ノーマン・ワデル 売茶翁の生涯



抹茶は侘び、煎茶は風流。の、はずである。

こういう書物が日本では書かれず海外で書かれて日本語に翻訳されたものしかないというのは、大変に悲しい事態です。煎茶の中興の祖、スノッブな成金趣味となった茶道から離れ、さらに黄檗宗の僧でもあったが還俗し、値段は客が自由に決めて良い茶店を開き、日本で煎茶を広めた人、売茶翁。あまり人物画を描かなかった伊藤若冲が最も多く描いたのは、売茶翁。その数は実に10枚以上。それくらいの存在。
茶道と煎茶道には思うところが沢山あって、この書籍の紹介となるとそれらに触れないわけにもいかず、とてつもなく長い文章になってしまった。それらの長文は、まとめることもなく、ということはアップも致しません。全てこの一冊に書かれているから。売茶翁の生き方が物語っているから。

美味しい茶とは。言い換えると、良い茶とは。私は、茶道具と煎茶道具を作る末端のひとりとして、12年くらい考え続けている。それはとてもシンプルな話で、適切な茶と湯の量、適切な湯温、湯温の維持および経時変化、適切な抽出時間、最適な茶器の素材とサーフェス、最適な茶器の形状、最適な茶碗の素材とサーフェス、最適な茶碗の形状である。そこには意味を喪失して形骸化した「作法」の帛紗さばきなど存在しないし、夏は平茶碗で冬は筒椀という季節による茶碗の違いなども存在しえない。

私は、抹茶を飲むときに、120メッシュの茶漉しで抹茶を漉してから点てる。質の高い抹茶は粒子の大きさが5ミクロンしかない。120メッシュの編目を通ることなど簡単だから。それどころか廉価な抹茶は粒子が20ミクロン前後あるが120メッシュはそれも通る。なので120メッシュ程度は、いわば「とても緩い」のだ。でもなぜか世の中には茶篩といえばもっと粗い編目のものしかない。あんなのを通したところで何も変化はない。まさか、ダマになった抹茶をほぐす程度のことしかやらなくていいのだろうか、謎である。目に見えるほどの大きなダマにはなっていないけれど粒子同士がくっついたままでも、市販の茶篩くらいの粗い網目ならいとも簡単に通る。

より美味しい抹茶を追求するのと、美味しい抹茶を飲んで幸せな気持ちになるのと、作法を身につけるのは、いずれも全く異なる世界だ。


抹茶は、120メッシュの茶漉しを通す。廉価で粗い抹茶でも通るはずだが、このように茶漉しの網目を覆い埋めるかのようになる。私はいずれ300メッシュの網を入手して(というかアマゾンで安く売ってる)茶漉しを自作しようと考えている。

私は応量器を作っているので、たまに曹洞宗のお寺へ、もっとたまに臨済宗のお寺へうかがう。たいていは、抹茶か煎茶を頂戴する。抹茶の場合は、無論住職が目の前で点てる。穂先の数が少ない茶筅で、表面がざらっとした茶碗で、ささっと点てる。茶筅の穂先は本数が多いほど点てやすい。しかも高山茶筌のように穂先の一本一本を面取りしているような茶筅であれば、いとも簡単だ。60往復ほど茶筅を前後すれば、できあがる。充分甘くてふくよかな味になる。泡を立てたいときでも簡単にクリーミーな泡がこんもりとリッチな洗顔料のように立つ。茶碗の表面は、イメージとは裏腹に、つるつるしているほうが美味しくなる。言ってしまえば、磁器かガラスだ。ついでに言うと、湯の温度は高いほうが点てやすい。しかし湯温が高いと甘みは引っ込み苦みが前面に出るので、見た目は良いけど味は悪い茶となる。そんなこんなで、本数の少ない数穂で、ざらっとした茶碗で、何でもない感じで、適温で、とてもとても甘くてふくよかで奥深い茶を点てる禅宗の住職をたくさん見てきた。私は、とてもじゃないがそこまで到達できない。作法を身につけるのとは比べ物にならぬ困難な道だと、やる前から思う。

