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ワレリイ・ブリューソフ 南十字星共和国



まさかの復刊。半世紀ほど前に刊行された「20世紀のロシア小説」に収録された一冊。これまではとんでもなく古い古書(あたりまえである)を何とか入手するしかなかった。それが、手軽なuブックスで、私の嫌いじゃないuブックスで復刊。ロシア象徴主義の震源地ブリューソフ、ボリシェビキ政権で要職に就いた、とても象徴詩人とは思えぬキャリアのブリューソフの短編集。
 

ロシアといえば文学部唯野教授でもロシアフォルマリズムが章立てされていたように、西洋や日本の小説(あるいは詩)とは些か異なるものを生み出してきた。しかも理論先行で。理論が先行した結果として「完成」した文芸作品は、おもしろいかおもしろくないか、文学的か否か、といった判断や評価を拒絶「できる」ところが強みであり、市場性や大衆性どころか文壇や哲学界での受容という点では弱みでもある。ブリューソフ(もともとは詩人)が切り開いたロシアの象徴主義も次第に理論先行となり、ブリューソフは袂を分かつ。果たしてどちらが「ロシアの象徴主義」であるかは、物事の定義の問題になる。それは割とどうでもいい。レーモン・クノーやイタロ・カルヴィーノのようなことをしてくれれば私は大好きなのだけれど、その他は、生まれた結果を通常の文芸作品として読むに過ぎないから。



現実と非現実、現実と夢の境目が曖昧になる、と言われても「現実の私が非現実を綴った小説を現実で読んでいる」ことには変わらないわけで、あまりこうした文言を謳い文句にしている小説に対しては「だからどうした」としか思わない無礼な人間です。しかも「倒錯」なんて言葉が用いられていると、境界が曖昧になるのと倒錯では随分違うと思うんだが、と突っ込んでしまいたくなる。あるいは、セリーヌのように圧倒的な現実を突きつけて現実感が崩壊する快感のほうが好きなのかもしれないし、でも好きなのはそういうのだけでもない。あまり深く考えたことはない。

政治思想が色濃く反映されているかと思いきや、これら短編は完璧に幻想的な小説だ。政治思想はメタファーですらなく、単なる舞台装置以下の扱いだ。それは表題作でも変わらない。南極に作られたユートピア「南十字星共和国」が伝染病によって駄目になっていく。そこにはいろんな人がいる。それは現実の世界と同じだ。でもそこは南極にある国家だ。難しいことは何もなく、政治的な背景を探る必要も全くなく、単純に幻想小説としておもしろい。言い換えると、フィクションとして優れている。挿絵も合っている。



理論先行ではないが、短編としての構成はどれもがすばらしい。むしろ短編でここまできっちり組み上げるなんてもったいないとすら感じる。とてもよくできている。たくさん発表していたら「短編の神様」と呼ばれたかもしれないし、これくらいきちっと作られた短編はそんなに量産できないだろうからそもそもたくさん発表できないかもしれない。ただ、なんというか、もっと読みたくなった。

ひとつひとつがとても短いので、かつてショートショートを楽しんだ世代にもおすすめ。
最初の「地下牢」で私はノックアウトされました。
こんな書きなぐり方をする/できる小説家は、いまはいない。昔も、そんなにいない。

ワルレイ・ブリューソフ「南十字星共和国」
・地下牢
・鏡の中
・いま、わたしが目ざめたとき……
・塔の上
・ベモーリ
・大理石の首
・初恋
・防衛
・南十字星共和国
・姉妹
・最後の殉教者たち


白水社:南十字星共和国
Amazon.co.jp:南十字星共和国

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