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イバン・レピラ 深い穴に落ちてしまった


言語としてのスペイン語ではなく地理的なスペインの文芸作品というとフェルナンド・ペソアが真っ先に思い浮かぶ。イバン・レピラは、バスクの中心都市ビルバオ生まれ。バスクといえば自転車プロチームのエウスカルテル・エウスカディ(残念ながら数年前に解散)や、サッカーのアスレチック・クラブ(通称アスレティック・ビルバオ、正式名称に地名などが入っていない時点で、その歴史の長さが推測できる)のように、バスク人だけでチームを構成しようとするくらい独立心や帰属意識が高くて、嫌いではない。そんなプロチームは他にないからだ。この話は数年前にもブログで書いてるので、これくらいにしておく。そんなバスク生まれのレピラの小説二作目が、本作。
寓話、おとぎ話。なのだが、寓話か否かは読む人によって変わってくるだろう、というのが現時点での日本における感想のようだ。明らかに社会性があり、政治的ですらある。でもそれはソルジェニーツィンの「収容所群島」とも異なるし、オーウェル「1984」とも異なる。ミクロ経済学が家計のことを指すケースもあって尚且つそれが経済学であり「経済的」であるのならば「深い穴に落ちてしまった」は、充分に社会的だし政治的。これはもう明らかなことで、訳者も後書きで解説している。それを無視して「これは現実のスペインとは無関係の、読み物としておもしろい物語なのだ」とは言えない。さすがにそれは乱暴だ。

寓話は、比喩を用いて寓意を込める。それはお決まりのアレゴリーとは違う。アレゴリーは定型的なものだ。たとえば、痩せた人が神経質だとか、肥った人が図々しいとか、そういうことだ。そういう色づけ肉づけや描写によって、直接的に神経質だとか図々しいだとかいう文章を省く。それは、寓話でなくとも行われている表現だ。なので、寓話とアレゴリーは異なる。寓話は文芸ジャンルのひとつであり、アレゴリーは修辞のひとつである。言うなればミステリとメタファーを同列に扱うようなもので、おかしい。どの括りでの言葉なのか整理整頓すればすぐに判る。

かといって、必要以上に現実のスペインと絡めたり結びつけたりするのも安易で薄っぺらくて、乱暴だ。自ら招いている錯誤を自覚していないケースが殆どだ。また、結びつけようと思えば何でも強引に結びつけられる。むしろそっちのほうが世間では多く見られる。安易に結びつけることの間違いや危険性は、ロラン・バルトやウィトゲンシュタインをはじめとした人たちが昔から何度も口すっぱく注意しているのだが、むしろ何だかだんだん安易な結びつけや「繋がり」や「同じ」が加速しているように感じる。

もうちょっと、考えよう。



スペインの政治や歴史など知らなくても楽しめ、知っていると別の観点からも楽しめる。文芸理論を知らなくても楽しめるし、知っていれば別の観点からも楽しめる。そういうことだ。ちなみに私はスペインのことを大して知らない。欧米人が日本にはまだニンジャがいると思っているのと同じくらい、知らない。知らなくても深く楽しめるよう、訳者が最後に様々な仕掛けの解説をしてくれている。なので、この「書かれたもの」に乗っかって、単に文字を追っていけばいい。

文芸作品の「作り」を視るには、文芸理論があればいい。小難しいことなどない。アリストテレスの「詩学」一冊でもいいくらいだ。あとはそれをどう肉づけしていくかが語彙であり修辞である。「深い穴に落ちてしまった」の「作り」は、誠に正統的。それこそ古代ギリシャから作られてきた構造だ。むしろ、その正統的な作りの中でこれだけのラストと読後感を与えてくれる手腕を高く評価すべきなのではとすら思ってしまう。

どういう内容なのかというと、タイトル通り。安部公房「砂の女」みたいなのかなと思わなくもないタイトルと紹介で、でも全く異なる。ウィリアム・ゴールディング「蠅の王」のように子供が生き延びる様を描いたものかとも思うかもしれないが、そういうものとも違う。紹介文にある「星の王子さま」とも似ていない。紹介文を丸々引用すると

ある日、兄弟が森で穴に落ちてしまった。深さ7メートルの穴からどうしても出られず、木の根や虫を食べて何か月も極限の環境を生き延びようとする。外界から遮断された小さな世界で、弟は現実と怪奇と幻想が渾然一体となった、めくるめく幻覚を見はじめる……。名も年もわからない兄弟は、なぜ穴に落ちたのか? なぜ章番号が素数のみなのか? 幻覚に織り交ぜられた暗号とは? 寓意と象徴に彩られた不思議な物語は、読後、驚愕とともに力強い感動をもたらす。スペイン版『星の王子さま』であり、暗黒時代を生きる大人のための寓話。
東京創元社 イバン・レピラ「深い穴に落ちてしまった」

短くて、ページ単価を換算して書籍の値段を高い安い云々する方には高いものだが、文庫で千円を超えるのがあたりまえとなっている昨今、単行本ならこんなものではないかと思ってしまうところが恐ろしいけれど、そう思う。そして、ページ単価で見れば確かに高価かもしれないが、コストパフォーマンスを考えると、1620円でここまで心に響く「物語」を読めるというのは非常に安い。安すぎるとすら感じる。もう何年も愛読している、私にとって大切な大切な一冊、スチュアート・デイヴィッド「ナルダが教えてくれたこと」(アマゾンに古本が1円からゴロゴロしている。こちら。)と同じ感じで、心に突き刺さり、心を抉る。冷たいけれど温かく、そして読後は何とも言えずやるせない気持ちになる。同じように、時たま開いて読む、宝石のように小さくて貴重で大切な一冊となるだろう。

注射の上手い看護師のように、純真で天真爛漫な人が素直に出す言葉のように。
とてつもなく鋭利な刃物は、鋭利すぎて刺されたことに気づかない。




東京創元社:深い穴に落ちてしまった
Amazon.co.jp:深い穴に落ちてしまった
Amazon.co.jp:アリストテレス「詩学」
Wikipedia日本版:寓話
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