茶道の茶席では、あえて穂先の少ない数穂を使って点てて腕をひけらかすこともある。持て成しの心など皆無だ。客に最上の茶を提供するならば、より優れた道具で適切に点てるのが筋である。それを極めれば、茶臼で挽きたての抹茶になるし、茶臼で挽くのも廉価な抹茶のような20ミクロンくらいある大粒では話にならなくて現在最も細かい5ミクロンにまで挽ける道具と技術を備え身につけるのが「美味しい茶を提供する」ことになるはずだし、もっと言えば現在5ミクロンだからといってそれより小さくしては駄目なんてことはなく、粒子が小さければ小さいほど美味しいことは判っているのだから4ミクロンや3ミクロンを目指せばいい。これは茶道の世界ではなく茶舗の姿勢次第ではあるが。


こんなものを晒すのはどうなのと思わなくもないが、ついでなので信念表明として。最近点てた薄茶の中では美味しくできたひとつ。野点用の粗末な茶筅、平茶碗ですらなく深皿、しかもサーフェスはざらざら。きめ細かくリッチな泡が出来にくい条件が重なっているけれど、中央にこんもりと泡が立ち、とても甘くてふくよかな茶だった。


本書は、仏教と茶について長年日本で研究しているノーマン・ワデルが2008年に著した「Baisao, The old tea seller; Life and zen poetry in 18th century Kyoto」の日本語訳。日本のお茶が現在ここまで普及しているのは臨済宗の栄西や隠元そして千利休といったビッグネームによるところが大きいのは事実だ。だが、言葉本来の意味で普及に貢献したのは、売茶翁だ。それなのに売茶翁に関する書籍が皆無。外国語で外国で刊行されるとは何事か。これは一体どういうことなのだろう。売茶翁は、流派や作法や教室や資格といったものとは背を向けて無縁だった。無縁だったが、余りにも知られていない。現在の様式美に凝り固まった抹茶と煎茶の世界の人にしてみれば売茶翁の存在が広く知られると都合が悪いから抹消したいのかもしれないと言ったら邪推しすぎかもしれないが、なんといっても茶に関する書籍を書いたり出しているのは、そうした世界の人たちなのだから。

伝記といえば伝記である。だが、煎茶を広めた人の伝記なのだから、茶についても大変に興味深いことが多く書かれている。タイトル通り「売茶翁の生涯」だけならば、3780円の本書など読まずとも、ウィキペディアにもあるし所縁の地の組織もサイトで紹介しているから、それを目で追えばいい。簡単に生涯を紹介すると、佐賀で鍋島家のお抱え医師だった家に生まれ、11歳で出家して禅の道へ入り、黄檗宗の寺で修行し、地元へ戻り、東京や仙台へも行ったりして、57歳で寺を弟子に譲って京都へ行って茶を売り始め、70歳で還俗し、81歳で茶を売るのを辞めて、使っていた茶道具は売ったり譲ったりして世間の俗物の手に渡るのを防ぐために焼却し、その後は京都の岡崎で暮らし、揮毫で生活費をまかない、87歳で三十三間堂の近くにある幻々庵で亡くなった。おしまい。

伝記といえば伝記だけれど、気軽な読み物というよりは学術書という趣があり、値段も手頃ではない。波瀾万丈な生涯といったように大げさな描写をするでもないし、淡々とチェスの駒を動かすように進んでいく。資料に基づく研究書ともいえる。なので余程の変人でなければ購入して読むことはないだろうが、薄っぺらい茶関連の書物を三冊四冊購入するくらいなら、これ一冊のほうが遥かに大きく強く様々なことを問いかけてくるし、考えさせられる。爽快な風が柔らかく流れているのではあるが、それだけではない。そこが、本書の凄まじさである。よくぞここまで調べてまとめたものだと感動すら覚える。これだけの内容ならば3780円がとても安く感じる。

プロローグ
売茶翁との出会い
売茶翁の伝記資料
売茶翁の生涯の時期区分

第一章 肥前時代
誕生
肥前の風土と環境
黄檗僧として得度
化霖道龍と独湛性瑩
高山寺に惹かれる
仙台での修行
律学を学ぶ
師に随行
大潮元皓
龍津寺に居す
自誡的な人柄

