
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