Ironのレザーカードケース



名刺入れやカードケースは、腕時計くらい社会人としての何かを意味している。
無印良品の金属製でいいのなら、それがお似合いの世界で暮らしている、ということだ。
 

革は、動物の一部だ。私は割と「クリーン」な世代で、うまく説明できないが、エアコンの効いた部屋でY.M.O.を聴いていた世代だ。スケルトンのプラスチックに胸をときめかせ、虹色に輝く構造色のCDを手にとっていた。そんな世代。ああやっぱりこの書き出しはうまく話が繋がらないし掘り下げたり遡ったりするとタブーにも触れるので、ナシ。

革製品の良し悪しは、割と明快。
要素としては、革、鞣しなど、裁断と縫製、仕上げ。

金沢くらいの田舎町になると、何の処理もしていないヌメ革を、太い糸で縫って財布にして、使い込んで行くうちに色艶がでてきて、なんていう代物がもてはやされる。でも、そういうのはコバひとつとっても、まさに何もしていない。言ってしまえば、革を切って縫うだけなのかよ、材料と道具があれば自分で作れちゃうだろ、それでそんな値段なのかよ、というわけだ。そんな、ハンドクラフトの中でもポッと出が割と多いのはそういうことだからという革の世界には、もちろん「最高の革製品」を追求して日々鍛錬している人もいる。でも手間がかかるので量産できないし個展なども開けないので、やっぱり量産型の作り手ほど表に名前が出がち、という構図となっている。話は逸れますが「使い込むほどに艶を増すお椀」とかいったことを売りにしている漆器の汁椀があって、それって艶消しを塗ってるんだから使う(=拭く=磨く)と艶が出るのは当たり前でしょうに、と思うのだけれど、なぜだか世の中にはそういうレトリックにころりと騙される人が割といて、それはそれを誰が言っているのかということもなるのだろうけれど、それはそれで所詮はハロー効果なわけで、いずれにしても「その汁椀が上質である」ことにはならない。話を漆から革に戻す。

ただの分厚いヌメ革に、太い糸を粗く通して、はい、財布。
私は、そんな西部劇みたいなものは持ちたくなかった。

かといって、もうそろそろいい大人なので、いまさら海外メゾンのブランドものを持つのも恥ずかしいし、かといっていかにも手工芸ですよというオーラが出まくる何か(漆塗りだったり木製だったり、要は自分の営みを象徴してしまうようなもので、しかも素人なのだから、悪い意味で手作り感が満載)を持つなんて、もっといやだ。これはやっぱり、ちゃんとしたものを持つのが良い、という判断となった。私の持ち物は、だいたいみんなそうなのだけれどね。そして持ち物は、とてもとても少ないのだけれどね。

ツイッターで、横浜で革製品を作っている人と知り合った。いきさつはそちらの方のブログにある通り。で、名刺交換なんて年に1回あるかないかというくらい世捨て人の私、名刺入れとして使いたいときは名刺入れとして使え、そうでない大部分の時間はカード入れとして使えるもの、を探し、知り合ってからも2年くらい逡巡していて、それは予算的な都合もあるのだけれど、でもやっぱり最後はお金の問題ではなく生き方の問題なわけで、注文した。こういうのは私にとってあまりない経験で、たぶん似ているのはあれだ、家を建てるときのあれだ、いろいろ見て比較して説明を聞いていくと、やっぱりいちばんいいシステムキッチンを選んでしまって他の設備なんかもそれとおなじくらいになっちゃって、坪50万円のはずが坪75万円になっちゃった、という感じに似ている。建てたことないけど。あくまでも流れとしての話で。さて、そんなシステムキッチンのような大量製造品とは異なり、私が注文したのは、私が注文したもの1つしか、たぶんこの世に存在しないものだ。形状とサイズを相談し、革を選んで、縫い目のピッチもこちらから指定した。だって、そっちのほうが良いし、それ聴いちゃったら値段が倍になると言われても「倍でも安い」と思っちゃうくらいなのだから。

どういうものを使って、どう作られたのか、ひとつひとつ説明していくと超長文になるので、箇条書き。

カードケース、たまに名刺入れ。
マチは不要。

革は、ミネルバボックス。
薄くて、柔らかい。
薄いといっても厚さは1.6ミリ(1.0ミリの革もあるので極薄ではない)。
でも、1.0ミリの革よりも、柔らかい。
イタリア製で、鞣しは植物タンニン。
加脂には牛脂。