第二章 京都へ
売茶翁が注目される理由
京の都
消息不詳の十数年間
藩主の弟への手紙
各宗の指導者たちとの交流
幻幻庵
萬福寺の内情に通じる

第三章 東山で茶を売る
通仙亭
『対客言志』
京の文人たちが見た売茶翁
江戸時代の茶の種類
売茶翁の茶の背景にあるもの
日本人が生産した煎茶
越渓茶
京の文人たちとの交流
売茶翁の茶の精神
売茶翁の漢詩
景勝地での茶の商い

第四章 肥前に戻る
草川玄道への手紙
大潮元皓と売茶翁
大坂屋敷詰め

第五章 在家居士として
居士号「高遊外」
帰京
湯屋谷の永谷宗円
双ヶ丘時代
相国寺林光院での十年間
大典顕常
宇野明霞
売茶翁の茶道具
彭城百川
『自賛三首』
糺の森を逍遥して
売茶翁の侍者たち
唯一の著作
臨川寺
新長谷寺
東岩倉
高芙蓉

第六章 最後の十年
聖護院村で交流した友人たち
黄檗僧、独湛性瑩への想い
およしへの手紙
茶道具の焼却
百拙元養
質素に生きる
池大雅
伊藤若冲
翁を案じる女性たち

第七章 最晩年
無住と大用
観性尼
安田是誰
古道浄寛
老齢を超越した境地
最期までの数か月
『売茶翁偈語』

エピローグ 地方の有力な支持者たち
新たに知られた交流
松波治部之進と津田治部之進
石川永庵と伊藤若冲

付録 廬同「茶歌」


当時の文人たちが最も敬愛したのは、売茶翁だ。売茶翁が理想とした茶のありかたが、唐の詩人盧仝の文人茶だったから。伊藤若冲(若冲という芸名をつけたのも臨済宗の僧である)をはじめ与謝蕪村や池大雅や彭城百川や渡辺華山や田能村竹田などが絵を描き、冨岡鉄斎や太田垣蓮月などの文人が慕った。茶道の世界と隔絶した一人の自由な人間「でしかない」売茶翁が、当時既に猛威を振るっていた茶人たちをさしおいて、文人から慕われていたのだ。このことすら日本では知られていない。ではなぜそんなことになるのかという話だが、それこそ本書を読めば解りすぎるほど解る。そんなの当然である。

侘び茶が確立される前の茶は、勝負ごとであった。闘茶。種類の異なる茶を飲んで当てる。大きな大会になると百杯飲んだ。そしてスケールは大きくなる一方だった。侘び茶、現在の茶道は、その反動である。そして茶道も当初の理念を忘れ、スノッブで権威的なものとなった。ちなみにそうした或る種の「いやらしさ」を今も受け継ぐのが、香道だ。パターン化されたクイズであり、裏を返せばそれ以上の広がりも進化もなく「より良い香り」や「より今この瞬間のその人に最適な香り」なんてものも創り出せない。

栄西禅師や隠元禅師が日本にもたらした煎茶は、永谷宗円により現在の製法が生み出され、売茶翁は永谷宗円と会った際にその煎茶を気に入った。煎茶を作る人によって知ったわけだ。そして作法や流派といったことに背を向けたからこそ、売茶翁は敬愛された。そして道でも流派でもないので、受け継がれることはなかった。茶を淹れるだけが売茶翁のやったことではないので、継承されることなど不可能だが。そして、道や流派といったヒエラルキーの頂点に君臨する人たちが、現在に至るまで茶とは何かを有り難く教えたもうてくれているというわけである。


無農薬栽培のほうじ茶、上林春松本店の玉露、無農薬栽培の抹茶、上林春松本店の抹茶。


茶色という色は、何色か。茶色だ。これは、煎茶が生まれるまでは茶といえば茶色の液体だったからだ。抹茶ではなく、抽出して飲む茶が。そんな茶色の茶を緑色に変えた売茶翁。茶道具一式を背負って歩いて、屋台のように店を出して、茶を売った。値段は、ご自由に。還俗した売茶翁だが、これこそ禅の行き着く先のひとつのかたちではないかという気がする。まだ私は「正法眼蔵」を読破していないため、禅が何たるかなど全く知らぬ幼稚な存在ではあるが、そんな気がする。


