芳光のわらび餅



先日の名古屋で、仏具や寺の修復などを手がける漆塗り職人の友人が、聞いてもないのに「ここは絶対におすすめ」と伝えてきたので、これはほんとうにおすすめなのだろうなと察知し、行ってみた。こんなわらび餅を食べたのは生まれて初めてだ。食べないまま死なずに良かったと心の底から思うくらい、すばらしいわらび餅。
ゴールデンウィーク中は早めに売り切れるかもというアドバイスを受け、午前九時開店なので、午前八時四十五分に芳光へ到着。しかし既に店の前には行列。九時開店だと知っていたしいずれにしろ待つつもりだったので、並ぶことについては何とも思わない。開店後というか営業中の店へ入るために並ぶのは、いやだ。店内で茶を飲みながら頂戴する気まんまんだったのだが、ゴールデンウィーク中は「持ち帰り」だけだそうで、ひとつしかないテーブルは発送センターの荷台のような雰囲気と化していた。多くの本物のわらび餅がそうであるように、賞味期限は二日。金沢へ帰ってからゆっくり頂戴しようと決め、2個・4個・6個・12個だったかな、そんな感じの個数から、なんとなく6個入りを2箱注文した。この個数の刻み方はどういうことかというと、単に箱の都合である。恐らく2個入りを6箱の場合でも、値段は変わらないと思う。たぶん。大人買いしたい人は120個でも360個でも買えばいい。



わらび餅というと、冷たくて、つるんとしていて、夏の和菓子というイメージがある。だがそれは大きな間違いで、わらび餅は暑さに弱い。そのため、ほんものの蕨粉を使ったわらび餅は、夏の間は販売しないことが多いというか、それが当然となっている。また、冷蔵庫で冷やすと固くなるため、保存は常温。きんきんに冷えた、冷たい喉越しが気持ち良いわらび餅というのは、存在し得ない。そして賞味期限は二日。真夏に観光地のカフェで出されているわらび餅は、それがどれだけ有名であろうと、蕨粉ではなく何か別の澱粉を使った、紛い物なのだ。「ぷるぷる」度を出すだけなら、手間とコストのかかる蕨粉など使わずとも、謎のデンプンで作れる。噛んだら歯形が残るような固さや組成のものは蕨粉ではない。騙されてはいけない。金沢にも「生わらび餅」を名乗るところがあって、やっぱり真夏でも販売している。どういうことだろうね。夏期も販売しているか、というのがわらび餅の良し悪しを計る大前提であり、基本中の基本です。

芳光は、わらび餅の販売が10月から6月。
まっとうなわらび餅。



蕨粉とは何か。この記事の末尾にリンクを貼っておくのでお時間のある方はご参照くださればお解りの通り、ウィキペディア日本版にも書かれているように、蕨の地下茎から澱粉質を精製して取り出したものだ。そこからさらに大変に手間のかかる工程がある。高級品とされている葛粉の比ではないくらい、手間がかかる。それでいて、何を作るのかというと、わらび餅である。葛きりなどは高級だとみんな知っているので、そこそこの値段がつけられている。しかしながら、わらび餅は、高級品が存在しない。京都の有名どころであれば、茶とセットでそこそこの値段だが、あれは肝心のわらび餅が、芳光の域にまで達していない。

よく売られている、よーく冷えていて、無色透明で弾力が強いものは、蕨粉ではない。良くて葛粉、ひどい場合はさつまいもやタピオカのデンプンから作られている。そうなるともはや工業用材料といった趣である。そう、プラスチックでできたものやウレタン塗装されたものやポリサイトの下地が施されたものまでもが漆器と呼ばれているように、紛い物の工業製品だ。蕨粉は、下ごしらえが大変なので、ちゃんとした菓子屋じゃないと使わない。大変に手間のかかる工程を経て出来上がるわらび餅なのだから、1個300円(厳密には295円)なんて高くないどころか安い。全然安い。小洒落たスイーツ屋のマカロンが1個400円するこのご時世、葛餅も1個300円するこのご時世、圧倒的に安い。



芳光が素晴らしいのは「生菓子です。平らにお持ち下さい」と書かれたシールが、包装紙の上面に貼られているところ。通常は、人は皆、ひっくり返してそれを読む。ひっくり返したら台無しになるからだ。なので、邪魔なシールが正面と言える上面に貼られ、まずその注意書きが目に入るようにしている。そして何度も繰り返すが、わらび餅は生菓子だ。金沢には生わらび餅なるものがある。チョコレートやキャラメルみたいに生をつければいいというイージーな発想なのだろうか。

帰宅して箱を開ける。箱の中には、わらび餅が並んでいる。あたりまえだ。わらび餅を購入したのだから。早速銘々皿をクラスボルスのリネンで磨き、その上に乗せようと試みる。下に敷かれて何となくわらび餅を包んでいるフィルムのようなセロファンのようなものの対角線上を摘んで持ち上げる。ぷるんぷるんで、ほんの僅かな振動でも、一度わらび餅に伝わったら最後、増幅しているかのようにわらび餅がぷるんぷるんする。偽物のような弾力だけの震え方ではなく、上手く表現できないのだけれど「下の方向へエネルギーが吸収されていく」感じがする。当たり前のように、きな粉が落ちる。これは美しくないと気づいた私は、摘んでいた指を箱へ戻す。そして再び、ころんとしていて少しだけぼてっとした佇まいで、箱の中にわらび餅。