縫い糸は、麻糸。
麻糸には、蜜蝋。
縫い目は、3ミリピッチ。

コバには、蜜蝋。

これだけで、判る人にはどれくらい凄いものなのか、お判り頂けるかと思います。

以下、上の箇条書きで判る方は読まなくてもいい、詳しい説明です。





■革

ミネルバボックスは、イタリアのフェレンツェにあるタンナー、バダラッシ・カルロが手がける革。手鞣し、手染め。千年くらい前から続けられている製法そのまま。ということは、やっぱり化学物質や石油系のものは使われていない。革は、鞣しの仕上げ工程で脂を加える。保護するためであり、しなやかさを出すためでもある。よくあるものは合成油脂や魚脂を使う。それらは革に浸透しやすく、扱いやすく、安い。なのでよくあるわけだ。でも、浸透しやすいってことは、抜けやすいってことでもある。つまり耐久性に劣る。こまめにオイルを塗ってメンテしなければならない。では、いちばん良い脂は何か。簡単な話です。牛革なのだから、牛脂。牛脂は牛革から抜けにくく、革の繊維との絡みが良い。相性ぴったり。でも、常温では固体のため、革に浸透させるのは大変に手間がかかる。牛のすねやそのあたりの骨を煮込みに煮込む。ミネルバボックスには、牛脂が使われている。もちろん鞣しには植物タンニン。

あたりまえの話だが、同一の素材でも、小さくなるほど、固い。ハガキは持ち上げただけでは曲がらないが、同じ厚さの壁掛けB2カレンダーは、どこか1か所を指でつまんで持ち上げようとしても、つまんだところが最高地点で、物凄い急傾斜でだらんと垂れる。つまり、曲がる。もっと他に良い喩えがないか思い倦ねていたのだけれど思いつかず、いまいちな喩えです。喩えの出来映えはともかく、名刺入れは、小さい。定期入れ(今でも使っている人はいるのだろうか)や財布よりも小さい。小さいということは、同じ革を使っていても、曲がらない。中に入れるのが名刺なのだから曲がらないほうが良いのかもしれない。でも私は名刺ではなく人間である。外側を触れるのだ。カッチカチの西部劇みたいなのは嫌だ。小さくても柔らかいほうがいい。そしてできれば、何かテクスチュアのあるものがいい。というわけで、革はミネルバボックスを選んだ。

ミネルバボックスの表面には、細かなシボがある。
(シボのつけかたも説明すると長くなる)
しっとりとしたサーフェスなので、シボが嫌みでもないし気持ち悪くもない。
むしろ、これを見た後にのっぺりとした無表情の革を見ると、間抜けに思える。


■麻糸

革製品を縫うための糸は、何が良いか。それは私には判らない。革といってもいろいろあるからだ。コートもあれば鞄もある。で、革小物と言われるものであれば、麻がベスト。丈夫だから。でも、麻そのままでは駄目。ironの麻糸は、蜜蝋をひいてある。蜜蝋は、縫う時に糸を引き締めやすくし、糸の耐久性を高める。蜜蝋を引いていない糸だと、次の縫い目へ進む前に、糸が戻ってしまう。それでは、引き締めて縫っていくことができない。縫っているのだから、隙間やバッファはゼロに近い方が良い。で、ironの麻糸は、固形の蜜蝋をひたすらこすりつける方法と、溶かした蜜蝋を糸に含ませていく方法、主にふたつある方法のうち、前者を採っている。耐久性の比較のため、屋外の雨ざらしの場所に二年間放置したそうだ。こういう実証主義は嫌いではない。そんなわけで縫い糸の耐久性にも不安は全くない。ちなみに麻は国産。

また、見過ごされがちだけれど、糸の撚りも重要。どれだけ素材としての麻が丈夫だったとしても、撚りがかかっていなければ耐久性がない。すぐにすり切れる。また、撚りのことを何も考えずに糸を使う、つまり縫っていると、撚りがほどけてくる。そりゃまあそうだ、戻ろうとするのだから。というわけで、ironの場合は、縫いながら撚りをかけている。



規則正しい3ミリピッチの縫い目。


■縫い目
革小物の縫い目のピッチを、まじまじと見たことはあるでしょうか。私は割とあります。大きなピッチは、西部劇っぽい。そして隙間が出来るし、凹凸が激しい。糸が露出する面積だか体積だかが増える。そんなこんなで当たりが激しいし、見た目も激しい。それは私の好みではない。何も言わなければ5ミリピッチで作っているそうだが、理想は3ミリピッチなんて言って来るものだから、それはたぶん私だったら3ミリピッチでオーダーすると判っていてのあれだろうが、まんまと私は3ミリピッチでオーダーした。見た目がすっきりするし、糸の耐久性が違う。ただ、その代償として縫う時間が二倍になるそうで、それはまあ私が縫うわけではないので、そのぶん値段が上がることのほうが私には重要な問題であった。長く使えるものなのだから、1週間が2週間に延びようとも、そんなの大した話ではない。もし仮に、半年が一年に延びると言われても、私はそれでオーダーしただろう。

ミネルバボックスは厚さ1.6ミリ。そして柔らか。
(マチがないのだから、固い革では使えない)
美しいものになる予感がした。

あたりまえすぎて書き忘れたが、ironの製品は全て手縫い。
蜜蝋を含ませた麻糸は、手縫いじゃないと縫えない。

(現在は3ミリピッチの価格もサイトに記載されています)