アンナプルナ農園のほうじ茶、上林春松本店の玉露。


先日、熊本で栽培されている無農薬の茶を頂戴した。ほうじ茶である。とりあえず私は初めて飲む茶を紅茶のテイスティングカップで飲んでみる。テイスティングカップにも良いものとそうでないものがあり、紅茶屋オリジナルのものよりも、ノリタケのスリランカ工場製が精度も色も段違いに優れている。とても白くて、なおかつ透明感がないので、色を視るときに光の影響を受けない。白磁なので、味を視るときにサーフェスの影響を受けない。ボウルは湯呑みとして使える。ひとつ持っておくと重宝します。スリランカの職業別平均年収で二番目に高い職業であるティーテイスターが使っているものと同じです。

そんなテイスティングカップでアンナプルナ農園のほうじ茶を入れて飲んでみると、たまたま茶の量と湯の量のバランスが良かったのか、はっきりと甘みを感じ、しかも日本茶では滅多に体験できないミントに似た爽やかさまであった。無農薬栽培の茶は珍しくはない。でもそれらは大抵、苦い。まるで苦いことが本物であるとアピールをしているかのように、苦みが前面に出ている。もしかしたらそれはチャノキが本来持っている成分ではなく「エームス・ショック」でもたらされる毒成分かもしれない。話は逸れるが、日本の抹茶は、輸出できない。残留農薬が欧米の基準を全くクリアできない代物なのだ。欧米ではグリーンティが空前のブームとなっている。インスタグラムで観てみるといい。だがそこには、日本では高名な茶舗の茶など、ない。茶栽培の話になるとまた長くなるのでこれくらいでやめとくが、作法として茶を嗜む人が嗜んでいるのは、欧米では販売できない代物であることは、知っておいたほうがいい。有名どころの茶舗の中にも、申し訳程度に、アリバイ作りのように、輸出可能な無農薬の抹茶を販売しているところはある。カタログの末尾か、下手すりゃカタログに載っていないが。


テイスティングカップで淹れ、写真のように注ぐ。


注ぎ切ったらひっくり返し、蓋に茶葉をのせ、香りと色と茶葉の具合を視る。

抹茶は、茶を粉末にして湯と混ぜる。湯に溶けるのではない。あくまでも混ざるだけだ。だからこそ粒子の大きさが最重要。さらに、点て方によって大きく変わってくる。溶けるのであれば、あまり細かなことは気にしなくていい。溶かしてしまえばいいのだから。溶けないから、いかに事を荒立てず、均質に混ぜるかがポイントとなる。一方、煎茶は、茶の成分を湯に出す。抽出するわけだ。こちらは、いかに出てほしい成分だけ抽出するかにかかっている。抹茶と煎茶は違う。全然違う。ダージリンと大辞林くらい違う。それぞれの茶を最も美味しく点てる/淹れる方法も異なる。

煎茶の場合は、湯の中で茶葉を適度に泳がせるのが良い。ぎゅうぎゅうの狭苦しいところでは、ろくに抽出されない。かといって荒れ狂う海のように引っ掻き回しても良くない。では、どの程度が「適度」なのか。ちゃんと科学で視てみれば、エクマン境界というものがある。それを踏まえればいい。急須/宝瓶/ティーポットは、高さ(深さ)があり、底が円みを帯びているものが良い。これは物理学に基づく形状の話。


湯を注ぐと、葉は沈み、茎は浮く。


形状以外の話を始めると長くなるが簡単にご紹介しておくと、急須も茶碗も磁器がいちばん美味しい。そして長年使っても影響がない。常滑などの朱泥の定番やガラスの急須を購入して使って、それから磁器へ移ってもいい。私は、白磁では一般的な知名度があまり高いとは言えない出石焼の宝瓶(煎茶用急須)と煎茶碗を使っている。日本の磁器の中でも白さが「白い」くて「濃い」ので、茶の色も判りやすい。光が透けすぎても、色を正確に見ることはできないから。煎茶碗の縁は陶磁器としては割とシャープなほうで、とはいってもドイツのティーカップよりは厚みがあって円みを帯びてはいるのだが、これくらいで充分シャープさはある。煎茶はキレが重要だから、ぼってりした湯呑みでは台無しになるのだ。茶托は、煎茶道だと錫が定番。でも私は磁器と金属の触れる音が好きではないので、漆器を使っている。これが、私の「美味しい煎茶」についての、ひとつの解だ。あとは科学に基づき、個々の茶葉における最適解を導き出せばいい。いきなりその茶葉を淹れてみてベストになることは滅多にない。いろいろと条件や要素を変えて淹れてみればいい。そしてその香りと味を自分なりのマトリクスで位置づけ、より美味しく淹れる条件を探って絞り込んでいけばいい。

