ウンベルト・エーコ ヌメロ・ゼロ



ダヴィンチコードのようなトンデモ本を元にした空想オカルト本とは比較にならない知の結晶「薔薇の名前」をはじめとした小説家であり、記号学者でもある、ウンベルト・エーコ。大変残念ながら、2016年2月19日に亡くなった。84歳。結果として遺作になったのが、イタリア本国では2015年に刊行された「ヌメロ・ゼロ」だ。
「薔薇の名前」が歴史に名を刻む傑作であることは疑いようのないことなので、私も疑わない。あの読み応えのある衒学小説に比べれば「ヌメロ・ゼロ」は非常に読みやすい。「薔薇の名前」が難しさの頂点。以降はどんどん読みやすくなっていった。もちろん、それぞれの舞台や背景などを知っていたほうが読みやすいし楽しめるのではあるけれど、まったく知らなくても読みやすい。

「ヌメロ・ゼロ」は、英語でいえばナンバーゼロ。新聞社を舞台にした、メディアと政治にまつわる話。陰謀論のようで、下手な人が書くとまさしく陰謀論と一蹴されそうな内容なので、内容については伏す。そんなトンデモ話でも、エーコの手にかかれば説得力をもって語られる。ぐいぐい引き込まれる。あっという間の200ページ。歴史上の人物が登場し、歴史上で起こった事件が発生する。史実を綴るのと、小説は、違う。その違いや境目がぼやけるというよりも闇の中へ姿を隠すかのようなこの小説は、メディアが報道するものと真実とは全く異なるものだけれどそのへんは曖昧になっていて闇、という日本においても同様なメディアの構造と、似ているような気がしないでもない。ネットで有名な「自殺と認定された人たち」のように、どう考えても、考えるまでもなくおかしな殺人事件が日本でもたくさん起きている。でもなぜか、権力が真実を隠し、メディアもだんまり、うやむやのまま、メディアはまた次の事件をセンセーショナルに報道する。

新聞社の編集会議の様子がおもしろい。読者を馬鹿にしている。つい最近も「CMは偏差値40の人間に合わせて作っている」という電通の中の人の発言がSNSで広まった。なぜかメディアは「一般人」を馬鹿にしている。物事を正しく簡潔に伝えてくれれば良いだけなのに、それすらもできないメディアの人たちがエリートだなんて、今の私は全く考えていない。

エーコについて新しく判ったこと:エーコは箸を使うのが、上手い。



エーコの遺言状には「今後10年間は私に関する学会を開くな」と書かれていた。

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