縫い始めと縫い終わりが一目でわかる。


■コバ
西部劇な白いヌメ革の大雑把な長財布などが全然駄目なのは、ここである。それどころか大手メゾンの多くが話にならない。有名な作り手の漆器が駄目なのと事情は同じであろう。世間一般のイメージとは異なる、有名どころの革製品についての「説明の誠意」のようなものを聞くと、それはそれで長く続いているブランドが長く続いている理由も垣間見えたり、裏事情を推測できたり、とにかくもうこの手の話は大好物。それでコバの話なのだが、これもやっぱり蜜蝋がベスト。さらにironでは適宜松脂を加えているそうだ。大手メゾンや一流ブランドの革小物には、アクリル系の絵の具を乗せているだけのものもあり、顔料のものもある。一流ブランドとされている、鞄で七桁しちゃうようなものでもそうなのだから、そうでないブランドなどは推して知るべし。そして、西部劇っぽいいかにもハンドクラフトという雰囲気満載なものは、たいてい、コバの処理をしていない。これはなんていうか「使い込むほどに飴色になんていく、ほんものの革でしか楽しめないうんぬんかんぬん」とか言ってるくせに、長く使えるようにすべきことを何一つとしてしていないわけであり、結局は雰囲気イケメンのようなものである。ぼろぼろになるのが早い。そして、劣化が早いものだから、修理を承ったりする。

大手メゾンと西部劇の中間、世の中にたくさんある中小メーカーの革小物はどうかというと、当然のごとくコバの処理は化学物質。CMCまたはトコノールと呼ばれる水溶性の合成樹脂だ。平たく言えば木工用ボンドのようなもの。これは悲しいことに趣味でレザークラフトをやる人にとっての基本中の基本のような存在となっている。アマゾンでも入手できる。扱いやすいし特別な技術も不要だし、安いし、プロが量産している商品で使われているのだから、むしろそれ使えば安心ってことなのだ。このような事態は、あらゆるものづくりやクリエイションで起きている。しかし、水に触れる可能性があるものに、水溶性のものを使うというのは、何かおかしくないだろうか、というわけで、ironではそのような化学物質は一切使わず、コバも蜜蝋。これはもう単純に耐久性の高さが理由だそうです。というか、せっかくの植物タンニンと牛脂で仕上げた素晴らしい革を使うのだから、化学物質を使うなんて革というか牛に失礼である。

コバの処理の前段階、裁断も非常に大切です。
だってそれが革製品の佇まいを決定づけるのですから。

あとひとつ、コバについての説明を頂戴したのだけれど、同業者が探りを入れると困るので、ネット上には載せない。使う物として、より耐久性を上げるためには、というところを追求した結果のその仕事は、きめ細やかで丹精で丁寧で物理学である。使う素材はもちろん蜜蝋と松脂だけ。

私がオーダーしたカードケースは、マチがなくて(入れる枚数が少ないし薄い方がスマート)、すっきりとしたもので、遠目で見ると何の変哲もないもの、でも近くで見ると革のサーフェスや縫い目の細かさによって、その理由は判らないけれど何かが違う、といった趣のものになった。3ミリピッチにズレはなく、きちんと人間が演奏しているリズムのような意味合いで、3ミリピッチを刻んでいる。

小さなものになればなるほど、ほんのわずかなズレが目立つ。これは当然のことで、サッカーボールの白や黒の大きさが1ミリ違っていても、本田△ですら気づくかどうか怪しい。でも、給料三か月分の婚約指輪に惨然と煌めくダイヤモンドのブリリアントカットのひとつが1ミリ大きかったら、誰でも気づく。香合の合口が1ミリ違っていれば誰でも気づくが、カリスマ建築家の設計したオシャレな住まいの引き戸が図面と1ミリ違っていても、そんなの大した問題ではない。1ミリずれているからといって建て直しを要求する施主などいない。ウィトゲンシュタインくらいしかいない。

届いた物は、イメージ通りであり、イメージ以上であった。
小さな包みを開くと、とても自然な香りがした。
爪の甲で擦ると良い(コバを)とのことだったので、私は、爪の甲で、撫でた。
とても心地良い摩擦の快感が、脳へ静かに伝わってきた。


マチがなく、片方のポケットには仕切りの革が挟まっている。
外側から見たときに、層になって見える。
それを挟んで縫われている。
包丁の本通しのようだ。


革を重ね、層になっている。


届いてすぐに撮影したデータが、Macの故障によってこの世から消滅してしまい、使っていくうちに変化していく革の表情を記録していこうという私の目論見は、しょっぱなから打ち砕かれた。ここに載っている画像は、使い始めて1年ほど経ったもの。あまり使っていないことがばれてしまうわけである。数年後、これらの画像と実物を見比べて、かなり変わったなと感じたら、画像を追加しようと考えております。



マチがなく、革の柔らかさによってカードを収納。



作っている途中を見せてほしいという面倒なお願いに応えていただいた。


【豆知識】
大手メゾンやブランドバッグの作りがどうなのか、見て判断するには。ブランド公式サイトなんてかっこいいに決まっているので、役に立たない。家電製品のようにスペックが明示されているわけでもない。というわけで、大手の定番をチェックするなら、中古屋のサイトがおすすめ。細部も大きな画像で載っているので、コバの処理がどういうふうになされているかが一目で判るからだそうです。


Iron
※現在は、紹介制となっているようです。


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