わざわざの働きかた



数年前、ツイッターで話しかけられた。以前からブログを読んでいる、漆器を見てみたい、と。お越しくださるのはとても嬉しいしありがたいことなので、ウェルカムである。ただ、店舗を構えていないので、びっくりするだろうということは事前にお伝えしておいた。私の金沢のねぐらは、玄関やユニットバスを含めて14平米しかない。そこへ、娘さんを連れてやってきた。そのときの様子は、こちらに綴られている。
長野県の東御市でパン屋を営んでいるとのこと。てっきり私は、ずーっとその街でパン屋をやっている方だと思っていた。ところがこの本を読んで初めて知ったのだが、パン屋の開業は2009年とのこと。お会いしたのはパン屋を営み始めて4年かそこら、現在でもまだ8年という時間。これは、とてつもない速度だ。わざわざのフェイスブックページには「いいね!」が3万以上ついていて、インスタグラムのフォロワーは1万4千人を超え、投稿にも「いいね!」が数百ついている。オンラインショップでパンを販売するのは週に一度、火曜日のみ。それも数分で売り切れる。私はこれまでに一度も買えたことがない。

そのようにSNSでファンを形成しているので、求人や仕事内容についてもネットに投稿していて、それをまとめたのが、本書だ。自費出版、文章も写真もレイアウトも全て自分たち。初版は二千部。それが、数日で完売した。長野の辺鄙な場所にある個人経営のパン屋が自分たちで作った二千部の本が、数日で売り切れる。歯がゆく思った出版社が数社はあったと確信している。本書は自費出版なので送料込みで900円だ。出版社が発行すると、もうちょっと分厚い表まわりにしてカバーをつけて、1800円くらいになるだろう。たぶんそれでも初版二千部ならすぐに売れただろうとは思う。後から言ってもしょうがないことで、見つけなかった出版社が悪いし、企画しなかった出版社が悪い。著名で、ネットやメディアでご活躍で、既に地位が確立されている人の本を出すのが無難といえば無難だ。でも、既に知られている人の情報や考え方など、ちょっと調べればいくつも出てくる世の中だ。そんな「出す必要のないもの」を作って旧態依然とした流通に乗せても、売れるわけがない。

先日取り上げた、セルジュ・ゲンズブールについての書籍。初版1500部限定とのことで慌てて購入したが、今でもアマゾンで購入できる。一方、ろくに流通にも乗せない個人経営の店の自費出版本2000部が数日で売り切れる。これは一体どういうことなのだろうか。

あなたたちがやっている商売は、いまや話にならない。

これは会社案内であり入社案内である。美味しいパンの作り方でもなく、うちのパンはここが違うといった類でもない。だからこそ、強固な理念と姿勢が詰まっている。

話はそれるが、私が世界でいちばん好きな/好きだった飲食店は、エル・ブリ(エル・ブジ)というスペインにある/あった店だ。エスプーマ(泡)やゼリーなどで食材の姿を変え、スプーンを器にして口の中で渾然一体となる新しい味わいを創出した店だ。デザートだけで19品あった。営業期間は4月から9月。秋から春は店の営業をやめて、翌シーズンのメニュー開発を続ける。有名になると1月の予約開始日で、その年の予約が全て埋まるくらいになった。エスプーマは日本では飲食で提供できなかったが、日本の法律が変わり、表面的なものを真似た店が続出した。劣化コピーばかり。フェラン・アドリアのクリエイションを受け継ぐ店は、少なくとも日本には一軒もない。数年前にエルブリの映画が作られ、私は京都まで観に行った。

私が最初にデザインした漆器「nero」(画像1画像2)は、完全にエルブリの影響下にある。黒い器こそ、白いソースが引き立つ。コントラストが最大だから。

エルブリの映画をわざわざの店主もご覧になったようで、本文中に登場する。従業員のモチベーションに関するところだ。飲食に限らず客を相手にしている職業ならば必見の映画なので、本書で取り上げられるシークエンスが映画のどこなのかをここでは紹介しない。私は店舗を構えていないし従業員もいないので、フェラン・アドリアのクリエイションに興味と好奇心が集中した。

本書中には組織図(アップルやマイクロソフトではなく、グーグル的である)があり、募集要項があり、採用プロセスもある。従業員の生き方はひとりひとり異なり、ひとりひとりが思い描く未来像も異なる。異なるひとりひとりが、ひとつの場所に集い、商売を営む。適材適所であり、オンオフの切り替えというかオフが充実してこそオンの質も高まる、といった当たり前のことなのだけれど個人経営や零細企業の経営者が忘れ去ってしまったことを再認識できる。飲食の自営業主はもちろんのこと、従業員100人くらいまでの零細企業経営者も必読。給与体制や待遇や福利厚生、仕事に対する姿勢といったことはむしろ些細なことで(と言うと語弊があるかもしれないが、それらは組織が成長するにつれて変化していくべきものだと私は考えている)、その手前の根幹について文章の大多数が割かれている。

寝ているとき以外は仕事のことを考えろ、と言うのは、個人事業主や零細企業経営者には沢山いる。それは、経営者だけでいい。だって、経営者こそが、売れれば売れるだけ収入が増えるのだから。従業員にそこまで望むことは、してはいけない。むしろ、仕事以外の時間は、自分の教養や見聞を深めて広めること、心身ともに健康であることに費やし、ときには休み、ときにはレジャー、ということを、わざわざの店主は解っている。これは、この規模の組織としては極めて珍しい。組織の組み方、言い換えれば従業員ひとりひとりの仕事、さらに言い換えれば「分担」についての考え方も綴られている。

