ロラン・バルト『文学のユートピア』

bungakuno

著作集第一巻
未だ/既に 始まっている予感。


目次。

文化と悲劇--活字になったバルト最初のテクスト
アンドレ・ジッドとその『日記』についてのノート--公刊されはじめた「日記」
『罪の天使たち--ロベール・ブレッソンの初長編映画評
小説の問題に関する『コンフリュアンス』誌の特集について--読者として
<古典>の快楽--フランス古典主義文学のすすめ
ギリシャにて--学生時代に訪れた思い出
『異邦人』の文体に関する考察--カミュの「白いエクリチュール」
ベルドンヌの三人の学生による室内楽コンサート--学生サナトリウムでの音楽会
ドミニック・マルティの展覧会のためのパンフレット--ニナ・ドーセ・ギャラリー
グロメール、リュルサ、コールダー--サイゴンの雑誌に寄せた文化ニュース
文法の責任--「零度のエクリチュール」批判への再批判
革命は法則にしたがうのか?--アンドレ・ジュッサン『革命の法則』
『バクーニンと革命的汎スラブ主義』--ブノワ・エプネールの同書評
不条理文学に続くもの--ジャン・ケロール『われらの間のラザロ』
ミシュレ、<歴史>そして<死>--『ミシュレ』の一部になる原論文
マルクス主義の「スキャンダル」?--ロジェ・カイヨワ『マルクス主義の記述』
言葉のないユマニスム--レリス『人種と文明』、ゲラン『アメリカ人はどこに行くのか』
『現象学と弁証法的唯物論』--トラン・デュック・タオの同書評
エジプト学者たちの論争--ヴァリーユのカルナック神殿論をめぐって
隠喩について(マルクス主義は「教会」か?)--類推による歴史学を批判する
ジャン・ケロールとその小説--『他者の愛に生きん』『燃え上がる炎』
左翼作家、あるいは左翼文学?--「文学と左翼」についてのアンケート回答
そう、左翼文学はたしかに存在する--「文学と左翼」アンケートの総評
フォリー・ベルジェール--『現代社会の神話』に収録しなかった「神話」
TNPの『ホンブルクの公子』--ジャン・ヴィラール演出によるクライストの戯曲
『主人と奴隷』--翻訳されたジルベルト・フレイレの著作
『言葉もまた住処である』--ジャン・ケロールの詩集
『道楽者のなりゆき』--オペラ・コミック座におけるストラヴィンスキーのオペラ上演
古代悲劇の力--ギリシャ悲劇とスポーツ
顔とかお--「アルクールの俳優」(『現代社会の神話』)の原テクスト
『ハムレット』は『ハムレット』以上です--ジャン・パリス『ハムレット』書評
カトリックのアルルの女--バローの演出した『クリストファー・コロンブスの書物』
非人間的文学--人工言語についての「神話」
ドン・ジュアンの沈黙--ジャン・ヴィラールが演出するモリエール『ドン・ジュアン』
シネマスコープで--クレティアンが発明した映画の新方式
論説--『テアトル・ポピュレール』誌の編集方針
『ドン・ジュアン』--TNPにおけるヴィラール演出の成功
『悲劇と共同性』--アンドレ・ヴィリエ編の論集について
『リチャード二世』の最後--TNPにおけるジェラール・フィリップの演技
冬のアヴィニオン--定着してきた野外演劇祭
モスクワのペリション氏--コメディ・フランセーズのソ連公演
『異邦人』、太陽の小説--読書クラブ会報での紹介
ヴェルサイユとその会計--サッシャ・ギトリの映画『ヴェルサイユ』批判
『リュイ・ブラス』--ヴィラールが演出したユゴーの戯曲
良き小劇場--ロジェ・プランションの演出力
観客のいない悲劇女優--マリア・カザレスの芸術
大人になった『ゴドー』--バビロン座でロングランのベケット戯曲
プレーロマン--ケロール『夜の空間』ロブ=グリア『消しゴム』デュヴィニョー『罠』
重要な演劇--ベルリナー・アンサンブルの上演したブレヒトの『肝っ玉おっ母』
ジャン・ケロール『夜の空間』--現代の偉大な小説作品
『エグモント』--エルマンティエが演出したゲーテの戯曲について
逆説のない役者--ブレヒトのドラマツルギー
民衆演劇を定義すれば--TNPの活動について
いかにして、なしで済ますか--『フォガロ』紙の劇評家ゴーティエ批判
ル・グラン・ロベール--催眠術についての「神話」
論説--『テアトル・ポピュレール』誌の方向性
『桜の園』について--バローが演出したマリニー座公演
今日の民衆演劇--フランス演劇の未来のために
今月の小さな神話--『ジュルナル・デ・デバ』誌、エティアンブル『ランボー神話』
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