アントニオ・タブッキ「夢のなかの夢」



他に選択肢があれば岩波文庫を選ばない、という人はあまりいない。私は、その「あまりいない」人のひとり。でありながら、蔵書を振り返ってみれば文庫は新潮に次いで岩波が多い。人生そんなもんである。このタブッキやカルヴィーノなど現代のイタリアは特に岩波文庫という感じがしないので何なのだが、20年くらい前に出た単行本が文庫を出さない出版社だったため、岩波に収録されてしまった次第。なので、訳文などはかつての岩波の悪文ではないので、岩波に入ってしまったのなら仕方がない、それ買うしかないもんな、という感じで済む。なので仕方なく買った。



体裁でいえば短編集。さてその内容はというと、著名な人の見た夢を、タブッキが想像を働かせて書き綴ったものなのだ。どんな超名人たちなのかは、目次を見ればいい。親切な私は、文字と画像の両方で目次を紹介しちゃいたいと思います。

013 覚え書
015 建築家にして飛行家、ダイダロスの夢
021 詩人にして宮廷人、プブリウス・オウィディウス・ナーソの夢
025 作家にして魔術師、ルキウス・アプレイウスの夢
031 詩人にして不敬の人、チェッコ・アンジョリエーリの夢
037 詩人にしてお尋ね者、フランソワ・ヴィヨンの夢
043 詩人にして破戒僧、フランソワ・ラブレーの夢
051 画家にして激情家、カラヴァッジョことミケランジェロ・メリージの夢
055 画家にして幻視者、フランシスコ・ゴヤ・イ・ルシエテンスの夢
059 詩人にして阿片中毒者、サミュエル・テイラー・コウルリッジの夢
063 詩人にして月に魅せられた男、ジャコモ・レオパルディの夢
069 作家にして劇評家、カウロ・コッローディの夢
075 作家にして旅行家、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの夢
081 詩人にして放浪の人、アルチュール・ランボーの夢
085 作家にして医師、アントン・チェーホフの夢
091 音楽家にして審美主義者、アシル=クロード・ドビュッシーの夢
095 画家にして不幸な男、アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレックの夢
101 詩人にして返送の人、フェルナンド・ペソアの夢
107 詩人にして革命家、ウラジミール・マヤコフスキーの夢
113 詩人にして反ファシスト、フェデリコ・ガルシア・ロルカの夢
117 他人の夢の解釈者、ジークムント・フロイト博士の夢





「作家にして医師」と来たとき、私は反射的にルイ・フェルディナン・セリーヌのことを思い浮かべた。でもそんなわけなどなかった。私にとって「作家にして医師」のみならず「作家」といえばセリーヌだ。というよりも「作家」というのはどういうものかなと常日頃思っており、作家と呼ぶのはやめて「小説家」や「陶芸家」でいいんじゃないのと思う。同様に「アーティスト」じゃなくて「ミュージシャン」や「歌手」なんじゃないのとも思う。話が逸れました。

ロートレックの紹介が可哀想なのはともかく、タブッキを好きならこちらもやっぱり好きなのではという見事なラインナップ。しかもダイダロスから始まりランボーといった他人が「なりかわる」ことなどできないのではと思われている人たちまでとりあげている。そしてペソアやロルカといった、名前を目にするだけで何だかじーんとしてしまうタブッキ真骨頂な顔ぶれのあと、最後は疑似科学のフロイトで締めるという見事さ。

巻末にはそれぞれの紹介文もあり、むしろそちらのほうでタブッキらしい皮肉が効いている気がしないでもない。とはいうものの、イタコとしてのタブッキはすばらしい。ほんとうに彼らが見ていた夢はこういうものなんだろうなと思わせる。それは私たちが想像するものとはまるで違う。まさに「知る」ことに他ならない。インチキ霊媒師でも、これくらいやってくれれば謝礼を払うかもしれない。

カバーのデザインも、いつもの岩波文庫ではないところが良い。というのも、これは本国版の写しだ。ほんとは、本国版は金色を使ってるのだけれどね。淡くて軽い本作は、文庫で読むのが向いている。基本、文庫は選ばない私でも、そう思う。目次をご覧になれば判る通り、ひとつひとつはとても短い。夢の断片のようだ。ただの「あらすじ」が良いのか、断片が良いのか、この場合(夢)は、断片が良いのだろう、と判断することにした。





タブッキといえば「インド夜想曲」が代表作とされている。私もそう思う。いつ読んでも、独特の薫り……ヨーロッパ資本のアジアンリゾートや、インドの繁華街の猥雑さや土地勘のなさからくる不安など……が見事に詰まった、そしてストーリーテリングも大変面白くてページをめくるのもじれったくなるくらいの、すばらしく良く出来た小説。タブッキを読むなら、まずは「インド夜想曲」がおすすめです。「夢のなかの夢」でとりあげられている人のファンであれば「夢の中の夢」を選んでもいいとは思います。でも、濃密さはないし、タブッキの作品としては些か物足りなさを覚えるのもまた事実です。夢の断片ですからね。それを現出させたのは見事だけれど「インド夜想曲」は、もっともっと小説として素晴らしい出来映えです。

同時期に「いつも手遅れ」も出ました。
こちらは書簡形式の短編集です。
元恋人に綴る、返事の期待できぬ手紙たち。
いわゆる「ロミオメール」です。
なので「手遅れ」なわけです。

昨年3月に68歳で亡くなった、アントニオ・タブッキ。カルヴィーノと並んで私が大好きなイタリアの小説家。亡くなってからこうしていろいろと出版され、雑誌では追悼特集が組まれ、展覧会やシンポジウムや映画上映などが日本でも開催された。それだけ、日本人からも愛されていたのだろう。


Wikipedia日本版:アントニオ・タブッキ
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