アンナ・カヴァン「氷」



幻想文学とSFを兼ね備えた小説は好物(でもファンタジーの要素まで入っていると途端に苦手となる)。たとえば、アーサー・マッケンやJ.G.バラード。アンナ・カヴァン「氷」は、そういったものが好みの人にとっては極上の一冊。サンリオSF文庫の復刊(の文庫化)。
 

大寒波がやってくる。語り手は少女のもとへクルマを走らせる(それは語り手の意志である)。大寒波は地球を覆い尽くそうとしていた。少女は姿を消す。語り手は追う(これも語り手の意志である)。語り手は某国の〈高い館〉で絶対的権力を持つ長官と対峙する。というのがあらすじというかカバー裏に書かれた作品紹介。もちろん話はそこまでではなく、紹介されているのがそこまでなので、私もそこまでにしておく。ちなみに、250ページほどの中で、長官と合う約束をとりつけるのは63ページ。話の展開も面白いのだけれど、何よりもその小説世界とトーンが素晴らしい。世界が氷に覆い尽くされる「イメージ」が圧倒的。そんなことあるわけないけれど、怖さを伴う。そして美しい。ひたすら美しい。語り手の妄想フィルターを通していても、美しい。

テンポ良く話は展開していくので、読みにくいということはない。登場人物も少ない。語り手の謎の身勝手さにやきもきするかもしれないし、冒頭から少女は少女なのか夫がいるのか煙に巻かれるだろうし、身勝手だろうが何かしてくれないと話は進まないので好きにしてもらえばいい、少女なのか既婚者なのかも読んでいくうちに判るだろう、身勝手な御都合主義ならばピンチになったら超人的な力で解決しちゃえばいい、などと思いながら読み進めた。だが、決して波瀾万丈とかスペクタクルとかいうものではなく、むしろ大して何も起こらない。いや、起こってるんだけど、ブルース・ウィリスのような感じではない。そのトーンが素晴らしい。カフカを引き合いに出している人が多いことから、おおよその見当はつくと思う。でも、カフカの小説よりも遥かに鋭利で怜悧だ。閉塞感とか息苦しいとかはない。息が詰まる感じはある。そんで1時間半で読んでしまった。こういうのは久しぶり。

氷に飲み込まれて行く世界というとJ.G.バラードの「結晶世界」を連想する。何やら最近では小説やゲームを中心に「世界観」という言葉が安売りされていて、でもそれらの殆どが、特に何も変わったところのない世界だったりする。つまり、その作品だけの世界観というものが、そもそも存在していない。百歩譲って、それは「雰囲気」である。そういった粗製濫造だか大安売りだか意味の地滑りだかのおかげで何でもないものにまで使われている世界観という言葉が、これほどまでに似合う小説は、とてもとても少ない。世界よ、これが世界観だ、というわけです。

広く知られているとは言い難いアンナ・カヴァンは、一度目の結婚を経て実名で小説を発表し始めた。それから精神的に不安定となり、二度目の結婚を終え、一人息子が亡くなってからは自殺を試みる。それからも精神病院へ長期入院。脊髄の病気を患い、痛みを和らげるためにヘロイン。絵に描いたような流れなのだが、割と典型的であるとも言えるこのような流れによって創作者としても人間としても機能不全を起こした人たちとは異なり、カヴァンは活動的だった。世界中を旅し、ニュージーランドやビルマやスイスやフランスやアメリカで暮らした。イギリスへ戻ってからは、小説を書き、室内装飾家としても活躍し、それどころか犬のブリーダーでもあり、画家でもあり、不動産開発業者でもあった。66歳で「氷」を発表し、1968年に亡くなった。こんなの書く66歳なんて滅多にいない。



ヘロイン常習者だからといって、生み出すものがその影響下にあるとは限らない。それは簡単なことだし、でもやっぱり短絡的だ。このあたりのことはクリストファー・プリーストによる序文に詳しい。序文が、かつてのから、クリストファー・プリーストに替わったのも私には嬉しい。プリーストの小説は大好物だから。そして案の定「スリップストリーム文学」を軸に持論を展開しているところが良い。

しかし表紙(カバー)のデザインが黒一色っていうのはどうなんだろうね。中身と違う。全然違う。感情論と半蔵門くらい違う。何とかがんばって半透明の紙を使って白で文字を印刷してほしかった。文庫でイレギュラーは難しいのだろうけれど、気がつけばちくま文庫もこの薄さで900円なのだから、どうにかしてほしかった。というわけで、いつもとは反対に「ないわー」という意味で、書影を撮ってアップしました。


Wikipedia日本版:アンナ・カヴァン
Amazon.co.jp:アンナ・カヴァン「氷」




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