また、茶にしろコーヒーにしろ、水出しを邪道という人がいて、なぜそういう主張をしているのだろうと私は興味を持つのだが、たいていは「昔はそんなものなかった」という思考停止である。昔は水出しがなかった。そりゃそうだ。安全な生水や冷蔵庫がなかったからだ。現在でも生水を飲めるのなんて日本とアメリカとあと数か国くらいしかない。だから普及していないのだ。いかに美味しく抽出するかと、そのような理由で昔はなかったのとは、安易に結びつけるものではない。ましてや煎茶においては、水出しどころか氷出しが最も苦みがなくて甘みとふくよかさがたっぷりの茶になることが明らかとなっている。しかも放置しておけばいいので簡単。自分の舌を信じて、暑い夏は水出しや氷出しで飲めばいい。緑茶は紅茶や黒茶や黄茶とは異なり体を冷やすので、夏でも熱い煎茶で良いのだけれど。



逸れた話ばかりで恐縮だが最後にまた逸れた話をひとつ。茶碗とは、茶を飲むものだ。日本の茶碗も西洋のカップも、中国の茶碗が伝わったものだ。面白いなあと感じるのは、西洋のカップは持ち手がついた。中国や日本の茶碗には、ない。食器に口をつける日本の食文化と関連性がある気がしないでもないが、それだと中国の茶碗や蓋椀(茶葉を入れて湯を注いで蓋をして、抽出できたら蓋をずらして飲む)がなぜそうなのかの説明がつかない。説明がつかないことで、誰もそんな庶民の生活道具の研究などしていないからこそ、面白くて興味がある。どなたか調べてほしい。

形骸化したピラミッド構造の組織で身につけるだけが茶ではない。むしろ欧米ではそれら流派のトップよりも、煎茶といえば売茶翁という「正しい」認識が広まりつつある。そしてその認識は、これも正しく禅と結びつき、ひとつの流れができつつある。これは本書によるところもあるが、既に本書に書かれている事実でもある。さらに、禅人としての前に、詩人としても知られている。一方、当の日本は、どうだろうか。



外国人によって書かれた本書の他に、売茶翁が書いた詩をまとめて懇切丁寧な解説もついた「売茶翁偈語」がある。見事な七言絶句だ。その巻頭には「茶経」の注釈書を書いた臨済宗大典顕常禅師による簡単な伝記がある。本書が出るまでは、売茶翁については、そのわずかな一文しか日本語として存在しなかった。ひとつの文化の火が消えるところだった。茶といえば茶道や煎茶道のビッグネームによる解説だけになるところだった。本書が出た意義は、とても大きい。唯一、両書に共通することだが、肝心の漢詩の現代日本語訳がお粗末という、外国人に対してどのような顔をすればよいのか判らぬ瑕疵がある。これで終わりにせず、今後直していってほしいし、これらだけでなくさらなる売茶翁に関する書物が生まれることを強く強く願っている。


以上是七千五百字丁度也

思文閣:売茶翁の生涯
Amazon.co.jp:売茶翁の生涯
Amazon.co.jp:賣茶翁偈語
Amazon.co.jp:ノリタケ テイスティングカップ
Amazon.co.jp:ステンレス製茶漉し 120メッシュ
Wikipedia日本版:売茶翁
高遊外売茶翁佐賀地域協議会:高遊外売茶翁とは
佐賀市観光協会:肥前通仙亭

アンナプルナ農園
エームス・ショック
メッシュとミクロンの比較表
エクマン境界層
エクマン層
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