ロラン・バルト『演劇のエクリチュール』

engekino

著作集第二巻
バルトは演劇誌「テアトル・ポピュレール」に執筆してゐた計りか編輯にも攜わつをりたり。其のきつかけとなりたるブレヒトについての文章が多し。其れらの内容はさつぱりわからぬが、わからないからこそバルトの切り方や手腕丈が浮かび上がつてくる、不思議な讀書なりき。

ふつう、何かについて書かれてゐる文章を讀むと、其の何かを體驗したくなる。おいしき店を紹介したる文章を讀めば、其の店に行つてみ度くなる。新譜のレビューを讀めば、其れを聽き度くなる。演劇について書かれてゐれば、其の舞臺を觀度くなる。なれどバルトの文章は(勿論ブレヒトの演劇を實際に觀たいといふ思ひもわき上がつてくるが)、バルトが感銘を受けたものについて書きたる文章を讀み度くなつてしまふ。といふ處迄考へてより、批評文を執筆したる人に興味を持つ事なんてよくある事だなとも思つた。

『演劇のエクリチュール』と題されてはゐるが、是れは後づけのタイトル。單行本に收録されなかりしものを集めたるもの。なれば、演劇の事以外の文章も豐富にあり。カミユと互いに敬意を拂ひ乍ら論爭もせり。僅々バルトはソシュールを讀みはじめてをる。記號論を「方法」とて見事に使ひこなしたる傑作は『當時社會の神話』なれど、其の萠芽も見て取らる。つていふか『當時社會の神話』とてまとめられたるものから外されたる連載も收録されてをる。愈々バルトが本領を發揮しはじめる、其の直前の微熱の如きものに滿ちてをる。

澤山の批評家や哲學者が歩んだやうに、ソシュールの言語學から構造主義の方法論をバルトは嗅ぎとりてをる。忌わしきポストモダンの兆しだ。なれどバルトは、言葉遊びに墮す事なく、方法論をのみ使ひ、演劇やファッションや映畫や寫眞等の分析や批評に活用せり。是れはバルトのやり方が最もエレガントだ。

先日、大學の圖書館で借りて讀んだのみにて濟ませてゐた『一般言語學講義』を購入せり。哲學は、ひとつ丈讀めばいゝといふわけにはいかぬが、バルトは割と單獨で樂しむ事ができるから好きだ。でもソシュール丈は外せぬと思ひはじめたが故に、ちやんと讀んでみやうと思ひたり。
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