きな粉が落ちるのは美しくない、でも下に敷かれたナイロンも美しくない。その二者択一を迫られた私は、迷うことなく後者を選んだ。アウトドアのキャンプやバーベキューではないのだ。私は私が作る漆器に盛りつけて食べたいのだ。石油製品なんていらない。そんなわけで、なんだかんだで一箱6個を代わる代わる盛ってみたが、きな粉が全く落ちずに均質な表面を保てたものは、ひとつもなかった。そしてその結果、一度に6個食べてしまった。ちなみに、映り込みが歪む漆器は、出来が良くない。



まずは、茶を一口。知覧茶。それに特別な理由はなく、いま飲んでいる茶が知覧茶なだけであって、番茶でも焙じ茶でも構わない。そして、最初の1個目は、一口で食べてみた。とてつもなく柔らかい。重量感があり、水分がたっぷり含まれている。蕨の風味がある。甘みは最小限。餡の甘さも品があってすっとしている。きな粉が非常に香ばしくて、ナッツ感まである。通常、きな粉は大豆の皮を剥いてから挽く。でも芳光のきな粉は、大豆を皮ごと挽いたんだなと判る。紙の箱に入れるという、現代ではむしろ「雑な保管」で1日中連れ回したにも拘らず、潤いが尋常ではない。それでいながら表面のきな粉は、ほろりとしていて、べたついた感じがしない。さらっとしているとまで言ってもいいくらいだ。どういうメカニズムなのか全然見当もつかないが、このわらび餅は、とてもとても美味しい。味が、澄んでいる。わらび餅と餡ときな粉が口の中で溶け合う。わらび餅には変な抵抗感はなく、噛まずとも舌で崩れる。これこそが「柔らかい」である。この記事の末尾にリンクを貼っておきますが、芳光の主人が修業した京都の店と、その京都の店の次男が何故か芳光で修業してから京都で出した店と、私はそれと知らぬが食べたことがあり、三つの中で芳光のわらび餅が最も繊細で品がある。おかしな材料を使っていないので、何個でもいける。そして別れ際がかっこいい人みたいに、後を引かず、すーっとなくなっていく。最後まで残るのは、蕨の風味と、餡の甘さと、きな粉のナッツ感。



中がどうなっているのか確かめたくて、切ってみた。非常に柔らかいため、断面は綺麗じゃないです。蕨粉は無色透明ではなく、下の画像のような色。潤いが尋常でないこともお判りになるはずです。そして、餡の上品さも伝わるはずです。





名古屋は東京か京都かというと、それはやっぱり名古屋なのだが、わらび餅としては京都だ。東京の都会っ子はご存知ないかもしれないが、わらび餅は中に餡が入っている。それが京都式だ。金沢では半々。名古屋の芳光のわらび餅にも餡が入っている。現在わらび餅の本場と言われる奈良は、餡の入っていないタイプが多い。すさまじい田舎で作られるわらび餅は、なんていうか、ワイルドだ。繊維が残っていたりする。または、弾力だけの紛い物。きな粉の「作り」も、甘い(緩い)。京都のわらび餅は、はったい粉や黒糖、抹茶などを付加したものが有名になりがちで、黒蜜をかけるのも基本。餡と、蕨粉と、きな粉。それだけで美味しいものを作れるならば、余計なものを足したり新機軸を打ち出したりとか、そんな必要なんてないのだ。わらび餅に限らずなんでもそうだが。どちらも食べてきた私が、芳光のわらび餅は圧倒的に美味しいと言っているので、ほんとうに美味しいです。名古屋へ行くことがあれば、電話で予約取り置きしてください。そしてホテルの朝食などぶっちぎってホテルを出て8時45分に芳光へ行ってください。無事に入手できたらホテルへ戻って朝食を摂って、部屋に戻って茶でも淹れてわらび餅を食べればいい。すぐ食べる用と持って帰る用の二種類買っておけばいい。名古屋で宿泊しなくても、新幹線を途中下車して買う価値まであると私は確信している。

観光地としては人気がない名古屋だけれど、名古屋も岐阜も茶の湯が盛んで、菓子の文化や技術は相当なものだ。知られていないだけで。なぜ知られていないのかというと、観光地として人気がないからだ。人気の観光地の、人気の和菓子屋で、謎のデンプンを使った冷え冷えのゴムのようなわらび餅を食べて悦に入るのも右へ倣えで食べログで様式美で悪くはないが、本物を知ることは大切なことだし、芳光のわらび餅は、死ぬまでに一度は召し上がっていただきたい絶品中の絶品です。

次回訪ねたときは、きな粉を落とさず器に盛る(移動する)にはどうすれば良いのか、店の人に尋ねてみようと考えている。そこを解決できないままというのは非常に居心地が悪い。


以上是三千九百字丁度也


名店net:御菓子所 芳光
4travel.jp:わらびもちを食べに名古屋へ行きました ~京都の店との食べ比べ~
Wikipedia日本版:わらびもち
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