パン屋の本、というと、パンだけでなく飲食全般ずっとそうだが、バブル崩壊後から現在まで延々と続く、ざらっとしたテクスチュアのあるマットな紙に、雰囲気のある写真。そこには、ひなびた、ほっこちりた店や住まいや料理が登場する。食傷気味でありふれたもので、根強い人気がある、と思われている。作り手側から。そこには、ソフトフォーカスで、被写界深度の狭い、ゴーストやフレアが出まくって、白飛びするくらい明るくした写真が並び、主語を欠いてさらに体言止めや疑問文を多用して自己陶酔が胸焼けするくらい滴り落ちているポエムまがいの文章が、行間を開けて頻繁に改行してレイアウトされている。

とても無難で、リスクがない。
そのぶん、特性がない。
どこにでもあるものになる。
「特筆すべき特性」がないから、雰囲気に走ってしまうのだ。
しかもそれは、ありふれた雰囲気である。

同様のことが、街でも起きている。
町家や古民家や廃工場を、カフェなどの飲食店や雑貨屋にリノベーションするのは、そろそろやめにしませんか。

キュレーションサイトも、似たり寄ったり。



目次。
06.サービスとは何か
10.ゴトウさん
11.できるだけ簡単にする
17.パンを二種類に減らした話
19.社員とアルバイト
21.お手伝い研修
25.毎日同じことの繰り返し
28.信頼関係ができるまで
32.仕事に優劣なし
36.違う目的ではたらく
40.夫婦ではたらく
43.子育てしながらはたらく
48.丸い組織を作りたい
54.わざわざ理念
56.欲しいもの、つくりました。
59.今、仕事が楽しい。
60.わざわざ採用プログラム

私は、写真のクオリティをあまり問わない。漆器屋としての写真は物撮りが殆どで、それは動く物でもないし天候に左右されるわけでもないし遠くへロケに行く必要もないので楽といえば楽だし、艶があるので映り込みが激しいしサーフェスの質感を正確に捉えるのが物撮りの中でも最難関といえば最難関なので大変といえば大変だ。漆器の話は、今はいい。仕事風景や、人間が佇む姿を写真で捉えるとき、何が最も重要か。それは、その瞬間を残せるか否か、撮影者と被写体の間に親密な関係が構築できているか否か、に尽きる。極論をいえば、カップルが旅行で写真を撮る、ふたりが一緒でないとできない表情をしている、それを海辺や山や街なかで、撮る。そのとき、逆光で顔が暗く写っていようが、ハレーションを起して白飛びしていようが、そのときふたりがそこにいて、そんな表情をしていたことが重要なのであって、写真としてのクオリティなどどうでもいいと考えている。むしろ、手ぶれしたから改めてキスするなんてのは、もはや嘘でしかない。表情も変わってしまうし、そのときそこでしかできない表情は、消え去る。光などのセッティングをバッチリやっておいてから「さあ笑ってください」なんつって撮っても、それは確かに写真としては良いかもしれないが、嘘である。オートフォーカスが追いつかなかったから「ごめん、もう一回パンを切ってみて!」なんつったら、それも既に日常の仕事風景を切り取った一枚ではなく、演出された空虚な姿でしかない。

二段組みのページもあれば、三段組みのページもある。それでいいと私は考えている。全ページに亘ってフォーマットを組んだところに「流し込む」のは作業的だから。むかし、文字組みの教科書のひとつに「じょうずなワニのつかまえかた」という本があった。それはまあいい、文章が次の見開きにまで続いているのならともかく、見開きごとに完結しているなら、文字組みが違っていても全然構わない。それどころか、書体や大きさや太さも違っていいとすら考えている。その文章を、最も適切な見せ方にするのだから。でも、そこまでいくと、もともと自分の中での指針がないと終わりのない「作業」になりかねないので、ぱっと見た感じで「レイアウト」するにとどめておいたほうが良いかもしれないとも思うのだけれど。

表まわりが艶のある紙で、そこに、暗い写真。世間で人気の、ざらっとした紙に淡い写真とは正反対の一冊。中身を開かずとも、その強固な意志が伝わってくる。ほっこりしたい人は、読まなくていい。そんな薄っぺらい露出狂によるマスターベーションの開陳で良ければ世間に沢山ある。天然酵母のパンが好きななんとか女子に向けた本ではない。会社案内であり入社案内である。自営業者や経営者ならば今一度自らの仕事を見つめ直す最高の一冊となりうる。実用書や自己啓発書のような代物を読むくらいなら、こうしたものを手に取ったほうが遥かに実になるし頭を働かせる。なんといっても、フェイスブックで「いいね!」が3万もついていて、ろくに流通に乗せていないのに二千部が数日で完売するのだし、いんちきくさい経営指南書の著者とは比較にならないくらい足場や基盤がしっかりしていて、実績を築いているのだから。

予想以上の早さで完売となったため、デザインや印刷で納得いかない箇所があるようだけれど、微修正だけして、第二刷を昨日か今日に入稿するようだ。たぶんまた完売するだろうし、その次の、それまでの二回で判ったことを踏まえて紙などにも再度こだわった第三刷も、そのうち出るだろう。第二刷で、既につるぴかの紙でなくなったらしい。そんなわけで、送られてきたつるぴかの初版第一刷と同一の仕様は、もう二度と作られないかもしれない。かつて、写真集は、グラビア印刷で、艶のある紙を使っているものが多かった。ちゃんとした写真集であれば、CMYKの四色だけでなく、グレーの特色をひとつふたつ加えたりもしていた。その頃のことがよみがえってきて、愛おしい気持ちがわいてくる。



パンと日用品の店 わざわざ
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いつごろ第二刷の注文が始まるのか私にはわからないので、見逃すことなくサイトやSNSをチェックしてください。

以上是四千五百字丁度也。



お店へ行ってきました。ブログ記事はこちら。
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